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場から考える学校教育ー「勉強」と「学び」、「学び」と「遊び」
大山りみ
教室は劇場である。
1872(明治5)年、学制が公布され、日本の近代教育は幕を開けた。それから約140年、日本の教育は時代に合わせて変化しつづけている。
だが、その仕組みの中で今もほとんど変化していないところがある。教室だ。
1894(明治27)年に発行された『校訂尋常小学校修身書』の挿絵には、黒板の前に先生が立ち、先生に対面する形で生徒が机に向かうという、現在の教室と変わりない様子が描かれている。戦後、学習指導要領はほぼ10年に1度改訂され、詰め込み教育からゆとり教育、そして「生きる力」の育成と、より良い教育を目指し変わりつづけている。しかし、それを生かし実現する場である教室は依然として明治のやり方を踏襲し、そのために、「総合的な学習の時間」など、折々に生み出される教育方法も、真価を発揮できているとはいいがたい状況に置かれている。現在求められている教育を形にするためには、これまでのような受動的学習ではなく、能動的学習が可能な「場」を作り出さねばならない。本来、「勉強」をする「空間」ではなく、「学び」の「場」である教室は、そのための様々な要素を内包し、それらが効果的に関係することで構成されている。その様子はあたかも、劇場のようである。劇場は、古代ギリシャの時代から、その時代や表現するものに合わせて「場」を変化させてきた。同様に、教室の「場」としての役割も変わりつづけなければならない。「勉強」が「場」によって「学び」となったとき、そこには「自分しか知らない答え」がある。それを見つけることこそが、本当の「学び」ではないか。
本論では、教室の「空間」ではなく「場」としてのはたらきに注目し、学校での「勉強」は「場」によってどのように変化するのか、また「場」はどのように変化していくべきか、考察する。