OPEN CAMPUS 2017武蔵野美術大学 旅するムサビプロジェクトカルチャーパワー

作品表現「瞬評—さらば曖昧なる『褒め殺し』評論たち 瞬描—絵でも文字でも『解読不可能』」
新見ゼミ 佐藤碧紗さん

本書は、美術と言葉の関係について、二つの方法で実験する。
 一つ目は、あたらしい展評をかくこと。会場、会期、テーマ、出展作家、出展作品、見どころなどといった、様々な情報を伝え、それらをふまえた上で展覧会の批評をするのが、展評である。このような、価値ある情報を、徹底的に排除した展評。これが、「瞬評—さらば曖昧なる『褒め殺し』評論たち」である。
 二つ目は、できるだけ何も考えないで描いたドローイングに、文章をつけること。しかし、キャプションにそえる解説文のようなものではない。作家のつくった作品でもなく、解説すべき技法もなく、美術史的背景も、歴史的背景もなく、これといった制作意図もない。ないもの尽くしのドローイングに、どうにか言葉をつける。これが、「瞬描—絵でも文字でも『解読不可能』」である。
 この二つの方法で、美術の文章のあり方を模索する。
 美術と言葉の関係について考えようと思い立ったのは、四年間、芸術文化学科で学んできて、いよいよ、美術のことがさっぱり分からなくなってきたからだ。学ぼうとすればするほど、混乱をきたした。『だんだん馬鹿になってゆく』というタイトルのマザーグースの絵本があるが、まさにそんな気分でおそろしかった。
 そして、美術は「分からない」ということが、四年間かけて、今やっと、「分かった」。「分からない」美術は、既存の文体では、伝わりきらない。書き手も、描き手のように、なりふり構わず書かなければ。作品をできる限り伝えるためには、評論が、作品になってしまうことさえ、恐れるべきではないのではないか。
 これは、美術と言葉の格闘、そして、私と美術、ひいては、芸術文化学科、武蔵野美術大学との格闘である。