01 牛窓国際芸術祭の感動
岡部あおみ(O):辛さんはアーカスの創立の時からかかわっていらしたのですか?
辛美沙(S):いえ、2001年からです。
O:それ以前は他にどんなお仕事をしていらっしゃったのですか?
S:同じ茨城県にあるのですが、東京芸術大学の先端芸術表現科で、今もですが、非常勤でアート・アドミニストレーションを教えていました。アーカスに来る前年はその関連で芸大の先端芸術表現科と取手市が行っている取手アートプロジェクトのマネージメントをしていました。それ以前はニューヨークにいて、ニューヨーク大学の大学院で勉強しました。
O:それ以前の大学は日本ですか?
S:大学は日本で、音楽を勉強して、ピアノを専攻していました。随分昔の話なので、私がピアノを弾いていたことを知っている人はほとんどいないと思います。
O:音大を出られているんですか。音楽関係の仕事はあまりなさらずに?
S:音楽関係にはほとんどかかわっていません。音大を卒業して、80年代半ばですが、岡山県の牛窓で行われていた牛窓国際芸術祭というプロジェクトにかかわっていました。おいでになったことがあるんですか?
O:ええ。最初の頃、アブラモヴィッチとウーライが棺のような深く細長い穴を掘ってその中に机のようなものを作って、その両端に向き合って長時間座っていたパフォーマンスがあったときです。小杉武久さんが野外で涙がでそうになるほど心に響くバイオリンをライブで弾いて…
S:あの時ですか!あの時もいました。小杉武久さんとても感動的なパフォーマンスをしましたね。遠いところをありがとうございました。
O:お互いに面識はなかったけれど、いろいろなアートの場ですれ違っているということですね。
S:そうですね。芸術祭の仕事をさせてもらっていて、その時は若いし、体力もありましたので、アーティストと一緒になって制作アシスタントをしたり、会場のオリーブ園の中を駆けずり回っていました。音楽大学に行きましたけれど、元々はヴィジュアルアートに興味があって、描いたり物を作ったりも好きですが、ペインティングとかスカルプチャーのように従来の展示方法で展示したり、またいわゆる売り買いしにくいというか、それに適さないタイプの作品がどうやって経済的にも作品として成立するんだろうということに非常に興味を持っていたんですね。それがあまりにも漠然としていて、今みたいに大学でアートマネージメントの講座があるということは想像もつかなかった昔です。牛窓国際芸術祭も今だったらもっとうまくマネージメントできたと思いますけれど、あの頃は、中心会場になったオリーブ園のオーナーの服部さんが全部個人で負担していましたし、地元の人たちや東京からの学生ボランティアが手弁当で参加したり。広報活動も、制作に精一杯でとてもそこまで追いつかない状況でしたので、本当に興味のある方が聞きつけていらっしゃるというくらいで、今と状況はかなり違いました。
O:何年くらい手がけていらしたのですか?
S:10年近くやったんですね。84年から始まりまして、岡部さんがいらしたのは85年だと思うんですけれど。2回目ですね。それで、たしか91年くらいまで続いたと思うんです。90年にニューヨークに行きましたので、89年までは毎年かかわっていました。
O:野外のアートフェスティバルには、舞踏が中心のアートキャンプ白州もあって、今でも続いていますが、時期的にはどうですか?
S:白州は牛窓の後です。牛窓のほうが早かった。
O:かなり遠いからそれほど大勢の方々には見ていただかなかったのですか?どのくらいの方がいらっしゃっていましたか?
S:美術関係者はこちらから呼んで来ていただきました。
O:毎回オリーブ園を経営なさっている服部さんがサポートして資金をすべて提供して開催なさっていらしたのですか?
S:はい。
O:すごいですね。ひとりでやるなんて。
S:本当にそうです。今だったらいろいろなところに協賛や助成を依頼することもできたと思います。
O:牛窓町は全然出してくれなかったのですか?
S:出してくれなかったのです。別の形ではサポートしてくれましたけど資金的にはなかった。
O:どのくらいの予算がかかっていたのでしょう。
S:はっきりとはわかりませんが、1000万円くらいでしょうか。渡航費とかも全部。
O:それこそ文化功労賞か何かをさしあげるべき方ですね。
S:本当にそうですよ。
O:海を臨める素晴らしい所で、すごくいい思い出になっています。
S:そうですか、うれしいです。そんなお話を今日伺えるとは。
O:パリのポンピドゥーセンターの展覧会で出品願いのために、ニューヨークに小杉さんにお会いしに行く予定もあったので牛窓まで行ったのですけど。今までの牛窓の企画の中では辛さんはどの展覧会が一番おもしろかったですか?
S:マリーナ・アブラモヴィッチとウーライ、小杉さんがいたときですね。
O:そうですか。私は一番いいときに行かれたことになりますね。
02 ニューヨーク大学の
ヴィジュアル・アーツ・アドミニストレーション
S:マリーナ・アブラモヴィッチはあの時からの付き合いで、私は日本で初めて彼女とプロジェクトをやりました。95年に愛知県の岡崎市という所で、岡崎市美術博物館の立ち上げの時なんですが、エントランスの部分に10メートルの高さの椅子の作品を作ってくれました。そのときはすでにマリーナひとりで、ソロで活動なさっていました。
O:マリーナ・アブラモヴィッチの作品は2002年に開館した熊本市現代美術館のエントランスにもあります。牛窓の頃から、日本とも関係が深くなったのでしょうね。この前見に行って来ました。いい美術館ですよ。すごくコンセプトが面白い。第四世代ニューミュージアム。
S:是非訪ねてみます。
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