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museum 熊本市現代美術館/Contemporary Art Museum, Kumamoto
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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
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インタビュー

南嶌宏×岡部あおみ

日時:2002年9月11日

01 熊本市中心部の都市開発の一環

岡部あおみ:南嶌さんが熊本で仕事を始められたのは何年前からですか?

南嶌宏:2000年の4月からになりますから、2年半経ちます。

岡部:そのころから、熊本市で現代美術館構想のプロジェクトが始まったわけですか?

南嶌:もともとは平成5年に日展の理事長で芸術院会員だった井出宣通という方がいらっしゃって、ご遺族が隣町のご出身なんですが、熊本市がその方の作品の寄贈を受けました。そこで前の市長の時代に、個人美術館をつくる機運になったのですけれど、結局、市民の中から個人美術館はもういらない、県立美術館はあるし、やるなら新しいところを対象にするような美術館をつくってほしいといった見識が出され、井出先生の美術館は一旦、立ち消えになったんです。
今度はまったく別の次元で熊本の真ん中に、再開発が浮上しました。ここは地元の熊本日日新聞社の社屋があったところですが、それが郊外に移った。ホテルNikko、その隣に地元で一番大きな高島屋系列の鶴屋というデパート、そういったブティックが入るといった地域活性化の面で、市も協力してくれないかということになり、「美術館」のような文化施設を建てる思い切ったアイディアが出てきました。これには勿論賛否両論があったそうです。美術館はやはり郊外にあったほうがいいという意見もあったり。ですが、思い切って現代美術館をつくろうということで田中幸人さんと僕がこちらに来ることになりました。

岡部:田中さんも2年半前からこちらにいらしていたのですか?

南嶌:はい。一番初めに話をもらったのは、4年くらい前です。だけども僕は全然、美術館に戻る気がなかったので断っていたのですけれども、田中さんからぜひやってほしいと言われ決心してこちらに来ました。

岡部:そのときから、コンセプトとして、現代美術館と決まっていたのですか?

南嶌:今から思えば、はじめはなんとなくの「現代美術館」でしたが、幸人さんに相談しながらですが、ほとんど私が決めました。

岡部:南嶌さんが最初にその現代美術館の全体像を構想なさったとき、市の中心という立地条件でもっとも大事なことは何だと考えられましたか?

南嶌:美術館だけではなくて、日本の教育界が、いまだ白樺派の夢の中にいるような感じがします。確かにノスタルジックな美しさは白樺派にはあるのだけれども、森の中かだとか、静かな環境だとか、隔絶されたある特権化された場所に、「文化」とか「美しいもの」があるという信仰が続いている。そういう美術館があってもいいですが、文化とは実はわけのわからないような場所から出てくるものでもあり、そういう意味で、都市のど真ん中にある熊本市現代美術館のような美術館があってもいいのではないか。熊本は保守的な土地柄だといわれていますが、こうした美術館の設立は大きなチャレンジで、英断だったと思います。すばらしい考えだったから、お引き受けしたというのがひとつの大きな理由でした。

岡部:繁華街の中心ですが、この熊本市現代美術館から歩いて行かれるところに熊本城址もあり、そこにもともと県立の博物館や美術館の施設がある。そういう立地から言えば、この場所は文化の中心地でもありますね。

南嶌:それだけしかないと言えばそれまでですけれども、相互にうまく機能すると思います。県立美術館はすでに25年以上は経っていて、内容は古代から現代まで扱っています。科学博物館もあり、散策する場所もあって、しかも商店街もある。新たな町のポテンシャルが現代美術館の設立によってさらに浮上してくるのではないでしょうか。


南嶌宏氏
© Contemporary Art Museum, Kumamoto

02 ボランティアによって支えられる美術館という「売り」

岡部:今回の興味深い開館企画展『Atittude 2003』は南嶌さんが全部ディレクションなされて、これからもほとんどの展覧会の企画をご自分が中心にやっていかれるおつもりですか?

南嶌:できるだけ企画中心で、自分にできないテーマは、ゲスト・キュレーターを招いたりして実現したいと思います。内容によっては新聞社から企画を買うこともあるかもしれませんが、それは僕の専門外の企画で、なおかつ市民に見せたいと思う企画ということです。

岡部:学芸員は現在何名いらっしゃるのですか?

南嶌:僕を入れて6名、あと2人がアシスタント、全員で8名です。ただ300人近いボランティアさんがいてその方々が本当によく協力してくれます。その人たちがいなければ成り立たない美術館です。多くのボランティアさんの力を必要としているし大きな効果を挙げています。

岡部:8人のキュレーターの人たちのなかにボランティアを束ねている担当のスタッフがいらっしゃるのですか?

南嶌:ええ、ひとりが担当していますが、ボランティアさんの中にボランティアリーダーが5、6人いて、その人たちがボランティアをまとめているという状況です。

岡部:階段などに生けられているすてきな「生け花」までもボランティアさんの活動というのはすごいですね。

南嶌:お花だけではないんですよ。この美術館は夜8時まで開館していて、毎日7時から45分間途中休憩をはさみますが、ピアニストボランティアという人がいまして、この人たちがピアノを弾いてくれます。これはすごく評判が良いです。お金のためではなくて社会貢献をしたいという方々の欲望を、美術館はうまく使わせていただいているんですけれども、自己表現ができるとか、社会還元ができるという、何かに役に立つ活動はもっと美術館を使ってできると思います。

岡部:美術館はかつては何かを見るだけの場所と認識されていましたけども。

南嶌:それがこれからは観客が参加してみんなで一緒に「つくっていく場所」になるわけです。

岡部:最初からそうした方針でなさっているので、他の人々もなんとなく見ていて、自然な気持ちで参加していかれるわけですね。

南嶌:そうです。たまたま見たり聞いたりした人が「私も弾きたいんですけれども」とどんどんボランティアで来てくれるし、お花もいろんな先生方が流派で争うわけではないのですけれども、嫌々ではなくてウズウズしてやってくれている。ゆくゆくはメインのギャラリーを使って、大きな生け花の展覧会を企画するつもりで、すでにストーリーができているというわけです。単にひっぱってきて「やってよ」というボランティアではない。みなさんが積極的に参加してくれてつくられてゆくボランティアです。

岡部:ピアノの演奏と生け花以外にはどんなボランティア活動を期待されているのですか?

南嶌:あとは通訳のボランティア、それから海外から、今回の展覧会なども評論家なども含め20名近い人が来るのですが、その人たちに美術館では一週間くらいの滞在費は出せるのですが、もう少し熊本にいたいというときのホームステイ・ボランティアも喜んでやって頂いています。写真とヴィデオをとっていただたり、ちょっとしたチラシのデザインをやってもらうアートスタッフボランティアもいます。短大で美術をやっていたとか、昔デザイン会社で働いていたという人たちが、なかばプロの仕事ですがそれを全部やってくれます。今まで眠っていた人材をどうして活用してこなかったのだろうと思うほどです。美術館にはいろいろ手伝ってもらいたい仕事はたくさんありますから。

岡部:美術館にいろんな形でいろんな角度から積極的に親しみをもっていただく窓口にもなりますよね。

南嶌:そうです。しかもその人たちは美術館のことをよく見てくれていますから「こういうふうにした方が良いと思いますよ」などと言ってくれるわけです。僕たちも謙虚に聞き改善していくというような、いろんな効果と意味があるんですね。

岡部:ボランティアさんとの新たな関係の開発は最初から手がけたいと思われていたのですか?これまで広島市現代美術館での学芸員のご経験などを踏まえて、そうしたいと思っていたのでしょうか?

南嶌:そうです。要するにキュレーターが展覧会をやるわけですが、僕らにできないことも多くある。僕らにしかできないという意識も大事だけれど、自分たちにできないことがたくさんあるという感覚を忘れてしまってはだめなんです。いろんな才能をもった人材が世のなかにあふれているわけです。そういう力が働き、これまでともすれば冷たくなっていた都市の体温を、モノが、人間が動いて、街の体温を上げてゆくという効果が絶対ありうるのではないかと思いました。特に地方都市はその可能性が強い。東京でボランティアをやるのと、熊本でやるのとでは意味が違う。でも、こんなに大勢の人数が集まるとは思っていませんでした。


ホームギャラリー
© Contemporary Art Museum, Kumamoto

03 「人間の家」が美術館

岡部:これから生け花の展覧会もしたいとおっしゃっていて、そういう意味でアートの概念を既成の現代美術の概念とは違う方向に持っていきたいと考えられているということですか。

南嶌:「現代美術館」となっていますが、「現代」とか、むしろ「美術館」という言葉さえなくてもいいわけです。美術館の建築自体も、コンセプトを「人間の家」と僕自身が作り変えてしまった。建築家批判という思いもあったのですが、「人間の家」ならどうなるのだろうかという自分自身への問いかけへの答えが、美術もあるだろうし、音楽もはいってくるだろうし、書物などもはいってくる。さらに、人間の喜びや悲しみをここに持って来られるような場所づくりですね。今までの美術館は喜びだとかきれいなものだけで語られてきたわけですが、人間はそんなに調子よくできている存在ではない。むしろ、ほとんどの人がつらいことを背負って生きている。それが人間だと思うんです。そういうものをすべて受け止めることができない場所でなかったら、美術館なんかいらないと思った。それがまず出発点です。今回の展覧会も美術作品もあるけれど、そうじゃないものもある。まさしくそうした現われで、人間は人を愛するけども殺しもする。そこまで認めないと美術なんか語れないと思います。芸術家という存在もたぶん理解できない。全部受け止めるところから場所をつくったり、美術館をつくったりするという考えが一番大事なんではないでしょうか。

岡部:さて、「人間の家」美術館の運営ですが、予算はすべて熊本市から出ているのですか?基本的に企画費と購入費とに分かれているのですか?

南嶌:そうです。2002年度は10月に美術館がオープンしましたが、3つの事業費で1億円をつけていただきました。最初はコレクションをしない美術館ということになっていましたので、僕がここに来てから、購入費は基金として5億円を積み立てていきました。使った分を補助していただくかたちになっています。僕は水戸芸術館のようにコレクションがないならないでいいと思っていたので、それほどこだわってはいなかったのですが、市の方が本当にがんばって予算をつけてくれて感謝しています。ですから、よけいにすぐれたコレクションを作り上げたいと思っています。

岡部:今後の収集方針はあるのですか。こういう範囲のこういうものを集めたいということなど?

南嶌:購入は世界と日本の現代美術と熊本あるいは九州の美術の3本立てです。ただ前者2つは原則として2000年以降の新しいものを集めていこうと思っています。その年の国際展だとかの発表でいい作品を購入しようと思います。事業費はもちろん別ですが、今回のような大規模な展覧会はなかなか出来ませんから、年間でおそらく1億円が限界でしょう。ひとつの企画展予算が2000万円弱くらいですね。

岡部:収集予算も1億円ということですね。

南嶌:これには市に本当に感謝しています。

岡部:例えば、映像とか、購入作品のジャンルにはこだわってはいないのでしょうか。

南嶌:基本的にはジャンルでは考えていません。結果的には映像が多くなるということになるでしょうけども。

岡部:最初は購入を考えていなかったとなると、収蔵庫の問題はありませんか?

南嶌:あります。すでにこれまでに市役所で持っていた作品も管理しなければならないので、その作品ですでにいっぱいなんです(笑)。だからといって、映像のDVDをめざすというわけではありませんけど(笑)。


宮島達男の作品
© Contemporary Art Museum, Kumamoto

04 やりたいことの3分の1をきっちりやる

岡部:子ども向けのキッズファクトリーの活動は学芸員の教育普及の人が行うのですか?

南嶌:赤ちゃんから対象にしていて、企画はおもに僕が立て、学芸員2人に担当してもらっています。岡山直之さんの企画の時には、3ヶ月から5ヶ月の赤ちゃんをごろごろ寝かせてお母さんたちには部屋から出ていってもらって、人生について話してもらうというパフォーマンスをプロデュースしました。生まれたての赤ちゃん、またはお母さんのお腹のなかにいる赤ちゃんに語りかけることもやるかもしれません。直接効果はないかもしれませんが、そういうことをやる美術館だというメッセージが大事なのです。絵を描くということだけではなくて、今までの自分の存在がすこし広がるような企画をやっていきたいわけです。

岡部:今のところ、南嶌さんのなさりたいことはすべておやりになれていますか?

南嶌:いいえ。やりたいことの3分の1ですね。もちろん、建築をデザインし直せたということには満足していますし、開館記念展で国際展ができたということもうれしかった。でも3分の1。しかし、その3分の1をきっちりやろうということです。本当にやりたいこととなると、それはもうほとんど法に触れるような、ドストエフスキー的世界の話になってしまいます。いくらなんでも公立の美術館では不可能でしょう。ただ、ひとつひとつの企画には、そうしたレヴェルの問題につながるような片鱗を必ずちらっと見せたい。
それに、この美術館の特色のひとつは、開館した公立美術館で初めて「インターナショナル・アドバイザー制」を採用した点です。この20年近く、海外をとぼとぼ歩きながら、出会い、大きな刺激を与えてくれたキュレーターや研究者たちにお願いして実現したもので、2年毎にメンバーは変えていくのですが、有名な美術館のだれだれではなく、私にとって、一番信用できる仲間たちをそろえることができたことが重要です。時間とともにこのネットワークを世界に広げていきたいと思っています。

岡部:開館展には、東京からも大勢来られていますか?

南嶌:おかげさまでオープニングということで来てくださっています。企画は賛否両論ですけれども来てよかったとは言ってくださいます。

岡部:これから金沢市にも21世紀美術館ができたり、東京だけではなくて中国地方には広島市現代美術館があり、九州では福岡アジア美術館とこの熊本市現代美術館ができ、水戸を加えて、現代の流れが全国に広がりつつありますね。

南嶌:ただ、今までの既存の美術館はかわいそうな面があります。動きようがないですから。東京中心という構造はすでに壊れていますし、逆に熊本みたいにある「距離」をとれるということが、これからひとつのキーワードになってくると思うんです。「より遠くに離れろ」。これは世界をはっきり見るためには重要な要素です。これまでは「さあ、できるだけ、近づけ!」ですからね。中心へ、中心へ。いろんな意味で熊本での現代美術館のプロジェクトは条件がそろっていたという感じがします。遠くにあって、しかも、保守的だと思われているような場所に現代美術館をつくるということが、僕にとってはとてもおもしろい体験になっているわけです。

岡部:新たなコンセプトの建築の導入で熊本を変えてゆくという熊本アートポリスのプロジェクトとはまったく別なのですか?

南嶌:アートポリスは県のプロジェクトで、こちらは市のプロジェクトです。

岡部:アーティスト・イン・レジデンスの活動はやっていらっしゃらないのですか?

南嶌:むずかしいところですが、街の中の学校は過疎化で子どもたちが減り、空教室がたくさんある。そこをアトリエにして、子供たちにも教えてもらうということも考えましたが、まだまだ管理問題がたくさん残っています。アーティスト・イン・レジデンスではないけれども、今回も海外からのアーティストが来たときに、展覧会だけではなくて、十数箇所の学校に行ってアーティストトークを行い、それぞれの学校で訪問アーティストの国のことなどを調べて質問したりもしました。美術だけはなくて、作家はアーティストであると同時にひとりの人間で、その国の人ですから、そういうものをいろんな面で広げるようなことを手がけたいと思っています。

岡部:これからの抱負はありますか?

南嶌:苦労して作ってよかったと思っています。もちろん、勝算のないものは作りませんが。でも、これからです。今後の大事なイメージのひとつは人生を苦労して歩んできたお年よりがこの美術館にきて、展覧会は見なくてもいいから、ここのホームギャラリーのようなところで毎日おしゃべりするような、そんなたまり場所になるといいなと思っています。その横で孫のちびちゃんたちが遊んでいて。今、実際にそういう場所になりつつあります。誰もがいつかは死んでゆくわけでしょ。とすれば、本当に誰かと、あるいは何かと「出会う」ということは、ものすごいことだと思う。一枚の絵と出会うなんて、ものすごい意味がある。ただ僕たちがそれに気づかないでいるだけ。それは本当に神秘的な体験なわけですよ。そのことに気づいたら、人に触れたりするときにも言葉を選ぶし、もっと丁寧に触れ合うようになるのではないかといつも思うんです。美術館に来てくれる人も、いつかは死にゆく存在だと思ったときに、どんな質感の美術館が求められるのか、そうしたことを忘れない美術館に、いや「人間の家」にしたいと思っています。

岡部:ありがとうございました。


キッズサロン
© Contemporary Art Museum, Kumamoto

(テープ起こし担当:白木栄世)


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