■ぱくきょんみさんへのインタヴュー
日時:2001年10月6日 
場所:ぱくさん宅にて
インタヴュアー:大森利佳、岡田伊央、宮内真理子

Q:インタヴュアー(大森利佳、岡田伊央、宮内真理子)
P:ぱくきょんみ

バンフ、カナダの自然 
■もう、絶景っていうじゃない?絶景ですよ。ただ、それに呑まれてはならない、呑みこまれてはならない。と思って、それが創作の第一歩であったのかもしれませんね。

Q(インタヴュアー)バンフには何月ごろ行かれたのですか?
P(ぱくきょんみ)ちょうど10月の20日ごろから行ってきました。
Qじゃあ紅葉するころですね。
Pところがほとんど針葉樹ですよ。針葉樹林帯ですよここ、だからツンドラまではいかないけど、とっても寒冷地。ただね、この山と空と、雲の表情がね素晴らしくて、いつも感動して見ていて、それで一日が終わって。人間の営みなんてはかないものだな、なんて思って。で、一日一日が長いのよね、やっぱり。
Qそれは環境がなせることですか?大自然というか?
Pそう。それと(アートセンターには)食事もちゃんと食べにいくところがあるでしょ。スポーツジムもあるでしょ。そういう娯楽とかちゃんとあるのだけど、もしそれを選択しなかったら、一日中自分の部屋に閉じこもることも出来るじゃない。そうしたいと思ったらね。ほら、例えば都会生活で雑事に追われている人が、いざ自分の時間がいっぱいになったらね、人間はなかなか大変なのよ。だって、静かでしょ。私たちアジアのこんなゴチャゴチャしたところで育っている人たちが静寂っていってもねえ。それから私は、自然が本当に生に、いい意味では生き生きしているって思うけど、ある意味ではすごい力を持っていて呑みこまれるような気持ちが何度もした、本当に。美しいっていうより、それを超えている怖いっていうことが多かった。そして私は何も太刀打ちできないなあって思って。
 だからカナダの、自分たちの文化を築きあげようとするその意欲って凄いと思う。何かね、こう本当に努力していないと、どんどん自然に取りこまれていくから。だから努力するんじゃないかって思う。だって7ヶ月雪に閉ざされるのよ、カナダの生活って。7ヶ月。本当に雪とか、寒さとかって想像以上のものがあるんじゃない?だから、ね、自分たちの文化を守ろうっていう気持ちが強いんじゃない?日本で考えているのとぜんぜん違う生活意識。日本なんて放っておいても草がはえるからなんていうのがあるけど、ここは食べるための草を守るのにすごく努力しないと。そういうことまで考えたりしたんです。
Qやはり1ヶ月半とか2ヶ月とかそういう大自然に圧倒されるような場所にいるから、表現しなくては、あるいは表現したいわ、となっていくのでしょうか?
Pそうそう、でも表現する前につぶされるんじゃないかっていう恐怖が常にあった。
Q大自然に?
Pというのは、本当に自然が素晴らしいでしょ。空が素晴らしいでしょ。言葉はいらない。っていうか、修飾語、本当にいらない。もう、絶景っていうじゃない?絶景ですよ。絶景の連続だもん。 ただ、私は繰り返すけど、カナダの自然、本当に美しいし圧倒される自然がね、ただ単に素晴らしいっていっているんじゃなくてやっぱり、それに呑まれてはならない、呑みこまれてはならない。と思って、それが創作の第一歩であったのかもしれませんね。

ジョエル・シオナさんの作品、そしてネイティブ・ピ‐プルについて
■やっぱりこの風景の中でね、もう本当に人の知覚とかそういうものを超えているヴィジョンがここに開けるわけでしょう?

P(滞在した時の写真を見ながら)これが、ルイーズ・レイクで、向こうに見えているのは氷河だって。万年雪です。ここは、もうカチンコチン。で、こういうところで、カナダのジョエルさんが裸になってね。私はあの作品を見た時にシャーマニズムを思い出した。あの、シャーマンね。巫女さんっていうのは、自分をほら、すごく肉体的に追い詰めて、それでトランス状態になって神のお告げとか、あるヴィジョンをキャッチしようとするわけでしょう?だから彼女がやったこともそうじゃない?
Q極限状態ですか?
Pあれは90分くらい。ま、大丈夫なんじゃないの。90分くらい、裸でも。だって原始時代の人間は裸で生きていたわけなんだから。マイナス20度も大丈夫だって聞いたことあります。文化人類学の授業で、マイナス20度で暮らせるって。昔は服がなかったわけじゃない?ま、毛が生えていたのかもしれないけど。猿ほどじゃないけど、毛は多少は生えていたと思うけど。動物ほどは毛が生えていないでしょう、人間は。大丈夫なんじゃないの。で、そういうことを私が思い巡らしてきたときに、この前のシンポジウムでは話さなかったけれども、向こうのネイティブ・ピープルの人達がここに住んでいたこととか、やっぱりこの風景の中でね、もう本当に人の知覚とかそういうものを超えているヴィジョンがここに開けるわけでしょう?だからその大きなメッセージを受け取ること、そしてその厳しい自然の中で生きていくためには、自分を塗り固めたり、装飾品で飾って、対峙していった。自分を守るために。子供を守るためのお守りもいっぱいある。そういうビーズのお守りをたくさんつくっている。
Q魔除けですね?
Pそうです。魔除けです。私は滞在の終わりになって、ラクストン・ミュージアムを見つけてね、なかなかいいコレクションでね。その地域のカナディアン・インディアンって、ひとくくりにされてしまう人達がみんな自分達それぞれのトライブの名前があるでしょう?それが全部ついていましたけどね。それで資料がここには売ってないから「写真撮らせて下さい。」って頼んだら撮らせてくれて。私はもともと朝鮮半島の民俗文化とかを自分なりに勉強しているものですから、もう同じルーツじゃないですか。アメリカン・ネイティブ・ピープルは。だからすごく面白かった。
 ここはね、新聞記者だったジャーナリストの人が一人で集めたんだって。それがラクストンっていう人だからラクストン・ミュージアムっていうことになって、寄贈したという形。もちろんアメリカとか他の国でもね、こういうものを集めているところはいっぱいあるけど、ここはすごくそのコレクションにぴったりの場所って感じがした。
 (写真を見ながら)素晴らしいでしょう?全部ビーズよ。刺繍じゃなくて。私はこれを買ってきたの。(ビーズのバッグ登場)
Qわあーすごーくきれい。全面にビーズなのですね!
Pこれは今作っているひとのだけどね。これだけは買ってきたの。私は民俗文化にすごく興味があるから、そういう心に触れたことがすごくうれしかったし、バンフでもね、やっぱりネイティブ・ピープルに関する研究などもね、コンファレンス?そういう会議なんかもあるみたい。アボリジニ・プログラムっていうの。
 こういうビーズのバッグって、自分がここにいるっていうことを示すものでしょう。
ネイティブ・ピープルの人たちって言葉書き記さなかったっていうけど、関係あるでしょうね。書き記す必要はなかったんじゃないでしょうかね。で、むしろ刺繍とか、こういう中にねメッセージをこめたし、あとは語りで伝えていくでしょう。要するに人の中に写して継承させていったほうが残っていくわけよね。紙に書く必要がなかった。だから本当はかれらの言葉の文化って豊かでたくさんいろんなお話が残っているって言われていますよね?例えば、「ブラック・エルク・スピークス」 っていうあの有名な1730年代にあるアメリカ人が聞き取った本。ブラック・エルクって呼ばれていたネイティブ・ピープルの幼少の時からの体験記。どういうふうにして、お父さんたち、おじいさんたちに鍛えられていくか、この大地で生きていくための方法を教わるのよね、で、あの人たちはマリファナやLSDを吸って夢を見ながら自分をトランス状態にさせていくでしょう、そうして夢の中で動物と交感したり。動物が皆神様でもあるし、月の神様とか星の神様とかと交感しながら自分の世界認識をつくっていくのよね。それをつかまない限りはトライブの一人前の男として認められない。そういうことを思い出しますよね。でもふつうは、自然に圧倒されて暮らしてしまうんじゃないかなって思う。

ご自身の創作
■何か言葉とか民族とかを超えて一緒に気持ちが通じるっていうか。そういうものが何か次に向かわせてくれることってある

Qバンフに行く前と滞在中や行った後で創作する意識とか、気持ちなど何か変わりましたか?
Pうん、変わったと思うんですね。私は、ほらこんなところ(東京)で暮らしているでしょ。で、毎日のように都心に出て行ってね。もう人ごみと電車とあと日常生活のいろんな雑事に追われて。そこから本当に情報の伝達手段のないところで、自然と向き合って。でも本当は快適なセントラルヒーティングのはいった部屋をもらえて、その空間の窓からいつも空が見えるでしょ。雲が見えるでしょ。そうしたときに、かっこつけているかもしれないけど、自然と向き合う、自然に思いを馳せる、ということが出来ましたよね。自然は本当に素晴らしいっていうことで、まあそれが創作に反映していると思うんです。やっぱり、力みたいなものは得たと思うのね。それで、『雪の掌に』っていう大した作品でもないんだけど、雪っていうものに象徴された大きな自然と、わたしっていう小さな人間がどういうふうに付き合っていくか。でそのあいだにわたしに手を差し伸べてくれたいろんな人たちがいたから,自然に対してわたしがもう一歩踏み出してみようと思ったりとか、あの『雪の掌』っていうのは自然の象徴でもあり、一緒に歩いている女の人たちとの会話、言葉は英語でしかないんだけど、何か言葉とか民族とかを超えて一緒に気持ちが通じるっていうか。そういうものが何か次に向かわせてくれることってあるんですよね。で、その時にこのエミリー・ディキンソンのコンプリート・ポエムズ全詩集 を読んでました。彼女の生涯の詩1775篇をね、T・H・ジョンソンが編纂した本。これを持っていってとにかく、こんなにいっぱいあるから、アトランダムに読んで、とにかくカンで選んで、読みたくてもわからないのも多いからそれは飛ばして、エミリー・ディキンソンをノートの左頁に書いて、右頁に翻訳するっていうことをやったのね。どれくらいできるものかな?って思ったけど、40篇くらいしか出来なかった。(笑い)
Qそれは、ペースとしては遅いのですか?早いのですか?
Pこれだけ集中してもそんなには出来るわけじゃないなあって思ったの。でもノートを作っておけば、また自分の人生のなかでこれを元にしてなにかできると思ったし。私は月に2回エッセイを書いていて いつも英語の表現をさがしていなくてはならないから。それでこういうノートをひとつ作っておくとずいぶん安心できるの。エミリー・ディキンソンは、なにしろ1775篇もあるから、今まで取り上げたのが60篇くらい。まだいっぱい残っているからね。もっと自分の英語力があったら、もっといっぱい読めたのにって思った。
Qそんな生活の中で「まみゆさん」が急にあらわれたのですか?
Pそうそう、ええ、結構最初のころに現れましたよ。最初に書き出した。えっと、この日に書き出しているから、21日くらい。行ってすぐですね。2日目に書き出している。
Qそれは、行って環境が変わって、大自然に囲まれてすぐに?
Pうん、「空を見るのが大好きです。」ってところで分かるでしょ、その状況。(笑い)でも、私ノートに書くのは好きなんですよ。文章書くのはプレッシャーだけど。ノートは好き。それで友人たちに絵葉書とか書いて送っていて、そうしないと精神のバランスが取れないのね。やっぱり通信手段って必要なのね。精神のバランス。でもね、メールを見るのは楽しかったけどまだコンピューターには抵抗があって。ほんとにもう、私なんてちっぽけだってそういうことばかり感じてた。
Q雪が降った時に「まみゆさん」はあらわれたりするのですか?
Pまみゆ、のことはずっと考えていました。でも、はふべえとかキャラクターは全部そろったんだけど、物語まで言葉として定着できなくて。で、森の中でいろいろな者たちに会っていくっていう。雪のところの葛藤はね、うまく書けるかな?なんて思っているんだけどね。なんか、いろんなものに出会うっていうのはありますよね、歩いていて木だと思っているとエルク(へらじか)だったりして、あっちだって意識しているわけじゃない?そうした時のなんていうのかな、よく言えば交感だし悪くいえば敵対心。だんだん気配とか匂いがわかるようになってきて、いるぞって感じがするようになってくるの。で、こっちは危ないとか。あっちの人たちが動物に関して敬意を払うのは、危険だから、っていうことでも敬意をはらうんじゃないの、やっぱり自然を甘く見ない、みたいな。

今回の展示について、そしてアートセンターへの提案
■生のままで見せるのも避けた。原稿用紙に書いてそれを置いて、読みながら、乾二郎の絵と一緒に見てもらったり。

Q今回のカナダ大使館での展示はいろいろなジャンルの方との展覧会ですが、どうでしたか?
Pええ、私はおまけなのに。「創作されたそうだから、展覧会の内容の幅をひろげるためにどうですか。」なんて誘われて。ええー、私は現代美術家じゃあないし。恥じ入るばかりでした。だって私がスカラシップをもらったわけじゃあない。私はたまたま随行して。もちろん家族料金は全部払いましたけどね。とっても安価なものであったし。日本でのじぶんの一ヶ月の仕事を支障がないようにまとめたりするのは大変で、ある意味では犠牲もはらったけど。私はどっちかっていうと遊びにいったようなものなので、作品はせっかく一ヶ月いるのだからということで作ったけど、ちょっと中ザワさんたちとは、それを目的にしているひとたちとはちがうし、なんだか申し訳ないような気持ちです。あ、乾二郎(岡崎乾二郎さん)とコラボレーションでピクチャーブックをつくるっていう話があったけど、でも作れなかった。そういう意味では彼がああいう絵を描いていることと、私が「まみゆ」を書いていることは連動性はあったけど。作品とはいえなかったから、コラボレーションではないんです。
Qでもちょうど岡崎さんのドローイングの前においてあるから、そこで読めば同じ時間と空間を共有した人たちの作品を同時に鑑賞できる。ある意味、空間が絵本みたいになって
いるから。いいと思います。
Pああ、そういうふうに取ってくれたらいいわ。
ただね、箱にいれてポンと置くのも、現代美術ってそういうのあるじゃない。だからそういうふうに見えない努力をしたの。生のままで、見せるのも避けた。たとえば、こういうノートとかメモとかエミリー・ディキンソンの本とかポンと置いていくインスタレーションみたいなのもあるわけだけど。そうじゃなくて。だから原稿用紙に書いてそれを置いて、読みながら、乾二郎の絵と一緒に見てもらうことにしました。
Qすごくよかったと思います。
Pジョエルさんの作品とある意味では似ているなとも思って。自然と自分。自分を認識する。自然の中で認識している自分を、メディアを通してひとに見せる。そして、そこから何かを感じてもらう。ああいう、外は誰が見ても零下20度。氷の上。見ただけでも伝わるじゃないですか、でも人間は裸でも見れば体温を感じるじゃないですか。その体温と零下20度の厳しい気象と生きている人間の生命の対峙。それがうごめいていること、それはやっぱり私が「まみゆ」を書いた、ある生命について書こうと思っていることと、同じだなと思った。 ただ、どうしても他の人たちの展示とはちがっておまけなんだけどって思っちゃうの。
Qバンフ自体がいろいろな表現方法のひとたちのためのものだから、それはないでしょう。
Pそう、だから詩人とか小説家とかそれからそういうひとたちを支える編集者とかそれこそ出版の経理の人とか、みんなカナダのひとたちはいっぱい来ているから、そういうひとたちも日本から行けるようになったらいいのにね。会社で働いている人たちもこういうところに行って、経営者のひとどうしが交流できたりしたらいいのにね。
Qあまりまだ知られていないのですね。
Pやっぱりそうですね。もっと知られるようになればいいですね。たとえば会社で働いているひとがリフレッシュ休暇などに会社がお金を出してくれたりして、行くための英語勉強したりね。だってやっぱりみんなの共通言語は、母国語をもっているひとでも、自分の手続きは英語でやるわけだから、英語できなかったら迷惑をかけるよね。本当に交流というものをバンフは主眼にしていて、スポーツジムとかいろんな教室とかあるでしょ?周辺に住んでいるひとも利用できて、クラスがいっぱいあるの。格安で参加したり施設を使える。それから、「ライターズ・スピーク」っていう小説家が自分の作品を読む、詩人が詩を読む、美術家がオープンスタジオをやる、ダンサーが公演する、演劇グループがゲネプロやるっていうときに一般の人も見たいときは参加していいんです。だから周りに対してオープンな形にしている。でもたくさんの人たちが来るわけじゃないけどね。やっぱり、芸術ってなると。でも、来ていましたよ。たまたまこのへんに来たからって、オープンスタジオの時。感想いったり、絶句して帰る人。いろいろ。掃除の人や料理を作ったりするスタッフも見にきたりして。コンピュータに興味があるから見学させてもらいたい、とか。その人が意志をもったらそれに答えてくれるシステムはちゃんとつくってあるのよね。そういうところは欧米のシステムはサポートがしっかりしている。

最後に
Qまた行きたいですか?バンフに。
P私はその文学のプログラムがあるとわかったので、60ぐらいになったら行きたいですけどね。どうなんでしょうね。行きたいところはいっぱいあるから。(笑い)