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museum 霧島アートの森/KIRISHIMA OPEN-AIR MUSEUM
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
掲載情報の無断使用、転載を禁止致します。

インタヴュー

立元史郎(学芸課長)・宮薗広幸(学芸員)×岡部あおみ

日時:2003年1月12日

01 作品に乗っても触ってもよし

岡部あおみ:霧島アートの森がオープンしたのはいつですか?

立元史郎:2000年10月です。

岡部:鹿児島県の構想と予算で建設されたのですね。この場所に設置することに決めたのは、何か理由があったからなのでしょうか。

立元:すぐそばに「みやまコンセール」という県の音楽施設があり、霧島国際芸術の森構想という大きなプロジェクトの一環として、県が建設したわけです。

岡部:建築はどこが担当なさったのでしたか?

立元:東京の早川邦彦氏の設計です。

岡部:コンペか何かで?

立元:そうですね。プロポーザル方式で、全国から来たものを県が選んだわけです。

岡部:スタッフは全部で何人いらっしゃるのですか?

立元:学芸員は三人で、県から二人と財団が一人。職員は県からが副館長と総務課長を入れて4人です。財団所属が女子職員一人と、私を入れて二人です。それと地元では、町からの職員が監視員や受付として入っています。

岡部:広々とした野外の庭園があるので、そこの監視は監視員だけではなく、カメラでもなさっているのですよね。

立元:何台かあります。でもどちらかというと作品を監視するより園内の人の動きを見なければならない。例えば、閉園しても残っている人がいないかどうか。あとは倒れている人がいたら大変だし。

岡部:今までにそういったことがあったのですか?

立元:いや、トラブルは今のところ何にもない。なぜかと私も不思議に思ったのですが、まず、こういう屋外で一日過ごそうというとき、病気の人はまず来ない。ですから皆さん天気予報を見たり、服装もスニーカーだったり、準備万端といった感じで来られます。車椅子の方も多いです。

岡部:ここはバリアフリーですね。

立元:はい。そういう方たちが来られるのはあまり予想していなかったのですが、まさしく元気を貰おうといった、今いう癒しの空間なんですね。芝生で食事もできるのでハイキングみたいにご飯を買って食べている方もいらっしゃるし、作品に乗っても触っても写真を撮ってもいい。でも野外が自由なせいで、屋内に入っても騒いだりする方がいて、やかましいといわれたりもします。

ダニ・カラヴァン『ペレシート』photo Aomi Okabe

02 ドライブがてら温泉がてらに10万人

岡部:開園の年はどこでもそうですが、かなり大勢の来場者があったのではないですか?

立元:最初の年もそうですけど、毎年来場者は増えていまして、去年よりも今年のほうが多いです。

岡部:最初はあまり知られてなかったという話をお聞きしたことがあります。

立元:それもあったかもしれませんが、ここはアクセスが不便ですから。

岡部:バスはないのですか?

立元:バスは地元の町内を回るバスしかないですね。鹿児島市に住んでいる方はマイカーで来られたりしてます。

岡部:実際に人はどれくらい入っているのでしょう。

立元:年に10万人くらい、月に直すと1万弱ですね。ここは案外多いのですよ。

岡部:県民の方が多いのですか?

立元:熊本も宮崎も福岡も、いろんなナンバーの車が来るんです。近くに温泉があり、温泉がてらどこかへいくのにいいということで、中年の方たちにもマッチしました。

岡部:家族連れが一番多いのですか?

立元:家族連れも、カップルも多いです。シーズンによって違って、日曜日はファミリー。平日は中年の方が、後は高齢老年の方も多いです。

岡部:そういう方は主に観光バスで来られるのですか?

立元:観光バスも来ますね。東京から日帰りで来る方もいらっしゃいますよ。

岡部:観光で回るとすると、ここを見てから鹿児島市立美術館をみて帰るのでしょうか?

立元:そうですね。飛行場がその近くにあるので、レンタカーを借りてそういう風にする方や、今は、熊本市現代美術館と一緒に回る人もいます。アクセスがあまりよくないので、平日は100人弱、日曜日は400人位かと推定して割り出した数が、年間6万人だったのですけど、予想を越えました。かえって車で来るようなところだから良かったのかもしれません。駐車場もあるし、ドライブがてらにここまで来るのもおもしろいのでしょうね。あとは、お分かりだと思いますが、ここは非常に自然が豊かで、植物が200種類くらいあり、野鳥は80種類もやってくる。鹿や猪も出てきたり...

岡部:出てくるんですか?

立元:出てきますよ。それにあとは昆虫。結局こういったプラスアルファが魅力なのでしょう。

チェ・ジョンファの『あなたこそアート』photo Aomi Okabe

03 森のネットワーク

岡部:箱根に彫刻の森がありますが、市街に近いし開けているから、ここほど動物は出てこないでしょうね。

立元:そうですね。箱根と、あと札幌芸術の森の3館で「森のネットワーク」という連絡会を作っているんです。企画展を一緒にやるとか。今度も3館同時に企画を立ち上げようという話があります。日本の南、北、中央の「森」ですから、非常に面白い。

岡部:連動できますね。3館ともオープン・エア・ミュージアムという点が共通しているわけですが、野外展示だと、風雨による風化や酸性雨などに対するメンテナンスは大変ではないですか?

立元:メンテの部分なども、森のネットワークでお互いにどういう薬を使っているかなどの情報交換ができます。私どもは新参者なので得るものばっかりですが。

左:オノ・ヨーコ『絶滅に向かった種族』photo Aomi Okabe

04 霧のカラバン、紅葉のゴームリー

岡部:ここで一番魅力的なのは山と森の雰囲気ですね。そうした環境のすばらしさを十分に生かしたダニ・カラバンの作品がすごく好きです。トンネルのように突き出た鉄の方形のなかから景色を見ると、異次元の美しさがある。

立元:カラバンの作品は夕方もいいです。夕日が山の向こうに沈むとき、真っ赤になって、あのガラスの中にピッと入る。

岡部:ちゃんと計算して、そうなるように配置してあるわけでしょう。

立元:そうですね。西向きに造ってある。あとは、霧の時もいい。

岡部:ただ鉄板のなかを歩くので、夏は暑くなりません?

立元:いえ、ここは標高700mですから、夏涼しくて、非常にさわやかです。

岡部:竹元さんご自身は、個人的にどの作品が一番お好きですか?

立元:私はゴームリー。季節にもよるのですが、木々の木漏れ日が作品にあたるような時期は、ともかくすばらしい。あそこにはもみじが植えられているので、紅葉のときがまたとってもいい。彫刻の高さは1m93cm、ゴームリー自身の背丈と同じで、周囲の木々と似た形にして隠れるような感じに設置してある。

草間彌生 『シャングリラの華』photo Aomi Okabe

05  人が倍くれば、すべてが倍必要

岡部:まだ開園したばかりですが、もし 10年経って改装や改造ができるような予算がついたら、真っ先に変えたいと思われるところはどこですか?

立元:こんなに人が沢山来てくれるなら、建物はもっと広くして欲しかったですね。展示室、会議室、教育施設など。最近はワークショップも非常に多いですから。スペースが足りないので、庭にプレハブを作ったんですよ。これはうれしい悲鳴ですけど。最初はそんなに人が入らないと思っていましたから。

岡部:うらやましい悲鳴ですね。みなさんがワークショップなどに積極的に参加なさるようになったという時代の問題もありますし、参加型ミュージアムは人気があります。

立元:うれしい誤算です。それで要望のほうもますます膨らんでくるわけですけど。他の美術館などでは、あっても使われていない施設があるなかで、ここでは全部がフル回転している。当初の推定5〜6万人なら対応できても、来場者が倍になれば、すべてが倍必要になりますよ。

青木野枝 『無題』 photo Aomi Okabe

06 鹿児島県の学芸員はみんなもと教員

岡部: 宮薗さんは霧島アートの森が初めての学芸員生活ですね。鹿児島ご出身ですか?

宮薗広幸:そうです。鹿児島県の場合はもとはみんな教員ですが。

岡部:教員にならないと学芸員になれないというシステムなのですか?宮薗さんも最初は学校に務めてらしたの?

宮薗:私は高校の美術教員でした。みんなどこかしら小学校か何かの教員になってるんです。県内で学芸員を目指す人にとってはそうなります。鹿児島県の博物館職員は考古学も民俗学も歴史もみな教員から、あてるようになっているようです。

岡部: 教育委員会が採用するのですね。あるいは希望を出せるとか?

宮薗: 私の場合には、希望というのではなく、教育委員会から県の文化新興課に出向しているわけですね。

岡部: 回されるのであれば、学芸員になりたくない人もなったりするわけですね。

宮薗: そうかもしれません。でももともとそういう資格を持っているわけですから、言われたらやるしかありません。

岡部: 名刺をいただいた濱元良太さんのタイトルは学芸専門員でしたが、宮薗さんは学芸員です。どこがどうちがうのでしょう。

宮薗: この名称は専門分野で来ているということだろうと思います。あと濱元さんはもと中学校教員ですが、これから学芸員資格を取得するわけで、私とは少し境遇が違います。

岡部: 宮薗さんは武蔵野美術大学出身だと伺いましたが、何を専攻なさったのでしょうか?

宮薗: 彫刻です。芸術文化学科の創設にかかわられた田村善次郎先生(2004年に退官)の民俗学をとっていまして、博物館実習などで田村先生からいろいろ教わりました。田村先生のゼミで、民具の実測図を書いていたので、学芸員の方をとったんです。

07 企画展の魅力で全国的な認知に

岡部: 大規模な野外展示のある広大なミュージアムですから大変でしょう。何が一番、学芸員として大変だと思われますか?

宮薗:業者と一緒に作品収集や設置をやり、それが終わってオープンしてからは、自分たちでいろいろ選定して委員会を開いたりしましたので、そこからがむしろ大変でしたね。一番はやっぱり情報収集ですか。 作品の価格、決め方、情報公開も必要なので、そういう時にちゃんと説明できるようなプロセスを踏んでやるということです。

岡部:全部で何点あるんですか?

宮薗:野外を入れて53点です。

岡部:常設になっている作品は?

宮薗:野外の20点、つまり20人の作家です。なかにはひとつの作品でも、インスタレーションとして周りに点在しているのもあります。20人の作家がここに来て構想して作ったということがここの特徴です。今後も予算面などでは大変なことがあると思いますが、この霧島国立公園を使ってここでしかできないことをやる、あるいは、何で県立なのにここに作ったのか、ここに来ればわかると言うような作品の置き方をしたいです。「森のネットワーク」を組んでいる箱根にしても札幌にしても、いろんなタイプのミュージアムがありますよね。

岡部:立元さんから入場者が予想の2倍近くあるとお聞きしましたが、収入にもプラスになっているわけですね。総収入はどのぐらいあるのでしょうか。

宮薗:数字的なことはわからないですけど、入場者が増えても採算が取れるような額ではないですね。一人300円で、年に10万人程度では。しかも半分ぐらいは子供で、小中学校、県内の高校までは無料ですから。

岡部:子供や青少年が無料なのはいいことですね。ここで仕事をはじめられて、学芸員として一番困っているというか、何か長期的な展望で直して行ければと思われているところはありますか?

宮薗:自分の立場からすれば、屋根にしても結露にしてもガラスにしても、全部が全部何かあると言えばあるんですけど、逆にお客さまから見れば、たとえばガラスは開放的で、異空間を味わえていいとされたりもするわけです。

岡部:ガラスが多いので、やはり外光が入りすぎて作品の保存問題が起きますか?

宮薗:それもあります。ただ、そういうデリケートなものは所蔵しないと思います。もともと創設のときに野外彫刻美術館で野外の設置作品の環境造形などのガイダンス的なものを屋内でしようという構想だったようです。だから、現代美術のいろいろな動向とか、多様性がわかるようなような展示をして、野外のインスタレーションも今日の美術の一つとして、鹿児島の人に見てもらうという意味でのコレクションです。屋内作品はもともとテーマがあって焦点化したものじゃないですね。でも企画展でリピーターに来てもらうのも大事ですし、ここを知ってもらうためにも今後も企画展を重視していきます。草間彌生展のタブロー(絵)の時は窓ガラスにシールを張って、奥の一定のところだけを暗くして展示しました。そうしないと平面は展示できないですね。

岡部:企画展のためにわざわざ来るリピーターは大体どの程度と思われますか?

宮薗:実際、岡本太郎展で2万6千人、草間展で2万5千人来てますから、企画展があってこそ、美術館の存在も分かってもらってるんです。岡本展は巡回しました。草間展は最初の単独企画でしたから、そのお陰で現代美術館として全国的にも知ってもらえるようになりました。

岡部:全国的な反響はどれくらいあったのですか?

宮薗:全国誌で取り扱ってもらったり、NHK新日曜美術館でも本編で紹介されました。鹿児島の人も意外とそういう新しいものが好きでしたね。実際に本物を見る機会がここではあまりないですから、きっかけ作りにもなりました。

岡部:ここで早く開催できてよかったですね。

宮薗:はい。草間さんも2回も来て下さって、トークショーもしていただいた。草間さんに会うために来た人がここのことも知ってくれたということもありました。野外もありますから“じゃあ今度はお弁当もってこよう”ですとかに発展します。そういう意味でも、企画展は大事だなと思いました。
最初は、施設のネーミングに苦労したんですが、「鹿児島県霧島アートの森」の名前には、美術館の名称が出てこないのです。何とかサブネームに open air museumを入れたんですけど。この名前だけでは何の施設かはっきりしませんよね。鹿児島県当局としては、広い意味でアートの施設として、またいろんな多目的なことに活用したいということがあってつけたのですね。

08 火山のある気候のなかの作品保存

岡部:企画を次々に手がけるには、学芸課は3人でスタッフが少ないのではないでしょうか?

宮薗:それは当然ありますね。今アルバイトで2人は手伝ってもらっています。

岡部:ここはオープン・エアー・ミュージアムですが、彫刻に詳しい宮薗さんから見て保存は大丈夫なんですか?

宮薗:材料技法については多少の経験はありますが、保存科学までは僕だけでは大丈夫ではないんです。例えば、ソフトスカルプチャーの場合4,5年で駄目になるようだと、コレクションとはなりえません。県が県の財産として買ったという考え方もあるので、保存と修復のことまでクリアした上で購入することになります。しかし、劣化するものでもひとつの表現として取り扱っていくには、今後、さまざまな複合素材とも付き合っていく覚悟が必要です。まだここは札幌、箱根ほど歴史がないですからね。そういうメンテナンスのこととかは永遠の課題だと思うんです。もしこれが痛んできた場合、また作ってもらえるものなのか、廃棄できるものなのかなど。将来的には、そういう問題も現実としてあるでしょう。

岡部:保存の問題も大学で勉強なさったのですか?

宮薗:実際一応一通りやりますよね。あとここは霧島の火山があるので特殊な環境です。だから気候的にも夏暑くなったり。一見カラッとしていて高度が高いから蒸し暑くはないですが、紫外線は強くて日焼けします。冬は積雪もあって中庭まで入ってくる。そういう変化は激しいですよ。

岡部:それだけに季節ごとに、風景がいろいろ変化に富んできれいですよね。

宮薗:紅葉の季節とか。自然の動物が出たりすると、それで植物の作品がやられたりもします。ある特定の木を非常に鹿が好んで食たりしてるので、木を素材にした作品を造った作家の場合は、了解をもらって、食べられない木を植えていくとか。あとは猪が穴掘ったりして。一番特徴的なのは台風で、このあたりは多いです。だから動く彫刻の構想も最初はもっと沢山あったのですが、最終的にはひとつになった。札幌なんかには電動のものもありますけど、ああいう回るのをやりだしたら台風のときは外さなくてはいけなくなります。だからここに来た作家には自然環境、歴史、神話の話など、いろんなことをまず全部話します。フィリップ・キングも結局、ここで着想した天孫降臨でイギリスのロイヤル・アカデミーでもそれを応用した作品を続けてますよね。

09 霧島独自の作品設置の妙味

岡部:ご自分では今のところどの作品が一番好きですか?

宮薗:全部それなりに好きですが、人それぞれですがね。

岡部:いい作品でも場所と環境によって変わりますから、上手く設置場所が定まらないと、ぎこちなく変に見えたりしてしまいますよね。

宮薗:設置の場所を特定するときには、作家にも来てもらって、まだここが芝生になる前、土だったから雨靴をはいてもらって、作品と同じ大きさでモックアップ作ってクレーンで吊ったりして設置してみて、こちらのほうから眺めた景観を何回も見て調整することを繰り返しました。最後の微調整の段階ですけど。そういうのは妥協しないでやりました。作家の場合はやっぱり、自分の作品を設置するとなると桜島の位置とか、角度の問題とか、設置環境は大変重要な要素ですから。

岡部:そういうプロセスでかなり慎重になさったのですね。さすが、すごくビシッとキマってますよ。だから写真を撮っても上手に取れるという感じです。

宮薗:作家の意向もいろいろあります。ただ、あんまり作品数が多くなってしまうと作品同士が干渉しあうので、なるべく空間を大事にしようと思いながらやってます。

岡部:宮薗さんがもし予算があったら、ぜひ欲しい、手に入れたい、という作品はありますか?

宮薗:やっぱりここだけのもの、光とかは霧島の場所のそれなりのものがあると思うので、ここのためのものをぜひ作ってもらいたいなと思いますね。
(テープ起こし:巻木かおり)


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