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museum 埼玉県立近代美術館/THE MUSEUM OF MODERN ART,SAITAMA
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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
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インタヴュー

前山裕司(埼玉県立近代美術館学芸主幹企画展担当)×大山りみ

日時:2008年11月21日
場所:埼玉県立近代美術館


埼玉県立近代美術館 外観
photo:THE MUSEUM OF MODERN ART,SAITAMA

前山裕司さんは現在、埼玉県立近代美術館の学芸主幹企画展担当でいらっしゃる。当初、教育普及のお話を中心にということでインタヴューをお願いしたのだが、前山さんが教育普及に直接関わっていらしたのが1998年4月から2003年3月までだったということもあり、現在の立場から、「美術館と教育をめぐるなんでも話」をテーマに進めていくこととなった。

01 「リングにあがる」 教育普及活動の始まり

前山裕司(以下、前山):
ぼくが大学にいた1970年代後半に公立美術館が建ち始めます。その頃の先輩を見ていると、ほとんどの人が研究者を目指していた。美術館で働きたいというよりも、むしろ大学に行くためのステップとして、一時期美術館に籍を置くというような人たちが多かったんですよ。
埼玉県立近代美術館が開館したのは1982年、一番公立美術館が開館した、いわゆる美術館ブームの真っ最中なんだけれども、そのころに勤め始めた学芸員は、研究者というよりも、学芸員になりたくてなった人たちが多かったと思います。
まだその時点では、教育普及の専門家がいたわけではなかった。80年代中頃になると、先進的な例としては、目黒区美術館ではかなり早くから教育普及の専門家がいました。それから少しずつ、他の美術館にも教育普及の人たちが増えてます。
それ以前も、たいていの美術館に普及のセクションはあったんですよ。でも、そこに配置されることは不本意なことだった。本当は展覧会をやりたいという思う学芸員が「普及に回された」というような感覚で行って、広報活動や講座などをいやいややるというような状況もあった。
そのうちに、専門として教育普及を目指すような人たちが出始めます。卒業論文で教育普及を取り上げるような人たちが出てくることによって、徐々に。動きとしては、まず、地方の公立館から始まり、その動きが国立にまで広がっていくというようなものでした。
埼玉県立近代美術館も同じような流れだったので、最初のころの担当者には、実技講座や映画などを積極的にやろうとする人もいたけれど、それぞれがリンクしない、単発のイベントや事業の羅列のようなものでした。
実技講座は、需要があるんです。やれば人は来ますけど。油絵教室とか、裸婦デッサンとかを美術館でやる必要があるのか。確かに参加者個人は楽しいだろうけど、それで終わっちゃう。それが美術館と直接関わってこない、という感覚がどこかにあった。だから、講座をやるにしてもワークショップ・タイプ、たとえば展覧会に出品している作家が一般の人と何かやって、作家の側も何か得るものがあるとか、そういう方向にシフトしようとし始めた。ただ、その段階ではそんなに多くやっていたわけでもないし、すべての講座がひとつの方向を向いているというわけでもなかったけど。
ぼくが普及課長になった年に、人事異動という形で教員が1人、入ってきた。「これから学校と連携していくようにしたいので、協力してやっていくように」と館長に言われて。
今では学校の生徒が、授業で美術館に来るのはめずらしくないけど、その当時は、年間通じて1校とか、そんな状態だったんですよ。こちらも働きかけをしないし、学校側も外に出にくいという状況があって。子どもを学校から外に出すということに対して消極的だった時代で、熱心な先生が美術館での学習について校長に許可をもらおうとすると、1年かかると言っていました。結局、それまでは、美術館は学校のことなんて考えたこともないし、学校だって美術館のことを考えていないという状況だったんです。
最初は「リングの上に上がる」という意識でした。闘うかどうかは別にして。初めてリングに上がってグローブでタッチする、そんな感じ。相手のことを何も知らないんだから。
最近になるまで、学校ではよほど熱意のある先生以外は、鑑賞教育をやってこなかったじゃないでしょうか。鑑賞よりも実技だったから、美術館に行こうという感覚はないし、美術館って何だろうということを、先生たちもほとんど考えたことがなかった。そこで、一緒にリングに上がることによって、相手が何を考えているんだろう、ということを学ぶ、そこから始めたんです。


photo:Nanaho kanmuri

02 美術館の「遊び方」

美術館の学芸員の抵抗は、けっこうありましたね。子どもたちが走り回っている状況を好ましく思わない人たちっていうのもいるし。いやもちろん、走り回っちゃいけないんだけどね。その辺が難しいところなんです。やっぱり、美術館は本質的には大人のためのものだ、と考える人もいる。静かに絵を見たいというお客さんは当然いるし、その権利は尊重しなくちゃいけない。それは当然なんだけど、子どもたちにも来てほしい。子どもたちに、あれをしちゃいけない、これをしちゃいけない、ってうるさく言うのも嫌だし。
今の子どもは、発散する場がないでしょう。美術館で発散するから(笑)。そういうのをしつけるっていうか、違うよ、って言ってあげる場でもあるのかもしれない。
美術品って、じつはものすごく壊れやすいもので、誰かが守ったから残っている。そのことを子どもたちに伝えたい気はする。もしかしたら、どうでもいい人にはどうでもいいものかもしれない。だけどそんな、やわで、壊そうと思えば簡単に壊れちゃうものを、大事にして、後世に伝えていこうとしている人たちがいるということを、知ってもらうだけでも違うかなと思う。
ぼくが普及課長になった頃だけど、中学校に行って、美術館に行ったことのある人って聞いたら、2クラスで2人とか、そんなもんです。その2人も、どこか旅行に行ったときに両親に連れて行ってもらったという程度。川口の中学校だから、そんなに遠くないんだけど、埼玉近美に来たっていう人は、1人もいなかったな。
美術館に行くという習慣がないまま大人になったら、絶対に行かないじゃないですか。もし、子どものときに美術館に行って、何らかの記憶に残るような体験をしていれば、次に行くときに抵抗がないでしょ。その「体験の仕方」というのも、大事なんですけど。
今、学校の団体は事前に打ち合わせをしてますけど、以前は学校が、いわば勝手に見て帰るという時期があったんです。その頃の話ですけど、引率の先生が、生徒に二列縦隊を組ませて展示室を行進させるのを目撃したんです。作品からいちばん遠くて安全なところを、列を組んでただ歩くだけ。作品に対して子どもたちが何かしちゃうんじゃないかって怖れがあったんだと思うんだけど、それだと、それぞれの子どもには何も残らないじゃないですか。その中の1人が、「なんだ、絵しかねえや」って言ってたんです。彼にとって、その日の美術館訪問は決して楽しい記憶じゃないでしょう。
手は掛かるけど、子どもたちを数人ずつのグループに分けて、絵の前でなんだかんだ言いながら見て歩けば、絶対面白いんです。そういう、「美術館での経験の仕方」みたいなことを学んでおけば、美術館に行ける大人が育つ。
「教育普及」の「教育」の目標をどこに置くかっていうのが、大事なんだと思う。ぼくの考えている美術館教育の目標って、じつはものすごく低いんです。それは、「1人で美術館に行けること」。1人で美術館に行って、楽しんで帰ってこられるってことが、最終目標。
よく、他の施設と比較して考えるんだけど、図書館でいえば、図書館に行って、本が検索できて、自分の欲しい本に行き当たれる。「図書館教育」というものがあるとしたら、そこまでだと思う。その中で本をどうやって読もうが、その本の中からどのように汲み取ろうが、それは図書館員にとって重要なことではない。「美術館教育」というものがあるとすれば、入口まで連れて行ってあげるということかな、と思っていて。だから、美術の内容を教育するって意識は、全然ないんです。
少し違う話なんだけど、「美術館は『敷居が高い』」とか言われますよね。じゃあ敷居の高さはどれくらいあればいいかっていうことなんです。以前、「美術館がもし日常と同じだったら誰も行かない」って言われたことがあって、とてもよく分かる。日常と同じレベルまで敷居をなくすのがいいとは思えない。だけど、敷居がものすごく高くて、まるで行きにくい、緊張しちゃうようではいけない。気楽に行けるけど、日常と違う楽しいことが待ってなくちゃいけないでしょ。日常から切り離された、ちょっと特別な場所。
美術館って、今の日本とか都会の中で珍しく静かな場所だと思ってるんです。自由に過ごせて、自分がいたいだけ、自由な、静かな時間を過ごせる場所。そういう所ってそうそうない。
別に、展示室に行くだけが美術館じゃないから、展示室に行かなくてもいいんです。エントランスでのんびりしてもいいし、ショップや図書室、いろんな遊び方があるので。要は、「ちょっと普段と違う空間の遊び方」なんです。こんな面白い「遊び方」があるんだよって伝えていくことが、美術館教育だとぼくは思う。
ずっと言っているんだけど、美術館をレストランに例えると、フレンチじゃなくてイタリアンなんです。イタリアンの気楽な感じ。気楽だけど、気持ちのいい空間と最高のサービス、例えばウェイターさんの来るタイミングがいいとか、接し方がいいとか。そういう感覚を大事にしなくちゃいけない。
当たり前かもしれないけど、ぼくにとっての美術館って、美術館全体であって、展示室だけじゃないんですよ。例えば、映画館に映画を見に行って、暗くなっていくとわくわくする、そういう体験と同じように、美術館の体験って全体でひとつなんですよ。
最寄りの駅から美術館に行くまでが楽しくて、建築空間が楽しくて、エントランスに入って気持ちが高まっていって、「美術館に来た」っていう感じがして、それから館内で、1時間でも2時間でもいいんだけど、落ち着いた、あるいは充実した時間を過ごして、それで、小さな幸せを抱えて帰ってもらうということ。そのときに抱えて帰るものが、不幸せでないようにしたい。ぼくは、それが美術館の務めだと思うんです。

03 美術館の「墓守」になる

美術館という場は、とても大事にしたい。何年後か分からないけれど、将来、美術館がいらないような時代が来るかもしれない。ネット上でリアルに絵が見られるようになるとかね。作品が美術館から街や自然の中に出ていくのは珍しくないし、美術の表現が美術館を必要としなくなることだって、十分考えられる。たとえ、そういう時代が来てしまったとしても、ぼくは美術館を大事にしたい。これは、いわば「墓守」としての覚悟みたいなものなんです。作品を所蔵し、保存していく、次の世代に伝えていくという役目が、美術館にはある。昔は、博物館を「墓場」、つまり、そこへ行ったら終わりみたいなたとえ方をしましたけどね。でも、極論ですけど、学芸員には、お客さんが全然来なくなっても、作品を守っていくんだっていう覚悟が必要だと思うんです。
ぼくの記憶の中にあるのは、パリのギュスターヴ・モロー美術館なんです。今は分かりませんけど、ぼくの学生時代なんて、たまに日本人の観光客が行くだけで、フランス人は誰も行かない美術館だったらしいです。行ってみたら案の定、客は1人だったんだけど、そこのおじさんがうれしそうにしてね。棚から引き出しから、開けて見せてくれるんです、ぼくのためだけに。いま考えると、それが美術館の究極の姿かな、と思うようになって。
もちろん、人が来なくなるなんて公立の美術館としてあってはならないことなんだけど。万が一、そういう状況になっても、不幸じゃない気がするんですよ。もしかしたら、一対一というのが理想のもてなしかもしれないし。むしろ、それくらいの覚悟がないと、足腰がしっかりしない感じがするんです。美術館という場所で、人に見せていくっていうことの根本とでもいうのかな。


photo:Nanaho kanmuri

04 「ひとりひとり違っていい」 ボランティアガイドの目指すもの

埼玉県立近代美術館のボランティアは、「サポーター」と呼ばれていて、毎日、常設展示室で作品のガイドをしてもらっています。この制度の導入は私と、最初に話した学校の先生とでやったんです。最初、美術館の上層部から、ボランティアについて検討しなさい、という指示があったんです。ぼくらが取りかかる5年くらい前のことです。ただ、当時の担当はアンケート調査だけして、やらなかったんです。なぜかっていうと、ボランティア制度を始めていたいくつかの美術館の担当者が否定的なことを言ったわけです。大変だとか、やめた方がいいとか、そういう意見が多いから、二の足を踏んでやらなかったんですね。
ひとつ、経験としてあったのが、九州だったかな、ある美術館の常設展示室の中で、騒いでいるおじさんに会ったことでした。わめいているというか、大きな声でひとりごとを言っているおじさん。現代美術の作品の前で、「何だこれ、分からねえよ」って言っていて、それを離れて見てた。それで、そのおじさんが帰っていく姿を見て、考えてたんです。さっき言った「なんだ、絵しかねえや」って言っていた子どもの話と同じで、そのおじさんは今、不満だろうなって。不満を抱えて帰って欲しくない、じゃあ、あのおじさんに対してどうすればいいんだろう、って思った。多分、あのおじさんは答えを期待しているわけじゃない。おじさんは何かを言いたいのだろうし、それを聞いてあげて、一緒に見てあげる人がいることで、不満が解消されるんじゃないかって。それがひとつ、大きな経験なのかな。
だいたい何かを考えるときは、正反対のことを考える。嫌なもの、自分がいちばんやりたくないものを考えると、やりたいものが見えてくるんです。それで、いちばんやりたくないガイドとして考えたのが、バスガイドだったんですよね。実際に聞いてというより、イメージなんだけど。みんなが同じことしゃべるでしょう。言葉に実感がないから、情報としては入ってくるんだけど、伝わりにくいし、聞く気がしない。だから、そうじゃないものにしたい、という思いがありました。
学芸員が楽をしたいからガイドを導入したんじゃないかって、ときどき言われました。でも、ガイドをやるんだったら学芸員が話すのと違うものをやらないとしょうがないって思ったんですよね。あとでだんだん分かってきたんですが、学芸員のような解説をさせようとすると、ものすごく大変なんです。つまり、理想形があって、それに近づけようとすると、粗が目立つ。言葉づかいのひとつひとつまでチェックしたくなってくる。実際に、そういうふうにチェックを入れているところもありますが、うちはノーチェックです。チェックを入れだすと、ボランティアの担当者も大変だし、ボランティアもやる気がなくなってくる。それはミニ学芸員を作るだけのことであって、ぼくらがやりたいのはそういうことじゃなかった。
例えば、学芸員のぼくらが現代美術について話す。そうすると、「それは勉強している専門家の方には分かるかもしれないけど、私たち素人には分かりませんよ」というような言い方をされることがある。こちらにそういうつもりはないんだけど、ボランティアだったら、専門家じゃないからこういう反応はないでしょう。同じ立場、同じところで話すことによって、騒いでいたおじさんのような人が、何か分かってくるかもしれない、というのがありました。
それから、根本には、「美術の見方に正解がない」という考え方があるんです。それは、さっきの美術館教育の目標ともつながるんだけど、どう見るかは本人に任されているわけで、ぼくらの役割は絵の前に連れて行ってあげること、そこまで。現実的には、間違った見方・間違った解釈っていうのはあるんだけれど、それを咎めることはできない。例えば、映画の見方だっていろんな見方がある。主演の俳優がかっこいい、その人ばかり見ているっていう見方だって否定できないし、カメラマンがどうとか、スタッフがどうとかいう、マニアのような見方だってある。文化の享受の仕方は、無限に存在する。自分なりに見ればいいわけで、それに文句を言われる筋合いはない。美術も同じこと。絵の前に立って何か考える人たちだって同じこと考えてるわけじゃないし、好きに見ればいいんです。
だったら、それが伝わるボランティアがいいかなという考えがありました。どの作品についてしゃべってもいいし、何を話してもいい。ひとりひとりが違うガイドなんです。ひとりひとり違っていいんだって伝わることが、いちばん大事なこと。ルールは2つしかなくて、「分からないことは分からないと言うこと」と、「どんな珍説・奇説を話してもいいけれど、これは自分の考えですと付け加えること」。だから、聞いているといろんなことを言いますよ。自分で、どんな本にも書いてないようなこと、自分が考えた説を言う人もいるし、そうかと思うと、まったく個人的なことを言う人もいるし。個人的なことを言っちゃいけないっていう美術館もあるんですが、うちはOK。
もうリタイヤしちゃったけど、最初のころにいたボランティアさんで、「この絵を描いた画家の実家は産婦人科で、うちの娘はそこで産まれたんです」って言った人がいて、これでもOKなんですよ。だってそれ、浦和の話だから。浦和の人は、「そうか」って思うかもしれない。それで、その画家が身近に感じられる効果があるかもしれないんだから、個人的なことをしゃべって何が悪いの、ということです。
公式見解ほどつまらないものはないって思うんです。学芸員もガイドをすることがあるんだけど、「お客さんが引く」という感覚が、ときどきあるんです。同じ話を何度もしてるせいで、自分の中で話が上滑りしていると感じると、お客さんがどんどん引いていく。あるとき、すごくそれを感じたんで、「ぼく、この絵嫌いなんです」って言ったんです。そうしたら、お客さんの関心が、一挙にぐっときたんですよ。「だけど最近、だんだん良さが分かってきました」っていうところに話を持っていったけど。
人間って敏感なんですよ。実感を伴った話か、伴っていない話か、すぐに分かるんです。みんなが聞きたいのは、実感がこもった話。もちろん、中身の問題もあるんだけど、実感がこもった話はそれだけで強い。学芸員みたいな公的な役割にいる人間が、普段言わない本音を言った、と捉えてくれたんだと思うんだけど、それと同じことで、ボランティアさんも実感の伴わない知識を話すくらいだったら、実感を伴うプライベートな話の方がよっぽど面白い。だってそれって、自由に見ていい、ってことだから。
もちろん、こういうこと言うと作家は嫌がると思うんだけどね。作家は自分の制作意図があって、それに近づいて見て欲しいと思うんだろうけど、実際、見る側は勝手だからそうそう思惑通りに見てくれるわけじゃないし、それをだめとは言えないからね。

大山りみ(以下、大山):音声ガイドの導入は考えられなかったんですか。

前山:もちろん、手段としては悪くないんだけど、ボランティアガイドの目指すところとちょっと違うので。さっきのおじさんじゃないけれども、お客さんも自由にものが言える場を作りたいんですよね。ガイドする側がお客さんに質問を投げかけたり、お客さんが何か言ったりということをやりたいわけです。それは音声ガイドではありえないことだし、あんまり好きじゃないんです。知識に向かっちゃう気がするんです。基本は、知識じゃないと思ってるんですよ。
だから理想のガイドって、作者名も知らない、背景も知らない状態で作品について何がしゃべれるかっていうことだとぼくは思う。ボランティアさんにそこまで要求はしないけれど、作者についても語らないし、作品の周辺の出来事についても語らずに、作品だけで語ることができたら、それがいちばんいいことだと思う。もちろん、作者の名前も言うし、何歳ごろの作品でと言っても構わないんだけど、そればかりというのは、作品を見る本筋から離れているような気がするので、できるだけ作品に即していきたいという思いはあります。なかなか、難しいですけど。


photo:Nanaho kanmuri

05 「街を気にする」 美術館の展望

大山:少し話は戻りますが、学校と美術館の関係が変化したと実感なさったのはいつのことですか。

前山:それははっきりしていて、学習指導要領が改正になったときです。そのときに、「美術館・博物館の積極的利用」というような項目ができて、鑑賞教育に力を入れるということが起こってきたからです。
よく先生方に言われるのは、近くに美術館がない、というな現実的な問題なんです。例えば、秩父からここの美術館に来るといっても無理なんです。
でも、鑑賞教育は美術館での名品の鑑賞にこだわる必要はないと思う。例えば、その地域にある古いお宅にある絵だっていいし、浮世絵の1枚だっていい。そういう、地域にある美術作品を子どもたちが見るっていうことは、地域にとってもいいことでしょう。子どもたちと一緒に、街を見て歩くのもいいかもしれない。うちの街にあるこの建物は嫌だとか、あの橋はなんであんな色なのかとか。そういうことをやると、子どもたちだけじゃなくて街にとっても、もしかしたらいいことが起こるかもしれない。
名品主義・美術至上主義みたいなものに陥っていると狭く考えがちだけど、もっと広く考えると、意外なところにいろんなことがあるんじゃないかなと。教育普及の担当の中には、子どもたちといろいろ話すのは、美術だけでなく、国語の勉強にもなる、という人もいます。

大山:曖昧な問いではありますが、今後、美術館をどのようにしていきたいか、展望はありますか。

前山:今、「都市を創る建築への挑戦 設計組織のデザインと技術」という展覧会をやっています。これは、15の設計組織の展覧会です。何で会社の宣伝をするんだっていう人もいたけど、そういう気はさらさらない。今回のキャッチコピーは、「こうして街はつくられる」なんですが、街に暮らす人たちが意識しない間に街は作られていく。だから、こういう会社が、こういうことを考えながら街や大きな建造物を建てている、まずそのことを知ってもらおう、ということなんです。それを知ってから、ぼくの住む街はこれじゃ嫌だとか、そういうふうに意見がいえるように繋がっていけばいいかなと。なかなか難しいと思うけど…
ぼくは、さっきも言ったように、究極の美術館として、孤独に耐えて存在していくような姿をイメージしているけど、最近美術館じゃない部分に気が向いていて。年取ったせいか、街の自然とか、たとえば近所の1本の木のことだったりするんですよ。でも、少なくとも、日本はこのままじゃだめだと思う。めぐりめぐって美術館に返ってくる話かもしれないけど、とりあえずその前の、今の日本をどうにかしよう、みたいなことなんです。

大山:今回の展覧会を見たことで、「日本をどうにかしよう」と、見た人にも意識の変化はあるのでしょうか。

前山:今回のカタログにも書いたんだけど、みんな、街を見てないでしょう。前と横しか見てない。行き先があるから前は見なきゃいけないし、横はお店なんだけど。じゃあ、自分の住んでいる街でランドマークになる大事なものは何だ、って思うと、日本にはあまりないんですよね。ヨーロッパだと教会だったりするけど。目印という意味でいうと、タワーマンションとかは目印になるけど、あれはランドマークとは呼びたくない。だって、そこに住んでいる人にとっては大事でも、自分とは関わりがないから。コミュニティとは、ほとんど関係がないじゃないですか。あとは、せいぜい駅でしょ。スーパーとかもあるけど、それくらいなものでしょ。それで街といえるか。そうやって、みんなが街をちょっと気にする。今、街の破壊って本当にひどいんです。主にひどいのは住宅街ですけど。広い大きな家のご主人が亡くなると、相続税が払えなくて、そこに10軒くらい小さい建て売り住宅が建っちゃったりね。そうして、街が破壊されていく。それって、取り返しがつかない話で、もう元には戻れない。そういう現状を、みんなが知っているだけでも違う。嫌だな、って思うだけできっと違う。本当は、それに歯止めをかけるやり方にも、条例を作るとかいろいろあるんだけど、まずその前に、街をみんなが見るだけで違うかなと。そのきっかけになればいいんですけど。


前山 裕司(まえやま・ゆうじ)

昭和28年10月14日東京生まれ
昭和53年3月東京教育大学芸術学科芸術学専攻卒業
昭和56年3月筑波大学大学院博士課程中退
昭和56年4月埼玉県美術館開設準備室に勤務
昭和57年11月埼玉県立近代美術館学芸員
平成7年4月埼玉県立近代美術館主任学芸員
平成10年4月埼玉県立近代美術館主任学芸員兼普及課長
平成15年4月埼玉県立近代美術館学芸主幹企画展担当
平成13年より早稲田大学非常勤講師


企画した主な展覧会

「現代のリアリズム」(1983年)
「動きの表現」(1988年)
「風刺の毒」(1992年)
「読解された風景-現代アメリカ美術の一断面」(1994年)
「やわらかく 重く-現代日本美術の場と空間」(1995年)
「美術館物語」(2002年)
「トルコ美術の現在 どこに?ここに?」(2003年)
「心の在り処」(ブダペスト、モスクワを巡回、2003-04年)
「美術館は白亜紀の夢を見る」(2006年)


主な著作等

「Contemporary Artists in Japan」(監修、六耀社、1992年)
「現代美術の歴史」(共訳、美術出版社、1995年)
「西洋美術館」(共著、小学館、1999年)
「高校美術II・III」(共著、光村図書、2004年・2005年)