日時:2001年6月5日 富山県立近代美術館からキャリアをスタートされ、現在、国立国際美術館の学芸員をされている島敦彦氏に、現代美術を扱う公立美術館の実情、富山時代に経験された大浦コラージュ事件などから美術館行政の問題について尋ねました。
岡部あおみ:展覧会の企画やコレクションの予算は、国立国際美術館は大体どのくらいおもちなのでしょうか?
島淳彦:展覧会経費としては、大体年間4千万円。展覧会経費が少ない分、購入予算としては1億から2億円くらい、比較的ありますね。県立でも1億くらいもっているところありますが。
岡部:コレクションに力をいれているということですね。
島:そうです。ある程度、作品購入予算があるので、現存のアーティストはやりやすくなっています。展覧会を開催し、その中で作品を購入することで展覧会を成立させているという面があります。特に新作を出してもらうケースが多いので、結局展覧会をやった中でいいものをできるだけ残していこうと。それが美術館の歴史にもなるし、アーティストにとってもいいと思います。
岡部:コレクションの中でこれが必要だとか、この辺を充実させたいとか、新しい若い人たちを買いたいといったコレクションの構築からだけ考えるのではなく、美術館独自の企画展活動の軌跡にするわけですね。若い人たちの作品は、どのぐらいの年代から買えるのですか?20代前半の作家の作品でも購入できますか?
島:基本的には、展覧会をやった人たちは原則として購入していいのじゃないかというのがあります。インスタレーションの展覧会だと買うわけにはいきませんから、その場合はドローイングを買ったりします。30代くらいの人たちも買っていますね。基本的に、他がやっている同じ事をやってもしょうがないじゃないかという考えもあるので、例えば奈良美智さんが人気あるからやるというのではなくて、自分達個々人の興味関心を大事にして、今この人たちに興味があるとか、ここ4・5年みていてこの人は是非やったらいいというのはできるだけ優先していきたいですね。
岡部:島さんご自身は、最初は富山の近代美術館でスタートされたのですが、富山近美は今はどうなのでしょう。
島:80年代の前半は東野芳明さんがまだお元気で、東野さんがいろんな形で肩入れをしてくれた時期でした。さまざまな形で活性化していた時代です。でも、ゲストキュレーター的に東野さんが来てくれても、中にいる職員が積極的に動かなければ企画は、巡回展とか、毎年やる企画をこなしていくという形になってしまいます。いまひとつ精彩を欠いてきたのじゃないかなと・・・。90年代以降もそれなりの活動は当然、継続してはいますけど、改めて行ってみようということにはなかなかならないですね。
岡部:富山近美では「大浦コラージュ事件」という天皇制にまつわる表現の問題が起きましたよね。
〔大浦コラージュ事件概略:1986年、富山県立近代美術館では大浦信行氏が制作した『遠近を抱えて』(10点版画連作)のうち4点を購入。6点の寄贈を作者に要請し、10点を収蔵。 同年3月から4月にかけて、同作品は『86富山の美術』展に展示される。展覧会終了の後、この作品に昭和天皇の肖像が使用されていたことが起因し、同年、6月県議会で、自民・社会両党議員、さらに県内外の右翼が作品を不快であると批判した。 この批判を受けて、当時の館長、小川正隆氏は作品の非公開、カタログの販売停止を決定した。 1993年4月、富山県は突如、作品を匿名の個人に売却し、カタログを全て焼却する。 1994年以降、作品の買い戻しとカタログの再版を求めて、富山地裁、金沢高裁、最高裁において提訴が行われたが、最終的に大浦側の敗訴が決まり、現在においても根強い天皇制をめぐる表現のタブーを露呈させた。(『富山県立近代美術館・全記録』(桂書房、2001)で事件の経緯を参照できる)
島:僕はあの時担当で、大浦さんも良く知っています。裁判で最終的には負けたのですけど。あの問題は、富山近美の学芸員として、そしてそこをやめて今国際美術館の学芸員としていても、どういうかたちでこの問題をとらえていいのか、未だに僕としては解決ができていません。自分のトップが非公開、あるいは図録の焼却というのを命令して、図録を焼却したときにはもう僕は富山にはいませんでした。天皇版画を非公開にするという措置をトップの見解として出した時にはまだ同じ職員としていましたが・・・
岡部:トップというのは教育委員会の委員長とか知事とかそういう方々ですか。
島:そうですね。館長などとの全体の協議で決定したのですけど、決定された以上内部で反対ののろしをあげたところで・・・
岡部:そうした決定に、学芸員が何もいえなかったというのはおかしいですね。
島:内部ではいずれは公開しようという声はありました。僕はそれに非常に期待していて、こんなこと続けていてもどうしようもないからガードマンなり何なり雇って特別閲覧をしてみせていくほうが結局いいのではないかっていう話が、ある時期まできていた。これは何とかいけるのじゃないかというところに、今度は人がかわったりして・・・ 教育委員会の方針とか、いろいろな関わりの中で決まっていくものですから。
岡部:最終的には強硬な判断をしましたよね。現代美術では、ある意味で反体制というか現状批判のようなメッセージをこめた作品が多いわけですし。国立国際美術館ではそういう問題はこれまでなかったのですか。
島:ないほうがおかしいくらいなのですが、今のところないですね。ただ富山でなぜああいう問題になったかというと、議会で問題になったことを新聞の社会面が取り上げたのですね。同じ展覧会が、確かギャラリー山口という銀座の画廊であり、そういうテーマでやる事も文化欄にでていた、。ところが文化欄でみても誰も関心を示さなかったのです。それが社会面となると右翼をはじめ、いろんな方面で反響を呼んだのですね。文化欄で物事がすすんでいる間は・・・なんていうか、やっぱり文化は政治、社会といかに別れているかということがこうしたことからもわかるわけです。
岡部:そうした隔離も問題ですが、文化欄は一般の人たちが読まないし、何があってもあまり関心をもってくれないということですね。かつての大浦さん以上かもしれないほど、最近アーティストも大胆にやっています。それが問題になっていないのは、社会と文化に隔たりがあり、また文化欄にさえ、とりあげられないからかもしれません。
島:そういう気がしますね。美術館の枠内でおさまっている限りは、社会になげかけるメセージもなかなか浸透はしていかないですね。
岡部:地方自治体の美術館にいらっしゃって、国立に来られたわけですけど、両者の違はおもにどういった点でしょうか。
島:大きい違いは県立にいる場合、県出身者とか県にゆかりのある人をベースにしなければいけないというのがあります。そういう視点が欠かせないのですが、国立の場合は基本的に地域性にとらわれない。まったくないわけじゃないのですが、たとえば京都の国立近美は日本画・工芸を重視したりしていますので。ここ国立国際美術館が国立のなかでも一番自由だと思います。ただ大阪には府の美術館も、市の美術館もないので。
岡部:地域的な役割もある程度カバーしなければいけないということですね。
島:ただ、いずれ市の美術館が国際美術館の隣にできますので、実質的には我々は大阪の地域性にとらわれなくてもいい。もちろん関西エリアの注目されるアーティストがいれば個展をやったりしますけど、配慮としてではなく、恒常的にみていくうえでアーティストを選んでいるということです。
岡部:ピックアップするときにエリアにこだわらず、長い目で見ながら自由にやっていけるのはいいですね。大阪の中心にある中之島に、新たに国立と市立の美術館が二つ並んで設立され、複合的な活動の場ができるのは、おもしろいし刺激的ですね。
島:新館に移動しても、国立国際はできるだけ身軽にいこうというふうに、みんなで話してはいます。
島敦彦×岡部あおみ
場所:国立国際美術館
01 企画展活動とコレクションの連動
国立国際美術館内観
Photo Aomi Okabe
国立国際美術館内観
Photo Aomi Okabe
02 大浦コラージュ事件はいまだに未解決
03 国立と公立の相違:国立国際は身軽に行きたい
(テープ起こし担当:笠井大介)
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