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実験的記憶装置#1『三方が原 1394.5番地』
相曽晴香
わたしは、「かく」という行為に対して、そのとき、そのときをつなげていく、楽器を演奏するような感覚を求めている。
「みる」という行為に対して、オーケストラのひとつひとつの音を拾っていって、最後は全体の音楽として聴くような感覚を望んでいる。
今、私たちは、過去の膨大な記憶・記録の上で生きている。
すでに足跡だらけの大地の上で、さらに新しい足跡を残そうと生きている。
足跡は足跡を消し、もう、もとにあったのがどんな足跡だったのかさえわからなくなる。
それでも、私たちは足跡をたどることをやめられない。
たどりながら自分が今、この足跡を消しているのかもしれないと思いながらも、その足跡がどんな形をしていたのか、どこへ向かっていたのか、誰かに伝えたい衝動は止まらない。
この足跡が消され続けた上につけられた足跡だったとしても、信じようとする気持ちは止まらない。
でも、どうしても、ひとつきりの足跡だけでは伝えられないことがある。
ふたつでも足りない。みっつでもまだ足りない。よっつ、いつつ、と増えていき、ならばみんな一緒になってしまえばいい。
ひとつひとつはばらばらでも、それを全体として見ることができたとき、消し続け、消され続ける足跡は、新しい形として見られるのではないだろうか。
それは、過去でも未来でもない、今、この瞬間をわたしとあなたが共有していたという記憶の形になるのではないだろうか。
これはそんな考えのもと、あるとき、ある場所を残すためにつくられた、実験的な記憶装置である。