宮城潤(前島アートセンター ディレクター)×岡部あおみ
日時:2004年1月6,7日
場所:沖縄県那覇市、前島アートセンター
01 「ストリートミュージアム」から前島アートセンターへ
岡部あおみ:宮城さんはまだ30代、沖縄市の出身で沖縄芸大の彫刻を修士までなさった若手アーティストですが、現在は那覇市の前島というバーがたくさんある飲み屋街にできた前島アートセンターのディレクターを務められています。まずここのスペースができた経緯などを教えていただけますか。
宮城潤:僕は学生時代が非常に長くて、大学院までで合わせて8年もいて、当時、首里城の彫刻復元のアルバイトなどをしながらたまに展覧会もしていました。ずっと実技畑に居て、何もわからないところからここに入ってきているので、いまだに困ったりするんですが。前島は戦後できた繁華街で一時は非常に栄えていましたが次第に衰退して、県内の暴力団抗争で、1990年ごろにこの界隈で高校生が銃で撃たれて亡くなった事件を境に、街が死んだようになってしまったんですね。非常に栄えてたんですけども、タチの悪い客引きなどもあって、だんだん下火になりつつあるときにそういう事件があり、それが決定打となった。
岡部:1階がギャラリーとカフェになっているこの高砂ビルも他の階にはバーがいろいろあるようですが、オーナーがスペースの提供など、協力してくださっているのでしょうか。
宮城:このビルには結婚式場があったんです。オーナーは二代目に当たる山城幸雄さんで、沖縄ベトナム友好協会というNGOの事務局をしていました。その協会と沖縄県の共催で、結婚式場だった大きいホールでベトナム展を開催するときに、彼が知人から、 新宿のゴールデン街で行われたアート展の記事を見せてもらって、このあたりでもアート展が出来ないかと、2000年秋に2週間ぐらい、同時開催で「前島3丁目ストリートミュージアム」をやったんです。会期まであまり日がなかったので、コンセプト等々という話をしても間に合わないので、お祭りみたいな形でしたが、最初に声を掛けられた6,7人のアーティストに、僕が入っていたんですね。県の文化振興課の方など、沖縄県と共催でやるので、翁長直樹さんなど県の学芸員の方に「こういうことだから誰か紹介してくれ」っていう形で、集まったんです。
岡部:それ以前に、この場所に来たことはあったのでしょうか。
宮城:この場所に僕らは始めて来て、寂れた雰囲気が逆に面白かったんですよ。(笑)国道があるので、車では通るのですが、ポッカリ穴が開いちゃって全然来ることがない街ですね。危ないということもあるけど、川向こうの松山という飲み屋街や「とまりん」という港には行きます。僕は生まれも育ちも那覇市なんですけど、この辺には本当に足を運ばない、人が来づらい街なんです。全然来ることがない。
岡部:ブラックホールみたいに。夜になると、港に着いた水兵さんとかが来ていたのかしら。
宮城:かつてはそういう海の男が来て賑わっていたんですけど、もう来ないと思いますね。
岡部:昼間だったのでよくはわかりませんけど、バーもこの界隈は閉まっているところが多そうですね。夜の街としても全盛期に比べると半分くらいはカーテンを閉めてしまってるのでしょうか。
宮城:半分どころじゃないと思いますね。全盛期は僕も知らないんですが。儲かってるお店は、地域の様子がおかしくなると、場所を変えて出て行く体力がありますから。
岡部:そのベトナム展と「ストリートミュージアム」の試みは成功したのですね。
宮城:ベトナム展は漆の絵画展で、何点かは沖縄県が県の美術館に収蔵するために購入しました。ストリート展の方は、期間は2週間ぐらいですが、山城さんからこの界隈が元気がないからなんとかしたいと聞いていたので、自分たちでやろうと、場所を生かした展示が出来そうな人に声かけ、ほとんどが沖縄の作家でしたが、参加者は40人を越えました。たまたま県外から来た人がこの話を聞いて参加したり、自由な発表が出来るというのが次第に広まって、友達の友達とか、途中から、じゃあやりたい!という人たちが集まり、もちろん街のことなどをちゃんと考えてやる人もいたんですけど。さびれた街の雰囲気が逆におもしろかったんですね。
岡部:まずは、知らなかった自分の街を発見したという実感もあったわけですよね(笑)。資金などは山城さんが集められたのかしら。
宮城:お金はもう、一切ないです(笑)一切なくて何かスタートするって言うのは有り得るのかっていう感じなんですけど。ただスペースを、山城さんが提供してくれた。若い人たちがこれだけの人数集まって自主的に、何かやるっていうのは多分それまでなかったのではないかと思います。かつて「アトピックサイト」とかがあったと思うんですけど、この規模で、草の根的に起きてきた活動としては。
岡部:それが前島アートセンター設立へのきっかけですね。
宮城:さびれているこの街をどうにかしたいという背景があり、長年、財政的な理由で、沖縄県の現代美術館構想が止まっていて、街の画廊も企画展をしなくなって常設展ばっかり。沖縄芸大を卒業した若いアーティストも多くなってきているし、何かをやりたい人はいろいろいました。例えばお金のない若い人が発表できるカフェギャラリーみたいなところが増えています。ただ思い切った実験的な表現が出来る場はなかなかない。県内の美術状況、ビルや街、発表の場をどうにかしたいという三者がたまたま「ストリートミュージアム」で出会った感じでした。
岡部:「ストリートミュージアム」のときは、おもにこのビルの空室などを使ったのですね?
宮城:はい。場所によっては、ここはもう内装を変えるから、直接描いてもいいし、泥を塗りたくってもいいし、なんでもして良いよっていわれた。きれいなところだと、こうやってとか言われるけど、本当に制限なし。あとはこの通り一帯が会場になった。この通りと通り沿いの営業店 舗6店舗くらいですか。
岡部:好評だったんですね。どのような反響があったのかしら。
宮城:勿論、好評でした。観客数はわかりませんが、かなり来たというより、普段人が来ないような場所なので、少し来ても、来たように感じる。おかしかったのは、道に大きな彫刻を置いたりもしたので、中学生が学校帰りにそれに群がって話をしていたり。スナックの出勤前のママさんが新聞に載ってたから観にきたりとか。普段カフェでやってるときに来る決まった人たちじゃない人が来てくれた。それなら、このへんでアートセンターをやった方がいいんじゃないかというアイディアを出す人がいた。立ち上げ構想を話して、興味ある人を募ったら、集まったのが、熱くなったおじさんたちと、若い作家では僕一人。
岡部:(笑)熱くなったおじさんというのが県立美術館の学芸員の方々ですね。
宮城:まぁそうですね。みなさんアイディアはあるんですけど、実働するのは若い人じゃないと無理ですからね。
岡部:それで、宮城さんに白羽の矢がたったみたいな。
宮城:そうなんですよ。なんだかいつの間にか僕が中心でやることになったんですよ。
外観
© Maejima Art Center
02 センターの急速な誕生とインフラの弱さ
岡部:それまでは那覇市のアートセンター構想というのは出てきてなかったのですか。
宮城:現在、沖縄県美術館準備室にいる学芸員の翁長直樹さんや前田比呂也さんなど、それぞれ考えている人はいて、翁長さんなどは1980年代末ごろ、有志で画廊「匠」という自主ギャラリーを運営して、新たな状況を作り出そうとしていましたが長続きしなかった。そういう人たちが、光を見いだして、今回は何か出来そうだと盛り上がってきた。でも実際やる人がいないと出来ない。次の集まりのときに、何人か若い人を連れてきて、ギャラリーにするためにお金をかけずに改装しようと、天井落として床剥いで、カウンター壊して。映像も出来るし、ちょっと面白いスペースが作れるんじゃないかと。カフェにした半分は、今はオーナーが経営しています。(2004年秋から、そのカフェスペースもリニューアルして事務所兼イベントスペースとして前島アートセンターが運営している。)
岡部:前島アートセンターの事務所はどこにあるんですか。
宮城:事務所は6階にあるんです。
岡部:ここのオープンは2001年の4月ですから、ストリート展から6ヶ月ほどの急展開ですね。半年ぐらいの準備期間というのは短いですね。
宮城:早いですよね。組織や仕組みを十分作る間もなかったという歪みが未だにあると思うんですが、ともかくお金をかけないで話題になることを沢山したので、だんだん人が集まるようになり、ミュージシャンのスタジオやヒップホップのダンススクール、ロックのライブハウスや平和音楽館「エル・パピリオン」というお店が入ったり、少しずつ賑やかになってきています。でも逆に僕らが自由に使えなくなっちゃったんですけどね。
岡部:人気が出てきて、このビルの空室を音楽のスタジオにしたり、ほかの人がさまざまな活動に使ってるんですね。
宮城:空いている店舗が沢山あったんですけど、だんだん入ってきた。アートセンターはどこからどこまでなのか。このビル自体をアートセンターとみるのか、最初のときに僕はオーナーとも話したんですけど、彼自身もアートセンターを始める前に色々試行錯誤してました。アートもよくわからないけど面白そうだし、可能性もありそう。でも全部託すことは出来ないよという感じですね。
岡部:山城さんはここのビルのオーナーという他には、前島アートセンターでの職務は?
宮城:前島アートセンターの副理事長ですが、ビルの経営者ですから、家賃収入がメインですし。
岡部:当然ですよね。前島アートセンターの1階に関しては、今はメセナで貸してくださっている形ですね。
宮城:そうですね。この辺りもちょっと線引きが今あいまいなので、僕らもただで使ってる分、ビル全体のことを見るような感じでやってます。ビルの管理や改装のお手伝いや、何かイベントごとに手伝ったりとか。
出会い系アートvol.1,2003
作家;田原幸浩,宮里努,MACギャラリー
© Maejima Art Center
03 ファンドレージングと運営資金
岡部: NPOにする考えはあったけれども、最初はまだNPOにはしていなかったんですね。
宮城:最初からは営利目的ではないのでNPOにしたいと考えていて、2001年の4月にオープンし、2002年3月にはNPOに認証されました。半年くらい前からそれに向けて取り掛かっていました。
岡部:インフラはまだ整っていなかったにしても、対外的にはNPOという形で認められるようになり、活動するときに例えば資金とかは、ファンドレージングしやすくなったんですね。
宮城:ほとんど変わらないですね。市民団体だったときも、沖縄銀行の助成事業で、一件につき100万円の助成があり、それをとることが出来たんです。アーティスト支援で、2階の1部屋をスタジオに改装し、若いアーティストに貸し出す企画の事業で百万円出していただいた。
岡部:一人のアーティストの個展ですか?
宮城:そうです。インドネシア出身で。
岡部:それは宮城さんが選ばれたんですか?
宮城:選ぶメンバーは4,5人いて、実行委員会みたいな形です。
岡部:今はもうそのアーティストインレジデンスのスペースはないんですか?
宮城:僕と、あと後輩2人の3人で、僕は倉庫として、ほか2人はアトリエとして使っています。
岡部:そこは家賃も払ってるんですか?
宮城:そうですね。一応他の3、4分の1くらいの値段で借りている感じですね。
岡部:今のところの働いてらっしゃるのは、宮城さんだけでしょうか?
宮城:今は常駐の職員はいないんです。前まではいたんですけどちょっと厳しくて、武蔵野美術大学芸術文化学科を卒業する小池舞さんに事務局をお願いしようかと思ってます。
岡部:彼女、沖縄に来るつもりみたいですからね。
宮城:受け入れたいので、それまでにどうにか仕組みを作るという話になっています。
岡部:現在のところは、運営費は、毎回毎回そうしたファンドレージングでまかなっているわけですね。
宮城:沖縄銀行も一回だけでなかなかそうは出せないです。他の助成金も通常の運営資金に対してはほとんどない。「wanakio」というイベントではいろいろ助成金頂いたりとかしましたが。あとは会員を募って会員収入。ただ、現在会員は約200人いるんですが、累積数なので、実際最初に入ってそれ以来会費を払ってない人もいます。一人5000円で、学生は2000円。
岡部:ギャラリーは貸したりなさるんですね。
宮城:今は企画できる体力が無いので、貸しでやってる場合が多いです。だからギャラリーの位置づけも、若い作家が実験的なことが出来る場所として、値段もちょっと安くしています。他で出来ないこともやっていいですよと。自由に使ってくださいという感じです。だいたいみんな1週間とか、長い人でも2週間くらいですが。一週間で3万5千円。
岡部:それは安いですね。那覇のスペースはみな安いのかしら。
宮城:わりと安いですね。
岡部:あとは、みんなで手伝ってあげたりとかするわけですね。
宮城:搬入、搬出は勿論立ち会い、会員にも毎月メールか郵送で送り、展覧会のお知らせははマスコミ、各美術館やギャラリーにもしています。最初のうちは企画展もやっていて、企画を入れることで認知度も上がってきた。はじめは県内のベテランの作家さんの個展が多く、前島アートセンターと聞くと、若い人たちがやっているというイメージが強いんですが、そういう活動を支援するという気持ちで参加する方もいました。今はストップしていますけど、ちゃんと会報誌を作っていて、フリーペーパー、そこにきちんとした形で展評を載せて、形を残していました。
岡部:それを担当なさっていたのが、今はいなくなってしまった最初の事務局長ですね。
宮城:はい。学芸員志望の方で、体調が良くなかった。で、その人が休んでる間、当初カフェを見るという予定だった人が、事務局に入ったんですが、 彼女も子どもが小さかったので、ずっといるのは厳しい。その後は僕のカミさんが事務局をして、もう一人いたんです。その二人で事務局とカフェを見てもらい、僕を入れて三人でやっていましたが、営業時間が昼の12時から夜の10時まで1日10時間あるので、大変でした。
岡部:界隈の性質上、人が来るのは夜が多いのでしょうね。若い人が集まってくるのですか?カフェバーみたいな感じで。お酒も出すのでしょ。
宮城:そうですね。お酒もだします。でもそんなに集まるわけでもないですが、多いときは入れないし、少ないときはもう本当に半日誰も来ないみたいな。でも今こうして岡部さんがいらしてくれているように、ちょっとずつ、沖縄にもこういうスペースがあることを気づいて頂けている。ただ中身は、事務局員がまだ雇えない状況で、動けるのは僕一人っていうか、手伝ってくれる人はいるんですけど。完全にボランティアですね。外から見ると、県内からもメディアに取り上げられる率が非常に高いので、前島アートセンターがんばってるんだと、興味のある人は思ってて、すごいのかなとは思うんです。でも中身が伴ってないので、これをクリアしていくには一つ一つのことをきっちりやるしかない。だから是非小池さんに来ていただいて、マネージメントをやっていただきたい(小池舞は2004年に着任、現在、事務局長として活躍している)。僕は実技畑ですので、事務的なことはぜんぜんですから。
04 「Wanakio」と地域への広がり
岡部:嘉藤笑子さんもかかわられている2002年に始まった「Wanakio」も評判になっていますよね。
宮城:「ストリートミュージアム」の第二回展は前島アートセンターが主催したのですが、このビルは、前島アートセンターが活動を始めて、色々人が出入りしてるし、賑わっているような感じですが、地域の人からすると、あっちばっかり盛り上がってると思われていたみたいです。地域と一緒にやっているといっても、そうは見られてないのかなという感じでしたので、このビルを使うのをやめようと提案して、この辺りで使えるところ、この界隈全域に広げようってことになったんです。
岡部:そのときに、地域の方々からの反応はどうだったのですか?
宮城:第1回目の「ストリートミュージアム」の反響もあり、協力するという店舗が出てきた。でも、 一般の方はやっぱり美術のイメージは額に入った絵画と台座に乗った彫刻だから、「うちの店ここの壁あいてるから使っていいよ」 と言われても、そこの店自体こてこての居酒屋さんで、ここだけ使ってとか言われるんですね。営業店舗ばかりだったので、難しかった。展示場所のための店舗をめぐるツアーをしたんです。使いやすそうな空間は人気がある。だから、協力するよって言ってくれても、結構直前まで作家が決まらないところもありましたね。
岡部:せっかく協力してくれるというお店の方にも悪いですよね。
宮城:ただ店主も、自分たちのためというより、若い人に場を提供しようと思っていて、アーティストもアーティストで、地域活性化のために自分たちも協力しようとしていたので、自分が楽しい場を作ろうというよりも、誰かのためにやろうと思っているところがお互いにあり、非常に消極的だったんですね。
岡部:それで第2回目の「ストリートミュージアム」は、おもしろくならなかったのですか?
宮城:一応テレビとかには一杯取り上げられ、20店舗くらい参加しましたが、内容が消極的で、面白い作品があんまり出てこなかった。地域の人にも気を遣うし。それで失敗したと思って反省していたときに、ドイツ人の建築家で琉球大学の講師ティトゥス・スプリーさんに相談したら、彼は農連市場を使うアートイベントを考えていたので、前島の第3回「ストリートミュージアム」とリンクしてやったのが「wanakio」です。
岡部:このビルは変わってきても、地域自体はなかなか動きにくいのではないでしょうか。
宮城:ただその成果で、空き店舗をけっこうオープンすることができました。2002年からは自治会長に話をして、自治会主催の地域の行事に入れていただいたけれど、最初は意図が伝わらない。今までの経験がないものだから想像が出来ないらしいんですよ。こういうイベントがあってこういうプログラムがあってと、何回説明しても伝わらない。1回目の「wanakio」の時は空き店舗を募集してますと地域の方に言ってもほとんど集まらなかった。でも、何度も説明しているうちに「自治会主催行事なら自分たちも何かやらないといけないね」と、役員の何人かが思うわけです。何かやりたいんだな、何か面白いことしたいんだな、アート展したいんだなとはわかるらしいんですけど。僕も日ごろ地域の集まりには何度も足を運んでいるので、そういう付き合いもあり、始めはお付き合いみたいな感じで始まった。敬老会の人たちに話を聞いて、歴史展や街歩きをやり、塩作りワークショップにも経験者がたまたま来て話をして下さいました。
岡部:すごくいい企画だと思いました。地域の人が参加してるんですよね。
宮城:ええ。地域の情報を僕らは分からないので、敬老会の人たちに話を聞いて、それを元に、歴史展と街歩きを行ったんです。実際に住んでる50〜60歳くらいの方でも、「こんなことがあったんだ」と知らないこともあった。もっと上の世代の方から話を聞いていたので。塩作りのワークショップをした時も、実際に経験のある方が、たまたまきて、「本当はこうやるんだよ」とお話をされたり。非常に反応が良く、直接アート展ではないかもしないんですけど、そういったもので関心を持っていただいた。2002年の「wanakio」は始まって二日目に街歩きをしたんです。そこで会長さんが、「宮城さん、こんなに素晴らしいものなんだったら、何でもっと早く言ってくれなかったんですか」っていう(笑)。僕は半年以上前から、こんなことやりますとずっと言っているのに。イベントの説明をすると、いつもがんばってくださいと言われるんですよ。頑張って下さいじゃなくて、一緒にがんばりましょうと僕は投げかけている。僕がひつこく言うもんで、「やらないといけないのかなぁ」、という感じで関わってきたんですね。前島アートセンターの活動を見ている外部の方から、こういう活動をうちの商店街で出来ないかとかという話はけっこう頂く。でもこの地域からは「ありがとう」という言葉を聞いたことがない。この辺は住んでいらっしゃる方と商売してる方は違います。かえってよその商店街の方のほうが、商売と直接関係するので、非常に敏感でした。
岡部:自分のお店がうまくいかなくなったら終わりだから、積極的な思考になりますよね。
宮城:こういう情報に関してもアンテナを張っているので、美術をやってなくても前島アートセンターの名前を聞いているという状況があった。 僕も、地域の方に、「こんなに何回も話をしてるのに、気づいてくれなかったんですか」とか、「前に言ってましたよ!」と言ったら、「もっとインパクトのあるように伝えてください」と言われた(笑)。で、切れてしまって。「こんなに何回も言っているのにそれを感じ取れないのは、本当にこの街に対して、どうにかしたいという意識があるのか!」と。僕らは何回も投げかけているのに、感じてもらえないのは、はっきり言って、つらかった。ボランティアで、夜も寝ずにやって、自分たちのやりたいことだけ、展示だけをやるっていうんじゃなくて、地域の方と一緒にやりたいと僕は思ってましたから。もちろんそういうことを勝手にやってるというのはわかってるんですけど、反応がないとやっぱりちょっと暗くなってくる。そこで怒ったのが逆に良かったみたいです。それからですね。「wanakio」が始まって、二日目くらいに、そうした出来事があり、地域の方は非常に協力的になり、子どもワークショップに関しても役員の方にいろいろ手伝ってもらったりした。それで、2003年は、空き店舗の応募を役員の中で地域のKEYになる方にお願いし、思う存分表現出来る場と、レジデンス風に一月くらい使える空き店舗を借りたいと言った。作品を作って、地域の中で展示しても、美術に普段かかわりのない人や地域の方が見ても、「わからんさー」で終わってしまうんですね。
岡部:人間の交流があって初めて、もっと違う理解が得られるわけですよね。
アサヒ・オリオンアートビアガーデン
2003,ビル屋上を活用したイベント MACギャラリー
© Maejima Art Center
05 地域の素材:人、もの、歴史
宮城:作家にも「wanakio」のコンセプトを、地域の素材(人、もの、歴史)をうまく拾って創ってくださいとお願いしています。滞在して物をつくるのは、まず家主さんとの人間関係も生まれ、道歩けば人もいる。つくった物がわからなくても、街について、この空間に対して、作家がどういうことを思ったのか、地域住民が今まで考えたこともないような視点で、意見が出てくる。それが新しく、地域の人にも新鮮で、想像力をかきたてる様な事があるではないか。そこが狙い。
一ヶ月空き店舗を借りるといっても、使える状態じゃないので、まずは掃除をするとか、家主が倉庫に使っていたものを、このビルの空き店舗に一箇所に集めて開始します。
岡部:そういう作業が大変ですね。
宮城:そうですね。だから実際の制作は、2週間とか、3週間。県内、国内だけではなく、中国、韓国、台湾、香港,インドネシアなどの作家も参加するようになりました。ティトゥスさんが、向こうのオルタナティブスペースのキュレータと知り合いなので。台湾から来たアーティストは僕が呼んだんです。
岡部:予算があったからカバーできたのですね。
宮城:外からの場合、旅費と滞在費といってもホテルとかではなく、民宿の方もいますが主にアパートなどを借りて。国吉さんという理事の方の持っているアパートを貸していただいて、そこに3人くらいアーティストが同居したり(笑)。彼も家庭があるので、お金をだすのは、カミさんの目がちょっと辛い、空き店舗を貸すのであれば大丈夫と、安く借りて住まわせる。だから作家を呼ぶ場合、本当に旅費くらいで、材料費も大体はカバーできたかなというところです。
岡部:それはよかったですね。来たい人が来てくれると、相手に期待しすぎないので、やりやすいでしょうから。
宮城:期待するというよりも、生活のフォローだとか、こちらが受け入れの態勢がきちんとしてないので、そこで困ることは多かったです。
岡部:海外からの作家は、日常生活をするにも言葉がわからないですしねぇ。
宮城:とりあえず、テレホンカードを渡して、僕と、僕は英語がしゃべれないんで、英語ができる人と、中国語しゃべれる人の電話番号を書いて、渡して。
岡部:何か問題がありました?
宮城:大きな問題はなかったんですけど、コミュニケーションがうまくとれなかった。
カフェスペース
© Maejima Art Center
06 新設される沖縄県立美術館
岡部:沖縄県立美術館の資料を頂いて、少し読んだのですけど、一回中断したこともあり、難しい面もいろいろあるようですね。建設地はいわゆる新都市。ショッピングセンターもあり、 場所的にはここの近くですね。
宮城:距離は近いです。歩いていくと距離は20分くらいですか。郊外型の都市開発というか、ショッピングモールがいっぱいあり、都市計画も最初きちんとするといってたんですけど、ぜんぜん整備されてない。家も乱雑に建っている。非常に住みにくい所らしいです。買い物は皆車で行くし、あそこで歩きたいとは思わないですよね。
岡部:美術館がそういう場所に出来て大丈夫なんでしょうか。那覇市の国際通りは歩いていても楽しい。いろんなショップがあって。最初の「ストリートミュージアム」にかかわった学芸員の方々が、県美の設立の仕事を続けているわけですが、彼らは前島アートセンターからはいったん離れて、むしろ距離をとって、ここを支援出来る立場で、その可能性を考えられているようですね。こちらの事務局長などがどんどん申請を出せば、支援できないことはないとおしゃてました。
宮城:「東松照明」展は、県の事業だったのですが、運営を前島アートセンターが委託された。初めてだったので色々前田さんたちに教えていただきながら、どうにかやれたって感じです。
岡部:なんでも慣れないと難しいですよ。一回経験すれば大体慣れますが。沖縄県は市民ギャラリーで、今までに購入したコレクションを見せているそうですが、ご覧になっていますか?アジアの作家もあるそうですね。
宮城:内容はまあまあいいと思います。沖縄の作家は、買い上げとかではなくて多分寄贈されたものも多いかもしれません。目玉の作品はないんですけど、収蔵する費用がないらしいので、有名どころではないけども、面白い作家ということですね。
07 沖縄とアートスペースの今後
岡部:実際に沖縄の作家として活動をなさっていての問題は、今まで発表の場が少なかった、画廊もなかったということですか?
宮城:いえ、あるんですけども、今はあまり機能していない。カフェとか、若い作家はただで展示できる場所が出来てしまったので、そこへ行く。カフェに来てくれた人しかみることは出来ないんですけど、展示の欲求は満たされるわけです。売ったりもしてるみたいですが、ただ小物だったり、壁にかけられるものに限られる。思い切った表現ができない。ギャラリーとか美術関係者とかもいて、作家もいて、何か動いているはずなんだけど、実際はネットワークが見えない。だから情報を経由する場所があれば、お互いに分かることが増えて、盛り上がってくるんじゃないかと思うんです。
岡部:山城さんにお願いして、空き店舗が一つあったらそこをお借りして、アーカイブにしたらどうでしょう?
宮城:いまはちょっと難しそうです。僕の中で勝手に考えてることなんですが、べつの建物ですが、そこの二階を、展示とかも出来るようなスタジオにして、一階で、アーカイブと事務所とショップを少しできたらいいのですが、まだ理事会にもかけてないアイディアです。ここも以前、前島アートセンターが経営していた頃はカフェにちょっとしたアーカイブとショップがあったんです。ただあそこのビルも含めて、この界隈は、空き店舗を貸してくださいというとき、家主さんと交渉するだけじゃなくて、もう一手間多い。みんな空き店舗を貸すことにとてもナーバスになってます。暴力団関係のことがあったのもそうですし。
岡部:今はそういう問題は少なくなってきてはいるんでしょう。
宮城:全くないわけではないです。お店を貸しても、何ヶ月も家賃を滞納して結局夜逃げとかで裁判沙汰になったりしたことが何回もあったところなので、知らない人には貸したくない。貸し店舗って張ってあるんだけど、借りたいと言うと、「うちは貸しません」ということもある。空き店舗の募集で大変だったのが、家主さんのことが分からないので、情報を集めるところから開始することでした。情報を仕入れて貸して下さいって言っても、家主さんが高齢ということもあってか、もめるのがいやだとか、出来れば触れたくないみたいな。実際家主が住んでいるところが別のところだったりもする。あと、運営資金の面でいうと、前島アートセンターを立ち上げてここで活動しているときに、何とか公的資金をもって来れないか、色々考えていたんですけど、この建物自体、完全に死んでいないし、バーもあるし、そういう意味で公的資金は難しいんですよ。
岡部:ここは逆に生きてるビルだから面白いという面があるけれど、同時に難しい面もでてくるわけですね。神戸のCAPとか、他のオルタナティヴなアートセンターとはネットワークはできつつあるんですか?
宮城:ええ。でも国内でもあまり観に行けてないので、いろいろ観に行きたいなとは思うんですけど。僕が不自由に感じるというか、ちょっと無理してると最近思うのは、前島に根を下ろして、地域の活性化も含めて考えて、自治会とのやり取りもしているので、そうすると見方がどうしても地域住民の意識によってきてしまう。もっとニュートラルにいろんな角度から街を見られるようにならないといけないなと思っています。
(テープ起こし:巻木かおり)
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