Cultre Power
studio & residence ア−カススタジオ/ARCUS Studio
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
掲載情報の無断使用、転載を禁止致します。

インタヴュー

辛美沙(旧ディレクター)×岡部あおみ

学生:白木栄世、富間祥恵、横山由起子
日時:2002年11月15日
場所:ア−カススタジオ

01 牛窓国際芸術祭の感動

岡部あおみ:辛さんはアーカスの創立の時からかかわっていらしたのですか?

辛美沙:いえ、2001年からです。

岡部:それ以前は他にどんなお仕事をしていらっしゃったのですか?

辛:同じ茨城県にあるのですが、東京芸術大学の先端芸術表現科で、今もですが、非常勤でアート・アドミニストレーションを教えていました。アーカスに来る前年はその関連で芸大の先端芸術表現科と取手市が行っている取手アートプロジェクトのマネージメントをしていました。それ以前はニューヨークにいて、ニューヨーク大学の大学院で勉強しました。

岡部:それ以前の大学は日本ですか?

辛:大学は日本で、音楽を勉強して、ピアノを専攻していました。随分昔の話なので、私がピアノを弾いていたことを知っている人はほとんどいないと思います。

岡部:音大を出られているんですか。音楽関係の仕事はあまりなさらずに?

辛:音楽関係にはほとんどかかわっていません。音大を卒業して、80年代半ばですが、岡山県の牛窓で行われていた牛窓国際芸術祭というプロジェクトにかかわっていました。おいでになったことがあるんですか?

岡部:ええ。最初の頃、アブラモヴィッチとウーライが棺のような深く細長い穴を掘ってその中に机のようなものを作って、その両端に向き合って長時間座っていたパフォーマンスがあったときです。小杉武久さんが野外で涙がでそうになるほど心に響くバイオリンをライブで弾いて…

辛:あの時ですか!あの時もいました。小杉武久さんとても感動的なパフォーマンスをしましたね。遠いところをありがとうございました。

岡部:お互いに面識はなかったけれど、いろいろなアートの場ですれ違っているということですね。

辛:そうですね。芸術祭の仕事をさせてもらっていて、その時は若いし、体力もありましたので、アーティストと一緒になって制作アシスタントをしたり、会場のオリーブ園の中を駆けずり回っていました。音楽大学に行きましたけれど、元々はヴィジュアルアートに興味があって、描いたり物を作ったりも好きですが、ペインティングとかスカルプチャーのように従来の展示方法で展示したり、またいわゆる売り買いしにくいというか、それに適さないタイプの作品がどうやって経済的にも作品として成立するんだろうということに非常に興味を持っていたんですね。それがあまりにも漠然としていて、今みたいに大学でアートマネージメントの講座があるということは想像もつかなかった昔です。牛窓国際芸術祭も今だったらもっとうまくマネージメントできたと思いますけれど、あの頃は、中心会場になったオリーブ園のオーナーの服部さんが全部個人で負担していましたし、地元の人たちや東京からの学生ボランティアが手弁当で参加したり。広報活動も、制作に精一杯でとてもそこまで追いつかない状況でしたので、本当に興味のある方が聞きつけていらっしゃるというくらいで、今と状況はかなり違いました。

岡部:何年くらい手がけていらしたのですか?

辛:10年近くやったんですね。84年から始まりまして、岡部さんがいらしたのは85年だと思うんですけれど。2回目ですね。それで、たしか91年くらいまで続いたと思うんです。90年にニューヨークに行きましたので、89年までは毎年かかわっていました。

岡部:野外のアートフェスティバルには、舞踏が中心のアートキャンプ白州もあって、今でも続いていますが、時期的にはどうですか?

辛:白州は牛窓の後です。牛窓のほうが早かった。

岡部:かなり遠いからそれほど大勢の方々には見ていただかなかったのですか?どのくらいの方がいらっしゃっていましたか?

辛:美術関係者はこちらから呼んで来ていただきました。

岡部:毎回オリーブ園を経営なさっている服部さんがサポートして資金をすべて提供して開催なさっていらしたのですか?

辛:はい。

岡部:すごいですね。ひとりでやるなんて。

辛:本当にそうです。今だったらいろいろなところに協賛や助成を依頼することもできたと思います。

岡部:牛窓町は全然出してくれなかったのですか?

辛:出してくれなかったのです。別の形ではサポートしてくれましたけど資金的にはなかった。

岡部:どのくらいの予算がかかっていたのでしょう。

辛:はっきりとはわかりませんが、1000万円くらいでしょうか。渡航費とかも全部。

岡部:それこそ文化功労賞か何かをさしあげるべき方ですね。

辛:本当にそうですよ。

岡部:海を臨める素晴らしい所で、すごくいい思い出になっています。

辛:そうですか、うれしいです。そんなお話を今日伺えるとは。

岡部:パリのポンピドゥーセンターの展覧会で出品願いのために、ニューヨークに小杉さんにお会いしに行く予定もあったので牛窓まで行ったのですけど。今までの牛窓の企画の中では辛さんはどの展覧会が一番おもしろかったですか?

辛:マリーナ・アブラモヴィッチとウーライ、小杉さんがいたときですね。

岡部:そうですか。私は一番いいときに行かれたことになりますね。


アーカススタジオの内部

アーカススタジオ校庭  © Photo Aomi Okabe

02 ニューヨーク大学の ヴィジュアル・アーツ・アドミニストレーション

辛:マリーナ・アブラモヴィッチはあの時からの付き合いで、私は日本で初めて彼女とプロジェクトをやりました。95年に愛知県の岡崎市という所で、岡崎市美術博物館の立ち上げの時なんですが、エントランスの部分に10メートルの高さの椅子の作品を作ってくれました。そのときはすでにマリーナひとりで、ソロで活動なさっていました。

岡部:マリーナ・アブラモヴィッチの作品は2002年に開館した熊本市現代美術館のエントランスにもあります。牛窓の頃から、日本とも関係が深くなったのでしょうね。この前見に行って来ました。いい美術館ですよ。すごくコンセプトが面白い。第四世代ニューミュージアム。

辛:是非訪ねてみます。

岡部:牛窓の頃からアーティストとさまざまなプロジェクトを手がけられて、そうした仕事が面白いと思って本格的にアメリカで勉強してみようと決心なさったのですか?

辛:はい。ただそういうことを勉強できる場所が当時は日本にはありませんでした。一枚の絵のような、従来の表現方法ではないプロジェクトにとても興味をもっていたことと、そういう作品がどうやって経済的に成立していくのだろうと考えた時に、そのころは日本では好きな人が持ち出しでやっている状況で、いろいろ調べてはみましたけど、お金のことなんか口に出しちゃいけないという風潮もありました。ニューヨークやヨーロッパに行ったりして、あちこち美術館や画廊、国際展を観てまわったんですが、どうしてもそういうプロデュースやマネージメントの勉強がしたいと思ってニューヨークに行ったんです。

岡部:全部で何年間、ニューヨークに滞在なさったのですか?

辛:8年半くらい。勉強したのは2年で修士論文を書き、卒業後アートの世界を専門とするPRの会社にいてファンドレージングだとかマネージメントの仕事をしていました。その後、ギャラリーでの仕事を経て、自分の個人オフィスで新しい美術館の立ち上げや、展覧会のコーディネイト、作品のディーリングもしていました。

岡部:大学はニューヨーク大学のアート・アドミニストレーション学科ですか?グレイアートギャラリーがある大学ですね。

辛:そうです。スクール・オブ・エデュケーションの中にアート・プロフェッションという学科があってその中のヴィジュアル・アーツ・アドミニストレーションです。パフォーミング・アーツ・アドミニストレーションが別の学部にあります。FOR PROFITとFOR NON PROFITにわかれているのですが、FOR PROFITの方です。ギャラリーの運営や、コレクションの管理、アーティストのマネージメントそれからオークションハウスやアートコンサルティングといったアートの経営やビジネスを中心に勉強していました。

岡部:ヴィジュアル・アーツの中でさらにPROFITとNON PROFITに分かれているんですね。学生はどのぐらい受講しているのでしょう?大学院の修士論文では何をテーマに書かれたのですか?

辛:30人くらいです。私は日本におけるアート・コンサルティングのビジネスの可能性や方法のプロポーザルを書きました。日本の企業に対して、コーポレート・アートの提案が主です。

岡部:当時ですと、どんなことを中心に具体的なフィールドワークをなさってまとめられたのですか?

辛:いろんな会社に質問表を送り、企業がアートに対してどのようなことができるのかという提案や、ビジネスにとってメセナ活動がどうベネフィットがあるかなどを中心に書きました。あの頃、日本でメセナ協議会ができて、もう少しみんな熱心かなと思ったんですけれど意外とそうでもなくて、ネタがないな、どうしようという感じだったんです。日本に帰ってメセナ協議会に行ってさまざまな本を見ましたが、まだまだ実際にアクティブに活動しているところは少なかったですし、あったとしたら冠イベントみたいなバブルの名残がまだあって。

岡部:いわゆるスポンサーというだけで主体的にはかかわらずに資金のみ出すという形ですか?

辛:そうですね、そういうのがまだ残っていたような時代だったので。まあ、アメリカで勉強したことやアメリカで普通に行われていることも、日本ではまったく事情が違うので、そのあたりをどういう風に日本で反映させていけばいいのかなということを考えて書いたような気がします。

岡部:日本のことをリサーチした体験が、その後、ご自分でニューヨークで仕事をなさったときに役に立ちましたか?

辛:そうですね、でもまだギャップが大きかったです。私が日本に帰ってきたときに私のような人間の需要はあまりないだろうと思っていました。そしたら木幡和枝さんから声をかけていただいて、芸大の先端で教え始めたのです。


西山美耶子さんと子豚  © Photo Aomi Okabe

03 先端でも学生はおおっぴらに質問ができない

岡部:東京芸術大学の先端芸術表現科と私たちの武蔵野美術大学の芸術文化学科は同じ年に開設されたと思います。先端で教えていらっしゃるアーツ・アドミニストレーションの反応はいかがですか?受講しているのはほとんどアーティスト志望の学生ですね。

辛:アーティストになりたいと思っている人がほとんどですが、アーティストだけとキュレーションもしてみたい、自分たちでプロジェクトもやってみたいと思っている学生も結構います。アーティストに対しては、僕は作る人で誰かマネージメントとか面倒くさいことをやってくれないかなという虫のいい考えを持たないように、プロフェッショナルなアーティストになってほしいと思います。それには少なくともアートやアーティストを取り巻く世界がどうなっているのかを、ポートフォリオの作り方といった基本から、作品がどういう人の手を経てどうなっていくのか、あるいは表現形態がますます多様になっていくなかで、プロジェクトや展覧会ができる仕組みはどうなのかなど、基本的ですが、プラクティカルなことを教えています。 期間は一年間ですが、先端科だけではなく取手には全ての科の一年生もいますので、あらゆる科の学生が受講しています。2002年から音楽環境創造科ができました。音環の人たちは今のところ受けていないのですが、建築とか工芸、彫刻、油絵、日本画、デザイン、芸術学。美術学部の人たちはだいたいいますね。

岡部:面白そうですね。かなり大勢ですか?

辛:60人ぐらい履修登録しています。面白いのかなあ、みんな静かで、おとなしいです。授業が終わってからジュクジュク〜っと前の方に来て質問したりする。授業中に言ってほしいですね。

岡部:恥ずかしいんでしょうか、変な質問したら恥かくみたいな、みんなにも悪いとか…

辛:そういうのがあるのかもしれませんね。言葉を発しない。

岡部:小さいゼミだと大丈夫ですけれど、20人、30人になるとどこでも質問が出にくいようですね。

04 人口が増えて廃校になった守谷

岡部:辛さんがアーカスに来られる前は、どなたがここの創設から運営に当たられていたのでしょうか?

辛:私の前は事業の最初からスパイラルのワコールアートセンターが運営をしていました。10年ほど前に芸大の取手校ができた時に茨城県の南一体を芸術的な地域にしようという構想が、県にあったそうです。当初は何か芸大と関連づけてできないかという話もあったようなのですが、この辺で今更美術館を建てるというのも違うし、またそこまでの予算もないし、建てる意味もないということで。では低予算でどういう事業ができるんだろうかということを、スパイラルにコンサルしたと聞いています。

岡部:何かプロポーザル(提案)をしてくださいみたいな形ですね。

辛:はい。そうしたら、欧米ではアーティスト・イン・レジデンスというのがあります、こういうことをやっていますという提案があったらしいんですね。丁度そのころに、守谷市はどんどん人口が増えて、この小学校が廃校になった。

岡部:なぜ人口が増えたのに廃校になるのですか?

辛:児童の数が増え過ぎて入らなくなってしまったんです。

岡部:過疎とはまったく逆の現象ですね。

辛:それでちょうどこの小学校が空いて、もっと大きい小学校を近くに作って移ったんです。で、守谷市の市長さんが、去年守谷町から市になったのですが、当時の町長さんが、今の市長と同じ人で、そういうことなら是非ここを使ってくださいとご提供くださって、アーティスト・イン・レジデンスとしてのアーカス構想が1995年に始まったと聞いています。最初の5年間はパイロット事業で、2000年にパイロット期間が終わり、2001年から本格事業に移行しました。


わらの家に息を吹きかける学生たち  © Photo Aomi Okabe

05 アーティスト・フィーの多くはACCとAFAAから

岡部:予算は県と市が出しているのですか?

辛:県の予算は1000万円で、守谷市が500万円。あと、2002年は、2001年もそうですけれど、地域創造が500万円。トータルの予算で今年当てにしていた芸術文化振興基金がもらえなくなってしまったので3000万円ちょっとくらいですけれど、今までは平均して4000万円くらいの全体予算で運営していました。

岡部:それ以外の1000万は企業協賛などでしょうか?

辛:アサヒビールなどの企業協賛に、プラス共催としてACC(アジアン・カルチュラル・カウンシル)とフランス外務省のAFAA(フランス芸術活動協会)が助成してくれています。AFAAはフランスからアーティストが来たときですが、ACCからはアメリカと台湾のアーティストに対してのサポートをいただいています。直接ACCやAFAAからアーティストにお金が支払われるのではなく、いったんアーカスプロジェクト実行委員会にプールされて、それぞれ実行委員会からアーティストにお金が振り込まれます。と言いますのは、実をいうとAFAAからもらっている金額がACCより少ないんです。AFAAはこの金額なので、フランス人のあなたはこれだけねというわけにはいかないので、ACCの助成額を基準に、同額になるよう調整します。ACCは非常に寛容に、最初からアメリカ人のアーティストを送ってきてくださっているので、ACCのスタンダードに合わせるという形で、足りない分を茨城県が補填しています。

岡部:インドネシアの作家などはアーカス側の予算でサポートするのでしょうか?

辛:はい。インドネシアと日本のアーティストは2002年はそうです。2001年は国際交流基金がインドネシアとタイのアーティストのための助成金を出してくれていましたし、あと芸文基金もいただいていましたので、2001年はかなり楽だったんですけれど、2002年はちょっと大変ですね。

岡部:毎年そうしたかたちで予算が変動するのですね。ACCはかなりの額を出してくれているんですか?

辛:アーティストが5ヶ月、6ヶ月滞在できる金額で、一人2万ドルくらいです。今回は二人だから500万弱くらい。でもACCはやっぱりアメリカの財団なのでそれなりの結果をきっちり出さないと、来年も継続しましょうということにはなりません。

岡部:ひとり250万円はいい額ですね。フランスのAFAAからは100万円も出ないのではないですか?

辛: AFAAは今年からアップしてくれて100万円です。明日実はニューヨークのACCの方がお見えになるんですが、やっぱりチェックされます。アーティストがハッピーか、満足しているかということが評価のプライオリティーのようです。最初にACCはアーカスに「インヴェスト(投資)してる」と言われました。ディレクターというポジションは私が初めてなのですが、ACCが送ったアーティストがハッピーかどうかはディレクターであるあなたの責任だよと暗に言われていると思っています。でも、もらいっぱなしではなく、それに応えようと思います。アーカスの評価は私自身への評価でもあるわけですから。アーティストがハッピーであれば彼らもサポートしたかいがあったというわけで、そのあたりはちゃんとご覧になりますし、アーティストにもインタビューされます。

岡部:資金を出してお終いではなくて、きちんと聞き取りなどの現状リサーチをしているところも偉いですね。スポンサーには出しっぱなしというところも多いでしょ。

辛:確かにあります。県庁から言われておつきあいでサポートしてくださっているところは特に。

岡部:かたや、ニューヨークからも来るのに。場所的に遠いということもあるかもしれませんけれど。

辛:東京駅からバスで1時間なので、気軽に来ていただきたいです。

岡部:ACCは東京に支部がありますが、AFAAは支部という形ではなく、大使館が窓口になっているだけだから、特別な責任はないというかんじでしょうか。行政的管轄の相違もあるのかもしれないですね。こうした予算の出所との関係もあって、アーカスに招待できるのは、最初から、アメリカとフランスの作家とアジアのアーティストと日本のアーティストと決まっているのですよね。

辛:はい、そうです。ACCからアメリカと台湾、それにフランスと日本が、必ず確保されています。それ以外の、2002年はインドネシアとか、2001年のインドネシアとタイというような予算に余裕があるときはいいのですが、そうじゃなかったらACCとAFAAに頼るしかなく、それ以外の国、とくにアジアのアーティストを招聘したくても難しい状況です。


学生と子豚  © Photo Aomi Okabe

06 キャリアのスプリングボードに

岡部:ここでスタジオとして使われている旧小学校の建物のメンテナンスはどこが対応してくれているのですか?それとアーティストたちが滞在しているアパート代などは?

辛:守谷市です。電気代とかそういうのは全て守谷市が負担してくれています。作家が借りているアパート代は全体の予算から出してます。

岡部:今、働いていらっしゃるのは辛さんと他には何人のスタッフがいるのでしょう。

辛:私とスタッフ2人、私を含めて3人です。私は業務委託という形で期限は1年、業務内容と謝礼の支払い方法など条件を添付した業務委託書を取り交わしています。

岡部:ここに来ているアーティストたちは年齢的には若手の人が多いのでしょうか?若い人たちを育てていくのが、ここのアーティスト・イン・レジデンスのポリシーですね。

辛:そうです。作家は20代半ばから30代後半まで、学生のようにあまりに若くて未経験だと対象になりませんが、アーカスに滞在したことが、キャリアのスプリングボードになるような人たち。

岡部:他のレジデンスなどと違うのは、小学校を使っているからスタジオが広いのと住居が離れているという点ですね。

辛:みんな近くのマンスリーマンションに住んでいます。ここから自転車で5分ぐらい。

岡部:多少にぎやかなところですか?駅の近く?

辛:いえ、にぎやかというほどではなく住宅が増えるくらいで、繁華街があるわけでもないんです。守谷は中心がない。みんな車で移動して、もうちょっと行ったところに大きなショッピングセンターがあってというかんじです。

岡部:アーティストは機材とか何かが必要になると東京に行くわけですね。

辛:そうですね。あとは、芸大の先生とかに頼み込んだり。

岡部:芸大で教えていらっしゃるから、辛さんが来られてから芸大とのかかわりがとくにできたということでしょうか?

辛:そうですね。芸大のある取手市は隣の市ですし、先生たちがオープンに受け入れてくださいます。学生の展覧会の講評にアーティストも参加させてもらって意見を言ったり、川俣さんがカフェトークに呼んで下さったり。私も授業にアーティストをゲストに呼んで話をしてもらったりします。あと学生もよくボランティアをお願いします。「手伝って!交通費とお昼代は出るから。」とか言うと来てくれます。

岡部:この近くには他に美大はありませんものね。ここにはヴィデオなどの機材や設備がないので、機材を使うアーティストの制作に関しても芸大の設備を使わせていただいているのでしょうか?

辛:芸大の設備は外部のものは使えませんので、都内のスタジオを借りたりします。ただ基本的にここには機材はないということを最初から条件として言ってある。それでも、今はヴィデオや機材を使うアーティストが多いので、承知の上でこちらに来るんですけれど、どうしても必要になった場合は自分で調達するのが基本です。でも言葉もわからないし事情もわからない中で放っておくわけにもいかないので、出来る限りのサポートはしますけれど、最初から期待はしないでくださいとお知らせしてあります。


現代術製作所 アーカス展 マイクををもつ辛さん
© Photo Aomi Okabe

07 アーティストのセレクション

岡部:ある意味ではすごく高度なメディアを使いたいアーティストは最初から無理ということで来られないわけですね。

辛:そうですね。最初から、それを承知の上で応募してきているはずなんですけれど。機材や設備のことだけでなく、この守谷というコミュニティーにある程度溶け込んで、アーカスの環境にあう制作活動ができるアーティストを意識的に考えて選びます。そうでないと、せっかくここにいるのに、スタジオに閉じこもったままだとちょっと・・・。

岡部:そうですね、それなら通常のご自分のスタジオでやっていただいた方がいいですね。

辛:普段はいろんな機材を使って作品を作っている人でも、こちらに来るとあんまりそれに固執しないで別の仕事の展開を考える人もいます。

岡部:公募はないのですか?

辛:すべて推薦です。アメリカと台湾はACCが窓口で、今回インドネシアに限っては、国際交流基金のジャカルタのオフィスが窓口になって推薦アーティストをまとめてくれました。日本人アーティストは日本人の推薦委員が5人いらっしゃいまして、それぞれ2名ずつ推薦してくれるので計10人です。

岡部:日本の場合、その10人の中から1人だけが選ばれるわけですね。

辛:そうなんです。少ないんです。

岡部:受け入れは毎年、秋の期間だけですよね?春はこのスタジオはまったく使われていないのですか?

辛:そうなんです。そこがお役所の事情なのですが、4月からフィシカルイヤー(年度予算)が始まります。そうすると議会で予算が承認されて、それからアーティストを推薦してもらって、選考委員会を行ってとなると、どうしても滞在期間が秋になってしまう。実行委員会は実質的には県の地域計画課が事務局なので、お役所の仕事です。なので、アーカスのオープンスタジオっていつも寒い時期にやるよねって言われるんですけど、それはそういう年度予算の事情による理由なんです。

岡部:だから3月までにはすべてが終わっていなくてはならない。

辛:はい、そうです。

08 現代美術製作所で作品が売れた

岡部:現代美術製作所で2001年からアーカスのレジデンスの成果展をなさっていますね?

辛:あれは、私が東京で展覧会をした方がアーティストにとってもいいのではないかと思って県の人に提案をしました。どうしても守谷に足を運ぶ人は少なくなってしまうので、もちろんここでのんびり楽しく制作すればいいんですけれど、やっぱりキャリアに繋がるような出会いやネットワークを作って帰って欲しい。最初は県の税金を使うのに東京でやったら駄目だとかいろんなことがあったんですけれど、結局、現代美術製作所の曽我さんにお願いして場所を提供していただきました。

岡部:メセナのように無償で提供してくださったのですか?成果はありました?

辛:光熱費や維持費はお支払いしていますけれど、ほぼ特別協力という形です。反響がありましたので、アーティストもすごく喜んでくれて、アメリカ人のアーティストの作品が売れました。一点は守谷市が買ってくれて。

岡部:現代美術製作所の展覧会に展示して、行政の方々が完成作を見てくださったので、購入のきっかけになったということですね。

辛:そうです。作品は全て守谷で制作されたものなので、なんらかの形で守谷と関係がある作品です。

岡部:コレクションしてもいいですものね。

辛:ええ、毎年一点ずつ買って欲しいなと思っていたら、市長さんが「これ買うよ」とおっしゃってくださって、そんなに高い作品ではないですけれど。20万円です。今は守谷市役所のロビーに飾ってあります。よく市役所のような公共の施設に行くと、市全体のパノラマ写真やジオアラマがありますよね。それを描いた油彩です。表面がボコボコして厚みがある。通常、非常に小さい絵を描く人ですが、とくに小ささに挑んでいるわけではなく、大きいものをこの小ささに凝縮することによってかえって逆に緊張感とか中身の濃さとか広がりとかを感じさせるのが彼の仕事のテーマです。もう一点売れた作品が、「2つの富士山」で、ご自身がアーティストでコレクターでもある若い方が買ってくれました。

岡部:作家は喜んだでしょうね。売れた場合はどのように配分なさるのですか?アーティストに全部支払うのですか?

辛:ものすごく喜んでいました。励みになりますよね。配分は現代美術製作所に20%、アーティストが80%です。アーカスはコミッションなしです。

09 お役所にはデザインという概念がない

岡部:先ほど北山美那子さんのわらのインスタレーションを見せていただきました。小さな出入り口から、北山さんが奏でるおもちゃの楽器の音楽につられて、本物のとてもかわいらしい子豚が出てきました。現代美術製作所の展覧会にも子豚が登場ですね。これからも辛さんはアーカスの仕事を続けていかれるのでしょうか?

辛:ずっとではないと思いますが(2003年から森美術館の広報部マネージャーに抜擢された)、いろいろ難しい事情もあります。私もアーティストと仕事をするのは大好きですし楽しいですし、アーティストの顔を見るととても元気が出るんですけれど、県の人と仕事をするとどっと疲れたりします。それが私の仕事ではあるんですけど。やっぱりなかなか難しい。スパイラルの方も随分苦労なさっていた。誰が悪いとかということではなくてそういう仕組みになっている。担当の方がどんなに一生懸命尽力されても、結局は組織のお役所の仕組みには勝てないことが多々あります。 スパイラルはスパイラルで会社なので、県にとっては業者という構図になっている。ポスターなんかの印刷物にしても、なんかもうとんでもなくダサイのが出来てきて、スパイラルは自分のところはセンスよく作っているのに何でアーカスでこんなのができちゃうのと思っていたんですけれど、その理由がよく分かりました。デザインという概念なんてお役所にはない。デザインを彼らが壊していくのです。私が最初にしたことはデザイン・アイデンティティ再構築でした。レターヘッドから名刺、ポスター、チラシ、ウェブまで、外に出て行く広報制作物に関しては、戦いました。私は個人だからわがままも通ったとおもうのですが、スパイラルのように会社がうしろにあると大変だろうなあと思います。

岡部:それだけですごくエネルギーを消耗しますね。

辛:します。そういうこととか、あと、私はディレクターというタイトルをいただいていますけれど、実はそれまではディレクターは不在で、私が初めてなのです。なので、期待も大きく、外からはディレクターが何でも決めてやっていると思われていますけれど、県庁の中ではまったくそうではない。今まではスパイラルに丸投げしていた仕事をやらねばならず、でも県庁の中では事務局は地域計画課、私は現場監督だそうです。だいぶ経ってから知りましたが。でも、何かが決まって外に出ると、みなさん私が決めてやったと思うのではないですか。

岡部:ディレクターという肩書きがある限りはね。

辛:そういうギャップを埋めるのが大変です。私はインターナショナルに誰が見ても規模や設備がどうのというレベルではない次元で、筋の通ったレジデンシーだと思われたいし、アーティストにとってはここに滞在したことでキャリアに役に立ち、それがひいては地元にも還元されるということになると思っているのですが。

岡部:実質的な権限が与えられていないわけですね。

辛:そうですね、もちろん私も好き勝手に自分の意見を通そうと思っているわけではないのです。なんでも相談しますし、担当の方もこうしたほうが話がスムーズにいくよとおっしゃってくださいますので、心強いこともたくさんあります。ただ私も一年ごとの契約ですし、予算も一年ごとなので、毎年どうなるかは直前までわからない。

岡部:予算がおりない限り運営できないですものね。

辛:そうですね。地域計画課は地域のこと全般にわたっていろんな事業をする課なんですが、アーカスは、県がやる事業としては規模が小さくて、労が多いということらしい。同じ課内で、W杯だとか、今度秋葉原から筑波まで電車が通って、秋葉原から30分くらいになります。そういう事業をしていますので。

岡部:アクセスがそんなによく変わったら、一挙に活気が出るのではないでしょうか。

辛:そうですね。そのため守谷市はどんどん人口が増えています。電車とか原発とかそういうことを茨城県がやっていて、本来はこういう割と地味でかつ結果がわかりにくく、おまけに結果がでるまでとても時間がかかるような事業は、県レベルの事業としては異例のことだそうです。私はだからこそ、茨城県も粋なことをやるものだと思ったのですが。今後は守谷市への期待が今以上に大きくなるかもしれません。

10 アーティスト・イン・レジデンスを東京に 

岡部:1998年に文化庁がアーティスト・イン・レジデンスの推進をうたって、地元地域との5ヵ年共催事業として文化庁が半分助成しながら振興してきたわけですが、大阪府や佐賀県などでは、すでに終息してしまった活動もあります。こうした国主導の事業が今後どのように地域に根付いていくかが問題です。辛さんはこの前、アーティスト・イン・レジデンスの国際大会に行かれていたのではないですか?

辛:ヘルシンキであったんですけれど、結局、個人的な事情があって行かれなかったんです。

岡部:日本でも、山口、札幌、青森など、アーティスト・イン・レジデンスが増えていますけれど、他の場所や担当者の方々とのネットワークはあるのでしょうか?

辛:今度、秋吉台のアーティストと一緒にトークをやります。東京の現代美術製作所での展覧会の一番最後の日です。レジデンシーの横のつながりがこれまであんまりなかったので、秋吉台のディレクターの辻さんとも共通の悩みもあるし、アーティストも東京で紹介できるしで実現することになりました。

岡部:秋吉台は駅からかなり離れた場所にあります。この前行ってきましたが、片道、車で8000円ほどかかりました。バスが1時間に1本くらいしかない。施設が素晴らしいし、予算をかけて事業をたくさんなさっていますから、ここもとても期待できると思いますが、文化庁からの補助金が終わった後の展開がどうなるのか。ただ施設があそこまで立派だと、そう簡単に止めることはできないでしょう。

辛:アーカスは建物がないので、わりとみんないつでも止められると思っていたのが8年も続いてしまった。逆にハコに縛られることがないので自由にフットワーク軽くできるというのはあると思います。

岡部:アーティスト・イン・レジデンスといっても、日本の場合、現代アートでやっているところはそんなにはないと思います。陶器を作る工房とか版画とか、実習系や工芸系で地場産業と関連させて存続させていたりする。伝統工芸系だったら問題なくても、現代アートとなると、特に公立で県や市が応援している場合は、どうしてもまだギャップがでてくるのかもしれません。

辛:そうですね。アーティスト・イン・レジデンスにはいろいろな定義や考え方があると思うんです。自分の家の一部屋を解放して、そこで出来る一人レジデンスをやるのも可能だと思いますし、東京なんかは特に腰を落ち着けて何かを制作するというよりは東京そのものがアジアのアートシーンの中心となっているところがあるので、街に出かけていって、さまざまな人に出会って、いろんなものを見て吸収してというのが、制作しなくても可能だと思います。そういう考え方であれば、泊まるところを提供するだけでも十分意味がある。

岡部:そうした簡易なものにしても、東京にはまだ公的なレジデンスが全然ないですね。

辛:東京都が今度やりますよね。東京都もいろいろなビルが空いていますのでそれらを有効利用したらいい。

岡部:それはいいですね。余っている空間を有効利用するのであれば、両者にとってハッピーですから、是非やったほうがいい。

辛:本当にそう思います。いろんなレジデンシーの可能性や方法があっていいと思います。
(テープ起こし:橋山由起子)


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