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gallery オオタファインアーツ/OTA FINE ARTS
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー

大田秀則氏(オーナー)×岡部あおみ

学生:芦立さやか、河野通義、斉田圭一郎、佐藤美保、じゃんゆんそん、戸澤潤一、巻木かおり、ぱくちゃんほ
日時:2003年5月13日
場所:オオタファインアーツ

01 オンボロビルの再生 六本木コンプレックスのはじまり

岡部あおみ:まずギャラリーを始められた動機などについてお伺いできれば。ギャラリーを個人的に持たれたのは、恵比寿に設立したのがはじめてでしたね。

大田秀則:その前にはフジテレビギャラリーという大きい所にいました。独立したのは1994年にオープンした恵比寿のギャラリーがはじめてです。でもその時、自分が好きな現代美術と呼ばれているものが日本の文化の中で必要なのかどうかは分からなかった。今でも分からないです。たんにお金持ちの娯楽かもしれない。美術は考えるステージだと思いますが、この日本では生活の悩みにしろ進路の悩みにしろ、便利な本とか相談所とがいっぱいあり、別に美術に頼る必要もない。西洋と違って現代美術も輸入された文化だから、構造的にいっても僕はけっしてメインストリームにはならないと思ってやっているわけです。べつに勢力を拡大しようとか、大それたことは思ってない。たとえば恵比寿から六本木のコンプレックスのビルに移ったのも、べつに戦略的にというわけではなく、たまたま隣の吉井さんと小柳さんが森ビルからオンボロビルをギャラリーに使ってほしいという話があって、僕にも話が振られて、この場所もあらかじめ決められていたんですよ。2002年の秋には新川に移った人たちと一緒に下町の森下というところにある天井が5メートルの非常に広くて大きい倉庫を借りる話もあったけど、ただうまく話が進まずに、別れ別れになった。六本木では僕は見にくる人のことを考えて判断したんですね。六本木ヒルズに近いという条件はあまり興味がなく、森美術館に対しての過剰な期待もよろしくないと思う。それよりも大事だったのは、個人的に知っているギャラリーが二軒、三軒と寄り集まることが、より効果的だという判断でした。

岡部:都市開発的にも、この地域を美術とのかかわりで変えていこうとするような動きは以前からありましたか。

大田: ないと思いますよ。森ビルの考え方としては、六本木って夜の街だから、それをクリーンアップしたい、ヴァリューをあげたいという考えがあると思います。ここの家賃は一般の半分、力のない現代美術のギャラリーでも入られるようにして、それによってどういう効果がでるのかを彼等は計算していると思います。

岡部:六本木ヒルズは24時間体制で運営されているわけですが、大田さんは夜遅くまで人が行き来しているという六本木の特徴がこの場所に生かされているとはお考えになりませんか?

大田:7時すぎるとトラウマリスという隣のバーでみんな飲んでいます。あそこでは森美術館の人もヒソヒソ話の場所として利用しているし、でもみんな酔っちゃてるからヒソヒソ話にもならないのですけれども、だから人が集まりやすいところではあるんじゃないんですか。

岡部:コンプレックスに入られているオフィスは全部アート関係でしょうか。

大田:ギャラリー以外は、アラーキーとかの海外のエイジェントをやっている一色さんと、日野さんという建築家が一人います。安藤忠雄の手伝いをやっていて、独立するというんでひっぱってこられた。彼は美術のことも良く知っているし、建築の批評も上手で、われわれが森ビルと対峙する時に共通の言語を持っている唯一の人で、非常にお世話になりました。

岡部:このビルはもとは何に使われていたのですか。

大田:最初うちが入った時、お姉さんが座れるような丸いソファーがあったから、ここはたぶんクラブ。吉井さんのその隣はタバコ屋。階上も、お風呂が付いたりしてたから、個人の住居や、また何やっていたのかわからないような怪しい事務所が入っていたんでしょう。不良債権として競買にかけられた建物なんです。最初から弁護士事務所が管理しているロックされた状態のビルだったんですね。

岡部:家賃、お安いってどれぐらいですか。新川と比べてもここのほうが割安でしょうか?

大田:同じくらいか、ちょっと安いかもしれない。ただ向こうは大きいスペースが使えますからね。六本木価格で言えば、市価の半分ぐらいですね。でも恵比寿のビルも安かったんですよ。ただ恵比寿の一部はここ数年で銀座ぐらいの値段になったので、おもしろい人達がみんな逃げ出して、埼玉の美容院の大きいチェーンがドカンと店を出したり。地域のムードがここ1年特に激しく違ってきた気がする。ただこれから何年かすると寂しいことになると思いますよ。こうした利益主導の開発より、森ビルみたいにある程度考えた上で開発してくれた方が、われわれみたいな弱い立場のものは生き延びやすいです。

さわひらき展 © Ota Fine Arts

02 日本はパブリックなお金の使い方がヘタ

岡部:森さんがなさっているような若手のギャラリーの人に地域開発を含めて来ていただいて現代の創造性に寄与するといった文化貢献は、フランスだとパリ市とか国とかの公的機関が手がけています。日本では森さんが肩代わりなさっているところもあるような気がするのですが。

大田:文化は公的に保護すべきものという意見がある一方、僕はマーケットにさらされるべきものだとも思う。美術館のことで言えば、全然人気のない展覧会を毎度やっていて、いい展覧会をやっていると言えるかどうかも疑問。またもっと動員数を増やすべきというときに、担当の人がポスターをどうやって貼るか工夫しなければならないのに、そこまで努力しているかというとその評価も非常にむずかしい。多分日本で公的機関の努力に期待する場合、たとえば助成を狙って毎年アプライしている連中もいて、助成ゴロみたいに見えるときがある。僕個人としては、何かをやる時に助成はできるだけ受けたくないんですよね。商売としてギャラリーを運営しているというポジションからも当然ですが。自由というか、助成がもらえなくてだめになるようなら、文化としてもだめだと思うんですよ。

岡部:公的補助金のシステム自体を疑問視なさっているのでしょうか。

大田:補助金あるならもっと病院を作ったりしたほうがいいですよ。アートは商業的にも生き残ったほうがおもしろいじゃないですか。もちろん個人的に支援するのはいいけれども、大きいパブリックな資金を一つの所に投入するのはどうかな、わからない。それが誰の判断なのかもはっきりしませんし。まだまだお金の効率的な使い方がへただし、どう使っているのか、そのプロセスもディスクローズされていない。公共とか市民のコンセンサスという話はどの分野でも難しいです。どうコメントしたらよいかわからないし、それゆえ僕はあまり関係したくないということです。

大田秀則 © Ota Fine Arts

03 アートを輸出するとき、異文化の誤解がおもしろい

岡部: 大田さんが扱っている作家には、小沢剛さん、嶋田美子さんなど、あまりマーケット的とはいえないというか、独創的な方々がかなりいますね。

大田:みんなペインティング好きですから、名古屋出身の前川知美さんという人のペインティングは売れるわけです。でも小沢くんの牛乳箱のなすび画廊の作品は日本ではなかなか売れない。ただ、売れないと思う前に、世界をマーケットにして、前川さんを10点日本の人に売るか、小沢くんの作品を世界の人に10点売るか、と考え方を転換すればいいと思ったんです。・・・・輸入文化が多いなか、われわれはできるだけ輸出できるものに磨きをかけていけば自分達の商売の技術も伸びてくるのではないかと思っています。うちは売り上げの40%以上が輸出です。

岡部:40%というのは1997,98年ごろからですか、もっと前からですか。

大田:1995年からですね。いぜん勤務していたフジテレビギャラリーでは外国の作品をオークションで買って現代美術館に売ったりとかしていましたが、制作した作家と会ったこともなかったんですよ。なんか知っている顔をして作品の話をするんだけれども、生きているのに背の高さも知らないわけですよ。ですから独立する時にはお金が無いこともあって自分が知っている作家だけでやっていけるかどうかの実験、ということではじめたんですね。

岡部:現在、大田さんの世代で、企画画廊を経営なさっている方々の仕事の割合はだいたいそんなパーセンテージでしょうかね。

大田:画廊によって違いますけれども、ただ輸出しておもしろいのは、誤解が生じることです。その作品の意味としてこれは鉛筆であるというのが、文化の背景が違うことでこれはビールであるというふうに意味されてしまう。それはいろんなところで生じる。小学校の音楽の先生は長調のド、ミ、ソは明るいと、短調は暗いと言うけど、たとえばアフリカの人とかに聞かせたら逆かもしれないじゃないですか。文化が翻訳される時、異文化間で誤解が生じて新たな意味に跳躍するときがある。それが今一番おもしろいと思っている。

岡部:今までそうした具体例はありましたか。

大田:たとえば小沢くんはお醤油で絵を描いてフェイクの美術館を作って、それをアヴィニヨンにあるフランスのコレクション・ランベール美術館に6万ドルで売ったんですよ。学芸員はフェイクで面白いとわかるけれども、一般の人々は日本人はみな醤油で絵を描いているように思ってしまう。我々が共通概念として持っている醤油とは違う理解の仕方をするわけです。なすび画廊にしても、ミルクボックスでしょ。でも家庭に牛乳瓶を入れる箱なんか設置しない国もいっぱいある。日本でも最近は見ません。だからわかるようなわからないようなで、見る人は違うことを想起したりする。理解というのはかならず誤解を含むし、個人個人によっても受容のかたちが違う。こういう仕事やっていると、そのダイナミックな感じがわかって面白いですよ。

岡部:それで扱っているのは、日本の作家を中心になさっているわけですね。

大田:そうです。でも今日、韓国の作家のチェジョンフアが来ていて、7月に彼と小沢君とタイのスラシの3人展をします。この小さいスペースで3人展ができるかどうかわからないけれども。スラシの作品は2点、事前に原美術館で買ってもらったりしました。

岡部: チェジョンフアの事務所訪ねたことがあるのですが、彼は韓国でも画廊に所属してないのではないかしら。

大田:韓国って不思議。韓国に行って驚いたのは画廊のオーナーがみんなお金持ちで、気位高いこと。僕の接した範囲ですが、アートソンジェで、草間さんの展覧会を2月にオープンしたので、いろいろ回ってみたのだけれど、みんな大変なお金持階級。すべてがそうではないと思うけれども、チェジョンフアは自国の作家を扱わない韓国の画廊のことを好きではないらしい。それは現在のことで明日から違うかも知れないから僕はそうした点を批判してもしようがないけれど、でもその状況はすごくよくわかる。だから国によって画廊の姿勢やポジションが違うということを、韓国のなかで解くのにすごく苦労したんですよ。

川宣彰展 © Ota Fine Arts

04 願いはプライマリーで億に達する

岡部:六本木に来られてから、人が沢山来るようになったでしょうね。仕事にも繋がりますか?

大田:たくさんいらっしゃいますね。以前に比べると5倍以上でしょう。新しいお客さんも。たとえばドイツ証券の人、ドイツ銀行の人とかがお客さんになる。だから1階のショウを見にきたひとを2階で商談にまでまとめるように何かをやらなければならないと思って、5万円とか10万円でも対応できるようにしましたし、クレジットカードも使えるようにしました。

岡部:今までの作家もこの場所に合わせた展開などを考えているのかしら。

大田:かもしれないけど、たとえばバイターズというセックスワーカーの作家がいます。ゲイで売春もやる。そんな展覧会は恵比寿のスペースでひっそりとやっていた。恵比寿でも男同志がおちんちん出しているようなビデオとか、けっこうおもしろがって流したりしたんだけれど、これをここでやるとどうなるか、とか。ここは道路に面していて、表でどうどうとやってみたら文句が出るかも知れない。こうした面は、パブリックにしてもいいのかどうか僕にもわからない。それをどう解釈するか、やってみるか、やめるか。自分にセンサーシップ(検閲)があるのかどうかはある意味実験だと思うんです。

岡部:大田さんのところはいつもスタッフが二人くらいいますよね。

大田: やめる時に後任を紹介しなくてはならないことになっているのですよ。最近はボランティアの人も来てくれますが。

岡部:コレクターもあまりいない、アートのマーケットもあまりない東京ですが、最近は以前に比べれば良いほうに向かっていると思うんですが、画廊の経営はいかがでしょうか。

大田:画廊によって違うと思いますけれども、うちとか小山登美夫くんとか小柳さんは、利益をちゃんと出しているし、売り上げは億単位はいくし、ゴールドカードもようやくもっています(笑)。

岡部:ここ4、5年ですか。

大田:そうですね。でもがんばってやれば叶うこともあり、みんなでやればけっこうおもしろいですよ。最初はアートなんか儲からないとみんな言ってた。そんなの無謀だよと言われた。でも無謀かどうかやってみないとわからなかったし、僕らの経験では判断できなかった。ただどうしてもこの仕事が好きだったし、自分がどういう働きができるかを試すというか。ちょうど良かったのは何人も同時に独立して、横並びで八軒とか九軒とか足並みがそろって、うまくいったんじゃないかと思うんですね。

岡部:そのネットワークができたのは、数軒の画廊が集まって展覧会のスケジュールをチラシにした「フェイヴァリット」を出したころですか。

大田:G9、ギャラリー9と名前をつけて、スパイラルでひとまわり小さなアートフェアみたいなのをやって、それが終わっても続けたいので、みんなから月に2千円もらって一番安い印刷屋さんに頼んで、僕が編集して「フェイヴァリット」を出しはじめたのです。

岡部:その辺から日本の画廊の流れが確実に変わってきたと思います。他の都市と比べると東京には画廊も多く、東京の状況はすみやかに進んで来たと思うのですが、同時に京都・大阪などの他の都市も変わってきているのでしょうか。

大田:東京だけだと思います。大阪でも児玉画廊はがんばっていますけれど。みんな思っていることは一緒だった。自分達の作家で食いたい。たとえば、セコハンじゃなくて、プライマリーでやっていきたいという願いがあったんですよ。

岡部:美術館との関わりはどうでしょう。

大田:フジテレビの時には売り上げの半分以上が美術館でしたけどね。その後も草間彌生さんや小沢剛さんを買ってもらったり。いろいろ美術館に期待したけれども、でもある時、公共のお金に頼ったり、売り上げを美術館に頼る画廊というのは、公共事業の土建屋さん。あれと同じことだと思った。大きな購入が決まれば、半年はオッケイということもあるわけ。でもそれは日本独特の構造、土建屋的発想ですよ。それよりも苦労して同じ1千万でも美術館よりもユニークな個人の方に買ってもらったりしようとする努力が大切だと思った。またたとえば日本の1千万よりポーランドの1千万円ってすごく面白いかも知れない。同額でも貨幣価値からいえばもっと大きい。いまはまだそうした冒険ができる体力はあるから、そういうところで遊んでみたいと思っている。

05 イスタンブール・ビエンナーレの「ポエティック・ジャスティス」

岡部:大田さんは40代ですよね。

大田:今年44歳になったんですよ。

岡部:日本の場合30代、40代のコレクターが増えてきましたね。

大田:そうですね。ただ老舗画廊からは「フン」とかって、5年前とか僕はバカにされましたもの。ある種の画廊からは目の敵にされた。

岡部:どういう種類の画廊ですか。

大田:日本の画廊には古いしきたりのある大きいグループがあるんですよ。でもそういう所には興味ないから属してないし、電話がかかってきても返さないから、先方は頭に来ますよ。目をかけてくれているつもりらしいけど、僕らはすごく煙たい存在。でもそういうことはもう気にせず、ギャラリーは自分の作家のために何が貢献できるのかが一番の仕事だから。今回も小沢剛がヴェネチア・ビエンナーレに参加するのですが、国際交流基金が資金を出す日本館じゃなくて、本部のグループショーの国際セッションの会場なので、日本の公的資金からは渡航費すらでない。所属ギャラリーがここで面倒をみないといけない。片道の輸送費だけで7、80万円の出費になるわけなんですよ。

岡部: でもヴェネチア・ビエンナーレに作品を出せるのは、国際的に重要な人たちが大勢見るわけだから、ギャラリーとしても、ものすごく効率がいいと言えませんか。

大田:そうですね。そういうときれいなんだけれど。小沢君と私の間では、「こんなに費用かかるんだからなにか作品よこせよ」とか「200万分くれよ」とか(笑)。借りを返したりとか、借りを作ったりとかする関係だから、それでいいんです。

岡部:(笑)大田さんご自身も作家が参加するビエンナーレなどには実際に行かれるんですか。

大田: 自分の作家の時だけ行きますけれど、調査とかではあまり行かない。小沢剛君はヴェネチアの後、イスタンブール・ビエンナーレにも出るんです。2003年はニューヨークにあるニュー・ミュージアムのキュレーターで、ダン・キャメロンという人がディレクションをやり、テーマは「ポエティック・ジャスティス」(詩的正義)。詩の中では荒唐無稽のことが起こるわけで、それが最終的に現実に影響を与える芸術の強さとか、パワーのことを意味するわけね。そのビエンナーレに集めた作家はここ数年コミュニケーションや日常性を重要視する作家で、こうした傾向は1998年に開始した「シティ・オン・ザ・ムーヴ」や「シドニー・ビエンナーレ」が発端だった。
ダン・キャメロンを面白いと思っているのは、本来芸術の仕組みではないものを最終的に芸術の文法でまとめあげようという企画で、実際にまとめられるかどうかを見てみたいという興味が一つと、もう一つは、アメリカ人がイスタンブールという土地でジャスティス(正義)という言葉を使うこと。最初はこいつやばいなと思った。当時はイラク戦争が始まってなかったけど、トルコはEUだけれどもイスラムで、そこでアメリカ人がジャスティスという言葉で世界のアーティストを呼んで何が可能なのか。それはすごくスリリング。だからそういう現場は見ておきたい。多分2年ぐらいすると似たようなことが東京でも起ると思う。キュレーターになりたいと思ったら本当にオリジナルなことを日常的に考えたほうが僕はいいと思う。ギャラリーは半分個人的な作業だから何をやってもいいけれど、キュレーターは半ば公的なところにかかわるわけだから、難しいし、自分で考えなければいけない。
最近のアジア展ブームは何かを連想させる。日本人って上手じゃない。外国でやったやつを翻訳してやるの。ここ何年間、日本でアジア展が開催されているけど、10年前は日本人ってアジア人だと思ってなかった。それを途端に踝を変えて、アジア展というのはずるい。経済はシームレスに波及して行けばいいけど文化はそれに批判的であって欲しい。突然に大東亜共和圏ができたみたいで、その危険性をテーマにして展覧会をしたほうがよっぽどおもしろいと思う。それを無批判に韓国との問題とか、中国との関係とかを考えずに “これからはアジア”って、のんきすぎると思う。そういうことまではなかなか美術の世界だけでは語られていかないかもしれないけれども、NHK特集見たり、おばあさんに話を聞いたりして、もっと現実的な展覧会を作ってほしい。僕らの世代には優秀な人がいっぱいいるけど、何かまだホットな外国の物をこちらにという流れが依然強いから、これからの世代の人には大きな期待をしています。

06 コレクターの展覧会をやりたい

岡部:今まで大田さんが御覧になった展覧会で、これはオリジナルで良かったというのはありますか。

大田: ワタリウムの展覧会。うちの作家を使ってくれるというのもあるけれども、彼等は自分で考えている。ここ半年ぐらい渋谷で応援団したり、地域のことをしたり、美術にどういう働きができるのかを考えていて、お勉強で美術をやっているわけではない所が、外国のキュレーターにも信頼されている。

岡部: 確かにそうですね。アートのインフラはいろいろ連関していて、アーティストがいて、コレクターにつなげるのがギャラリストで、美術館は作品を展示するといったネットワークがあり、その力が全体的にアップすることでカルチャーになり、具体的なイメージとしても現れてくる。日本ではこうした構図のどこが弱くて、どこをパワーアップしなくてはならないと思われますか。

大田: 今、やろうとしているのはコレクターの展覧会、うちのお客様を何人か集めてここではなくもうちょっと大きいところで展示したいです。年間、個人で何千万円も作品を買う人がいます。昨年は日本の作品ばかりを6千万円も買った。高橋龍太郎という50歳ぐらいの有名な精神科のお医者さんで、クリニックを4軒もっています。そういうコレクターたちが何で美術品を買うのか、どういうかかわりをしているのかが見えるような展覧会を作ってみたい。
この前東京都現代美術館で「ミスミコレクション」という展示かあり、面白い作品が並んでいたけれども、ミスターミスミがどういう人かはぜんぜんわからない。結局、あれは美術館の限界、しょうがないと思います。一部上場している企業の偉い方が、何を考えてこんなものを買って、その先に何を見ているのかを、みんな見みたいと思う。アメリカが趣味なのか、ニューヨークにハッピネスを見ているのか。あるいは小さいころにトラウマがあって、ニューヨークの作品ばかりを買っているのか。そうしたアートラヴァーの動機や心情を明らかにできるような展覧会を画策中です。
日常性やコミュニケーションを重視するアートを最初に提唱したのは、横浜トリエンナーレにキャンディを出品した故フェリックス・ゴンザレス=トレスで、彼の作品は指示書だけあって、自分は美術館には行かず、キュレーターがインスタレーションする。キャンディはだれでももっていけて、作る人(本人)と観客・オーディエンスも同じ地平にいる。これまでは天才であろう作家が言ってることを翻訳する美術館があり、素人のオーディエンスが配置された作品をありがたく拝見するという構造だった。それをフラットにしたのがすごくユニーク。まずそのフラットなアイデアが一つあり、もう一つは私は小沢君が好きだから彼の言葉でいうと「私は(なに)だから、(なに)を表現する」となる。つまり、私は東京の郊外で生まれたので東京の郊外的な自己の出自から逃れない。こうした部分をみんなもっているので、それをコレクター展に込めたい。たとえば会場に、コレクターの人たちが日常的にごはんを食べる卓袱台でも、何でもいいし、彼らが座っている椅子があってもいい。「私は精神科で離婚を経験しているから心にこうした傷がある。だからこうした作品を身近におきたい」とか。こういう面はだぶん公立美術館ではできないと思う。でも展覧会はもっと自由でいい。そんな展覧会を作ってみたいです。

岡部:パリにいた時も精神科医でコレクターの人が多かったけれど日本でもそうですか。

太田:病んでるんじゃないですか(笑)。お金は使うけれども、見る眼は非常に厳しい。だてに百万二百万円じゃない。何千万だと、厳しい使い方をしなくてはならないし、買っていただく根拠とかいろいろ必要とされますよ。

07 これからアートはいい仕事

岡部:大田さんからみて日本のアーティストとは。

大田:世の中、こんなグジャグジャだからいいと思いますよ。学校であんまり教えてもらってないから、自分達で考えないといけない。どれだけ自分が頭で考えるかで、これにかかっている。

岡部:その意味でも、観客の立場として現代アートを見るのはとてもいいことだと思うんですが。

大田: ぼくは草月会館というお花の流派にまず勤めて、コレクションまでいかないけど、たまにボーナスで2万円出して作品を買ったりしていた。草月に入って美術を見だしたのが1981年、82年ごろで、当時はなんだおまえみたいに思われて画廊にも恐くって入れなくて、偉い先生にすみませんとか言って質問もなかなかできなかった。それから比べると今は非常に自由ないい感じになっているし、ユニークな人たちがたくさん出てきているので、これからいい仕事になると思いますよ。

岡部:アートを知らない人が作品を買うという現状もありますよね。

大田: 作品にも商品としての側面があるので、いろいろ問題も起きますね。たとえば草間彌生さんはもう経験済みで、どうしようもない業者の人がセカンダリーで買って、高値で売り抜けたり。それを知っていても、僕も草間さんもぜんぜん平気なわけ。ただ、この前東京で開催されたニカフの現代美術フェアで、奈良美智君の作品が、小山登美夫君のブースよりも何倍も大きい業者のブースに並んでいて、そりゃ小山君はすごく神経質になる。その業者が奈良のギャラリーと普通の人は思うもの。それはニカフがアマチュアだからで、セカンダリーの業者にあんなブースを与えてはいけない。小山君の所を中心に添えてプライマリーがあってセカンドがあるというふうにきちんと仕分けしないと。そういう教育的な側面も必要。でも大丈夫ですよ。生き延びるものは生き延びる。それ以上にギャラリーの面白いところはたぶんこうなるだろうと思いながら、未来の「絵の具」をプレゼントとかして、いろんな芽をのばしてあげるところ。それも賭けなわけですよ。もしかして間違いかも知れない。そうしながらあらたな展覧会を作っていきたい。

岡部:ギャンブラー的素質も必要。一種類の黒幕的な存在ですよね。

大田:各アーティストによって関係が違ってきます。草間さんの場合にそういう形で援助ができても、小沢君の場合は突然醤油を持って来たり、何を考えているのかわからない。なんかただ遊びでやっていると思って、それっと一緒にカセットテープに「醤油恋歌」なんて吹き込んで、最終的にCDにする。さっぱりわからないけれども、1年して振り返ってみるとコンテキストが読める。彼とはあまりアーティスティック的なことは話さない。また嶋田美子さんみたいなフェミニスティックな作家も、ついていけないから、もうどんどんやってやってと、リリースしてあげて、ステージだけ提供することが重要なことだと思う。人によって付き合い方が違うんですね。すべての作家とコミュニティを作らないいけないというルールはないと思う。

08 ずっと継続して欲しい森美術館

岡部:日本の美術館に期待していることがあったら。とくに注目なさっている人とか美術館があれば。

大田:公立の美術館というよりもどこどこの館にいるだれだれの展覧会は見に行きたいと思う。気にしているキュレーターの展覧会は遠くても見に行くし、何をやるのか期待もするし信頼している。ワタリウムのことはもう話しましたが、世代的なものがあるかもしれないけれど、東京都現代美術館なら、同世代の南雄介さん(現在は国立新美術館に移動)。あるいは豊田市美術館の都築さんなどですね。過去の作品をも取捨選択できるのはキュレーターですからね。

岡部:10月にオープンする森美術館はどうあってほしいですか。

大田:つぶれないでほしい(笑)。みんな年間とか数年の契約で、30人ぐらいスタッフがいる。30人を養うのは大変なことだと思う。森ビル自体の景気によって随分左右されるでしょうけど活動を継続して欲しい。オペラシティアートギャラリーのように続けてやってほしいです。キュレーターの人達もいろんなところからお金を持ってこられるような社会性を獲得して。これはアメリカ的すぎるかもしれないけれども。

岡部: キュレーターもファンドレージングに強い資質が望まれるということですね。

大田:以前「レッツ・エンターテイン」という展覧会を作ったフランス人のまだ30代のフィリップ・ベルニュというキュレーター、英語はあまり上手じゃないけれども、1968年に開催された昔の展覧会のパロディのような「ハウ・ラティテュード・ビカム・フォーム」という展覧会を彼がミネアポリスにあるウォーカーアートセンターで作った。かつてコンセプチュアル・アートの記念碑的な展覧会を、今の時代のリニューアルものにした。インドとか南アフリカとかトルコとか小沢君など日本の作家で構成して、文化によってこういうふうに表現が違うと提示している。
フィリップは若いから、最初はいろんなコミッティのひとに甘えてお金出してもらうわけ。安いところに泊まっていたけどね。で、いい展覧会に組みあげたところで、メキシコシティのヒューメックスというジュース作ってる会社とか、さらにいろんなところから助成をもらう。それでトリノの新美術館など2年間ツアーをする。1館あたりの参加費用が6万ドル。つまり1館700万円出してもらって今7館くらいまで決まっている。これで5000万円ぐらいは集めるのですよ。彼はその資金の中からつぎの展覧会の準備をして、一部はウォーカーアートセンターのコレクションとして作品を購入する。だから自分で個別のマネージメントができる。会社でいうと事業部制のようなものですね。
今は、日本で展覧会やって、ニューヨークから作品を美術館なりコレクターから借りると、ビジネスクラスで日本に三泊四泊という条件を出してくるわけで、それをのんでいるのが日本の美術界の実情。日本は金払いのいいお客さんですよ。
日本の美術館でやらないといけないのは企画を売ること。公立美術館では仕組みとして難しいのでしょうが、なんとかチャレンジできませんかね。与えられた予算内で展覧会を組み上げるよりも面白いでしょ。一千万円かかったものを300万円づつ3館に売れれば、経費は差し引き100万だけ。そういう計算ができて、いろんなネットワークを作れるような学芸員が出て来たらいいなと思う。時間はかかるけれども、これからはそうした方向のことを積極的にやってほしいです。美術館を多く語りましたがそれだけ重要な存在だと思っています。

岡部:理論派の大田さんは大学時代、芸術学科でしたか?

大田:いやいやぜんぜん、僕はラテンアメリカ文学。 (テープ起こし担当:ぱくちゃんほ)


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