Cultre Power
museum 東京都現代美術館/Museum of Contemporary Art,Tokyo
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー

古澤公英・塩田純一×岡部あおみ

学生:江上沙蘭、笠原佐知子、近藤亜矢子、伊達美佳、笠井大介、山田泰子、吉村一磯
日時:2000年11月7日
場所:東京都現代美術館


© MOT

01 アクセスが悪いのはなぜ?

岡部あおみ:東京都現代美術館をこの場所に設立することを決定した際の都の構想決定案や公益とのかかわりの諸問題に関しても、この沿革書に書いてあるのでしょうか?

古澤公英:いや、それは書いてないですが、東京都にそういう現代美術の動向を示す常設の展示施設がないので、元々そういう要望があり、それを受けて昭和60年(1985年)に知事の諮問機関として東京都新美術館建設構想懇談会が創られて、62年に建設委員会が設置されたわけです。平成元年から、新しい美術館を建設すべきである、うちの方は区部の新美術館ということで、もう一つ多摩の方にもってくる計画があったんですけれど、いろいろ紆余曲折があり、最終的にはここだけが東京都現代美術館として設置されたわけです。

岡部:当初は東京は広大ですし、二つに分けてということですね。それにしてもここはアクセスから言って不便ですが、この他に広い場所が東京になかったためですか?

古澤:それもありますでしょうし、この辺の区においては都庁舎が新宿に移る時にいろんな施設がつくられたのです。例えば墨田区だと江戸東京博物館、葛飾区だと地域病院が。100%真実かどうか我々も確認したわけではないのでわかりませんが、そういう点もあながちなきにしもあらずかもしれません。わかりやすく言いますと、銀座から見れば都庁舎が新宿にいくので、美術館はこの辺のほうがいいということも、あったかもしれません。

岡部:重点が西にいってしまうので、むしろ東の方にと。 東京国際フォーラムはとても広いですよね。便利ですし、あの場所に東京都現代美術館をつくってもよかったのではないでしょうか。そうしたディスカッションはなかったのでしょうか?

古澤:そうですね、ただ申しましたように、これは60年に立ち上がった構想で(今資料がきましたので、見ていきますと)平成元年の10月 に木場公園の整備計画について答申があり、具体的には平成元年にここに決まった。そして都庁の移転は平成3年だったと思いますんで、そういう意味ではちょっと時期がズレてる。

岡部:特に現代アートだと都心に近い方が観客層からいっても立地としては最適だ思いますけど、東京の拠点バランスみたいなことを考えてのことですね。

古澤:私もそういう立場で携わってなかったんで詳しくわかりませんけれども、いろんな政治的な配慮でこの地になったと思いますし、公園緑地でこれだけの広さの中で、これだけの面積を要する他の有効的な土地がなかったんじゃないでしょうか。元々ここは巨木場だったんです。役所的な言い方をすれば都市公園の一角に東京都教育委員会が建設局から土地を借りてつくっていると。

岡部:この公園の整備は建設局がやってるわけですね。うまく進んでいるんですか?

古澤:やはり財政的な状況もあると思いますし、元々この建物ももう少し、木場寄りっていう案もあったみたいですけど。

岡部:一応地下鉄東西線木場駅からバスでは来られるようにはなってますけど(東京駅からも直通バスが開通)。

古澤:今度大江戸線の白川駅が12月にでき、でもそこからも13分ぐらいかかってしまいます。ただ2年後には半蔵門線が延びます。(平成15年3月19日半蔵門線 清澄白河駅が開通、駅から歩いて9分)

02 財団の運営と蒐集予算の消滅

古澤:平成3年に工事着工、平成7年3月18日にオープン、3月19日から一般公開しました。敷地の概要は、都市公園の一部を借りてつくられていることです。地下にも約100台を収容できる駐車場があり、総工費が415億円ですが、この地は巨木場跡でしたので、軟弱地盤対策で105億円かかり、4分の1は地盤対策に使ってます。現代美術館の役割は、事業内容にありますように、美術作品の収集・管理、常設展示、企画展示、美術情報センター、教育普及事業、調査・研究と、主に六つの仕事があると思われますが、美術作品の収集・管理については、収集費用が今年は予算がとれなかったので、現代美術館の六つの大きな柱の中の一つに、公的資金がないことになっています。運営は、平成6年開館当初の財団法人東京都教育委員会から、これは名称が変わっただけですが、財団法人東京都生涯学習文化財団に管理運営を委託され、我々職員は、東京都から派遣されていることになっております。

岡部:この生涯学習文化財団には他にはどのような施設があるのでしょうか?(財団は2003年から東京都歴史文化財団に統合された)

古澤:東京都文化会館、東京都美術館、東京都芸術劇場、体育施設では、東京体育館とか、駒沢オリンピック公園などの施設を運営しています。 美術品収集については、四つ程区分がございますけども、東京都美術館が上野にあり、そこと、ここができた時に役割分担され、向うは貸し館になり、向うが貸し館になり、東京都美術館が収蔵していた作品をすべてこちらにもってきて、それが3020点あった。その半分以上が版画で、ここを立ちあげるために、東京都美術資料取得基金をつくり、63年度に取得基金75億円を設置、平成9年3月に基金を廃 止いたしました。それまでに、534点・63億22百万円取得し、基金が廃止された後は、東京都の予算で買ってきました。それが88点、さらに63年以降寄贈が158点、現在3800点の作品をコレクションしています。基金で買った作品の中では、ロイ・リキテンシュタインの作品が6億1千万円で、一番高い、当時新聞などで話題になりました。 文化会館や芸術劇場や東京都美術館など、他の施設に比べてうちが大変なのは、企画展などの自主事業をやってるためです。貸し館は金さえ入ればそれですむけれど、そこがうちの美術館と、他の施設と大きく違うところですね。 今までで一番入館者が多かった展覧会は、平成9年度のポンピドー・コレクション展で30万6286人、二番目が8年度のアンディ・ウォーホル展で、9万4570人、三番目が11年度の荒木経惟展で、7万5348人です。7年度は常設展、企画展合わせて27万9千人、8年度が46万9千人、9年度が51万4千人と増えてますが、10年度はいろいろな状況があり22万2千人に落ち込んでおり、11年度が26万2千人と、4万人程増えてます。 組織ですが、東京都教育委員会から、管理・運営を委託されて、3月31日で60年から建設からずっと携わっておられた館長の嘉門安雄先生が引退され、その後館長が決まってませんので、現在、生涯学習文化財団の常務理事が館長代を行なっています(現在は日本テレビ放送網(株)CEO会長氏家齋一郎氏が館長)。館長は、知事が選ぶことになっております。副館長以下は、生涯学習文化財団に東京都教育委員会から派遣された職員がいて、 現在42人。管理部門と学芸部門、私どもの普及部門3つのセクションになっています。定数では、事務が19、学芸が19、司書が4になっています。

岡部:定数はあくまでの基本数字で、実数ではないということですか?

古澤:そうですね。それだけが予算定数で認められているということです。現在は、事務が20で、学芸が17、司書が4です。いま、育休中の人がいますので、そういう人は現員としては入っていません。 12年度の予算ですが、歳出は、美術普及事業・管理運営・建物維持管理の3つにわかれていますが、我々の自由経費を除き、12年度は10億7千万で、11年度が14億2千万と、およそ3億5千万削られてます。ちなみに、開館致しました平成7年度が21億8千900万ですから、5年間で半分以下になっているという厳しい状況です。11年度と12年度で大きく変わったのは、歳入のところの美術振興事業が2億6千万ありますね、そこが11年度が千5百万しかありませんでしたので、逆に歳入が増えているのでおかしいと思われるかもしれませんが、何故かと申しますと、企画展は、いままでは東京都の受託事業でやってたんですね。ところが、12年から企画展に関しては、財団の自主事業になり、東京都は一定の補助をするけれども、その他については経営努力しなさいということになった。そこが一番大きいところですね。従って、観覧収入は、別に財団収入にしていいですよと、ですから歳入では2億4千万ほど増えていることになってますが、実際、展覧会費用は1億3千万減った。あとは入場料収入、カタログ売り上げ、あるいは民間の方々の協賛をいただかないと運営できないような状況が新しく12年度からでてきたわけです。 東京都教育委員会のほうの予算では、美術作品購入が12年度ゼロ、作品は東京都のコレクションでございますんで、基金があった時はよかったんですが、、東京都教育委員会の予算として昨年は5千2万あったけれども、それが今年はゼロ になったわけでございます。

岡部:予算や経費削減に関して、どういうところを節約する方法をとられているのでしょうか?

古澤:例えばうちは電気代が1年間2億円かかるんですけど、常設展は、少し空調を切る時間をつくるとか、その他は教育普及のところをきっていこうとかそういったことです。

03 運営費をどう稼ぐか

岡部:所蔵作品を売ることも出来ないですからね。

古澤:売れっていう案もありますが、今の日本の美術館は売れない。それがはどめになってると思いますよ。アメリカでは売れますよね。 12年度は4つの企画展をやるかたちで、現在、三宅一生展、菅井汲展を開催していますし、9月15日から日本の美術29世紀展、12月からミレ二アム国際美術展をやります。でも、お金をなんとか稼がないといけませんので、友の会を設置致しました。今、647人の会員の方に入っていただいています。企画展が東京都の受託事業ではなくて自主事業になりましたので、前売り券だとか、学生割引、割引入場券の発行などができるようになりました。今まで展覧会ごとに交通広告をやっており、みなさんもJRに 乗りますと、一番東京よりのブランクにステッカーを貼っておりますけれども、それだけではなく、民間の方々の知恵を借りて、こないだは広告コンペを開き、今、紀伊国屋のブックカバーに宣伝が載っておりますし、@ぴあを開いていただきますと宣伝が出てきます。若い方々にもぜひ来ていただくためにPRしています。もちろん、ぴあのインターネットから、わたしがたのインターネットに接続できるようになっております。いろいろな事を考えながら頑張っていこうと、こんなかたちで運営されています。

岡部: ファンドレーシング部門を再検討するには、マネージメントの担当の人をだれか入れた方がいいんではないかと思うんですが、可能でしょうか?

古澤:そうですね。当分は我々管理職でやるしかないですが。学芸の塩田部長に協力していただき、協賛金をいただきましたし、館長代行なんかにも企業をまわっていただいてますけど、身近な方々から少しでも協力を得ようとやっとりますが、なかなか昨今には厳しいかと存じます。

岡部:ここで開催する企画展を決める時に、一種のコンペなどもあると伺ったのですが。

古澤:企画展はもちろん学芸員の方々がいろんなかたちで持ち込みだとか・・

岡部:なにかコンクールみたいなことは?

塩田:いや、それはうちはやっていません。都美術館でですね、東京都ルネッサンス委員会があって、そこの生活文化部が企画展をやっていたことがあり、それはそういう国際展のコンペ方式をとっていたみたいですけれど、うちはそういうのは全くやっていません。

古澤:館長がはやく決まって、どういう方針でおやりになるのかが決まらないと、なかなか・・

学生:山田:現代美術館の友の会って具体的にどのような活動をしているのですか?

古澤:友の会については、支援をしていただく事と、とりあえずリピーターの方をつのるかたちですね。賛助会員はどちらかというと、支援をしていただくほうですけど、まだ数が少なくて、647人のほとんどが一般の方々かリピ―ターで、一度、二度、足を運んでくれるために、会費を払っていただいて、企画展・常設展をたくさん見ていただく方向ですね。

岡部:それはいつでも入れる年間会員制みたいなものですか?

古澤:はい、そうです。企画展は年間会員の方は半額になります。友の会によっては講演会をやったり、いろいろあると思うんですけど、そういう意味での活動はまだないんですね。今年スタートしたばかりで、会員数自体少ない、そういう事業をやっていくだけの資金がないことがあるので、今のところは、ダイレクトメールによる年に何回の情報提供程度の程度ですね。

岡部:インターネットのアクセス人口についてはどうですか?

古澤:三宅一生展の、アンケートをとっているんですが、やはり一番多いのが口コミですね。公共広告を見たっていう方の割合はそんなに多くはなかったんです。でも@ぴあとかいろいろありますので、何人来たかのカウントはまだ出ていませんが、かなり多いんじゃないでしょうか。

塩田:インターネットに関して、ホームページはもってるんですよ、だけれどもメー ルはできない。いまだプロバイダ契約をしていない。だから我々も個人的に自分のパソコンでメールのやり取りをしているので、館としてアドレスがあることはあるんですけど、それが十分使われていない。本当は、友の会がアドレスをもって、そこでメーリングリストをもらって、会員全員に発信できるようなかたちがとれればいいんでしょうけど、プロバイダ契約をする予算もないし、インタ―ネットに関して、メールが個別にできるような、個々のオフィスがアドレスをもつことがまだ許されていない。そういう点では動きが鈍い。とくに海外の作家とやり取りする時にメールしかないこともあって、そうするともう自宅でやるしかないんですよ。それが現状です。

岡部:その辺は大至急整備しないと、かえっていろいろ資金がかかることになりますよね。

塩田:でも、新しい事業をはじめる事になるわけで、それができないんですよ今は・・

古澤:それでは私からのお話はこれでよろしゅうございますか?

岡部:はい、どうもありがとうございました。

一同: ありがとうございました。

[古澤公英当時管理課長が退場、塩田純一当時学芸課長に学芸員の仕事についてお話を伺う]

04 常設展示と企画、学芸部の役割

岡部:常設展について伺いたいのですが、よろしいですか。春に一回わりと長い期間やりますね。

塩田:どの時期にやるかはその年度によって違うのですけど、だいたい年に二回、大きな展示替えが2週間から3週間ぐらいかけてあります。これは大体展示場のメンテナンスのこともあるので、例えば電球の交換とか、ちょっと長めにとってあります。まず全部作品を撤去して、会場のメンテナンス、新たな展示になります。その他、もう二回短期間の展示が、これは特に版画作品なんかがありますから、頻繁に、一ヶ月に三回ぐらいのペースでやっています。

建築・展示コンセプトは、東京都内に、現代美術を体系的にみられる美術館施設がなく、そのためにこの美術館が建設されたことがありますから、まず、設立目的の大きな理由、つまり常設で現代美術を体系的にみせる、とりわけ、日本の現代美術・戦後美術を体系的にみせていく。ですから、常設展示の方でもこれを重要な目標に置いています。ただ、開館以来5年経っているわけですけど、その間で常設の在り方も微妙に変わり、当初は日本の戦後美術を中心に歴史的にたどっていく構想でスタートしたわけですね。 でもそれだけでは魅力に欠ける部分があるので、3年ほど前から常設展示コンセプトを若干かえ、1階と3階と、2フロアありますが、1階については基本的に歴史的な展開でみせ、開館当初は1945年以降の完全に戦後美術だけでやっていたけれど、都美術館から移管されたコレクションには戦前のモダンアートのコレクションもかなりありますので、日本の戦後美術は戦前と断絶しているのかどうかという大きな問題もありますし、戦前部分も、イントロダクションのようなかたちでみせられないだろうかとなったわけです。これはほんのワンコーナーですが、その後1945年以降の戦後美術がスタートする。部屋ごとに40年代50年代の状況、50年代以降の抽象の動き、60年代の反芸術、70年代の部屋というのが基本的な今の展覧会の構成になってます。 ただ3階部分に関しては、もう少しテーマ性をもたせて、単なる時代で区切るだけではなく、テーマを元に時代も地域も越えて作品を出していくようになっています。9月から日本美術の20世紀として、収蔵品を中心に、戦前から戦後まで、日本美術を振り返ってもらう展覧会を開催します。

岡部:常設展の展示担当学芸員の方は、毎年変わられるわけですか?修復も担当なさるんですか?

塩田:事業係というセクションがコレクションの担当ですね。修復を実際にやるわけではないんですけど、作品の収集・管理、よその館への貸し出しは相当あります。常設展示のコンセプトとの3本の担当ですね。学芸員の美術館内での異動は何年かに一回ずつしています。

岡部:自分の希望である程度、次はこの仕事につきたいということは可能なのですか?

塩田:希望もそうですし、ただ、事業係は割と人気が高いんですよ。落ち着いて作品にふれる事もできるし。ただ、定員は3人しかいないですから、しかも全部変わってしまったらわからなくなりますから。まだ開館して5年目ですからね、そんなに頻繁には変わってないですね。

岡部:企画係と、学芸係はどういう違いがあるのでしょうか?役割分担など。

塩田:役割分担ってあんまりはっきりしていないんですね。美術館ができるときに、ある程度学芸員を確保したいために、係をつくった状況もあり、そういう意味では、企画係は企画展の窓口ということなんですけれども、学芸係の学芸員も一緒に担当しますし、学芸係はあいまいな性格になっている。事業係はコレクションで、教育普及係もはっきりしていますね。

岡部:塩田さんはずっと世田谷美術館におられたのですよね。

塩田:僕は20年ぐらい前ですけど最初は栃木県立美術館、その後、世田谷美術館がオープンする1年前に世田谷にいき、93年の秋、準備室からここに入ったんですね。

岡部:では県立と、区立と、都立の美術館をいろいろ経験なさっているわけですが、どうですか相違は?

塩田:全然違いますね。先程の話でも出ましたが、規則とか形式とか、それを非常にやかましくいいますし、制約がいろいろあって都が一番窮屈です。特に現代美術を扱う美術館だともっと柔軟に、フットワーク軽く、規則とか言っていたら始まらない部分もありますよねえ。でも、ここはむしろそういう規則にのっとってやらないと全然先に進まない。

岡部:ここをつくった時にフレキシブルな違う組織としてつくれば良かったわけですよね、ほんとは。

塩田:財団は財団でも例えば単独の財団という在り方もあったと思うんですよ。世田谷美術館は単独の美術館イコール財団なわけですね。でここも最初はそれを目指したんです。でもそれが認められなくて、ひとつの教育庁とか生活文化局とか、そこに一部局一財団セオリ―があるらしい。どこか潰さないと一つ新たにつくれないと。ですから既存の東京都生涯文化財団があり、そこには芸術劇場とか文化会館とかあるからそこに入ったと。ですから二重の手間になっている。まず財団にも伺いをたてないといけないし、教育庁にも聞かないといけない。だからさっきファンドレーシングの話がありましたけれど、本当は財団なんかが一生懸命動かないといけないんですけれども、全然動かない。意識として。ですから現実にどんどん企画展の予算が減らされてきている。

岡部:それで収蔵品をフルに生かして、日本美術20世紀を企画展でなんとかおもしろくやりましょうということですね。

塩田:そうですね。ですから年間、今までのラインナップを見ていただくと、だいたい5本か6本やっているわけです。それが、今年は4本しか出来ない。で急遽、組み替えたような形になった。今まで都内で私立で原美術館がありますけど、規模がそんなに大きくないし、現代美術の大規模な美術館がなかったということですし、公立の美術館でも、世田谷とか板橋とかがあるけれど、現代美術をやらないわけでもないけれども、常時、現代美術をやっているわけではない。それで、常設でいつも現代美術を展示できる場所をつくった。ですから常設も、企画も、ここのオープンの時には、80年代から90年代にかけての日本の現代美術を概観するようなかたちでスタートして、そこから歴史的に現代美術を見せていくのがひとつあって、そういうコンセプトをもとに個展をやっていく。例えばウォーホルだったりジャスパージョーンズだったり、そういう個展やグループ展やテーマ展の形でニューヨークスクールみたいなのを行ったり、もっと現在の状況をみせていくと、イギリスだとか東南アジ現代美術の状況をみせる展覧会をやる。 もう一つ重要なのは、日本の作家を積極的にみせていきたいこと。日本の作家の個展、若い作家のグループ展では、MOTアニュアル展を去年の1月から3月の時期に、今年が2回目だったんですけれども行い、この4番目のアーティストの支援はそういう意味ではじまったんですけどね。それでアーティストの支援は作品を展示するのもそうですけれど、本当はその後で作品を美術館が買うこともやはり重要な事だと思う。でもその部分が今、欠けてしまっている。

05 すべての展覧会に人を入れるということは

岡部:例えば、若い人達がアニュアル展出品のために新作を創る時、制作費用がかかかりますよね。それは作家が自分で出しているんですか。企画展の費用から多少は出せるんですか。

塩田:壁を立てたりとかディスプレイの予算がありますよね、その中でカバーしてもらうとか。あるいは展示に対する謝礼みたいのが若干出るんです。それで本当に若干の金額ですがお支払いすることはあります。

岡部:作家としては資金持ち出しになることはあるけれども、ここでやれるメリットで喜んでいるのでしょうか?

塩田:今年の低温火傷展も、そういう意味では必ずしも新作ではないんですよ。そうじゃないとカバーしきれない。本当は新作で、一部でも買い上げたりして出来ればいいのですが。かつて基金があった時は出来たかんじはあったわけです。今はないから。

岡部:企画展を決める時のディスカッションは随分意見が分かれることもありますか?自分がやりたい企画を皆さんが出されたりとか、他からオファーがあった企画をみんなで討論したりとか、どのようなプロセスで決定するのですか?

塩田:学芸員の人数が17人ですから今かなり多い。だから、割と規模の小さな美術館、学芸員が5・6人いるような規模の美術館だとけっこう、ディスカッションがあってそこでくみ上げていく形がとりやすいんですけれども、人数が多いこともあって、なかなか活発な議論は出てこない面もなくはないですね。

岡部:でも、多いので、今のところ2人で組んでひとつの展覧会に担当者としてつけますよね。ここの学芸の人は新しく入られる場合には、公募でつのるんですか。

塩田:ええ、今までは公募ですけど当分その可能性はないですね、減らされるわけですから。それと経営努力みたいなのが出てくると、展覧会をやる・やらないの判断が、学芸的な基準だけではなくてまず、観客が入るかどうかね、これは重視されてこざるをえない。

岡部:でも今までもバランスを考えて、ある程度は考えられて進めていますよね。例えば今年はアンディ・ウォーホルやるから、ある程度ここで入場者数は確保できるとか、それ以外の展覧会で入場者に関してはかなり難しいけど、館の姿勢としても、美術の展開としても重要だからやるとか、そういう事は考えられていますよね。

塩田:そうですね、ところが全体でバランスをとっていく、美術館運営ってそういうものだと思うんですけど、なかなかそれが通用しなくなってきて、全ての展覧会である程度の観客数を求めるみたいな傾向が出てきていますね。そうすると、今、菅井汲の展覧会をやっていますけど、菅井さんの展覧会はそれほど大きな観客数は望めないですよね、それに対していろいろ非難されている。これからはそういう展覧会をさせないみたいなね、そういう話も出て来ますから。

岡部:だいたい重要な中堅でも、現代のアーティストの個展だと、日本ばかりではなく、海外でもどこでも入場者の面ではつらいところはありますよ。

塩田:1万4・5千人ぐらいで、大体安定してはいるんですけれどね。いい数字だとは思うんですけど。ただそういう風に思わない人もいますから。

岡部:国際的にも有名な例外的な作家だったら違うでしょうが、現代作家であれば、どこでも人を入れることを最初に考えたら無理がでますよ。広報のお金は、ここでコンペを実施して選んで行う。でも広報の予算自体もかなり減らされているわけですか。

塩田:ただ来年度以降はその同じ事が出来るかどうか、ちょっとわからないですね。来年はおそらく、今出ている話では、今年1億3千万予算がついたんですけれど、それを半分にすると、企画展の予算は6千5百万円。そうするともう2本ぐらいしか出来ない状況になってきます。ただ都は、補助金として6千5百万しか出さない、だけど予算規模として2億程度のものをやってもいいということですね。残り7割程度は、入館料とかで、自分で稼ぎなさいと。でもファンドレージングのシステムが全然出来てないんです。税制の問題があるし、日本ではその協賛金を出したからといって、税金免除できないですから。ですからその基盤整備やインフラストラクチュア整備がなくてはね。

06 東京都上層部の意向

岡部:税制などの異なるアメリカなどと同じにやれといっていても基本的に困難です。

塩田:そうです。どうも石原知事はそういう方向で考えているようですから、東京都写真美術館についても、とにかく東京都の補助金を減らしていくと、で最終的にはゼロにすると。ゼロにしたら、できませんよね。でもそれでいいと思っているんですよね。ここもゼロにする構想がどうもあるようです。

岡部:ではコレクションもしない、企画もしない貸し館にしようと考えているのかしら。高く貸して、みんなの気に入るような展覧会だけをやればいいとか。

塩田:それもありますが、高く貸したら、借りるとこは多分無いと思いますね。つまり、このアクセスの悪い場所では採算が合わない。最初に何故この地につくったのかという質問が出てましたが、国際フォーラムの場所なら、そうしたことも全然違ってくるわけですけど。

岡部:つまり具体的にいえば、新聞社なども上野の都美でやるならいいけれど、ここならやりたくないとなる可能性がある。そうしたらどうするのか。

塩田:一方で都美術館があり、都美術館が使えなくなる。改修の時期がきていて、じきにもう改修しないと使えなくなるんですよ。それで、今その改修の経費を東京都が出せないから、東京都がPFI方式で、民間の企業に改修費用を出させる。その改修後の美術館の運営も任せることを考えている。ただうまくそういう企業が出てくるかどうかもありますし、仮に出て来た時に、改修工事が1年間かかる時に、公募展などをどうするのか。

岡部:公募展をここでやるという話もでているのですか?

塩田:そういう話も出ています。でもここは公募展用につくった美術館ではないので、使いにくい。でもそういうことは抜きにして、東京都の上層部はそういうことも含めて考えている。

岡部:でも東京都の上層部の人はずっと同じ人ではないですよね?

塩田:変わりますけど、教育委員会もそうですし、ただ基本的な方向としてとにかく財政再建が最優先の課題になっていますからどんどん骨をきっていく、そしてそれは石原知事もそういう風な考えであると。

岡部:こちらの学芸員の意見などを知事にお話したり出来る機会は無いんですか?

塩田:全くないですね。

07 レストランとショップ

岡部:ここでは、たんに置いておいて書いてもらう方式のアンケートではない、本格的な来館者調査を行ったことはあるのですか?

塩田:たんなるアンケートですね。来館者全員をきちんと調査することは今までやってないですね。

岡部:まだ5年目ですから、本当はこの辺できちんとやって、客観的に動静をみて、具体的な方向性を決めたりすることが大事ですよね。アンケートは書く人と書かない人がいるし、年代でもいろいろ異なるので、全体の傾向把握にはあまり有効ではないですが、アンケートも多少は参考になっているのですか?

塩田:いや、当然の反応は返ってきますよ。まず、遠いこと、展覧会の料金が割高であるとか、レストランやカフェテリの質が悪いだとか、それはひどいですよ。

岡部:ここのカフェはテナントなんですね。

塩田:テナントが2回すでに変わっています。採算に合わないので出ていっちゃうわけです。この4月から新しい業者が入っているんですけど、この新しい業者がこの地域の給食センターみたいなとこなんですよ(2003年4月からべつのテナントのカーディナスが入って、リニューアルオープンした)。だからちょっと質が悪い。そこしか来てくれなかったこともありますけど、テナント料を低くすればくるんですが、料金を負けたくない。要するに東京都として財団の収入を確保したい。でも需給関係ですから、はっきりいって場所が悪いし、採算が悪ければ、テナント料を負けてでも優良な業者に入ってもらった方がいいわけですよ。結果的にそれが美術館の集客の魅力になるわけですから。だけどそういう判断をしない。規定どおりの金額になっているので規則を曲げられないんです。

岡部:グッズなんかの売り上げは多少財団に入るんですか?

塩田:グッズは結局ナディッフの委託ですから全体の収入の8パ―セントが財団の収入になります。東京都って自分でやろうとしないんですね、大変だし、リスクがあるし。委託で8パーセント確実に入ってくると、全然リスキーじゃない。その代わりあんまりプラスにもならない。本当にやる気があるんだったら自分で直営でやってグッズも自分で開発して、本当にリスクを負っていくべきなんですけれど、それはやりたくないみたいです。

岡部:ではナディッフで売っているものの中からここに合うものを選んで販売する程度で、オリジナルグッズはあんまりつくっていないことになりますか。

塩田:ナディッフの経費でつくってます。ポストカードはうちの経費でつくっている。ただナディッフじゃなくてうちが例えば直営になったとしても、いいショップができるかどうか・・・ある意味でナディッフに入ってもらっていることで少なくともショップに関してはある水準は保っていると思っていますけどね。ですから本当に、ここで働いている人達が、美術館にあんまり関心が無くて、たまたまこういう所にきたからという人事配置の問題があります。

岡部:ここにまわされる人の人事は教育委員会の中で行われて、しかも2、3年ぐらいで、部署がまた変わるんですよね。東京都だけではないですが、こうした公務員システムだと誰が何を決めているのかわからなくなりますね。

塩田:ひとつの所にいると、腐敗が生じるという考えですけど、例えば今の副館長はここに来る前は足立の青果市場の市場長、そういう人が突然来るわけですね。あるいは逆に非常に有能な人がいて、積極的に仕事をしてくれるけれども2年や3年経つと、その人も他に移される。ですから学芸員よりは、これだけの大きい施設を動かしていくとなったら本当は美術館のマネージメントのプロがいて、その人は動かさないことが大事です。

岡部:移動があっても一応5年単位ぐらいだったらいいのではないでしょうか。マネージメント、マネ−ジメントと言いながら、基本的にそれができる組織形態になっていないということですね。

塩田:そうですね。

08 ハコモノ建物と文化行政

学生:吉村:建物は誰が設計したんですか?

塩田: 建物は柳澤孝彦、オペラシティの第二国立劇場も手がけていますね。

吉村: コンペで選ばれたのですか?

塩田: コンペですね。その時は僕はまだここに来ていなかったんですけれど、そのコンペの時に例えば磯崎さんのプランとかいろいろおもしろいものがあったようです。どういう経緯で柳澤さんになったのかはわからないです。必ずしも使いやすい建物ではないですよ、非常に威圧的だし。

岡部: それも親しみにくい側面のひとつでしょうね。スケール感が特殊に巨大で、導線もわかりにくいので。

塩田: レストランが逆側にあったり、最初はミュージアムショップの場所も無かった。西側に大きなアトリウムの空間をつくったけれど、西日が入る。そういう意味では、あんまり美術館のことをわかってなかったんじゃないでしょうか。

岡部: 最初の構想段階から学芸の人と議論ができたかどうかの問題もありますよ。もしやっていたら、違っていたでしょう。

吉村: 隣の公園も使用できるのですか?

塩田: さっきも岡部さんからも指摘がありましたが、公園のなかに作品を置いたり、あるいは展覧会も公園に出すなどの公園とのリンケージがなかなか難しい。

岡部: 出来れば楽しいですよね、ワークショップなんかも。

塩田: それが全く出来ない。世田谷美術館には砧公園があって、砧公園は東京都の公園ですから、結構厳重で、公園の許しを得ないで勝手にやって後で怒られたりとか、そういうことが随分あった。世田谷区で野外彫刻展をやってそれはあまり良い場所じゃなくて隅っこの方だったとか。公園担当のセクションはすごく嫌がります。で、世田谷美術館で痛い目にあっているので余計やりにくい。木場公園は美術館と一緒にやっていこうというよりは結構ガードが固い。公園の中に美術館の表示さえ、なかなか出さしてくれないぐらいですから。

岡部: 同じ東京都なのに。歩いてくる人もいるわけだから。

塩田: 本当に縦割り行政ですよね。もちろん誰が考えても国際フォーラムにあったほうがよかった。そういう立地を考えずに、今頃になって入場者が少ないことを我々が日常的に言われるわけです。だけどそれを政治的に決断したのはお役人達です。そのつけを負わされているわけですよね。

岡部: 行政が文化政策を考えていくときのヴィジョンとか芸術振興の思想や姿勢が未熟だということですね。

塩田: そうですね、だからこないだ作家のフランク・ステラに会ったら、東京には中心的なカルチャーセンターが無いと言っていた。確かにどこの都市にいっても都市の中心部にアクセスしやすいかたちでそうした施設があって、しかも無料ですよね。それがあるからこそ、美術館に大勢人が来るし、美術館も社会に根づいていく。

岡部: 市民がそれで幸せになっていくという現実がね。美術館には自分で自分のお金を使っていくのだから、行っても行かなくても自由ですし、それで享受している事に対しての喜びがあれば問題無いわけですけど、遠かったらまず享受しにくいですからね。

塩田: そうですね。文化施設はまずアクセスしやすい所に置くのが第一です。

学生:笠原:縦割り行政が変わっていく可能性はあると現場にいる人としては感じられますか?

塩田: 絶望的とはあまり言いたくないですけど、組織が大きいことで、さっき世田谷とかの話をしましたけれど、それに比べると動きが鈍いですし、その意味ではなかなか・・。

岡部: 2,3年ごとに変わる上層部の方々は、政策はともかく、結局芸術・文化のプロではなく、現代美術はまったくわからないと言ってしまうような一般大衆と同じなわけですよね。そういう人達が基本的な美術館政策とかにかかわった場合、とくに東京都のように人数が多ければ多い程大変になるわけですね。

塩田:外部に委員会があって、そのコミッティーでこういう美術館つくろうと決まったわけです。でも、その時にうたわれた理念を誰ももう覚えてない。この財政難で、とにかく目の前のことを押し付けられている。でもこの美術館を運営していく最低限の経費をどうするかっていっても、実際には1億2億の話です。それは東京都の全体の莫大な予算の中から比べれば大したことでは無い。ただ巨大な施設だから、いわゆるハコモノ行政みたいなところで批判しやすいし、そういう意味でいいターゲットになってるわけです。

K: 基金のお金を全部、都に献上しなければならなくなった時、内部で反対の声があがらなかったのですか?

塩田: もちろん我々は反対しました。文化欄で毎日新聞は書きましたけど、マスコミも特に書かなかった。そういう意味ではマスコミ・ジャーナリズムも機能してない。石原さんの文化政策に関しても、こないだ芸術新潮がインタヴュー記事を載せていましたけど、本当にチョウチン記事みたいなもんで、写真美術館の学芸員に、廊下掃除でも、便所掃除でもやらせると言ったわけですよ。要するに、徳間・石原ラインで自分達が乗り込んでくると言った。そうしたら、美術館がぐちゃぐちゃになっちゃうと、芸術がどっかにいってしまうという懸念を学芸員が表明した。それに対しては「とにかく厳しいんだから、お前達は便所掃除でも廊下掃除でもやれ、そうじゃないとお前達クビだぞ」と、それを得意になって言っているわけです。でも芸術新潮は、それに対してなんの批判的な視点もない記事でした。東京がそういう風になっていくし、国の美術館も今、非常に問題があります。だから、ここ数年で日本の美術館はますます悪い方向にいきそうな局面にきていますよね。

岡部:きちんとした将来構想とか都市計画や市民の生活を配慮したプランを練らずに、巨大なハコモノをつくってしまったのは行政なのに、維持するのが困難になると、もう投げやりなってしまうという感じですかね。

塩田:鈴木都政、鈴木知事のとにかくバブルの時に、国際フォーラムも、都庁も、全部つくってきたんですが、本当のところクリエイティブな美術館をつくるという意思もヴィジョンも持ってない。ですから例えば、建築のコンペの時に磯崎さんなんか、増殖していく美術館のアイデアで、オープンした時はそんなに大きな美術館じゃなくていいと、段々コレクションが増えていくのに伴って建物も大きくなっていけばいいという計画だった。もしそういう美術館であれば、財政的な苦境に立っても問題は無かったでしょうしね。しかも磯崎さんが設計した美術館ということで、国際的な評判にもなり、大きな要素になったと思う。

岡部:でも、磯崎さんだけではないですが、美術館の建築が、同じ名前の建築家ばかりになるのも・・・。まるで建築家のブランド・チェーンみたいになってしまいますから。もちろんクオリティは大事ですが、これまで無名でもチャンスがなかった実力のある層の建築家を発掘したり、若手の建築家にチャンスを与えるのも、美術館だったら本来、重要なことだと思います。ポンピドゥー・センターなんて、未経験の建築家を採用してますから、経験主義のみを基準にするのもおかしい。

塩田:そうですね。

岡部:もう時間ですね。

一同:どうもありがとうございました。


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