Cultre Power
museum 森美術館/MORI ART MUSEUM



















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レクチャー・インタヴュー

南條史生(森美術館館長)×岡部あおみ    
学生:ミュゼオロジー受講生 芸術文化学科2年生
日時:2010年6月14日
場所:武蔵野美術大学

岡部あおみ:今日は森美術館館長の南條史生氏にレクチャーをお願いします。国際交流基金のスタッフとしてフランスのアーティスト、ダニエル・ビューレンなどを招聘する仕事をされてから、名古屋にあったICAナゴヤのディレクターとなり、そこでマリオ・メルツなどの展覧会の企画をされました。代官山にナンジョウアンドアソシエイツを設立されてからは、新宿アイランドタワーにある『LOVE』というみなさんも待ち合わせなどに使うパブリック・アートなども手掛けられています。この頃、学生と一緒にオフィスに伺ってインタヴューをさせていただき、カルチャーパワーにも掲載されています。その後、横浜トリエンナーレの第一回目の共同キュレーターとして活躍され、森美術館の創設とともに副館長に就任、現在は2代目の館長として、インドや中国などの興味深いアジア展を開催されています。台湾やシンガポールのビエンナーレのアートディレクターも務められた経験があり、今年、アジアや中近東のアートの状況をレポートされた『新美術新聞』での興味深い連載をもとにして、『疾走するアジアー現代アートの今を見る』を出版されました。今日はアジアの現状をヴィヴィッドにお話しいただけると思います。

南條史生:こんにちは。今日はアジアの美術についてお話しますが、最初に森美術館のポイントをいくつか紹介します。

01 森美術館の建築と今

まず森美術館は六本木ヒルズの超高層ビル森タワーの最上階53階にあります。そのように高層階にある美術館は世界でもここだけです。
そのため多くの人は地震や火災による被害を心配して、そうした美術館に貴重な美術品を展示・所蔵することの危険性を心配するようです。けれども、最高の技術による免震構造で造られているので、むしろ地上より安全とも言えます。もちろんマグニチュード10ほどの巨大地震がきたらわかりませんが、通常の地震の場合、建物が乗っかっているクッション構造によって、上層階のフロアはあんまり揺れないんです。動くときにはゆっくり横に水平移動します。しかし地上ではものすごい揺れが一瞬にくるので、美術品が倒れたり跳ね上がることもあります。森タワーの上ではそうなりません。以前新潟地震があったときも高さ2メートル以上の中国の陶でできた仏塔が、何も固定していなかったにもかかわらず、倒れないでちゃんと立ったままでした。高層でも、技術に守られて、地震による危険性は低いのです。耐震構造の他にも、搬入経路や大型のエレベーター、保存のための空調施設、湿度管理の機器もビルを建てるときから全部設計に組み込んであるので、大変安全です。

森タワーの中には森美術館以外にも、展望台、会議施設、ライブラリー、ラジオ局やなどが入っています。また森タワーのある六本木ヒルズにはマンション、サービス・アパート、ショップとレストラン、日本庭園など、いろいろな役割を持った施設が並び、各所にパブリックアートも設置してあります。パブリックアートは、地上の街にアートをちりばめて、人々と空高くに存在する美術館とを繋ごうとする試みです。

さて森美術館は美術館として、ひとつの新しいビジネスモデルを作ったと考えられます。
それは入場券で美術館と展望台の両方に入場できるということです。このことによって普段はあまり美術館に行くことのない観光客も入館してきます。美術館に行こうと思ったわけでない観光客も、自然に美術館というものを体験できる仕掛けになっています。そこで、結果的に現代美術を初めて見るということが起こるわけです。だからこれは、新しいお客さんを開拓する機会を作り出しているとみることができます。これは言い換えると、教育の機会の創出であると同時に、観客を増やすことですからマーケティングということにもなります。森美術館は構造的にそういう仕掛けを持っている美術館ということになります。これはかなりユニークなビジネスモデルなのです。しかし、これにかかわらず、これからの美術館は独自の新しい考え方で運営していくべき時代だろう思っています。

森美術館の過去の展覧会を紹介しておきます。開館の際に開催した「ハピネス」という展覧会でアジアの古美術と西洋の近代美術、それに国際的な現代美術という、通常だったら一緒にできないと思われているジャンルの美術を、同じ展覧会の中に取り入れました。モネの『睡蓮』やオノ・ヨーコのつくったジョン・レノンの映像、それに鎌倉時代の仏像を、同じ空間で、同時にみることができるようにしたのです。その次は「クサマトリックス」というタイトルで、草間彌生さんの展覧会をやりました。絵や彫刻を置くというよりは、空間全体を作品にしてもらいたいと依頼しました。このような展覧会にすることによって、一般のお客さんや現代美術を見たことがない人にも、現代美術を体で感じてもらおうという仕掛けにしたわけです。

それから現代の若いアーティストの展覧会や建築、ファッションの展覧会もやりました。中国の古美術「中国 美の十字路展」と現代美術の「フォロー・ミー!:新しい世紀の中国現代美術」は同時期にセットとして開催しました。それは伝統と現代の両方の中国をみせるということです。そうすることで古いものを好きな人が現代美術も見る、現代美術が好きな人も古美術を見る、という形で二つの違う観客層に同時に呼びかける事を試みたわけです。去年の暮れのころから今年の始めまで開催した「医学と芸術」展。ここでもまた古いものと新しいもの、医学の歴史的資料と美術品を同時に展示しています。そのように本来ジャンルが違ったり、分類が異なる展示物を、垣根を取り払って一緒に見せるような工夫をやってきたわけです。

02 現代を中心とする日本の美術館

六本木の国立新美術館とサントリー美術館と森美術館は、「六本木アート・トライアングル」と称して六本木を新しいアートの拠点としてアッピールし、さまざまな広報戦略に共同で取り組んでいます。さらにその三館が、それぞれの街の組織と協働して開催した六本木アートナイトでは、各施設やショップ、レストランが参加して夜明けまで営業しました。森美術館は朝の6時まで、無料で館を解放しました。今年2010年には、一晩で70万人が来場しましたが、本来そんなに人が入るイベントはちょっとないですね。大変成功したイベントになりました。

さて他に外国から見て有名な日本の美術館に話を移しますが、香川県にあるベネッセアートサイト・直島は美術館とホテルそれに野外のアートが一体化して、独自の展開をしています。同じ島に地中美術館も増設されました。ここはモネの絵画と、ジェームズ・タレル、ウオルター・デ・マリアのインスタレーション作品があります。2010年には、七つの島を使う瀬戸内国際芸術祭も開催されました。それからもうひとつ外国で有名な日本の美術館は、金沢21世紀美術館です。妹島和世さんと西沢立衛さんによるSANAAという建築のユニットがつくった美術館です。四つ目に強いのが十和田市現代美術館。これもSANAAのうちのひとりである西沢立衛さんが設計した美術館で、今話題になっています。この美術館は非常に小さいので展覧会、企画展を美術館の外、つまり街の中でやるということになっていて、普通のお店や飲み屋の中に作品を展開したりします。このような、欧米には無かった試みが、日本ではどんどん増えています。

03 話題の中国

次にアジアの話ですが最近話題になっているのが中国です。中国の美術品のマーケットは日本の10倍にも成長しました。まず上海では、莫干山道50号(モーガンシャンルー)という、1900年代前半に立てられた古い工場の跡地をギャラリーやアトリエ、カフェとして利用したのが、ギャラリーブームの走りです。古い建物が、どんどんギャラリーなどに転用されています。一方、上海の証大ヒマラヤ芸術センターという美術館は日本人建築家の磯崎新さんが現代建築として、設計しています。これがそうなんですが、右側がホテル、左側がオフィスで真ん中をつないでいる巨大でダイナミックな曲線を多用した部分が展示会場になります。一方これは前からあるやはり民営の上海現代美術館で、元は温室だった建物を転用していますから、壁面がガラス張りになっています。

私が驚いたのが上海都市彫刻芸術センターです。広大な工場街のひとつのブロックを彫刻関係の施設にしました。一部は古い建物の内部にコンクリートの建物を建て直して、ギャラリーと美術関係のオフィスなどに利用されています。彫刻は玉石混交で、ありとあらゆるものが並んでいます。この写真にはロダンの『バルザック』の彫像が見えますが、まさか本物のわけがないですね。質のことは誰も問わず、まずはやってみようというコンセプトでしょうか、こうした巨大な施設がどんどんできています。

そして今年の4月にこのセンターの一角の倉庫を民生銀行が買い取って、民生現代美術館にしました。床面積が5千平米以上で森美術館の2、3倍はあります。「中国当代芸術30年歴程 絵画篇1979-2009」というタイトルで、中国のこの30年間の歴史をテーマにした展覧会を開催していて、中には200点くらいの作品が並んでいました。今やブルーチップと呼ばれている、最も知られた中国の画家たち、たとえば方力釣(ファン・リジュン Fang LiJun)、張曉剛(ジャン・シアオガン Zhang Xiaogang)、曾梵志(ジャン・ファンジー Zeng Fanzhi)などの作家の初期の作品が並んでます。こうした売れっ子の画家たちは、今マーケットで一点一億円を超えることも珍しくありません。ですから、おそらく50億円以上の保険評価額になるような展覧会のわけです。

さらに5月には同じく上海にROCKBUND ART MUSEUM(ロックバンドアートミュージアム 上海外灘美術館)がオープンしました。その名称から音楽関係の美術館のような印象を受けますが、この開発事業にロックフェラー財団が関わっているのでROCKという言葉が使われたわけですから、音楽のロックではないということです。。美術館は上海租界の中にあった揚子江のバンド地区の北に位置した、新しい一角にできています。古い建物を、あまり変更せずに、そのまま残して修復したものです。オープニング展覧会は蔡國強(ツァイ・グオチャン Cai Guo-Qiang)でした。蔡國強というのは北京オリンピックの花火をアート作品としてデザインし、総指揮をとった人です。このスタッフの通訳の女性は台湾の馬英九総統の娘さんです。中国と台湾は、政治的には対立していますが、経済的には非常に深く結びついています。台湾の政治家の関係者に、このように関わりをもっていることから、蔡國強というアーティストが、政治的にも戦略家であることが垣間みられます。中国のアートは、しばしば政治的にも関わってきました。このROCKBUND ART MUSEUMの「ペザント・ダ・ヴィンチ」という展覧会では蔡國強のみつけてきた、農民の制作したおもちゃのような乗り物を、アート作品として展示しています。作品の中には人を乗せて短距離を飛ぶことができるヘリコプターや、ビルのロビーに設置されたので中を柱が突き抜けている、長さ15メートルもある航空母艦の作品があります。彼はニューヨークに住んでいますが、日本で10年くらい生活していたこともあり、日本語も話せます。

上海ではこのように大きなスケールの美術館がたくさんできています。公立の美術館以外にも民間のお金でまるで雨後の筍のように、どんどん美術館ができています。実際のアーティストの数とかギャラリーの数は北京の方が圧倒的に多いのですが、上海にも美術館は多数建てられています。民間の美術館が非常に多い、というのは上海は商業の街なので民間資本が潤沢なのだろうと私は推測しています。

 上海のアーティスト張?(ジャン・ホアン Zhang Huan)のスタジオを訪問しましたが、川をはさんで両側の建物5つ以上が全部張?のスタジオでした。ここには高さが10メートルくらいある彫刻があり、ものすごいスケールの空間です。彼はもともとは非常に過激なパフォーマンスをやっていましたが今は彫刻も絵画だけでなく、ありとあらゆる表現を使って、広いスタジオの中でスタッフも50人くらい使って、制作しています。今の中国の作家たちはそのような状態に入っているのです。

次は北京の話です。北京の中央美術学院が作った美術館は磯崎新さんが設計しています。どこもかしこも建築ブームなので、隣国日本の経験のある建築家が引っ張りだこなんですね。アートはすごいっていうけど、建築のほうがすごくて、世界中の建築家が中国で仕事をしています。それでも建築家が足りない、といっっています。

北京のギャラリーは「798芸術区」(大山子芸術区 Dashanzi Art District)をきっかけにして大変な発達をしています。798芸術区は元々ソ連が投資して作った工場街だったと言われています。2000年頃にはまだ芸術区の看板もなく、アーティストが細々とアトリエを借りてやっている状態でしたが、そこに日本の東京画廊が進出し、以後10年でガラッと変わりました。ほとんどの建物はギャラリーに変わり、カフェや本屋も入り、ある種の文化ゾーンになりました。工場をギャラリーとかスタジオに転用するメリットですが、工場は大体天井が波型になっていて北方向に向かって窓がついているわけです。そうすると南からの直射日光が入らず、北側からの柔らかい外光が入ります。これはアーティストのアトリエも同じなんですね、19世紀のパリでは、印象派の時代以来、アトリエというのは北に向かって窓が作られています。ですから工場街は画家のアトリエと同じで、美術品の展示にも都合が良いというわけです。さて798地区の後、韓国のアラリオ・ギャラリー(Arario Gallery)が入って開発されたもう一つの工場街が、「酒廠国際芸術園」ですが、これは元はお酒の工場街でした。同じように相当の規模の工場街が、ギャラリーに転用されています。

第三のギャラリー村は、「草場地村芸術区」(Cao Chang Di Arts ツァオチャンディー)です。これは古い建物を転用するのでなく、レンガ作りで新館を建てています。ギャラリーには中庭がついていて、そこでオープニングのパーティーが開けるようになっています。ギャラリーの中に入ると、いくつも大きな空間がありますけど、どれも非常に大きいですね。作品も、繊細さではなくて力強さと荒削りな表現力。中国のアートにはやはり大きさ、力強さが大事なんですね。美術市場が活況なので、外国からもどんどんギャラリーが入ってきています。アメリカとヨーロッパのギャラリーも入ってきています。ベルギーやドイツの画廊のギャラリーのいくつかは、ほとんど美術館のような規模を持ち、展示内容も充実しています。

スケールの大きい作品の例を挙げると、ギャラリーの中に列車が一輌入っているものがありました。これは驚きました。本物の客車です。どうやって運んできたんでしょうか。客車の両側の窓に中国の国営テレビ局が流したニュースの古い映像を流しています。文化大革命で旗を掲げている若者達の映像や、毛沢東がなくなったときの映像などです。そうすると、これは過去50年間の中国近代史の中を走り抜けている電車だということになります。つまりコンセプトは非常に単純明快ですね。こうした、ちょっと政治的なにおいのする作品を作るのは、中国人非常にうまいんです。実は、これを批判精神ととれば、アメリカやヨーロッパの作品に似ているわけです。明快なコンセプト、メッセージ性を持っていて、単純明快に説明ができるという特徴があります。そして作品のサイズが大きい。アメリカのアートっていうのも狙いがはっきりわかる、大きい、そういう特徴があります。だからアメリカのコレクターからみても中国の作家は理解しやすく、買いやすいようです。中国では、今でも検閲はすごく厳しいですから、アーティストはあんまりはっきり作品の説明は言葉ではしないんです。そこで、こちらが、これは政府の方針に対して、批判的な思いで作ったんですかと聞くと、ああ、そういうふうに見えますかっていうんです。そう見えますかって、言うだけで意見は曖昧ににごしています。しかし欧米のコレクターから見ると、政府に対して批判的な視点を持って、地下に隠れて作品を作ってるアーティストなんかが、一番正しいアーティストに見えるし、さらに言えば、自分がそれを発見したって言いたいんですよ。

草場地芸術区の、多くの赤レンガの建物を設計したのが艾未未(アイ・ウェイウェイ)です。もともとこの地域は、彼のスタジオがあって、そのために発展した経緯があります。この人はやっぱり非常に反政府的な発言が多い。政府の特定のポリシーに対して、批判的な視点を自分のブログで展開していて、ブログも何度か閉鎖されたりしています。彼は工芸の職人に発注して現代美術を作っていて、伝統工芸の職人達に仕事を作りだしてあげている、現代美術はそういうことができるんだということを言っています。日本でも、伝統工芸の職人が仕事がなくなってきている訳ですから、それは非常に興味深い考え方に聞こえます。

草場地芸術区の中にある「三影堂撮影芸術中心」(ThreeShadows Photography Art Centre)は写真を専門とするオルタナティブスペースですが、榮榮(ロンロン RongRong)と 映里(インリ inri)というまだ比較的若い写真家の夫婦が設立したものです。こんな大きなビルを建てる資金を、どうしたんですか、と聞いたんですが、自分たちの作品を売ったお金です、というんです。アーティストが自分のビルを建てられるほど、中国では現代アートにお金が回っているということですね。
 また最近、前述の798芸術区の中にはベルギーのコレクターが自分の美術館(ウーレンス現代美術センター)を作りました。1万平米で森美術館の5倍もの面積です。オープニングレセプションでは招待客の半分くらいがヨーロッパ人でした。北京の美術状況っていうのは、欧米の人達がやってきてそこで自分たちのコレクションを発表したり、作家を紹介したりと、一種の重要なPRのプラットフォームになって来ていて、昔のニューヨークとかパリとかと同じようなポジションを獲得し始めているようです。そういう意味で、今回北京にいた時には、ひょっとするとここは本当に「世界の中心のひとつ」なのかな、という感じがひしひしとしました。北京からは、そういうオーラが出ているように思います。

というわけで、中国のアートはこの10年間で多大な発展をしたわけですけれども、結局、アートというのは経済の伸びるところで発展する事実があります。今、経済が活況を呈している国を「BRICs」(ブリックス:ブラジル、ロシア、インド、チャイナ)と呼びますが、この四つの国では、これからアートも発展すると予測されています。

04 インド

そこで、中国のあとはインドの美術について話を移します。インドに行くと国立美術館が3つありますが、そこでは、ほとんど現代美術はみせていないという状況ですから、商業画廊が現代アートの活動の基盤になっています。作品もひと昔前は、欧米の近代絵画の焼き直しや、重くてどろどろして色も冴えない土着的な作品がよく見られましたが、最近では表現がもっと現代美術的、あるいはグラフィック的、あるいは、軽みのあるものになってきています。バールティ・ケールやヘマ・ウパディアエ、ミトゥ・センなどの女性の作家も活躍し始めています。

これは、インドのバンガロールというIT企業で有名な街の様子ですが、街の中には突然、ザハ・ハディッド(Zaha Hadid)がデザインしたような、過激な脱構築型の建築デザインの建物が登場したりします。インドの現代美術は分類しづらくて、ひとりずつが非常に変わったことをやっていて、非常に個性的な印象を持ちました。ジャスティン・ポンマニはペインティングの作家ですが、ホロペーパーを使っていて、そういう意味ではハイテックですね。コンピュータを使って、作品を作る人達もでてきています。またしばしば動物、鳥、昆虫などのイメージが登場します。これは彼らの生活に、そうした生物が身近に存在しているのだということでしょう。
 
ムンバイのグランド・ハイアット・ホテルのロビーにはインドの現代美術がたくさん置いてありました。格式が高いインドの一流ホテルに、現代美術が沢山並んでるのは驚きでした。その中にヘマ・ウパディヤイのバラックの町並みを再現した作品が展示してありました。この高級ホテルの中にバラックの町並みが作品になって展示されている、ってのはすごいセンスだなと思いました。またデリーのそばのグルガオンでは、2年前にプライベートミュージアムのデヴィ・アート財団(DEVI ART FOUNDATION)がオープンしました。このビルはリチャード・セラ(Richard Serra)の彫刻に使われるようなコールテンスティールに覆われていて、全面が真っ赤に錆びていています。中はインドの現代美術が沢山所蔵されています。

05 アラブ首長国連邦、ドバイとシャルジャ、そして湾岸諸国

次に中近東のドバイですが、リーマン・ショックの影響で街の建設が止まっているという噂もありますが、僕が行った3年前は半端じゃない数のビルが、雨後のタケノコのようにどんどん建てられていました。ドバイには有名なザ・パーム・ジュメイラ(The Palm Jumeirah)という人工の島があります。この島は上から見るとヤシの木のロゴマークに見えますが、横から見ると、まさに海上の構想ビル街です。そして世界中のビジネスマンがたくさん来ますから、そういう人達に向けてギャラリーが入ってきています。中近東の現代美術は、ひとつの傾向としてはアラベスクと呼ばれた、抽象的なパターンを援用した作品が多いです。よくも悪くもイスラム教の問題と大きく関わっています。イスラム教では人間を描くのは本来許されないですし、女性が顔を見せてはいけないという社会です。そうしたタブーがたくさんある中で、現代美術に何ができるのか、自由な表現は可能なのか、という問いかけが生じてきます。ヨーロッパの近代芸術、つまり19世紀から20世紀前半くらいまでの、ロダン、ルノワールらが作り出した女性のヌードをテーマにした作品などは、イスラムでは非常に発表しにくい作品だということです。一方、宮島達男、河原温、ジョセフ・コスース(Joseph Kosuth)などに代表されるコンセプチュアル・アートは記号や文字で表現されるので、イスラムにとっては問題が少ないのです。つまり、伝統芸術から近代を飛び越えて、現代美術にそのまま飛ぶということになりそうな気配です。

これはドバイのフライングハウスという美術館ですが、ここには1982年にイギリスで勉強して帰ってきて、現代美術をドバイに広めたハッサン・シャリフ(Hassan Sharif)と彼の友人7人の作品が収まっています。またドバイでは最近アートフェアをやっています。富裕層が集まる巨大なリゾートホテルの中で、50軒くらいの画廊がブースを作って、作品を即売する訳です。ドバイの隣のシャルジャ王国ではビエンナーレをやっています。2000年くらいから、だんだん発展・充実して国際的に評価の高いものになりました。ビエンナーレではパフォーマンスやインスタレーションなども行われて、かなり先端的な作品も登場しています。

ドバイもシャルジャもアラブ首長国連邦を構成する国のひとつですが、そのうちの一番裕福と言える国が最大の産油国アブダビです。アブダビでは文化施設の建築に力を入れています。元々砂の島だったサディヤ島に街をつくるという開発計画が進行中ですが、そこを美術館の島に使用というアイデアです。美術館は全部一流の建築家が作っています。現代美術を展示するグッゲンハイムアブダビはフランク・ゲーリー(Frank Owen Gehry )の設計。ルーヴル美術館はジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)。パフォーミングアーツセンターはザハ・ハディッド(Zaha Hadid)という中近東出身の女性の建築家。それからアブダビ海洋博物館は安藤忠雄の設計です。他にも15のパビリオンが建ちますが、全部国際コンペで選ばれた世界中の建築家が建てることになります。そこで将来、この地域全体が建築の博物館になるだろうということが予測されます。

次に他の湾岸諸国のひとつですが、カタールには昨年イスラム芸術美術館ができました。I・M・ペイ(イオ・ミン・ペイ Ieoh Ming Pei)というアメリカにいる中国人建築家が作りました。内部はイスラム的なアラベスク模様のモチーフを使って設計されています。

バーレーンも現在ザッハ・ハディドによって美術館を建てようとしています。たまたま訪問した街のギャラリーでは建築家のザハ・ハディッドの展覧会をやっていました。コンピュータがなければできない未来的なデザインで、周囲の砂の世界とドラスチックなコントラストを見せています。

06 中国やインドを自分の目で見ることの重要性

今アジアはこのようにインフラがものすごい速度で作られている時代です。おそらく今から10年から20年の間に、千くらいの美術館が建つでしょう。
 またビエンナーレやトリエンナーレがたくさんありますが、総合的に見るとアートのインフラというのは美術館、ギャラリー、それからビエンナーレなどの大型の展覧会、そしてオークションやアートフェアということになります。それらがアート業界を支えている柱です。それが急速にアジアにできてきているということを考えると、これからアジアの美術業界は欧米が中心であった美術の世界に対して、もう一つの巨大な勢力に成長するだろうと思います。ネット的にいうとクラウドができている、つまりアジアという地域の上空に巨大なアートの情報の塊が浮かんできて、その塊を中心にしてみんなの理解と美的感性の受容、そして市場の生成が行われ、全てがつながってきます。その中で、みんなが知っている村上隆、蔡國強、スポード・グプタなど大物の作家の名前はピカソと同じように世界中が知っている常識となり、その知識に連動してマーケットも動くようになるでしょう。おそらく、欧米の今まで築いてきた美術業界と対抗する別のアート勢力というものが、たぶん10年以内にアジアにできくると私は見ています。

私は皆さんも、こうした現実を実際に目にしたら良いと思います。中国なり、あるいはインドなりのアートがどんな風になっているのか。また台湾の美術シーンも強いです。それらを見ながら、現地の人と話すと、興味も湧いてくる。その現実をみた上で自分がこれからどうアートを理解し、つきあえるのか、ということを考えるといいんじゃないかなと思います。ということでアジアの話をこれで終わりにします。

07 インタヴュー

岡部:超スピードで中国、インド、中近東まで現在の新しい状況をお話しいただいてとても勉強になったのではないかと思います。ありがとうございました。アートの状況が今大きくアジアを中心に変わりつつある現状が、1時間ちょっとの時間でしたが把握できたんではないでしょうか。変化のスピードにドキドキしながらもリアルな実感を得られたのではないかと思います。今お話しいただいた中でまずひとつ質問ですが、ベルギーのウーレンスさんのコレクション、最近の話ですけども売却されたという話を耳にしたのですが。

南條:ああそうですね。ウーレンスさんは作品を売るっていうことと、もう一つは、センターの運営をゆだねるために新生銀行の資本を入れて、一部の権利を譲渡したとかいう話を聞いていますね。単純に言えば、一部を売ったということなのかも知れない。

岡部:となると美術館はどうなるのでしょう。

南條:美術館自体は継続して運営していますね。

岡部:この前たまたまベルギーの方とお会いして話が出たので心配はしたんだけれど、美術館自体は問題なさそうですね。

南條:そうですね。あまり詳しいことは知りませんが。

岡部:わかりました。ともかく中国がすごいですね。6、7年前に私自身、美術館やアートシーンの調査という形で行ったときには、例えば方力釣のアトリエにも訪ね、その時既に驚いたことに、もちろん彼は中国でも国際的に活躍するトップスターでしたし、作品も例えば福岡アジア美術館に収蔵されてる作家ですが、ともかく大きなアトリエを持っていて、お手伝いさんもいて、しかもその頃からレストランなどの経営もしている実業家みたいで、びっくりしました。アトリエを作るのに当時いくらかかったのか聞いたらまたびっくりしたのですが、百万円くらいで建ってしまうと。貨幣価値が違うのですが、日本のアーティストだったら一千万円かけてもあんな規模のアトリエは無理かなと思いました。こうした土地や貨幣の違い、今でもありますよね。

南條:そう、美術品の価格が国際価格でかなりの高額で決まってくるでしょ。ところが現地の物価というか生活水準が低いから、何でも安くでもできちゃう。で、ギャップが大きいんですよね。

岡部:他にもいろんなアーティストと話をしたのですが、みな売るのは欧米のコレクターなわけですね。するとドルが入る。もちろんコレクターたちは自分たちの国の価格の感じで百万円とかで買うわけです。それでも安いと思って当時は買うんですね。まだ100万とか200万円とかでも買える作品があった時期ですから。そうすると1作品売れば、立派なアトリエが建ってしまう。欧米の人達にとっては大した額じゃないので買うわけですが、そうすると作家は家が建ち、大金持ちになるという状況が長く続いてきたわけですよね。

南條:だから経済発展している国ではね、そういうね矛盾があちこちにいっぱいあって、うまくやるとものすごく儲かっちゃうという時もあるんですね。まあボーナスかもしれない。

岡部:ところが、お手伝いさんをしてる人達はどのくらいの生活費かというと、まだパンは10円以内で買えるような価格でしたから、数千円、数万円で一カ月生活できる状況でした。でも、今はもう10円で買えるものなんかなくなってきたのではないでしょうか。貨幣の価格の変動もあるし。

南條:中国製品は今その元という通貨の、外貨との交換レートを抑えているわけですね。それはその方が得だからそうしてるわけですよね。輸出するときに低価格で輸出できるので、戦略的に特なんです。だけど外国からは、中国政府の方針は攻められています。お前の国は、通貨価値を低く抑えて、国民には、低賃金労働をさせておいて、外貨はそんなに儲けているけど、それはずるいよ、おかしいじゃないか、っていうふうに言われてるのが最近の状況ですよね。アーティストもみんな頭良いから、経済のことも知ってるだろうし、社会の中でどう動くべきか、どうすると得かっていうことをね、総合的に考える。経営者みたいな判断してますね。でもマーケットの価値が、作品の価値そのものではないということも理解しなくてはね。

岡部:元々私はフランスにいたので天安門事件などを経てフランスに亡命してきた中国のアーティストや評論家を知っていて、その人達と話をして思ったのはともかくたくましいこと。中国のアーティストはパリに居ると家賃とかお金がかかりますから、地方で活動するんだけども、多少お金が貯まってくると古い家をリノヴェーションして貸したり、もう実業家並みの活動をしてました。安いアパートを買って自分のアトリエにするだけじゃなくて、ちゃんとオーナーとして運営するとか。そういうたくましい生き方というか、日本の作家だってやろうと思えば同じようにできると思うんだけどやってませんよね。

南條:日本ではアートは自分が好きな趣味の世界に浸るためだと思っている人が多いんだけど、中国の彼らはひとつの職業であるっていう割り切り方がはっきりあるね。だからそのために全てを結集させていくっていうか、自分の感情や思いで判断するんじゃなくてプロとして、これを売って食っていけるかどうかっていう判断を積み重ねていくんだろうと思うんです。そこが強いんですよ。

岡部:元々大陸の民族ですから何世紀にもわたって他民族との戦争がありながら逃げる場所がないですから、その中で勝ち抜いてきた人達なわけですね。だから海外に行ってもものすごくネットワークが強く助け合いがまたすごい。たとえばフランスにいる中国のアーティスト同士とか相互の助け合いが活発ですが、日本の作家たちにはそれもあまり見られないですね。

南條:それは華僑の精神ですよね。中国人で外国に住んでる人は華僑と呼ばれている。それはユダヤ人みたいに商業に強い人たちで、彼らの中のビジネス・ネットワークもすごくて、商人としての大変なノウハウの蓄積があって、銀行みたいなシステムまであって、ていうようなね。

岡部:南條さんがビエンナーレを2度手掛けたシンガポールでも中国系の人が強くて、アジアでは中国大陸だけではなくていわゆる華僑の人達がともかく強いですよね。

南條:彼らの考え方は、たとえば中国は今、たまたま共産主義の政権が支配している国ですが、それは一時的なことで、そのうちまた変わるでしょうと思っている。もっと上位の視野の中では、世界は、華僑のネットワークで覆われている。部分的に見れば、ここはシンガポール、ここは台湾、ここは中国というふうになっていて、一応国ごとに違うルールで動いているけど、でもそんな国境による違いなんて、本当は関係ないよっていうくらいに上から見てる。

岡部:そうですね。というわけで先程南條さんがおっしゃったように中国語が世界を知る上での今後のキーポイントになるかもしれませんので、みなさんはまだ2年生なのでこれからがんばれば中国語、韓国語などをマスターしていけるのではないしょうか。ともかく海外に出るのに日本人が一番弱いのは語学です。韓国出身の留学生もたくさんいるのですが、みんなすぐに日本語ができるようになりますし、すでに英語も堪能だったりするわけだから、とくに現代アートに関しては語学大事ですから、日本の学生は語学力で負けないようにしないとね。

南條:そうですね。日本の中でじっとしていると、なかなかその感じがわからない。僕はやはり、まず外の世界を見てきたらどうかな、と思いますよね。中国なりあるいはインドなり、それから台湾もすごく強いですね。欧米も含めて、日本の外の世界はどんな風になってるのか。現地の人と話すと興味も湧いてくる。自分でその現実をみた上で、これからどうしたらいいのかを考えるといいんじゃないかと思います。

岡部:自分がいる日本という国を世界のレベルの中で相対的に位置づけていく必要がありますね。これからますますグローバルな社会になっていきますので、その中でアートやアーティストを考えるにあたっても日本の美術家だけを見ているだけではなくて、他の国々の美術館やアートを相対化してみていく姿勢が必要だと思います。今日はいろいろ本当に示唆に富むレクチャーありがとうございました。

(文字起こし:矢野吟河・渡辺蘭)

 

David Elliott(Director of Mori Art Museum)×Aomi Okabe

Participants: Students of Arts Policy and Management Department of Musashino Art University, undergraduate and master course
Date: 13th May 2003
Place: Mori Art Center

Aomi Okabe(A.O.): Would you please tell us the concept of the Mori Art Museum?

David Elliott(D.E.): A new museum starts rarely completely from scratch - with not even a collection. Mr. Mori wants to put a contemporary art museum at the center of his big new development in the middle of Tokyo. I want to examine a little why he wants to do this - it's not so normal, I think.
Mr. Mori is a developer. He makes his living making buildings and then sells or rents them. Roppongi Hills is his life plan. It has taken him 17 years to put the whole package together. But from buying the land and getting all the permissions, they took only three years to demolish and rebuild. It’s incredibly quick.
In terms of financing, it’s pretty amazing as well. I can’t remember how many thousands of billions of yen. Generally speaking, projects of this size in the middle of a city are too expensive to do this way and tend to be completed in two or three or four parts. But Mori did this in just one - without a break in three years. It is rather remarkable.
But most remarkable to me, is that he really has wanted to create a model for a different way of living, life style and, more importantly, thinking, in Japan now.
This relates to creating a different rhythm in the city. Planning to provide more amenities, more space at times when people who are working most of day can use them. So this is a place where you can watch cinema through the night; it closes at five o’clock in the morning. Even the museum will stay open until 10 during weekdays and 12 o’clock at weekends. There are also a lot of restaurants, bars and shops open until really late, making it a place that the majority of people can use. I think this makes good financial sense too. The Pompidou Center in Paris stays open till 10 at night. Around that area it is also very active. You have to have a lot of things coming together for such a system to work. The museum needs a lot of amenities around it and the other amenities and services too benefit from the attraction and life of the museum. One facility can reinforce the other.
Really important to me is that this is not only about urbanism changing the city by increasing density in certain parts. It’s also about trying to change the way in which people look at their life - and the way the rest of the world looks at it. Sound economic reasons can contribute to this. Japan is no longer as competitive as it was on the international stage. And Tokyo is no longer competitive as a city. Hardly any tourists come here. In terms of annual economic growth China is doing much better - 6~8% compared with maybe Japan's 2.5%. Big difference. There are a lot of reasons why a country goes up or down: a big shock came at the end of the 1980s, beginning of the '90s, when the bubble burst and was followed by a very long period of deflation. The system that worked so well after the war, which the rest of the world began to envy, had been exposed; it only operated as long as Japan didn’t have to compete. It may seem rather peculiar but I would like you to try to imagine this. Japan was like an old communist command economy but one in which the company rather than the State provided immunity for the people. As long as money circulated in the single economy, it was ok but as soon as it became deregulated and subject to international competition it could no longer work. That was a great stimulus for change. And many powerful people were wondering what to do. Big companies were trying to figure it out. Some of them were reactive and diversified into more projects but they were not in a good shape to suddenly do this because they had been looking inward and had not sufficiently valued competitiveness and creativity which previously had seemed like destabilizing forces rather than necessities for survival. Democracy tends to be run by young rather than old people but for a long time in Japan decisions have tended to have been made by the old. Mr. Mori is not young but he has not shown the same conservatism, nervousness and aversion to risk that has come to characterize power in Japan. Why is he so different? He absolutely knows what he wants. And he realized that things have to change. He has made an interesting link between the desire for new lifestyles and new forms of urban living and the fact that the best in contemporary art, design, architecture, creates a dynamic, open society. He has realized that creativity is a form of power. I don’t think that his has been so widely appreciated here. But this kind of view creates a much-needed sense of self-confidence in the world. The culture is no longer divided in the old conservative way that characterized the pre and postwar years. To explain what I mean by this: since the war Japan has on one side been very international and part of the international community. In the context of Asia Japan was virtually part of the West. On the other side, Japan has also been extremely conservative in keeping traditional values. It seemed as if there was kind of barrier between the two sides and Japanese people would decide which side they showed at any particular time. It was almost as if one side was sterilized, and kept "pure", the other was "corrupted" and mixed up. Of course this is ridiculous. Because, nothing is pure. We are all mixed up, always have been, always will be: genetically, culturally, and artistically. For example artists are always stealing ideas from others and changing them. Cultures are always taking things from other cultures and making something new of them. I think that Mr. Mori has instinctively recognized this in the planning for the Roppongi Hills development in which so many different cultures have been mixed together. This is a Japanese development - it could not have happened anywhere else - but some Japanese press have made the criticism that Roppongi Hills is not really Japanese just because there are some foreign architects, foreign shops.... But Mr. Mori and his company are Japanese; they have spent seventeen years building this and have put it together in Tokyo. Fumihiko Maki’s TV Asahi building is one of the best buildings here. There are also lots of works by other Japanese, Asian artists and designers here. Sure there are Louis Vuitton and some foreign shops. But what could be more Japanese than Louis Vuitton having Takashi Murakami doing designs for them?
What is Japanese? It’s up to you now. Your skill and energy will decide that. You don’t have to be walking around in tabi, standing under cherry blossoms all the time.
I think this is why Mr. Mori has said, “I want contemporary art. I don’t want Impressionism." There has to be life and an element of risk.It is a great missed opportunity if you live your life, never aware of the art of your time If you never experienced and thought about it and maybe never had access to it. Contemporary art gives the possibility of participating in this project rather than ignoring or running away from it. Participation is really important because it is a long-term idea. Art isn’t made in a vacuum. It comes out of something…. and goes back in to something. The response is important and becomes part of it. This real desire to see people getting excited by what artists are doing and their ideas can become a discussion in itself. Why do we think this is important? We need new museums to help encourage this because without any discussion about why things are good or why other things are not so good or even awful, the culture just stands still and become hidebound. Cultural values are as important as monetary values, and like them they change or have to be negotiated. And everyone can participate. Where is it made? When was it made? Why is it made? What it is? How does it strike you? It’s also about quality, "goodness", judgment.....These are things that are important to us all - for an open and civilized society..

A.O.: Before the opening of the Museum, do you expect big success with many visitors?

D.E.: Well, our visitors will include those who want to see the viewing deck. There will be a lot of people from different backgrounds and we will need to satisfy them and also make sure that the queues are not too long.

A.O.: For you, is it your first experience to work as a director of a Museum in a big city like Tokyo? What ’s different, if you compare it to your past experiences?

D.E.: I enjoy living in a big city. In Stockholm there are 1.2million people maximum but it is a very beautiful city. It is small, a kind of village in comparison to Tokyo, but in the first year of the new building we received five hundred and fifty thousand visitors - about half of the city's population. Oxford is strange. It was almost like a satellite of London when I was working there and we were showing many things that had never been seen in Britain before. During the 1980s, London became more important in showing contemporary art but it was not doing much when I first started in Oxford in the mid 1970s. So I built up the place by showing things that could not be seen in London. A problem of living in a big University City like Oxford is that although it is very cosmopolitan, with many eminent visitors, it is also very provincial, local. So you have the two attitudes co-existing in same place - that's quite interesting and frustrating.

A.O.: Who decides and makes the program of Mori Art Museum’s exhibitions? Will it be you and the curators? Will Mr. Mori suggest something about the program?

D.E.: The final responsibility for programming is mine. Mr Mori does not make the program, but it has to be agreed with him. There is a Board running the museum, which meets twice a year. Chairperson of that Board is Mrs. Mori. She has a room in our office and comes here once or twice a week.
The Board looks at the program and budget for the coming year and, we hope, approves it. In the longer term it is important to make the museum an independent nonprofit organization, legally separate from the Building Company.

A.O.: Did you choose yourself the sculpture by Louise bourgeois, “Maman”, in front of the Mori Tower as a symbol?

D.E.: Mr. Mori chose the spider. We had been talking about this location a long time and had been looking for a contemporary work within a certain budget. I was thinking that Mr. Mori should go for Damien Hirst‘s “Hymn”, an18 feet high bronze sculpture of an anatomy kit featuring a flayed man in different colors. However Mr. Mori saw a version of Louise Bourgeois' work in Seoul, Korea, and liked it very much. I think it is a great work too, so in spite of the extra expense we decided to buy it.

A.O.: Do Mr. and Mrs. Mori have a collection of contemporary art?

D.E.: No, a few things but not so much contemporary work. He has a big collection of Le Corbusier paintings, drawings, models, sculptures, photos, tapestries, and books. Le Corbusier influences his ideas about urbanism. Whether the Museum builds a collection, we will not decide that until couple of years’ time. If we do we will build it from scratch entirely with contemporary art.

A.O.: What do you think about Japanese contemporary art?

D.E.: There are plenty of good artists but there is not much support for them. There are too few collectors and Museum budgets have been cut so they do not buy so much. This can be discouraging so that many artists give up in their middle thirties and spend more time supporting themselves. But I think that there is a lot of potential. A lot of young woman photographers are very strong. The new magazine called “Foil” is very good.....

A.O.: What is the Mori Art Museum’s main idea?

D.E.: The first thing we want to do is to concentrate on the links between art and life, and by doing this I think we can help people who are not artists understand what artists are doing and where art is coming from. The other thing is that without the link between art and life being there the whole process of making art would be totally meaningless. A lot of people think that art comes from outer space. But that isn’t true. The second thing we want to do is to provide a platform to show the work of Japanese and Asian artists, designers and architects. The third thing that I’m trying to do is to stimulate critical dialogue about what is good or what is bad about contemporary art and culture. What is culturally valuable? Market value and cultural value are not the same things. What are they? How is cultural value different? How do we determine it? Not everybody has to agree on everything.
Our first exhibition will be called “Happiness: a survival guide for art and life", and will cover 150 artists, mainly contemporary, but also mixing in historical material. It goes back to fifth century China and includes works from China, India, Japan as well as U.S.A., Germany and Britain. Happiness is one of the few things that every one has some idea about.
We want to look at different forms of happiness over this long period of time. The first part is ‘Arcadia’, the second ‘Nirvana’, the third idea ‘Desire’, the fourth ‘Harmony’. Finally we hope that when people see the show they will ask themselves the question “what is happiness?”
I spend also much time thinking about the2nd exhibition called “Roppongi Crossing: New Visions of Contemporary Japanese Art 2004". We have asked five guest curators to come together to nominate 120 artists and then to reduce this through discussion to between forty and sixty works that will be exhibited . The show will actually represent what is going on now in Japanese culture. We will do this every three years.

A.O.: I think, it is not easy to do a subversive exhibition with several curators together.

D.E.: In Roppongi Crossing, we got five curators together and really negotiated the show together. We spent two-three days just talking about what we all thought was the best. I think this is a very valuable process.

Student: For you, what’s the best museum in Japan?

D.E.: The Mot is in a bad location and has a difficult building but it has done some good shows. I have never been to Toyota City Museum but everybody says that it is a beautiful building and has a good collection of western art. I like Kawamura Memorial Museum of Art, and also the Museum of Modern Art, Kamakura.

A.O.: If foreigners come to Tokyo, they will visit Mori Art Museum. We had a talk with Mr. Yoshiharu Fukuhara, Director of Tokyo Photography Museum and ex-president of Shiseido. He said that in Tokyo there is no principal Museum like the Louvre or Metropolitan, which all foreigners visit.

D.E.: People naturally go to visit the National Museum in Ueno. Taniguchi’s Horyuji Temple Museum there is really beautiful as a building. I will tell the people to go when they have nothing to do with contemporary art to the Nezu Museum, because it has a fantastic garden in Aoyama in the middle of Tokyo. It’s really great. I never expected that.

A.O.: Thank you very much.

(edited by Jang Yoon Sun)


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