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まがいもの展〜現代のガジェットコレクション〜
吉沢恵実
まがいもの展へようこそ。
ここにはたくさんの「まがいもの」がある。
まがいもの=偽物など、本物を真似した模造品のことなどをいう。
「まがいもの」は、本物を意識しないとつくれないし、みることも出来ない。つくる人とみる人の共通意識を得て初めて、「まがいもの」として認識される。引用行為は、土着的にはずっとあったが、特にデュッシャンのレディメイド(既成品)を始まりとし、引用行為自体が手法として確立された。「泉」という作品は、レディメイドの男子便器にサインだけをしてそのまま展覧会に送りつけたものである。意図的に明らかな複製品をつくることで、複製時代における芸術の無意味化を図った。
さらに現代においては、誰もが表現者になりえる。簡単にデータ上で素材を手にいれ、また簡単にデータ上で加工できるようになった。安易に繰り返され、曖昧な本物のイメージのみが引用される。しかし安直な無意味さの一方で、欲望や好奇心を単純化し表層的な形やイメージのみをコピーしたものは執拗なまでの存在の強さを感じる。表現行為や制作行為(人の根本的な欲求)の活動がまさに現代風に形骸化した状態である。「まがいもの」は、身近な形で自然にパロディを行える方法として捉えた。
本展では引用されやすいモチーフを選び「まがいもの」として展示した。キャラクター、アート、文章、食品などである。模型として、玩具として、偽造品として、様々な用途で引用されるモチーフである。いずれにせよ、「本物」へのイメージがなければ、「まがいもの」が持つ面白さは生まれないものである。
普段、展示で作品に対峙する時、これは本物だ、理解しないといけない、と思ってしまうものである。自分の中にある、本物の定義を見つけ出すのに苦労してしまう。けれど、一方でそこら辺の玩具や模型を見た時に、にせものだ、と思ってなんも定義づけをせず、本物のイメージを信頼していることがある。曖昧な「本物」へのイメージと、模造物の持つ抵抗の少なさを利用し、距離を故意に離したり近づけたりして、「まがいもの」をつくった。
これらは「まがいもの」である。どうぞ気楽に見て下さい。