Cultre Power
museum 発電所美術館/Nizayama Forest Art Museum
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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
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インタヴュー

長縄宣(発電所美術館学芸員)X岡部あおみ

日時:2004年12月17日
場所:発電所美術館

01 発電所美術館の誕生

岡部あおみ:発電所美術館が設立されたのは今から約10年前と聞いていますが、2005年が10年目に当たるわけですね。

長縄宣:そうです。平成7(1995)年4月15日オープンなので、10周年記念の記念展を考えています。

岡部:発電所という場所が展覧会場として使用されるようになったきっかけですが、発電所としてはだいぶ前から使われていなかったということでしょうか。

長縄:いや、改装する直前までけっこう使われてはいたんです。建物自体は正確に言うと、大正15(1930)年に完成し、黒部川第2発電所という北陸電力のもともとは水力発電所でした。平成4年くらいに老朽化のために取り壊すという話が出て、それを知った当時の町長が子供の頃から馴染んでいる建物ですし、町民もずっと共有してきた景観ですから、町としては是非残したいと北陸電力にお願いに行って、まあ何に使うかは後で考えようということでしたが、美術館にしようという結論に到りました。本来別の用途に使われていた建物を残して美術館にするなら、建物の穴を閉じたりすることも本来の筋ではないのでそのままにして、空調がきかなくてもここでしか出来ない展覧会をやる美術館としてやっていけばいいんじゃないかと、あえて天井も閉じませんでした。三つあった発電機のうち二つを撤去して一つは残そうということで話が進んだわけです。

岡部:大正15年ですから発電所の建物自体はだいぶ古いのですが、水力発電なのに、山の中に建設されたのではなく、平野に忽然と出現するという状況は、比較的珍しいのではないかと思うのですが、どういう理由からだったのでしょう。

長縄:なぜここに発電所ができたのかはいろいろな歴史的な絡みがあって僕にもよく分からないんですが、明治大正期に電力共給のために日本全国で結構そういうものを作った時期があり、富山は水が豊富なのと土地の高低差が大きい、つまりいきなり山があっていきなり平地、その川の傾斜がすごく急で、黒部川はいわゆる暴れ川だったわけです。水もすごく豊富ですし、治水の関係もあって逆に先に整備されたのは多分、用水だと思うんですね。田んぼに水を引くための用水を使って発電をしようということで、電力会社が地形に着目したのではないかと思います。山側から平地に流れ込むときに川が蛇行するのでそこに土砂が流れてきて、ちょうどきれいな扇状地が出来るわけですが、それは地理の教科書にも出てくるくらいきれいな扇状地らしいです。この河岸段丘は結局暴れ川が蛇行した時に削った跡で、その河岸段丘に用水が流れ、落差もあるために、こういう場所に合わせて発電所を作ったので、平地にある珍しい発電所になったということです。

岡部:富山ではここの発電所以外にも今でも使われている平地にある発電所が存在するわけですか。

長縄:結構あるはずですよ。僕はあまりそういう電力関係には詳しくないんですが・・・。北陸電力のもっている黒部河口だけでも六つあります。もっと面白い発電所の形態を最近聞いたんですけど、対岸にある発電所は導水管が見えない。地中に埋っていて、要は扇状地と言うのは海に向かって緩やかに傾斜になっているわけですね。で、長い管を結局地中に埋めてその緩やかな傾斜に水を流す事で発電する。地上に出ているのは発電所の建物だけで、導水管が地中に埋っているという発電所が対岸にあるらしいです。水力発電は地形に合わせてなされるため、その場所に相応しい発電所を建てていたんですね。

岡部:通常、水力発電というと、山の上方のダムみたいなところを思い浮かべるので、訪れたときに、広々とした平野にぽんと出現するのを見たときにはまずびっくりしました。

長縄:黒部川上にもちろん発電所はいくつもあるんです。扇状地より上、要は黒四ダムってご存知ですよね、あれは関西電力の持ち物で上流部分はほとんど関西電力です。上にいくつ発電所があるのかは僕あまり知らないのですけど。

岡部:この近辺で、ここのように使われなくなってしまった発電所もあるわけですか。

長縄:基本的にはここも古くなったので、壊して隣に新しい発電所を建てる計画だったらしいです。ただ町側から残して欲しいという依頼があったので、新設した発電所の隣の古い方を壊さずに北陸電力が残しましょうということになったわけです。

岡部:発電所という場所が美術館になるのは珍しいので、それが出来てきた社会的背景や歴史にも興味が広がっていきますね。例えば、ロンドンに設立されたテートモダン(Tate Modern)は、かつての火力発電所を美術館にしているわけですが、日本にも同じような例があるのでしょうか。日本は水力発電が多いから、水力だと、やはり山の中が多くなり、アートスペースや美術館に改装しても観客が見に行きにくいだろうと思っていました。テートモダンは火力発電所で、基本的には旧工場地帯にありますが、大都市に位置していたという立地条件がリニューアルの候補になった大きな要素だと思います。

発電所の面影を残す展示空間
© Nizayama Forest Art Museum

見晴らしの良いレストランの前で、長縄宣
photo:Aomi Okabe

02 場の魅力―今までにない美術館を目指して

岡部:ともかく発電所をテートモダンよりも前に美術館にしていたなんて、画期的ですね。10年前に開設された時点で、他に例はあったのでしょうか。

長縄:多分日本では初めてですが、海外によく行かれる作家さんや美術関係の方に聞くと、海外には意外にあるとおっしゃるんですね。テートモダンが出来る前にもイギリスに二つくらいあったそうです。スウェーデンにもあって、何ヵ所もあるらしい。ただ発電機類は一切取り払ってしまって建物だけを利用しているそうです。ここの発電所美術館がなぜ作家から注目を浴びるかというと、機械や導水管の穴を残しているからだと思います。普通の美術館よりは小さいけれど、画廊よりは大きいという広さと、入ったとこaヨ、キ、ニ、、、ソ、ネ、、、ヲホゥテマセ骭捲レ?ヴ?-?-リ?-詞?-′ヶレ洛候ハ荀ヒ、ハ、テ、ソツ遉ュ、ハヘラチヌ、タ、ネサラ、、、゙、ケ。」 ?ナ全体が見渡せて、天井が一番高いところで14m、鉄骨部分までで9mありますから空間的な豊かさもあります。

岡部:それだけでも作家には刺激的な要素ですね。やはり海外には存在するのでしょうね。エネルギーが変換した時期に火力発電が停まったことがありましたし。

長縄:そうですね。結構古い建物をリニューアルする習慣が海外ではありますから、別に発電所に限らず、港あたりにあった倉庫とかも海外では早くから改修されていたと思うんです。日本では、今になってようやくそうした改装が徐々に行われていますけど。

岡部:ここの改装の時ですが、北陸電力のお陰で場所と敷地は無償で譲っていただき、展示会場にしようと言い出したのは実際にはどなただったのでしょう。町長ですか。空間を何に使うかを地元の作家などとも相談なさったのかしら。作品のコレクションをして展示するよりも、新作を依頼して、仮設にインスタレーションをするという活動を中心にするという方針に決定したのは、どういう経緯だったのでしょうか。

長縄:町長も美術館にしたいという気持ちもあったでしょうけれど、実際この建物の作りからするといわゆる普通の美術館は無理だということは誰しも分かります。僕は大学を出てからすぐこちらに来たんですが、その時にこの構想はもう出来ていました。北陸電力から譲り受けることが決まって整備委員会もあり、大半が地元の地区の区長や、作家、マスコミ関係者がメンバーでした。町長以外にここの基本コンセプトを作ったのは近代美術館の学芸員の柳原さんで、今は普及課長になられましたが、初めから、彼が当時でも珍しかったこうした場所にアトリエを作ろう、しかも宿泊施設なども付いているものにしようと提案されたわけです。そのころとしては非常に斬新な考え方でした。特殊な空間なので、ここに合わせた新作を現地制作で作ってもらうためには、滞在する場所が必要ですし、制作する場所も必要になります。ここ自体を芸術的なトータルなスポットにしようと考えたときに、今までにない機能を加えたいという構想が練られたわけです。

岡部:新作のインスタレーションの企画展を年に何回かやるという柳原さんの考えがベースになり、町長がそれに賛同して、実際には長縄さんが担当なさってきたという感じですね。

長縄:初めの頃は柳原さんに相談しつつ進めていました。かなり空間が特殊なので、企画展を依頼できる作家が限定されて来ますし、最初の数年間は、柳原さんに本当に色々相談しながら決めて行きました。

岡部:プログラムは年間5,6本ですか。作品購入もなさるのでしょうか?

長縄:年間4本、基本的に季節ごとに1本です。ただ冬には記念に購入した小さな作品とか寄付していただいた作品を展示しますので、実際独自の企画展を行うのは春、夏、秋の3本ですね。

03 発電所美術館の特色―アーティストを刺激する空間

岡部:個性的な空間ですから、これまでに、実際にお願いしてやっていただいたけれど、空間に合わなかった作家もきっといらっしゃるのではないでしょうか。先ほど、一番一緒にやりたいと思っていても出来ない作家がいるとおっしゃっていましたが、どういう理由なのか教えていただければと思います。

長縄:ここは空調もないですし、直接窓が開いているので直射日光が入ってきますから、日本画・版画の作家は、ご本人が承諾してくださって作家所有の作品の場合以外は無理ですね。逆に空間が特殊で、そうした通常の美術館で当たり前になっていることが出来ないので、それを逆手に取って、温湿度に関係ない素材、もしくは温湿度に関わっても作家が承諾してくださる場合は可能になります。ここの面白い空間を気に入っていただいて、是非ということでやっていただける方ということです。作品の保全問題や発表する場の雰囲気もあるし、ある意味では恐ろしい空間です。ホワイトキューブみたいにどういう形で作品を置いても普通に見える場所とは全然逆。自分の作品が食われる場合もあれば、融合して見えなくなったりもします。ここだからこそというものを作りたいという作家で熱意があって、イメージが膨らむような方をピックアップしているというところはありますね。

岡部:使う材質の面で先ほど紙はやや難しいとおっしゃっていましたが、今回の青木野枝さんは通常でも鉄を素材としているので、環境にも自然に合っていてすばらしいですね。タービンの鉄骨のイメージとぴったり合いすぎる部分はあるかもしれませんけど。

長縄:作家自身、やはり会場に合わせて作らねばならなくなるので、作家にとって辛い部分もあります。空間に合うと思ってこちらから依頼しても、融合したくないと思わる方もあるわけです。だから今まで作ってきた素材をかなぐり捨てて、別な素材へ移ったりした作家もいます。一番極端なのは眞板雅文さんで、ここでやるまでは金属や石、水を使って彫刻を作っていたのですが、発電所美術館での個展が決まって、下見に来られてからずっとどうしようかと悩んでいました。展覧会の一ヶ月前くらいかな、突然「僕は竹で行くよ」とおっしゃって、放射状に竹を組み合わせた作品が完成したのですが、竹を使った巨大なインスタレーションはそれまで手がけていなかった。近所のお寺さんと付き合いがあって、新年の宝物など、寺飾りとして捧げるようなものをお寺から依頼されて竹で作ったりしたことはあったのですが、自分の作品として竹を使ったのは発電所美術館が初めてだったそうです。その後は大分の美術館や箱根の彫刻の森でも竹による作品を展示されました。ここでの展示は1997年9月で、ここの体験がきっかけになったのは僕としても嬉しいです。作家自身が新たな方向性を発見してくれたのは、空間が特殊であったからこそだと思います。自分の新たなステップを踏むための場所、実験場だと思ってくれる作家なら僕はやる意味があると思う。逆にこの空間に合わせすぎて作ったために、展覧会が終わった後にこれは自分の作品じゃないなと言われた方もあるので、僕は結構責任が重いと感じています。空間自体が特殊であるからこそ作家に無理に作らせてしまってはダメだと。ここに合う作家、合わない作家がいると言ったのはそういう意味です。融合する融合しないではなく、作家が自分のイメージしている自分の作品の流れの中で本当に良いステップが踏めて、自然な発表の場に出来れば、一番いいんじゃないかと思います。

岡部:作家にとって良い意味でチャレンジになれば理想的ですが、難しい障害になってしまって、自分のいいところをむしろ出せなくなったら残念ですね。これまでになさった作家の中で、作業自体が非常に困難を期した場合もあるかもしれないですけど、一番大変なのはどういう側面ですか。

長縄:次になさる作家は前の作家の作品を見るわけですよね。特殊な空間ですから、前の作家がやったようなことはしたくないということになり、面白いことに、年々展示が過激になります(笑)。あのパターンにははまりたくないというのがあるようです。

岡部:欲求がだんだん高くなっていくのでしょうね(笑)。

長縄:美術館として、危険だな、閉館に追いやられるかもしれないと思いながらも、でも作家の夢を叶えるために、ここらしいイメージなら実現させようと思ったのが土屋公雄さんでした。去年の夏です。天井からロープで151個のいらなくなった家具を屋根の形に固めて吊るした作品ですが、これは多分他の美術館では断られます。実際に、他の美術館でこのイメージを言ってみたら、断られたことがあったそうです。だから打ち合わせの時に「ダメ元で一応聞いてみるんだけど、こんな案もあって」と言われた時に、天井から吊るすと言った段階で、「これはここでやるべき企画でしょ。是非やりましょう」、となりました。それで、美術館の周辺の一般の方、もしくは美術関係者の人に頼んで、いらなくなった家具をもらってきたり、展示の数ヶ月前には全部ゴミ収集車のようにトラックに不要の家具を詰め込んで持ってきた。ロープ1本に付1個の家具を吊り下げました。

岡部:相当頑丈なロープじゃないと危ないですね。

長縄:そうです。だからロープも無理が少なくて切れない特殊なロープを探しました。漁師さんが使うような結構強いロープなんですが。

岡部:スリリングで、吊り方も難しそうですね。

長縄:縛り方も地元の作家で結び方に詳しい人がいたので、ある程度長さ調節が可能で一回縛ったら絶対落ちないような縛り方を考えていただきました。土屋さんは元々建築の方でもあるので、家の屋根の形にすごく思い入れがあった。美術館自体もシンプルな家の形をしているじゃないですか。屋根に斜面がありボックス状になっている。その中にもう一つ現代人が捨てて来た廃材で屋根を作りたい。ちょっと傾いていてくずれて行くような感じの屋根形に組んだんですね。空中で制作するわけですから、土屋さん自身も大変だったと思います。結局家具のどこかの一辺が屋根の傾斜とぴったりしないとダメなわけで、1個1個滑車で手で吊り上げながら、ここの場所というところに来たときに結んでいくという方法でした。

岡部:作品としてものすごく面白いです。実際に見てみたかった。こんな強烈なインスタレーションは、ここの天井に鉄骨がこれだけたくさんあって頑丈だからできたわけですね。

長縄:でももう70数年も経っていますから、一応ここを改装した設計者の方に相談はしてみましたけど、太鼓判は押せないと言われました。私的には屋根は現実には落ちないから大丈夫とは言ってあげたいけれどと。でも正式には絶対許可を得ないとだめですから。

岡部:どのくらいの重さになったのですか。

長縄:多分3,4トンくらいはあったと思います。上の鉄骨ももちろん通常ある鉄骨じゃ足りないので、C型鉄骨を40何本か、斜めに入れてそこに吊るしたんです。だから鉄骨だけで多分1トン、家具で2,3トンくらいあったと思います。

岡部:土屋さんの作品の中でもとりわけ傑作ですよ。

長縄:土屋さん結構思い入れがあったと思うんです。

岡部:2003年ですから、土屋さんがサンパウロ・ビエンナーレの日本代表になって、チクタクいっている時計を無数に集めて、現地の建築物の瓦礫を運んで作った家のなかに設置してインスタレーションを行った年ですね。都市の崩壊、9.11以後を表現した作品で、私はサンパウロでその作品は見ていますけれど。

長縄:そう、その後です。

岡部:続けてすごい作品を手がけたものですね。思い出深くて、すばらしくて、大変だった作品は他にはないですか。

長縄:いや、もう挙げたらきりがないです。僕は本当に大学出たてでこちらに来ましたけど、現実に本当に作家と生で話をしながら展示を進め、しかも常に共に作りこんでいくような新作が多いわけですが、どの辺まで僕が言っていい部分なのかということがようやく最近分かってきた程度で、まだまだこれからです。

土屋公雄展−記憶の家−覚醒する時間
©Nizayama Forest Art Museum

眞板雅文展―音・竹水の閑
©Nizayama Forest Art Museum

04 美術館の運営

岡部:学生は無料なんですね。一日どのくらいの人が来るんでしょう。

長縄:ここはオープン当初から小学校が土曜日が休みになる前から中学生以下は無料です。地元の子ども達は遊び場みたいな感じで来てくれますね。一日最近平均で30人くらい。週末は多少多くなりますが。

岡部:県内の人は大体どのような層の方が来られるのでしょう。やはり現代アートですから、若者が見に来ることが多いのかしら。

長縄:年齢は幅広いと思います。団体のお年寄りもみえます。宇奈月温泉があるんで、温泉帰りにちょっと観光地だと思って寄られたり。そうかと思うと、発電所の機械だけを目的にみえる電力関係に興味のある団体さんもありますし、家族連れも多いです。もっとも、企画展の内容によって多少は層が変わりますね。
 (テープ起こし:インビョル)


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