Cultre Power
museum 岡本太郎記念館/Taro Okamoto Memorial Museum
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー

岡本敏子(岡本太郎現代芸術振興財団理事長、岡本太郎記念館館長)×清水昇(財団事務局長)×岡部あおみ

学生:岡田江利香、江上沙羅、鈴木さやか
日時:2001年1月17日
場所:岡本太郎記念館

01 モダンアートの市場のために、私に売らせてください。

岡部あおみ:ご自宅を美術館にするという考えを岡本太郎さんは昔からお持ちだったのですか?

岡本:いえいえ、作品を全然売っていませんでしたから、どこかにそれをまとめたいという気持ちはあったんです。つまりは美術館になるのでしょうけど、ここで開館するというより、どこかにもっと広い場所を…

岡部:最初は川崎に?

岡本:じゃないの。本当はね、岡本太郎さんは「ここから10分以内だ」って言いましたね。もうちょっと広い場所でやりたいって。ここじゃあ、飾れないでしょう、大きい絵ばっかりですからね。美術館を作りたいっていう話がいろいろあって、でもそれがなかなか実現しなくてね。譲らなかったのは、あちこちにバラバラになっちゃうとつまらないっていうことと、一旦売っちゃうと日本のコレクターはおかしなもので、展覧会にも貸してくださらないし、画集に入れたいので写真撮らせてくださいって言っても、写真も撮らせてくれないんですよ。なんかこう抱きかかえちゃってね、無いのと同じになっちゃうんですよ。

岡部:いつ頃から美術館という考えが生まれたのでしょうか。

岡本:売らなくなったのはね、西武と東京画廊で大きな個展をやったのね、その時に東京画廊の山本さんが「岡本さんのような人が絵を売ってくれなければ、モダンアートはいつまでたっても市場価値が出ません」と言うのね。「岡本さんだったらみんな名前も知ってるし作品もいいんだから、私はもう絶対売ってみせる自信があります」って言うのよ。それでね、一般のモダンアートをやってる人は名前を見ても絵を見てもわからないんだからそんなの売れるわけがない、だからいつまでたっても日本画だけがあんなバカ高い値段で売られていてね、(モダンアートは)市場価値が出ないっていうんですよ。「岡本さんのような人が売ってくれれば、モダンアートの市場ができるから私に売らせてください」っておっしゃってね。「これは芸術運動だと思って売ってください!」って。口説くのが上手いんですよ。芸術運動って言われると弱いのね。それで西武と東京画廊で展覧会やった1964年ごろに何点か売られちゃったんですよ。その時に手放したものはもう世の中に出てこないし、画集にも全然載らないの。


スキーをする太郎氏の像
Photo Aomi Okabe


太郎氏と彫刻
Photo Aomi Okabe


内観
Photo Aomi Okabe

02 絵は売らない。絵は商品じゃない。

岡部:もったいないですね。数は10点ほどですか。油彩と立体の両方?

岡本:忘れましたけどかなり売られましたね。きっとそのくらいは。油彩のみで、立体の方は原型があれば鋳造したりできますからね。けど(油彩は)1点きりでしょ?だからそれで懲りちゃって、「もう売らない」って。その前から売るのは好きじゃなかったの。「絵は商品じゃない!」って。無償のものが好きなの。モニュメントがいいのはね、みんな一銭も払わなくても、見て、「ああ、いいな」とかね、「文句言ったっていいんだぞ、見ないで通ったっていいんだぞ」ってね。それがいいって言うんですよね。

岡部:かなり公共彫刻を作られてますよね。どのぐらいありますか?海外にもあるのですか?

岡本:30かそこらかな。ちゃんとリストアップして、写真も撮って、一つのものにしたいんですけどね。見て歩きたいから、せめてどこに何があるかのリストだけでも作ってくださいって言われて、一生懸命作るんですけど、フォローが悪くてね。メキシコにもあるしパリにも…でも、なくなっちゃったものもいっぱいあるの。

岡部:日本の主要な30点は万博以後に設置されたものですか?

岡本:いや前ですね。一番多かったのは東京都庁の壁画を作る前の年くらいからね。

岡部:(リストを見て)すごく多いですね。東京だけでも1956年からずっとありますね。こういう公共彫刻や壁画の制作で、油彩などを売らなくても生活ができたということですか?

岡本:終戦直後、上野毛にいる頃から「絵は売らない!」って言ってたんですよ。その頃は講演したり原稿書いたりね、そういうことで辛うじて食べてたのね。

岡部:そうですか。珍しいですね。作品を売らないで、自分のものとして作品をキープできたということだけでも。

岡本:そのかわり全国に展覧会を回してましたからね。だから何十年に1回かはその土地で見ていただけるのね。でもいつまた来るかわからないし。

岡部:現代アートの公共彫刻をこれだけ作っている作家は少ないのではないですか?

岡本:一つ一つ、そこのためのものですからね。彫刻を買ってもらったっていうのではないですからね。

岡部:いわゆる今のパブリックアートに繋がるものを初期から手がけているわけで、そこに光を当てるだけでも面白い研究になりますね。

岡本:ところが誰もやらないのよ。日本の美術評論家って変ですよね。人の言ったこととか、こうと決められたことしかやらないし、関心持たないのね。

03 俺は絵描きじゃない。習作の醍醐味。

岡部:それで、今まで貸したりはしたけども売らなかった作品がご自宅にたくさんあり、川崎に美術館が建設されて、大型の作品はあそこにほとんど収蔵されたのですか?川崎の話も生前からあったのですね。

岡本:もちろん。完成された油絵、彫刻もほとんどあっちに行っちゃったわ。亡くなった時に川崎市長が飛んできてね、涙ポロポロこぼして「先生が生きていらっしゃる間に美術館を見ていただけるはずだったのに、反対運動やなんかがあったために延びちゃって、お目にかけられなかったのが本当に残念です。これからすぐに走ります!」って言って、すぐやってくれるのかと思ったら、それからいつまでたってもできないのね。グズグズ、グズグズやってね。それで私こんな記念館なんかやるつもりは全然なかったんですよ。ここが1998年に先にできて、あそこは1999年に開館。川崎がいつできるか分からない状態で、反対運動の人達が全然聞く耳持たずでね。まだ裁判やってるのよ。いつまでも話し合いやってるんだけど、話し合うっていう姿勢がないのね。今までは作品を展覧会で回してましたから、どこかでは見られたんですけど、川崎が抱いちゃって見せないでしょ?そしたら岡本太郎なんて作家いないのと同じになっちゃうじゃありませんか。そんなのは許せないと思って、いつまでもそっちはそっちでやってらっしゃい、私はこっちで勝手にやるわよって思っちゃってね。

岡部:一応お手元に残しておいた作品があったわけですね。

岡本:未完成のものばかりですよ。エスキースとかね。基本的にはむこうにいっちゃってます。ここにあるのは描きかけなんですけど、でもね、これが面白いんですよ。描きかけのものって逆にね、モチーフが「あ、こういうことやりたかったんだな」っていうのがストレートに見えるのね。見に来たみなさんが、「今ここで描いていて、タタタッとそっちへいなくなった感じがする」っておっしゃってね。みんながそれを受け止めてくれるのは、とても嬉しいことなんですよ。しかもアトリエがあるでしょ。ずらっと立ててあるキャンバスは全部描きかけなんですよ。あの中からモチーフごとに出してはお見せしてるんです。

岡部:全部で何点あるのですか。描きかけの作品をたくさん所蔵しているというのもユニークでいいですね。

岡本:200点くらいかな、もっとあるかしら。ほとんど描きかけ。でもね、岡本っていうのはね「俺は絵描きじゃない」って言うんですよ。こういうものを描こうっていうのがパッと浮かんでくるまでは絵描きじゃないんですって。

岡部:それまでは何ですか?

岡本:何でもないのね、人間なの。それでね、「こういうものが描きたい!」って思ったらすぐにデッサンを始めて、できあがった時の色から形から大きさから、もうそのまんまに浮かんでるんですって。だからすぐに描けるんですけど、いきなり大きなもの描くと、ぐちゃぐちゃになっちゃうから紙にデッサンしてみるんですよ。それで「こうだな」って思うと、まずちっちゃいカンバスに描いてみるのね。それは全然仕上げないんですよ。エスキースです。それでそれを描いていって、「こうだな」ってコチンとくるともうそれ捨てちゃってね。

岡部:習作の“コチン”までがとってあるわけですね。

岡本:途中でやめてるんだけど、そこには岡本の思っていたもの、モチーフが、ちゃんと出ているわけなの。それで今ここで、描き始めたばかりのものでもお見せしてるわけなんですけど、それはそれで面白いのよ。何段階にも渡ってそれがあるわけです。それからいい加減まで描いちゃって、途中で気に入らなくなってやめちゃったのもありますしね。それから、もうほとんど出来あがってサインまでしたのにガチャガチャッと白く塗っちゃったのもありますしね。色々残ってるの。

04 都庁の破壊で失われた作品、ヨーロッパの人がショックを受けた。

岡部:展示変えは時々なさるのですか?

岡本:3ヶ月にいっぺんです。今までに、一番最初がオープン記念だから「太郎に出会う」という、代表的なものをピックアップしてお見せしたのね。それから順番はめちゃくちゃですけど、「太陽」「祭り」「不思議な生き物」「母と子」「エロス」とかね。リストになってありますよ。それから「ピエタ」なんかもあるのよ。「ピエタ」なんて岡本太郎が描いてたなんて誰も思わないでしょう?いいのよ、それが。自分はピエタのキリストだと思ってたんだろうと思うんですけどね。まだ先のことだと思ってたのよ、きっと。

岡部:完成作で見たおぼえがないですね。立体も多少展示されてますね。

岡本:そうね。まずひねくり回しながら作るのね。最初は粘土なんですけどすぐクチャクチャになっちゃうから、石膏にするんですよ。人体なら等身大の大きさのものを作って、それを徹底的に、これでいいっていうところまでやるの。それから本来の大きさに拡大するんです。

岡部:それは例えばどこかの場所に作品を設置することが決まったときに、そこを見て作品を発想されるのですね。

岡本:そうです。一番最初に作ったのが、2階まで吹き抜けのアトリエの天井までの高さで、ギリギリいっぱい入るぐらい。幅はこっちの窓から向こうのテラスに出る扉いっぱいの大きさでね。

岡部:市とか町とかが「岡本さんにお願いしたい!」ってまず来られるのか、あるいは岡本さんが「ここに作りたい」っていって出資する相手を探すということもたまにはあるのですか?

岡本:そりゃ、頼まれなきゃ作れないわよね。

岡部:やっぱり昔から人気者ですよね。ご著書を読んで、ファンになった人もいるだろうし。

岡本:そうね。何でそんなに壁画作ってくださいとか言われたのか分かりませんね。昔から有名は有名でしたね。一番最初に「作ってください」って言われたのが大きなものでしたからね。

岡部:すごいですねえ、それはどこに?

岡本:戸倉上山田っていう温泉地で、川原を埋め立てたテーマパークができたのね。スポーツランドみたいな。そこのシンボルを作ってくれって言われて、それで、その大きさで原型作ったんですよ。最初は小さいのを作って、その後お庭で作ってね。最初から最終の大きさを考えて作るんですよ。でも、松代大地震ていうのがあってね、3年くらい群発地震が続いて、河原に造成した土地でしょう、そこに直に据えてあったもんだから四足が別々に揺られて、コンクリートで作ってあったんですけど、だんだんひびが入ってついに崩れちゃってね。もう1回作りますって言ってたんですけど、その人そのうちに亡くなっちゃってね。

岡部:残念ですねえ。一番最初の大彫刻がなくなってしまうなんて。日本は地震国だから、そういうケースも多いのでしょうね。

岡本:そうね。写真はいいのがあるんですけどね。公共のために作ったのってもうほとんどありませんよ。だって東京都庁もそうでしょ?太陽の塔だけですよ、現存してるのは。壁画なんてほとんどないですよ。

岡部:建物をひんぱんに建て直すので、壁画なども一緒に壊してしまうのでしょうね。問題ですね。

岡本:東京都庁なんて丹下さんの最高傑作よ。それを20年かそこらで。だからヨーロッパの人は信じがたいって。壁画ができた時に、芸術と建築の総合の大賞(フランスの「今日の建築」誌主催)みたいなものをもらって、その頃ね、日本のモダンアートっていうとすぐ後ろに「あ、これ」っていうのが透けて見えるんだけど、でもあれは全くのオリジナルでしょ。岡本太郎でなければ絶対描かないような作品で、それを東京の都庁舎ともあろうものが10何点もあの壁画をつけたので、日本も変わったねえってヨーロッパではすごく評価が高かったんです。それなのにたかが20年かそこらでそれをぶち壊しちゃうなんて考えられないって、ヨーロッパの人がショックを受けたんですよ。

05 コルビュジエの弟子、坂倉準三が建てた。

岡部:そうですよね。ここを記念館になさる改修工事の時は、港区や東京都からの援助はなかったのですか?ここの土地も家も、ずっと岡本さんの個人所有で、全部プライベートの出資ですか?

岡本:公的援助は全然ないですよ。今だってありませんよ。規制は色々あるの。土地はお寺のもので、買えないの。だから借地なんです。一平、かの子さんも戦前住んでらしたの。それで、一家揃ってヨーロッパに出たのはここから出てるんですよ。

岡部:太郎氏が生まれたのもここですか?

岡本:生まれは青山ですけど、紀伊国屋の裏のあたりで北青山(現在は南青山)。いくつか引っ越して、最後にここに。かなり長くここにいたんです。そのまま戦災にあって焼け跡になってたんですけど、坂倉準三さんに設計していただいてこのアトリエを建てたんです。坂倉さん、コルビュジエのところにずっといたでしょ?一回も給料もらったことないんですってよ。あの頃、コルビュジエでも全然仕事がなかったんですって。坂倉さんとスペインのマッタ、それとペリアンの3人で全然給料もらわないでその事務所を支えてたんですって。ぺリアンはエールフランスの方と結婚してこっちにいたでしょ。その頃一緒に食事したり、ここにも来ましたし、よく知ってるんですけどね。その頃パリに色々絵描きさんがいたらしいけど、前衛っていうのはないわけです。スゴンザックだとか、ユトリロみたいなのを描いたり、そんなのばっかりみんなやってるわけだからね。それで坂倉さんも建築とはいえコルビュジエでしょ。岡本太郎さんはアプストラクシオン・クレアシオンでしょ。だから仲が良かったの。これを建てる時も坂倉さんにやってもらおうってことになったの。

岡部:パリのポンピドゥー・センターで「前衛芸術の日本」展を開催したとき、フランス人のスタッフたちと一緒にお邪魔したのですが、当時は、庭は外から見えないようになってましたね。

岡本:向こうまで塀がずっと回ってて、お庭で彫刻やってたから、みんな上からのぞいてた。のぞきの名所だったの。お客様はアトリエをずっと回らないと玄関に入れなかったんです。それで公開した時にね、みんな裏に回ってくださいって言っても分からないから、門をつけたんですよ。出口にスケッチブックを置いたら、みなさん色んなこと書いてあって面白いの。絵も描いてるし。その中に「昔からのぞいてたんですけど、今度初めて中に入れて嬉しい」って。それが何人もいるの。

岡部:それなら、ご近所の方々が公開当時たくさん来られたでしょうね。

岡本:「やっと入れた」ってみんな言ってましたよ。お庭もあの頃のまんまです。

06 自立できる最優秀財団

岡部:かつて一度、訪ねているとはいえ、こんなにカラフルだったかなあとびっくりしました。今スタッフはどのくらいいるのですか?

岡本:4人です。火曜日が休館で、あとはアルバイトの人が来たり、みんなが交替で1日ずつ休んでます。

岡部:ショップには必ず受付が一人、あと事務局長がいて、敏子さんが理事長なさってるんですよね。4人でなんとか大丈夫なのですか。

岡本:大丈夫じゃないけど、だって、これでギリギリよ。これ以上増えたらねえ。うちは文化庁の最優秀財団なのよ。入場料だけで経営が上手くいってますから。

岡部:入場者は今までどのくらい?土日は人が多いですか?

清水:ええ、そうですね。毎月1,400人見込んでいるんですが、去年(2000年)は17,000人でした。今年はもうちょっといきそうです。

岡部:狭いにもかかわらず、多い方ですね。自立してトントンでやっている所は少ないですよ。優秀財団ですね。

岡本:それでね、これオープンした時にね、「1年目はたくさん来ますよ。でも2年目になったらパタッと来なくなって、3年目になったら誰も来ないと思ってください。」ってさんざんみんなに言われたのよ。だから私、そういうものかと思って始めたんですよ。そしたら3年目のほうが多いものねえ。

岡部:よかったですね。川崎に美術館ができたという相乗効果もあるでしょうし。

清水:それもあるんでしょうね。あとマスコミもありますし。

岡部:美術館を見に行った人が今度はこっちも見に来ようという気持ちになるんでしょうね。

岡本:いや、こっちのおかげで向こうにも人が入るんじゃないかしら。

岡部:財団なので入場料収入にショップの収入が加算されるわけですね。グッズもあるし。

岡本:ショップって言っても本だけなのよ。グッズはねえ、色々あるんだけど狭くて売れないの。美術館の方(のショップ)は広いですから、みんなそっちで買ってくれって言ってるの。

岡部:著作権はみんなこちらで所有してらっしゃるのでしょう?

岡本:そうです。

岡部:だから、美術館で売れても売り上げはこちらに…(笑)。数としてはどのぐらい売れてるのですか?

岡本:さあ。でもかなり…最初の頃は1日100万円ずつ売れてたって。

岡部:それはすごいですね!

岡本:川崎でも開催した「太陽の塔からのメッセージ」展は、千里の国立国際美術館から始めたんですよ。というのも、場所が太陽の塔の下だから。そしたらね、あそこ不便で1日に一人も来ないこともあって有名な美術館なんだけど、そのときはもうどんどん人が押し寄せて、3ヶ月くらいの間にトータルで20,000人入ったんですよ。「3年分をいっぺんに」って館の人、大喜び。それでグッズの売上が伝説的だそうですよ。

岡部:太郎さんの作品は面白いですから、グッズにしてもいいですしね。

岡本:そうですね。もっとここもスペースがあれば売りたいんですけどね。残念なことはいっぱいありますよ、セミナーもやりたいし。でも狭いでしょ。話をしてくれる人はいっぱいいるのに。岡部さんにもやってもらいたいし。でも、参加できるのが30人や50人じゃ申し訳ないでしょう?せめて100人には聞いてもらいたい。そうすると使えるところがない。今年度からやりたいと思ってるんですけどねえ。映像だっていっぱいあるんですけど、映す場所がないから。

岡部:この近くでどこか借りられるところがあるといいかもしれないですね。

岡本:でもここでやらないと意味ないじゃない?この中でやるから意味があるんでしょうから。

岡部:運営費としては、入場料、本やグッズの売上、著作権料、あとは巡回展のカタログや企画費なども収入になるのですか?

岡本:それは入ってきません。うちは美術館に貸すようなものはないですからね、描きかけだから。

07 子供が家族をひっぱってきて、得意になって話している。

岡部:では、ここで運営を改善をするとなると、どういう方向になるでしょうか。やっぱりもう少し人に来てもらうとか。

岡本:いや、今くらいでちょうどいいですよ。1日、250人くらい来た時は大変ですよ。アトリエから折り返すところなんか、渋滞しちゃう。みなさんあそこで立ちすくむでしょう。つまっちゃうのね。だから100人がちょうどいいところね。

岡部:観客層はどういう方が多いですか?

岡本:あらゆる層ですね。引退なさったご夫婦ですとか、中年の女性グループから、若い金髪つんつんの男の子と女の子が手をつないでいらしたりね。子供もよく来るのよ。港区の小学校のワークショップでよく来るんですよ。30人くらいかしら。あれは自由参加らしいんですけど、来なかった子は「何で来なかったんだよ。すげー面白かったぞ。」って言われるんですって。そうすると別の日に放課後に一人できたり、お母さんを連れて来たり。ある子が午前中に一人で来て、午後、お母さん、お父さん、お兄さん、それからおばあちゃんまで連れてきちゃってね。それで午前中聞いたことを得意になって話して歩いてね。その子、あんまりしゃべらない子だったらしくて、おばあちゃんがびっくりしてたって。いいですよね、そういうの。

岡部:本当に。ワークショップは敏子さん自らがなさるのですか?

岡本:いれば説明してあげたりします。太郎さんのこととか、ここにあるもののこととかを。一応終わると、みんな一斉にワーッと絵を描き出すんですよ。先生は描きなさいなんて一言も言ってないのに。みんな描きたくなっちゃうみたい。

岡部:そういう力がありますよね。子供達のそんなワークショップが増えるといいですね。

清水:あと、高校生の修学旅行で来られたりもしますね。5、6人のグループに分かれて。

岡部:この付近は美術館はそんなにないけれど、現代アートのギャラリーはポツポツありますね。だから場所的には、現代美術が好きな人には来やすいところですね。

岡本:そうですね。骨董通りもありますからね、色々楽しいんじゃないかしら。

08 元気がなくなったらまた来ます。今しかない。

岡部:ここをオープンしてから、美術館の状況とか、他の美術館との関わりとかを考えられたと思うのですが、今の美術館状況みたいなものを一言でいうとどうでしょうか?

岡本:なんだか元気がないと思うのね。ここに来る人もね、「ああ、ここは美術館じゃないのがいい」って言いますよ。美術館はみんないきいきしてないじゃない。入る前にくたびれちゃうって。

岡部:敷居が高い感じかもしれないですね。

岡本:ここはそうじゃないのよ。何時間いてもいいし、それこそどこで写真を撮ってもいいしね。本当に、生きた岡本太郎さんに触れてもらえればいいんですから。

岡部:リピーターは多いですか。

岡本:多いですよ。「パワーをいただいて帰ります」とか「元気がなくなったらまた来ます」とかね。それから地方の人が東京に出てくる時に、ここに来るのを楽しみにしてくるっていう方が随分いますよ。それで不思議なのが、一般的には岡本太郎さんって、みんなにおっかない変な人だって思われてるでしょう。ここに来ると「岡本さんて優しい人なんですねえ」なんて嬉しくなっちゃって、いつまでも2階の展示室の椅子に座ってボーっとお庭を見てたりね。そういうのがとっても嬉しいの。

岡部:生きてらっしゃった場所という、とても大事な雰囲気と時間、歴史というものがありますしね。でも小説家の家とか、普通の記念館のイメージとも、ここは全然違いますね。ヴィジュアル・アートの包容力…

岡本:独特の気が満ちてるんですよ。いわゆる記念館っていうと、早く逃げ出したくなっちゃうじゃない?ここはそうじゃないの。お庭をブラブラして、鐘を叩いてもいいしね。“拒否する椅子”に腰掛けてもいいし。何をやってもいいですから。

岡部:では最後に今後の抱負、こうしていきたいという方針をお聞かせください。

岡本:将来って考えないの。今。今もう本当に爆発じゃないけど、今、生きてればいいの。太郎さんがそういう生き方の人でしたからね。だから今生きることに精一杯ぶつかってるだけで、それで充分。それはみんなに通じることなんですよ。

岡部:先ばっかり考えて、今をおろそかにしてしまう人もいますしね。

岡本:今の若い人はことにそうなのよ。自分らしく生きたいなんて言っちゃって、自分らしさなんて全然わかりゃしないのよ。「こうありたい」と思ってる自分なのよ。でも「あたしって今そういう風に生きてないんじゃ」とか「どういう風にしたらいいのかしら」とか考えて、先のことばっかりで今が空しくなっちゃってるのよ。そういうのってつまんないと思わない?私は抱負なんてないの、今。今やりたいこと、やんなきゃいけないことを精一杯やるだけ。

岡部:ありがとうございました。

(テープ起こし担当:合原理早)


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