01 画廊で働くってことは独立しようと思っているということ

岡部あおみ(O):那須さん、画廊の仕事はこれが初めてですか?
那須太郎(N):いいえ、西村画廊に4年間勤めていました。早稲田で経済学を勉強した後、地元の岡山にかえって2年間、百貨店の美術部に就職しました。絵から茶器など、月に10本くらいのペースで展覧会をこなしていました。広く、浅く知識をみにつけました。
O:作品の販売や画商に興味をもたれて転職をなさったのですか?
N:いや、でも販売は根っこにかかわる、アーティストと一般の人を結びつける部分なので、現代美術という評価の定まっていないものを世の中に出すという販売性という意味では興味がありました。
O:大学生のころから現代美術に興味があったのですか?
N:いいえ、美術館には行きましたけど、ギャラリーには行きませんでした。現代美術には関心がありませんでした。雑誌でたまたま見て、舟越桂さんくらいは知っていました。美術部に就職したのも偶然だったんですよ。画廊に入ったときは違いますけど。画廊で働くってことは独立しようと思っているということです。
O:岡山から東京に出てきた理由は?当時、画廊街の状況はどうでしたか?
N:まぁ、大学は東京だったし、現代美術の画廊というのは基本的に東京にしかないので。同じように時代を過ごしているのでよくわからなかったりするんですけど、ふりかえってみると、ここ5年ぐらいの間に日本の現代美術の画廊の状況はすごく変わってきていて、92−96年まで僕が西村にいたころは、西村画廊とか南天子とか、現代美術の企画画廊は銀座・京橋が中心で、しかも数えるほどしかなくて70年代や80年代にスタートして20年ぐらいたっている画廊ばっかりで、あとは貸し画廊か半企画半貸し画廊でしたね。本当に数が少なくて、ここ4,5年かな、僕らの世代が(那須さんの世代の人がやっている現代美術画廊)増え出したのは。その当時、僕ら全員働いていて、みんな知り合いだったんですよ。




02 ニューギャラリストが登場

O: 若い人が企画画廊を手がけるのが増えましたね。ケンジ・タキ・ギャラリーの滝顕治さんもご存知でした?
N:滝さんはコレクターだったので、知ってました。名古屋の人には結構有名なコレクターがギャラリスト(ギャラリーのオーナー)になったケースが多いですよ。ギャラリーHAMもMATもそうです。MATはもうなくなってしまったけど。
O:現在活躍する若い世代の現代美術の企画画廊が登場するのは90年代後半でしたね。
N:そうですね。和光清さんは立ち上げてから、たしかもう9年か10年くらい経ってると思います。それから、太田秀則さん、早川昌孝さん、小山登美夫さんは同時くらいでしょうか。
O:みなさん年齢は30代ですか?
N:太田さんが40才になりますね。みんな働いているときからの知り合いです
O:みなさんお若いので、それ以前の画廊のオーナー世代とはずいぶん年齢が離れていますね。世代間に間が開いているというか。
N:現在、7,8軒から10軒ほど、同じ世代の画廊があるんですけど、今画廊で働いている20代の人で、次世代をになっていきそうな人間を見ませんね。いないですね。
O:また少し間が開くのかもしれませんね。
N:それはよくないですよ。
O:那須さんの世代の画廊運営についてですが、一応作品の売買でマネージメントをなんとか成立させていらっしゃるわけですよね。
N:ぎりぎりですが。
O:こうしたニュー・ギャラリストが登場してきた背景は、国内でも国際的に通用する日本の作家が輩出してきたことと関連していますよね。急にコレクタ−が増えたわけでもないので、もし市場などの状況がそれほど変化していないのなら、やはり一番の引き金はアートそのものの力ですよね。
N:うーん。とは、思いますね。一番の理由とは思えないですけど。




03 日本の美術館にはなかなか買ってもらえない

O:画廊の運営は全部一人でなさっているのですか?スペースは借りているんですね。
N:いや、アシスタントとふたりです。展示スペースは借りていて、40平方メートルあります。
O:銀座で画廊を経営するとスペース賃貸の値段が高く、中心の界隈だと小さくても100万円ほどもするそうです。企画は年に何本なさるのですか?貸し画廊は全くしていないんですね?
N:年にぎりぎりで8本の企画で、貸しはしていません。
O:バックアップしている作家さんは何人ぐらい?日本人が多いですか?
N:基本的に海外の作家さんにはマザーギャラリーがいるので、日本の作家がほとんどで、うちがマザーギャラリーなのは5人だけです。
O:海外の作家を扱う場合はつねにマザーギャラリーを通してですか?
N:そうですね。直接する場合もありますけど、海外の作家のマネージメントを全部カバーするには地理的にも無理なので、マザーを通してやったほうが良いというのが僕の考えです。
O:作家はどうやって選ばれるんですか?偶然ですか?
N:そうですね。
O:那須さんご自身がマザーギャラリーとして作家に対する対応は?
N:展示を2年に1回くらいするという方式です。
O:作家は、女性と男性の比率はどうですか?契約はどのようになさっているんですか?
N:今、女性が2人に男性が3人です。契約は作家と画廊が50%50%の取り分で、立体なんかを作る作家さんには前もって制作費を渡します。その場合は制作費マイナス売上の50%50%です。
O:経営は現代美術の作品を売ることだけで成立しているとなると大変ですね。
N:そうですね。でもそれが画廊の生きる道ですから。
O: 7人くらいいる同世代のギャラリストの方々みんなそうやって経営なさっているんですよね。
そんなにコレクターがいるんでしょうか?美術館にも販売していますよね。
N:経営はみなそうですが、コレクターはいないですねぇ。美術館にも売っています。
O:でもやはり、個人に販売することが多いですか?
N:そうですね。このクラスの若い作家さんは今の日本の美術館にはなかなか買ってもらえないですから。今はまだ無理ですね。たとえばうちでも数回個展をやって、なおかつ美術館のグループ展に参加する。というプロセスを踏まないと美術館は買ってくれませんね。




04 本当のコレクターとは?
コレクションするために生活している人

O:コレクターの年代も30代や40代が多いのですか?本格的なコレクターといえますか?
N:年齢はそうですね。どういうタイプを本格的と言うのかは難しいです。
O:コレクターの数は多いんですか?
N:数はいっぱいいますが、各自がどのくらい買えるかという点が肝心です。年に500万円支払えるコレクターは少ないですからね。
O:一般の人だと毎年100万円買うのもそう簡単ではないですけれども。
N:でも年間100万円買うコレクターは結構います。うちだけで購入するわけではないけど、普通買っているコレクターっていうとだいたいそれくらいは支払ってると思いますね。
O:その人たちのご職業は?
N:サラリーマン。
O:元美大生とかでしょうか?
N:いや、全然関係ない。
O:サラリーマン・コレクターはどんなきっかけで現代美術に入ってきたのでしょうね。
N:趣味なんじゃないですか?誰でも年間100万くらいは趣味に使うでしょ?
O:たしかに旅行を何回かすればすぐにそれくらいになりますね。男性の方が多いですか?
N:そうですね。
O:どこの国でも同じですが、なぜでしょう?
N:女性はほかに楽しみがあるんじゃないかな。
O:月賦で買う方も多いと聞きましたけど。
N:いますよ。サラリーマン、学生でもいます。こないだはムサビの男の子が小粥丈晴さんと雄川愛さんの3万円の作品を買いましたよ。
学生:本当のコレクターとは?
O:コレクションするために生活している人のことでしょうね。
学生:そうゆう人いるのかしら。
N:いますよ。
O:あとは、基本的にお金に余裕のある愛好家ですね。
N:岡部さんの本(『マイ・アート コレクターの現代美術史』スカイドア、共著)にもでてく
る。




05 絵は値切れるもの?

学生:値切る人はいますか?
N:黙って買ってくれる人のほうが少ないですね。絵は不思議と、みんなが値切れるものだと思ってますね。
学生:価格はどうやって決めていますか?
N:すごくむずかしいけど、作家のキャリアなどで相対的につけますね。あの作家はこの位だから、彼はこのくらいとか・・・デヴュ−するときの価格はほとんど一定ですけれども。たとえば、絵は、まず縦と横の長さを足して、50と50だったら100cmで、たとえばかける10、かける15というレイトを設定して、10だったら1000になるので千ドル。またキャリアを積んでいった作家は、レイトをあげて10を15にするなど。日本で何号いくらって計算しますよね。それと一緒ですよ。そういうやり方もある。
O:現代美術の世界ではもう号などは使っていないのではないですか?
N:やってないですね。ただニューヨークでもセンチでだしてレイトをかける方法で価格つけているみたいですよ。




06 作家が紹介するのはわりと信用できます

学生:絵をおいてくださいって頼まれることはありますか?
N:僕らのような企画画廊ではないですね。作品を見てくださいっていうのはあるけど。そういう場合は全部見ますよ。
学生:貸しギャラリーを回って作家さんを発掘したりすることもありますか?
N:そこまでなかなかないですね。作家からべつの作家を紹介されることはあります。
O:いい企画画廊に入りたい作家は多いわけで、実際に入っている作家にきっかけなどを聞くと、たしかに、そこの画廊の所属アーティストだった友人の紹介というのが多いですね。
N:自分がいいと思っている作家がいいと思えば、いい場合が多いんですね。作家が紹介するのはわりと信用できます。小粥丈晴君と雄川愛さんは曽根裕さんの紹介なんです。
O:海外のマーケットでも売れますか?まだ今のところは日本が中心ですか?
N:そうですね。渡辺聡君が少し出ていって、あと、鳴海暢平君というヴィデオの作家とか、小粥君たちはまだ初個展なんで。
O:海外に売れるようになるといいですね。好きな作家のジャンルとかはあるんですか?
N:いや、ないですね。
O:ジャンルにこだわらないといっても、写真の作家が多くないですか?
N:そうですね。立体の日本人作家は少ないですね。
O:北海道の東川という町で開催している写真賞の審査員の1人なので、松江泰治さんに新人賞をさしあげたことがあります。
N:松江さんの作風はだいぶ変わりましたよ。そういえば、彼は海外でも売れてます。
O:彼は自然をミニマルな感じで撮ってましたね。
N:そうですね。こないだ5月に展覧会したんですけど、結構気に入ってもらえて、ようやく作品集ができました。




07 5年たって海外に出ていくことができなければもう駄目

O:那須さんのところでは、各アーティストの資料ファイルをきちんと作ってらっしゃいますよね。
N:作らないとね。
O:カナダのバンフのアーティスト・イン・レジデンスに日本の作家が参加するのを支援するプロジェクトを私自身手がけていて、推薦候補に小粥丈晴さんと雄川愛さんがあがったときに、那須さんの画廊から彼らの資料ファイルが送られてきたので、日本では珍しいケースだと思いました。海外だと作家の資料はその人が所属する画廊から送られてきますけれど、日本の場合は企画画廊が少ないので、作家自身から直接送られてくることが多いですからね。那須さんから来た資料を見て、「ああ、日本もやっと外国みたいになってきた」と思いました。
N:僕らの世代はみんなちゃんと資料作りや普及をやっています。積極的に海外に出て行こうとしているためもあるんじゃないかな。
O:日本でかなり前から現代美術を扱ってきた画廊は、基盤を作って大きくなる前にバブルがはじけて困難な時代になり、ますます大変になってしまったケースが多いのではないでしょうか。
N:日本は美術のマーケット自体が小さいし、限りがあるので全然発展しないんですね。たとえば、日本人の作家が2年に一回展覧会をするじゃないですか。最初は売れるけれども、10年やれば5回やることになり、でも5回とも毎回買ってくれるお客さんっていないわけですよ。つまり徐々に買い手が少なくなってゆく。ところが新しい人材を常に拾えるかというと日本の中ではそうでもない。だから世界におしだしていかないと、先細りしてしまうわけです。それは多分みんなわかっていると思う。今の作家たちが5年たって海外に出て行くことができなければもう駄目だと思いますね。今のところはまだ5年間くらいは日本国内でマーケットを維持できる感じですが。作品を初めて見る人もいるだろうし、同じ作家の作品を買う人も多少はいる。でもその先はマンネリみたいになるので、新たな才能を見つけるか、海外での市場を開拓することに賭けるかということになる。日本国内で有名になって、ある程度名前を知られるようになっても、どうなんでしょうね。作家としてのみでは生活できないですよね。作家で大学の先生になっている人もいるけど。
O:どこの国も同じで、現代の若い作家は作家としてだけで生活するのは難しい。
N:あとね、1つの作品が安いっていうのもあるし、作品を作るのにお金がかかる。絵だとわりと値段をつけやすいけど、大きい絵はまず売れないですからね。




08 学芸員は画廊に来ない

学生:98年にオープンして画廊はすぐに軌道に乗った感じですか?
N:そうですね。それまで培ってきたものがあったし、オープンしたっていうので。
O:みんなが応援してくれました?
N:そうですね。1年目は比較的楽なんですよ。2年目が辛いって言われる。3年目は2年間が跳ね返ってくる。うちは今、2年目の途中なんでたいへんです。
O:同じ世代のギャラリストと一緒にいろいろ話したりなさいます?
N:しますよ。「今日は悲観的な話はしないようにしよう」と言っていて、のっけから悲観的な話になってしまうこともありますね。
O:もう少し美術館が新しい作品を買えるといいんですが。
N:そうですね。でも学芸員は画廊に来ないですよ。ごく限られた人間しか画廊回りをしません。
O:結局、館内で現代アートのアニュアルやビエンナーレなどをやれる機会以外は、現代アート展の実現は厳しいですからね。ほかに質問はないですか?ではこの辺で、有難うございました。
N:いえ。

(訪問/2000年7月11日 テープ起こし担当:笠原佐知子)