イントロダクション
サウンド・アーティストの第一人者、藤本由紀夫氏には幼馴染でもあるかのような親しみを感じる。私たちが心の奥深くひっそりと大事にしている「音」や「知覚」を、繊細な指先で紡ぎだし、寡黙な旋律に変奏してくれるソフトなマジシャン。
音楽は、ある別世界に人を連れ去るものだが、藤本氏の「音」は、私たちが生きてきた思い出のリアリティへと、ものを言わぬ自然の言葉へと招いてくれる。そんなやさしい誘惑を拒める人はいないだろう。ソフトな誘惑者は、ときには空間までも変えてしまう。積もる雪、落ち葉、風のささやきが、日常の時空間から立ち上がり、きらきらとした輝きを帯びる瞬間、そんな生の光を担う一瞬のために彼の作品はたたずんでいる。
待つことを、これほど詩的に知っている人はいない。それは驚くほどに強靭な弦が、藤本由紀夫というアーティストを貫いているからなのだろう。通りすがり、作品に耳を澄まし、遠くの景色へとまなざしを投げかける、そのかすかな出会いの一瞬に、弦は微妙にふるえ、私たちは解き放たれる。
1997年から毎年、兵庫県にある西宮市大谷記念美術館で、藤本氏は「美術館の遠足」という、たった1日だけの展覧会ワークショップを行っている。学芸員室など通常は開かずの間である思いがけない美術館の空間を含む宝探しみたいなアート・プロジェクトだ。2006年までの十年間開催されるという。七夕様のようなアートとの出会いを、その残りの1年間、そして10年間考え続けること。待つことも、待たされることも、星の恋物語のように美しい。
(岡部あおみ)