手の思考/河原啓子×是枝開

アーティストであり キュレーターであり

帰国して、セゾン(西武)に就職されました。はじめは、ご自身がアーティストだから、美術館には入りたくなかったとか。

 いろんなことをやってみたかったんですよね。アーティストとしても、立体と平面を行ったり来たりするようなところがありましたからね。はじめは、スタジオ200というライブパフォーマンスやさまざまなジャンルの芸術文化を展開する多目的ホールでした。

そして、セゾン美術館、そして神奈川県立近代美術館へ…。

 アメリカで現代アートの現場にいましたから、やはりそれがベースになりました。キュレーターの仕事をすることになったわけです。僕は、もともと言葉と絵の関係に興味があったんですよ。美術っていう世界そのものといってもいいかな。理論と制作、両方に携わって、さまざまな見地を得ることができました。…今現在は、美術に感謝しているんですよ。

モニターを自在に用いながら制作。

モニターを自在に用いながら制作 

もし、(キュレーターなどの仕事などせずに)画家の活動のみだったとしたら?

 続かなかったかも。アーティスト以外の仕事をして、さまざまな人々と出会い、それが作品にも影響してきたと思うんです。出会って来たいろんな人々のお陰だなって。環境って大きいですよね。

自分の中の他人を探したい

お気に入りのパレット。

お気に入りのパレット 

近作を拝見していると、形とか色とかによって心の中にいろいろな思いが言葉として展開したり、そうかと思えば単純に色を感じる感覚にひたったり、面白い芸術経験がありますね。

 自分の中に、もうひとりの他人、“自己内他者”というようなものに出会うのが楽しいんです。それを表現して、あっ、自分はこんな絵を描けたんだっていう、自分でも驚くような自分の一面に出会うんですよ。そんな風に作品を作り続けていきたいですね。

常に新しい発見があるというか…。

 そうでないと、作り続けてなんかいけないでしょうね。自分をそのまま表現するだけだったら、作り終わってそれで完結してしまう。自分の中の未知の自分を求めているような気がます。その方が、面白い!

近年、植物の平面作品を制作されています。制作方法もユニークですね。植物園の中で動画撮影し、それを静止画像としてピックアップしてキャンヴァスへうつし、絵具を重ねてゆくという…。

 抽象と具象の中間ですね。そもそも、抽象画、具象画っていう言葉自体は、20世紀独特の言い回しですよね。本来、人間の知覚じたいは、抽象的だったり具象的だったり、その両方を行ったり来たりしているわけです。そういうところに立ち返って、絵が描けたらいいなって。自分の知覚、感覚、ゆらぎみたいなところを。

アトリエには個展の出品を待つ作品が…。

アトリエには個展の出品を待つ作品が… 

そういえば、カンディンスキー*5もそんなこといってましたよね。

 そうそう。彼は、音楽的な価値観を美術に取り入れていて。音楽のリズム、トーン、あるいはハーモニーという言葉を美術に使用して、でも音楽と美術…。そこには、何らかのズレがあるんだけれども。そういうズレも面白いし、そして、カンディンスキーが向かい合っていた、抽象、具象っていうトピックスを、自分はもう少し細かく見ていきたいな。構築性と偶然性をひとつにするといった世界…。

*5 Vassily Kandinsky、1866~1944年、ロシア。横に立てかけられた自らの平面作品をアトリエで目にしたとき、全く見分けられない対象の美に目覚め、抽象芸術を創始。作風は、激しい形態や色彩を提示した初期から、構築的な構成に取り組む時代を経て、晩年は“具体芸術(美術)”へと向かった。

“職人”にあこがれを持たれているとか?

 そうですね。 “職人”的な、コツコツと地道に反復する作業、それってすごく大切だと思うんです。むしろ、一瞬のひらめきもそういった作業あってこそ活かせて、ホンモノの世界が見えてくる気がします。

《カエンキセワタ》、《ウコンサンゴ》といった、マニアックな感じの花を題材になさっていますね。6点1組や3点1組といった組作品です。1枚1枚が連関しながら、作品の造形の面白さ、色の美しさ、そしてタイトルの響きが渾然一体となって、味わい深いですね。

 絵と絵の関係性で見るっていう、既存の造形芸術があまり切り込んでこなかった「時間の差異」みたいな要素を表現してみたくて…。作品名も大切にしたいですね。しばらくはこれを続けてみようと思っています。“職人”的に、200点、300点と作ってこそ見えてくるものを目指して…。

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