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museum 国立国際美術館/The National Museum of Art,Osaka

国立国際美術館外観
Photo Aomi Okabe








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イントロダクション

 2004年11月、大阪の中ノ島に国立国際美術館が移転、マルセル・デュシャンの展覧会で華々しく新館オープンを果たした。独立行政法人化を機会に、教育普及による学校や市民との連携を深め、新たな方向性を打ち出すために、かつてこの美術館の研究員を務め、多摩美術大学で長年教鞭をとった建畠晢氏を館長に迎えた。
万博公園の奥深く、30年以上もの長い年月、国立国際美術館はひそやかに、だが、したたかに活動してきた。「とんでもなく遠い」「誰も行かない」と喧々囂々の非難を浴びながらも、いわば、アートのユートピアを創ってきたといえる。その歴史はとても豊かだ。「70年大阪万博」という日本の文化と歴史のターニングポイントに根ざし、その記念となる建造物を使用するといった特異な立場に「守られて」成立した美術館だった。
同じ万博公園にある国立民俗学博物館とは違い、国立国際は現代美術が中心なので、都市や観客と日常的に直結していないかつての距離感が、とてつもなく遠い感覚をかもし出していた。むしろ、観客からも、行政からも、半ば諦められ、特殊視され、もともと動員できるような便利な立地ではないといった地理的条件が、かえって独特のリズムをもつ活動の解放区を生み、個性を重んじる伝統を育んできたともいえる。現役の実力派の学芸員をはじめ、すでにここから巣立っていった旧学芸員の人たち、たとえば、故中村敬治氏、建畠晢氏、尾野正晴氏も、みなじつに強固なアートへの視線をもつ、そうそうたる顔ぶれである。
島淳彦氏も、絵を描くのが好きだった理工系出身という変わり種。パリにメディア・アートなどの研究調査に来られたときにはじめてお会いしたので、メディア系の先駆的学芸員のように刷り込まれてしまった。だが、いやいや、カバー範囲はずうっと広い。後に大浦事件へと発展する展覧会の担当だったというつらい経験を、自分のなかではまだ解決できずにいると正直に語れる人である。かつての若手学芸員、島氏も、大阪の市内に移ってからは、今では館長を除いて、もっとも古株になってしまったという学芸課長だ。
中之島の新館は、展示室の規模としては旧館とそれほど変わらないというが、大阪市立科学館敷地内に、今度は、地下1-3階という地中の奥深くに位置する。市内でもアクセスがとびきりいいという場所ではないが、歴史の香りが残る大阪の一等地、開かれた都市型美術館への新たな歩みが開始した。
これまで育んできた重厚な個性を、やわらかな市民ネットワークの構築で、どのように受け止めてもらえるようになるのか、今後の活動が楽しみである。

(岡部あおみ)



千里万博公園にあった旧国立国際美術館
Photo Aomi Okabe