映像研究大作戦
大作戦研究レポート
大作戦(EKD3)を終えたゼミ生+1の研究レポートです。
イメージとカタチ
橋本麻弥今回の『映像研究大作戦Ⅲ』をきっかけに、私は初めてアニメーションを作った。アニメーションの作り方自体は、今回のような方法ならばさほど難しくはない。 一度始めてしまうと、モチーフを動かすことの楽しさに気づき、あっという間に数十秒の作品ができてしまうこともあるし、演出のため一見難しい技術が必要そうなことも、工夫を凝らせば近いことはできる。
しかしいくら時間をかけてアニメーションをつくったからといって必ずしも面白さがついてくるわけではない。作りたいイメージがもともとあり、それにどのように近づけていくかが、アニメーション本来の面白さを引き出すポイントのひとつなのではないかという気がした。
私たちは大作戦の準備段階で、子供たちに見せるお手本としての「サンプル映像」を何本かつくった。毎回つくるごとに、よりよい動きを求め、ストーリーも具体的にしていくことを課題にしていた。だが、私たちはあのとき、作りたいイメージが先行していたわけではなく、 一コマ撮るごとに次の展開を相談し、なんとか形になることにとらわれてしまっていたのではないかと、大作戦を終えて感じた。
子供たちは(私が見ていた自分の班のことを言えば)、最初から作りたいストーリーや背景が決まっており、それに近づくことに執着し、妥協しようとしなかった。それに比べ、最初からできる範囲内のことでアイデアを出そうとすると、自分たちが面白いと思わなくても、作品ができあがることで満足してしまったと思う。
自分が、どのようなイメージがあり、どんな方法でどのように伝えたいかが明確であればあるほど、より綿密なアニメーション制作に取り組むことができるということである。これはアニメーションに限ったことではなく、創作することすべてに言えることである。まずはイメージがあるということだ。 私は、アニメーションを作ることの目的を子供たちの取り組み方から教えられた。
「キャラクター」ということば
永井里奈「キャラクター」という単語には元々多くの意味合いがあるが、日本では一般的に「登場人物」としての意味で使われることが多い。特に既存の、 人気のある話の登場人物などを思い浮かべることが多いのではないか。キャラとは、形や色、音。ストーリーや動き等、色々な要素が全て総括されて生まれるものである。 しかし日本での「キャラクター」という言葉の意味を考えると、キャラ要素の中でも最も重視されているのはストーリーだと考えられる。言い換えるならば、ストーリーありきのキャラこそが、 世間では「キャラクター」としての主流と見なされているのだ。
私が大作戦の中で気になったこと。それは、この「キャラクター」という言葉の中に人が持つ固定概念の問題だった。
今回、大作戦の主旨として掲げた「キャラクター」は、一般に浸透しているストーリーありきのキャラとはすこし異なる。キャラ作りの要素の中でも動きと音を重視し、 身近にある変哲のないものが持つ特性から何らかのキャラを引き出すこと。ストーリーと切り離しても尚確立出来るキャラを作る──謂わば、キャラ自身が世界観その ものである様な「キャラクター作り」を目指したのだ。しかしここで1つの問題が発生した。参加した子供達にとっては、一般的で馴染みのある、物語の登場人物とし ての「キャラクター」の方が想像し易く、私たちが主旨としていた「キャラクター」のイメージが掴みづらかった、というものだ。「キャラクター」という言葉を使う と、子供達の頭ではどうしても物語の登場人物と直結する。これこそ一般的に浸透している、「キャラクター」という言葉にある固定概念のせいなのだろうかと感じた。
今日の映像分野をみてみても、ストーリー無しで成立しているキャラクターや作品が実際多く存在している筈だが、今1つストーリーありきのものに押されているのが 現状だ。これには様々な原因があると思うが、中でも「一般的」という名の固定観念のせいで、人の、ものをみる視野が狭められていることは否めない。
大作戦の2日間、上記のようなキャラクターの問題を含んだ様々な作業を一緒にしてきた子供達に、固定観念にとらわれない広い視野を得る切欠を掴んでもらえていれば、 良いと思う。例えば「キャラクター」と一言言った時に、様々な方向から成り立ったものを想像出来る。そんな多角的な視野が一般的な感性になれば良いと思った。
ストーリーを考えよう
高橋菜月映像研究大作戦を終えて、私が興味を抱いたのは『ストーリー』についてである。音によってストーリーもまた変わるのはDVD内でも取り上げられていたと思うのだが、 では一体どこから映像は『ストーリー』を持つようになるのだろうか?
個別に行ってもらった撮影では、明確なストーリーはあまり見られなかったようにも思える。私達が傘をモチーフに撮った時と同じで、ただ「動かす」という目的で撮影するとストーリーは生まれない。 EKD以前はそう思っていたのだが、考えを改める事になったのが二日目のグループ撮影を終えてからだ。
私たちの班で撮った作品は、プロットに準じた物ではなかった。ある程度こうしよう、と決めていただけで後は実際に撮影に入った段階で決めた、即興的な部分が多くあった。一見それだとストーリーはなく思える。 だが、いざ完成した作品を見ると、“扇風機が雲を飛ばし、クリップが形を作る。だがそれも扇風機によって飛ばされる”…といったストーリーが見えてくるのだ。人によっては、これにストーリーはないと思うかもしれない。 だが、映像の内容を起承転結で表せるのならばそこにストーリーは存在するのではないかと思う。
ここで一つ思うのが、もしストーリーがない…例えば、ただおはじきが延々模様を作るだけの作品に音がついたのならどうだろう。昔々…といった物語調のナレーションを入れたのなら、その映像にはストーリーが付く。 また、曲だったとしても曲のイメージをそのまま映像にも抱くだろう。ストーリーの有無について、音というのはとても重要な位置にあるのだ。音の重要性について分かりやすい例が、以前テレビで流れていたホットペッパーのCMだ。 いくつかパターンはあるものの、どれもが洋画にクーポン券の説明を入れている。映像だけ見れば緊迫した場面である事が多いのに、コミカルなやりとりによって映像のイメージは見事に消えている。ここで、いかに映像にとって音が大事か分かるだろう。
よって、私は『音』があればそこから『ストーリー』は生まれるのだと考える。抱くイメージはそれぞれであれ、そこに少しでも物語性を感じたのならストーリーはあるのだろう。EKDは終われど、個人的に音と映像の関係についてより深い所まで研究していきたいものだ。
大作戦に参加して
大抜(中学生スタッフ)今年スタッフをやらせていただいて思ったことは、やはりこちら側から見ると「映像研究大作戦」も随分違う印象を受けるものだな、と思いました。 本番の少し前の打ち合わせに、あくまでも少しだけでしたが参加して、大学生の皆さんがすごく一生懸命やっているんだなと思いました。 参加する小学生がしっかり研究し、それでいて楽しめるようにする為にはすごく大変なことだとも、打ち合わせに参加して分かりました。 すこしでも役に立てたのなら嬉しいです。そして、スタッフとして参加した僕もとても楽しかったです。どうもありがとうございました。
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