小さいけれど、大きな存在感。

 指輪というものにあなたは馴染みがあるだろうか。日常的に着けてる人も、滅多に着けない人もいるだろう。かくいう私はほぼ毎日着けている。昔から指輪が好きだった。思えば私の持つもっとも古い指輪はアンティーク市で駄々をこねて買ってもらった5ポンドの小ぶりの花のような人工パールの指輪。初めての「私の」指輪だった。当時は幼い私の手には大きすぎた指輪を大切に大切に着けていた。そして、20になった今、ジャストサイズになって初めから「そのようであった」のごとく収まってくれている。もとよりアンティークであったその指輪は、安物ではあったものの魅力は増すばかりに思える。






身近な憧れ

 指輪とはこんなに小さいアイテムでありながら、婚約の証としてであったり、願掛けのためであったり、はたまた古代では皇帝の印であったりと大きな意味合いを持つ。昔から象徴的に捉えられるということは、人を引き寄せる不思議な魔力を持っているのではないだろうか。指輪の扱い方は人によってそれぞれだ。しかしながら「変な意味合いに取られたら嫌だから…」と避ける人がいるのも確かで、それはもったいないように思える。私自身は日常的なファッションとして今は捉えている。しかしながら、一般的なアクセサリーでありながら指輪を日常的に着けている人は案外多くないように思える。それでも指輪というものは手軽に、ささやかにそばにいてくれるファッションアイテムであることを知っていただきたい。




「天気がいいね」
何気ない朝、思い出の指輪と想いを馳せる

「あ、お揃いみたい」
偶然、友達と被ってなんだかおかしかった

「ちょっとだけ、元気がもらえる」
視界にお気に入りがあるだけで、楽しくなる

指輪の持つ不思議な魅力。

 私は時々、指輪を横一列に並べて見つめるのが好きだ。個性豊かで、ひとつひとつの表情が全く違う。輪に飾りが加えられただけのものに、こんなに個性がつくのは興味深く、また美しいと思う。円というのも、人が魅かれる要因のひとつではないだろうかと感じる。日本人ならば、円に縁を感じるかもしれないし、ある国では円は循環を指し示すものだったかもしれない。大昔から続く指輪というものに想いをはせてみるのも面白いのではないだろうか。
 また指輪と言っても与える印象はものや指によって様々で、例えば華奢な細い指輪を小指にはめるのと、大きな石のついた指輪を人差し指にはめるのでは大きく与えるイメージは変わる。同じ指輪だったとしても、ピンキーリングを普通に小指にはめる場合と他の指の第一関節にはめる場合もイメージは異なる。いろんな指にはめてベストだと思う位置を探してみると楽しいかもしれない。






お気に入りを日常に

 少しでも指輪に関心を持っていただけただろうか。指輪は実際にはめてみればわかるが、手は人にとってかなり頻繁に目に入る体の部位だったりする。つまりは指輪自体もさりげなく視界に入ることが多いのである。実のところ、自分で「つけてる」と目に入るアクセサリーは案外少なく、ピアスもネックレスもさりげなく自身で目視することはできない。
 私が思うに、小さいにも関わらず存在感が大きい理由として、何かと目に入るということがあると思う。他人に見てもらうだけのアクセサリーではなく、自分のためにつけるためのアクセサリーでもあるとそこから考えている。なんだか気分がへこむなあ、と思ったときほんのすこし明るくなれたり、緊張したときに愛着のある指輪をそっと見てみたり。そういう使い方もあるはず。

 『お気に入り』が片隅に映る生活はいかがですか?








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