studio & residence 工房絵/Kouboukai
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
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インタヴュー

工房絵施設長 関根幹司x岡部あおみ

日時:2005年9月29日
場所:横浜

01 どんな人たちが工房絵にいるのか?

岡部あおみ:工房絵では、現在、何人ぐらい働いているんですか?昔から人数は変わらないんでしょうか?

関根幹司:働いているのは50人くらいで、最初20名定員から始まったんですよ。

岡部:現在の方達は最初の20人のメンバーに比べて変わりましたか?変わらない人もいますか?

関根:変わらない人もいますね。

岡部:そういう方は一生ここが活動していく場所になっているのですね。ご近所に住んでいる方々が多いのでしょうか。

関根:定員は50名で、その中でアトリエに通ってきている人が30名。あとの20人は別のことをしています。絵ではなくて陶芸をやったり、パンを作ったり。そういう部署もあるんです。平塚市内が半数ですね。一番遠いのが市を3つ股がって1時間くらいかけて来ています。ただ通えれば1時間かけようと2時間かけようと3時間かけようと構わないので。一応東京都の人も相談受けるし、千葉の人も相談に来ますよ。

岡部:年齢的には何歳から何歳まででしょうか。子供もいるのかしら。

関根:子どもはいないですね。圧倒的に高卒が多く、中卒の方はあまりいないです。今一番上は42歳かな。就職支援施設なので義務教育が終わった人達が対象なんです。

岡部:一般的な就職が出来ないためもあって、ここでアーティストとして制作に従事していて、ここを共同アトリエみたいにしてるんですね。

関根:まあ、そうなんですよね。絵が売れてきても、そんなに収入に結びつかないので、もっと収入がほしい人は、あっさり筆を折って就職します。就職すると絵を描かなくなる人が多いです。結局アトリエに残る人達っていうのは、やっぱり就職になかなか結びつかない人達が多いですよね。

岡部:かなり重度の障害をもつ人達が多いのですね。

関根:でも案外そういう人達の方が絵自体は引合いが結構あったりするんですよ。


工房絵施設長 関根幹司氏
© 工房絵

02 障害を持つ人たちの絵

岡部:どういう指導をなさるんですか。

関根:特にしないですね。

岡部:好きな絵を描けるように、むしろ勇気づけてあげるのですね。

関根:そうそう。そういう環境設定をしてあげるって感じですね。

岡部:そういう人達は、最初は自分で意識していたわけではないけれど、小さい頃から施設とか、いろんな所で絵を描いてきている人が多いのでしょうね。

関根:必ずどこに行ってもお絵描きの時間っていうのはありますね。特に障害の重い人達の方がより多いです。今でこそ学校の先生とか親御さんから、「うちの子は絵が好きで」「うちの子の絵を見てくれないか」とか、「うちの施設の生徒の絵を見てくれないか」っていう話で来られるようになりましたが、ここ数年です。それまではほとんど無かったんです。

岡部:それまでは親も子供が描く絵自体に、あまり興味が無かったということですか。

関根:一番最初に工房絵で絵を描いてもらっていた時、「関根さん、こんなの絵じゃないですよ」と、親に言われました。「これは落書き、もしくは、いたずら書きって言うんであって、絵とは言わない。こんな稚拙な物で作品展なんかやってくれるな」と。破壊行為とまで言われましたよ。チューブを一気に絞り切っちゃったりとか、筆をぐしゃぐしゃやれば、折れるし、画用紙だって破れる。絵具は一気に消費されるので、破壊行為だと。

岡部:通常のやり方からみたら破壊行為かもしれないですね。

関根:そう。こんなこと覚えさせられたら困ると、止めさせてくれと言われました。

岡部:それはご両親の固定された美意識のためであり、ご意見ともいえますけれど。

関根:親だけじゃないんです。他の施設の職員の方達も皆同じようなご意見でした。「関根さんこんなことやらせていて、これが結局どうなるんですか。意味ないんじゃないんですか」って言われました。

岡部:特に誰という訳ではなく、日本の一般の人達の美意識ですね。

関根:そうですね。

03 工房絵へのきっかけ

岡部:関根さんはなぜそういう絵を良いと思ったのでしょう。

関根:好きだったんですね。

岡部:現代アートがですか?

関根:現代アートが好きです。特に分け分かんないのが。子供の時から絵が好きで、写実的な風景画とか人物画よりは分け分かんない方が好きだったんですよ。

岡部:変わっていますね。

関根:そうですかねえ。だから、まさに目の前に訳の分かんないものを作ってる人がいて、これはすごいなと思ったんです。

岡部:一般の人はなかなか分け分からないのを自然体では描けないですから。

関根:そう。でも彼らは決して抽象画を描こうとしている訳ではなくて、一生懸命具象を描こうとしているんです。それが、その人なりの具象なんです。「関根さんうまく描けたでしょう、このエビ」とか言われても、どこがエビなんだと思う。でも、本人はエビそっくりにうまく描けたと思っているんです。

岡部:そういう固定観念のないところが自由で良いですよね。自分の好きな事しかやらない人達だから、各人にものすごく差がある訳ですね。結局一般の子ども達は「これが基準だ」みたいなことを教えられるから、それに合わせて自分の個性をどんどん変えていくわけですね。本当はこういう風に描きたかったけれど、先生に良くないと言われたし、諦めて良いと言われたほうに練習を重ねていくとか。元々描きたいものって、小さい時からあると思うんですね。それを曲げることなく、そのまま持っている人達だと思います。ひとつの基準に影響されていかないから、私たちのような普通の大人から見ると、彼らの絵は子供のまなざしを保存していて、つねに新鮮だし、すごいと思うんです。

04 彼らの絵の魅力

岡部:彼ら自身は、一般の人達が大人になることで何かを獲得し、同時に失ってしまうことと、彼らが保持し続けてこられたことの差なんて、想像もしないのでしょうけれど。

関根:彼らはへんに教育されなかったが故に、手付かずのまま保たれたのと、3歳から描く絵が変わっていない人たちが結構多く、ある意味でいえば彼らは発達遅滞と言われるぐらいだから、3歳、4歳で発達を止めてしまったという部分を持っているんです。ただ、別の見方をすれば、3歳の感覚を何十年も持ち続けられている。だから毎日絵を描けるし、毎日楽しめるんですね。

岡部:見ていて羨ましいと思う事はありますか。

関根:ありますよ!最初はすごく羨ましくてしょうがなかった。こんなに簡単に絵って描いちゃって良いんだと思いました。僕もやろうと思って、キャンバスを用意して、キャンバスの前に座ったんですけど、手が全然動かない。彼らは知的なものが欠如している部分があるから感覚的なものが逆に研ぎすまされる部分もあると思うんですね。自然に心地いいって言う黄金分割みたいなものを自然に体得している。だから、我々が絵を描く時に、中心を決めて構図や配置を決めるじゃないですか。でも彼らはそういう絵の書き方は一切しないで、画用紙の端から描いていくんですよ。

岡部:全員そうなんですか。

関根:全員ではないですけど、鼻を中心にバッテン入れてなんて書き方は全員しないです。ほとんど皆端からいくんじゃないですかね。端から描いているのに、その平面構成がすごい。何でここにこんな空間を残したんだろうみたいな。これはいろんな所で話すんだけど、我々は言葉上の比喩でしか使わないバラ色の人生とか、ブルーな気持ちなどの言葉を、彼らは本当に実体験として、悲しい時は背景がブルーだし、楽しい時はバラ色だというのを本当に感じているんじゃないかと思います。だから、見事に絵の中にそういうのが出ています。赤い日とか青い日とか黒い日とかがありますね。それもさっき言ったように、感覚的な心地よさや気持ち悪さっていうのがストレートに表現されているためだと思います。


すてきな作品ばかり
© Aomi Okabe

05 絵を描くこと、存在のアピール

関根:絵を描いている彼らは言葉をうまく紡げない。で、言葉を紡ぐ・・・我々、というか関根がね、関根を表現するために一生懸命話すじゃないですか。彼らに分かってもらおうと思えば思うほど、どんどん話していくんです。でも、ある時、「関根さん分かんない」って言われて、こっちは分かってもらおうと思って説明しているから、噛み砕いて事細かに説明したら分かってもらえるって思うでしょ?噛み砕いて、噛み砕いて簡単な言葉にしたら、彼らにもきっと分かってもらえると思って紡いだら、説明すればするほど分かんないって言われたんです。見てみると、彼らの会話ってほとんど単語だけで、直感だけでやっているんですよ。結局俳句の世界みたい。短い文章の行間にものすごくいろんな意味がこもっていたりして、行間をお互いに読めている。だから表に出ている言葉はすごく少ないんだけれども、その裏とか行間はお互いが分かりあえる。だから、言葉を持たない人たち同士が結構仲が良かったりする。えー!テレパシーで話してるのかなって時もありますよね。結局、我々絵も言葉で説明しようとしたりするじゃないですか。「何描いたの?」って聞いたりしますよね。何を描いたって、言葉で説明しちゃいますよね。音楽もそう、結構言葉で聞いて、言葉で説明を求めて、言葉で説明する事で、その音楽を語れたと思うんです。その音楽を理解できたと思っているんだけど、実は、その音や絵としゃべっている内容とは全然違っていたり、合ってなかったりする場合だってあると思うんです。でも、彼らは、絵は言葉で語るな、絵は絵で語れ、絵は絵で感じろみたいな、音楽も言葉で納得するな、みたいなところがあるんですよ。

岡部:音を聞いて良いと思ったら、音を出して答えろということですね。

関根:そうそう。音で答えろみたいな。

岡部:絵を見て良いと思ったら、べつの絵を描いて返さなくてはいけないのは難しいですね。

関根:絵を描いて出すという訳じゃなく、例えば、普段、行為として迷惑ばかり人様にかけてる奴がいるとします。そいつは吐く言葉も攻撃的だったりするんです。でもすごく絵が上手くて、絵を一生懸命描いて持ってくる。要するに、言葉では彼は自分を語れない。人に認められる事はなかなか難しいじゃないですか。出来て当たり前みたいな事もあるし、ましては賞賛される事はそうはない。ただ、人を喜ばせたり笑わせたりというのは難しいんだけれど、怒らせるのは案外簡単なんですよ。嫌な事をすれば良いから。で、嫌な事ってすぐに見つかるんです。人の良い面はなかなか見付けられないけど、欠点って見付けやすい。結局我々何が1番嫌だって、無視が嫌なんです。自分の存在感をアピールしたい訳でしょ?

岡部:生きている限りそうですね。

関根:そう。で、今言ったように、肯定される事でアピールはなかなかできないとしたら、否定される事でアピールするとなると、相手の欠点を付いていけば、その人は絶対無視できないですよ。

岡部:その子は無視されたくないから、人が嫌がる事ばかりやっているんですね。

関根:そう。俺はここにいるぜって言うのをアピールしたいんです。ところが、絵は素晴らしい。だから本当は語りたいのはそっちなんだと思うんです。言葉でやったり行為でやったりするのは、それしか出来ないだけで、そういう学習しちゃったからなんです。


わぁーこんなのもある!
© Aomi Okabe

06 言葉ではないコミュニケーション

関根:川村紀子さんと言う人がいて、うちで一番始めに絵が売れた方なんですね。

岡部:アーティストとしてかなり有名になってきた女性ですよね。

関根:ええ、アーティストとしてです。自閉的な方で、人としゃべらないんです。ほとんどしゃべらない。

岡部:30代ですか?

関根:そうです。でも、彼女の欲求は語文でちゃんと言えるようになって、ある程度の会話は成立するようになったんですよ。

岡部:ここに通うようになってから、リラックスするようになったのかもしれないですね。

関根:それまでは、単語も下手するとオウム返しになっていたんです。

岡部:今はご自分で話せるようになったんですね。

関根:そう、答えられます。そんな人の絵にかなりの引合いがあって・・・。

岡部:そうすると工房絵はそう言う人たちが来て工房として使える場所になっているけれども、同時にその人達の絵をプロデュースするギャラリストのような役割もしているということですね。

関根:したいです。でもなかなか難しい。たとえば、川村さんはあまり人に近寄られるのが苦手なんです。ところが、「川村さんに会いたい」って、沖縄から、北海道からお客さんが来ちゃうんですよ。

岡部:それは可哀想ですね。人に会うのが苦手なのでしょうから。

関根:いや、ところが、客も会えば返事が返ってこないって分かるから、川村さんの隣で絵を見ているだけなんです。でも、川村さんも嫌じゃないんですね。隣にいても黙ってみてくれる分には。手を出されたり、邪魔されたりしたら嫌だけど。

岡部:かえって自分の事を評価して来てくれる人がいることは嬉しいのでしょうね。愛してくれているんだから。

関根:彼女は「いらっしゃい」って一言も言葉で言ってないのに客が来ちゃうんです。ということは、お前来い、見に来いよって、ちゃんと絵で呼びつけているんです。だからそう言う事なんだと思います。彼女自身は見た目には人嫌いだったり、言葉持ってなかったり、コミュニケーションが成り立ちにくい人だと思われているんです。でも実は言葉ではない所で、コミュニケーションを求めていて、ちゃんと絵に出ています。だからこそ人を呼びつけている。呼んでいるんです。ただ我々サイドで言うところの、コミュニケーションではないところのコミュニケーションを、彼女は絵という表現で付けていると言うことではないかと思います。


たくさんの作品を見せていただく
© Aomi Okabe

07 絵の値段と著作権

岡部:さきほど話されていたダンボールでオブジェを作ってそれが売れたというのは、その人が工房絵で仕事をするようになってからですか?

関根:なる前です。

岡部:こういう傾向の作品も売れると思われましたか。もちろんそんなに高くは売れないしょうが。

関根:当たり前ですよ。施設とか地域作業所で作ったものには値段の限界があります。それに、障害者が作ったものということで、絶対安く見られるんです。最高でも2千円ですね。何百円だとみんな手を出してくれる。

岡部:何万円では無理なのですね。

関根:ダメですが、たとえば横浜美術館のアートスペースで、作品展としてやって「万」がついていれば大丈夫です。

岡部:そうですね。福祉系ではなく普通のアートスペースならということですね。

関根:福祉系に手を出しちゃダメです。普通のギャラリーです。

岡部:アートマーケット的価値がなくなり、たんなる手作業的な意味で百円単位になってしまうということですね。

関根:そうですね。百円単位でさえ「絵」なんて言う用途のないものだと絶対に売れません。カレンダーになっていたりすると売れる。

岡部:カレンダーだったら使えるから買おうと。でも、川村さんの作品は、かなり高いのでしょうね。

関根:彼女はもう万単位ですね。

岡部:工房絵のメンバーの場合、作品は、ここで作られたものはこちらで売ったりなさるけれど、自宅で作られたものはご家族が販売されているんですか。

関根:そうです。分けています。一応著作権の整理をしています。

岡部:そこら辺が難しいですね。売れるようになると特に、ご家族とのさまざまな関係がでてくるのではないでしょうか。

関根:ですので、うちに来てされる行為については全て著作権はうちのものです。休み時間だろうと、何であろうと、自分の材料持って来られてもです。作品は売れなくても給料は保証します。

08 工房絵の運営のしくみ

岡部:50名全員のメンバーの方たちにお給料が払われているんですね。

関根:そうです。

岡部:基本的にはスタッフであり、絵とか何かが出来ない人はここでは引き受けられないということですね。

関根:そうではありませんが、今は給料が全員に払われています。その点は今後整理が必要です。

岡部:お給料の予算は行政から出ているのでしょうか。

関根:絵が売れたり、絵がデザインとして使われるときの使用料とかが、ここに収入として入ってきて、それが彼らの給料として還元されていくんです。もちろん施設の経営と、作業で得る収入とは別です。社会福祉法人湘南福祉センターという組織があって、これの経営者たちには理事会及び評議委員会があるんです。

岡部:その方々は福祉の専門家というわけではないのかしら。

関根:べつに専門家でなくてもいいんですが、そこが保育園と、うちの施設を経営していて、それに対して利用されている障害者が50人いるわけで、その50人に対して、国が一人いくらというお金をくれています。だから、そこの部分については、まぁ公費。施設の経営・運営の人件費は全部そこで支払われています。

岡部:基本的な運営経費は公費で支払われているわけですね。

関根:はい。だから、絵は売れなくても施設そのものの経営は出来るんです。彼らが描く作業に使う画材や、彼らの給料は、彼らが描いた絵とかを売ったりして得た収益を充てています。

岡部:こうした公的な運営組織による工房絵のようなところは、日本には他にもあるのでしょうか。

関根:ありますが、「絵」を描いてというのはないです。でも大阪にインカーブっていう施設が今年、出来ました。うちより徹底しています。1人1人のアトリエみたいな感じで、徹底的にマネジメントしています。メンバーは今20名かな。

岡部:面白いですね。

関根:うちよりももっと商業ベースですし、日本ではなくてやっぱりニューヨークとかに持って行っているみたいです。

岡部:今年から出来たのに、もうそういう活動をすでに始めているんですか。

関根:だって日本で現代美術ってお金にならないでしょう。ヨーロッパとか欧米の方がマーケットもあるし、評価もあるんですよ。

岡部:アールブリュットの歴史もあるし、作品もかなり高く売れていますよね。

関根:何百万円単位で売れていますよ。

岡部:私はかなり長い間フランスにいたから、デュビュッフェがコレクションしていたものをスイスに寄贈してできたアーリュブリュット美術館を見にいったこともあります。スイスの施設で仕事をしている作家たちを追ったすごくいいドキュメンタリーも見たことがあります。インカーブに、まだ関根さんは行かれてないのですか。

関根:僕は行ってないけど、職員がこの間行ったばかりで、すごいって言ってました。


石黒敦彦氏と工房絵を訪ねる
© Aomi Okabe

09 知的障害と精神病のちがい

岡部:この前、建築家だった女性で、ご自分自身の息子さんが障害をもっている久保田さんという方にお会いしました。彼女は、こうした子供たちが絵を描けるように工房を作ってNPOとして活動しています。彼女からお聞きしたのですが、小さい時から知的障害を持つ女性の数は、男性よりも少ないということでした。子供を生むという生物学的な役目のために、正常な女性は多くないと困るけれど、男性は一人でも結局何人もの子供を生むことが出来るので、正常な男性は少数でもいいという推論らしいです。つまり、結果的に、知的障害が起こるのは男性の方が多いとお聞きしたのですが、そうでしょうか。

関根:そうした論は知らないですが、何処でも男性は多くて、倍ぐらいいるんじゃないですか。

岡部:7:3くらいだそうです。

関根:そんなに多いんですね。僕は男性の方がデリケートだからかと思っていました。

岡部:久保田さんは、生殖の問題だと、おっしゃっていました。

関根:それはあるでしょうね。

岡部:精神科の先生がいろいろなアートプログラムを手がけていたりすることは、ご存じですか。

関根:いや、知らないです。

岡部:知的障害と精神科に通う患者さんは違いますけれど。

関根、今まで混同されていたんです。知的障害の人にも治療的な目的でアートセラピーという形の創作活動が導入されたケースも多いんですけど、彼らに対してはセラピーじゃないと僕は思うんです。セラピー目的ではないと、思うんですよね。

岡部:精神科に通う患者さんや自閉症になっている青春の若者達に、アートセラピーはあり得ると思いますけれども。

関根:はい。分けにくいところですが。

(テープ起こし:黒部順子 編集協力:田中みなみ)


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