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記号家族−Family as a sighー
赤羽佑樹
写真にうつる人物が誰であり、物が何であるのかに関心が無い。写真に写されることで人物や物は純粋な「人」「物」に還元され無名性を増しているのかもしれない。被写体をそれが誰であるかを問わず「人というフォルムをした誰か」として捉えるため、人をアイデンティファイする部分である顔をブラすことで被写体をさらにフォルム化する。
一般的に肖像写真(例:肖像写真、お見合い写真、有名人のブロマイド、証明写真、警察による犯罪者の写真など)は被写体となる人物が誰であるのかを明らかにする形式であり、そこで頼りにするのは顔から得られる情報である。つまり、イメージとしての顔と固有名詞が結びつくことで人物はアイデンティファイされるのである。見る側が被写体の人物を知らない、誰であるのか認識することができない肖像はもともと無名性を強く持つが、人物の顔から得られる情報を頼りにすることは可能なのである。その顔という情報を失った人物は「人」というフォルムのみを表出することとなり、より無名性が強調されることで人物を特定できない肖像写真になる。
では、フォルム化し無名性を強調することで画面に収められた被写体からは何を得られるだろうか。その対象として「家族」を選択した。なぜ家族か。血縁関係によって組織された「家族」を構成する人々の持つ「父」「母」「子」といった役割は人為的記号(例:コトバ、符号、音符など)そのものであり、それぞれその役割を認識して生活している。フォルム化することで無名性を強調された「家族写真」に写されるのは、「人の形をしている誰か」の集合である。人為的記号である個々の人物を無名の人物に還元した場合、「家族写真」には何が残るか。
実際の家族、自分自身の家族、偽の家族の三種類の「家族」を撮影し、そこに写されるフォルム化された「家族」を通して写真における被写体のフォルム、人為的記号の集合体である「家族」とは何であるのかを模索する。