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gender research 出光真子/Idemitsu Mako
出光真子
出光真子








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イントロダクション

岡部あおみ

パワフルで孤高の人というイメージがあった。

出光真子の映像ほど、心を鋭利に刺し貫く刃をもった作品を知らない。それはユング心理学を学び、20年間も夢の分析を自ら受けてきた「心の達人」だからかもしれない。

「作品を作らざるをえない精神状態に自分を追い詰めていく。あまり幸せにはならないで暗い自分でいる。」(「出光真子作品展プロジェクト 私がつくる。私をつくる」カタログ第二部記録・資料編より)と語る言葉からも、深部へと降りてゆく毅然とした覚悟が伺える。

無意識の闇を突き、欲望のカオスをえぐる刃は、作者自らにも向けたまなざしでもある。

1940年、石油会社出光興産の創業者、出光佐三の末っ子として東京で生まれた。大富豪ではあったが家父長制の桎梏がきつく、「家」から抜け出すために1962年に渡米、66年に父の反対を押し切ってアメリカ人の画家サム・フランシスと結婚、2児の母となる。60年代終わりに8mmフィルムを撮り始め、カリフォルニア大学で実験映画の授業をうけた。70年代初頭のウーマンリブ運動のさなかで、コンシャスネス・レイジング・グループ(意識高揚グループ)に加わり、女性の視点で現状批判を行う独自な映像を斬新な手法で構築してゆく。

何本かまとめて出光真子氏の映像を見る機会があったとき、1番印象に残ったのが、家族の抑圧と無理解から自殺する画家の主婦を描いた『清子の場合』(1989)だった。画家であるがゆえに、悲劇的な死を迎えねばならなかった姉の一生から着想した作品である。『加恵、女の子でしょ!』(1996)は、美術を学ぶ女子学生が男性教員などから不当な扱いを受け、画家の夫にも創造活動を阻まれながらも、最後には個展を開くハッピーエンドの物語である。主婦からアーティストになった出光真子の苛酷な半生とも重なっている。

出光真子の強靭なメッセージは、生きる上でかけがいのない創造活動を、女性、主婦、母であっても、けっして諦めてはならないというものだ。もちろん、現代では女性だからといって、芸術的創造性を抑制されることは少ない。とはいえ、結婚した女性にとっては、残念ながら今でも社会と家族の構造がまだそれほど改良されたとはいいがたい。

新作『The Past Ahead』(直前の過去)は「境界線上の女たち」展で発表された後、ヴァージョンアップされた形で2005年に東京都現代美術館の「愛、孤独そして笑い」展で展示された。平和に見える自分の家族をとりまく戦時下の社会状況とのギャップをテーマとして、心象風景の葛藤と戦争といういつでも遠くに感じられる現実のイメージが入れ子となって、現代日本への鋭い警鐘を放つ重厚な傑作となっている。

(岡部あおみ)

2005年6月、韓国のソウルで開催された世界女性学大会での若桑みどり氏の出光真子作『The Past Ahead』(2005)に関する発表の要旨は以下のサイトで参照できる。
http://www.makoidemitsu.com/www/wworld05_j.html

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