Cultre Power
gallery ミヅマアートギャラリー/Mizuma Art Gallery
contents

01
02
03
04
05









Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
掲載情報の無断使用、転載を禁止致します。

インタヴュー

三潴末雄 ×岡部あおみ

学生:白木栄世
日時:2001年5月29日
場所:青山にあった旧ミヅマアートギャラリーにて

もとみやかをる展覧会
©Mizuma Art Gallery

      

01 青山では若い日本の作家にシフト

岡部あおみ:ミヅマアートギャラリーという名前は最初の頃からずっとカタカナですか?

三潴末雄 :自分の苗字の漢字が難しくて、なかなか書けないからです。

岡部:三潴さんはギャラリーの仕事なさる前にはどうされていたのですか。

三潴:最初の頃はアーティストじゃないけどハプニングなどをしていて、飯が食えないことが分かって広告業界にずっと転身していました。それでPR誌をやって、その表紙をカバーギャラリーと称して、日本向けのPR誌にはヨーロッパの若い作家たちの作品を紹介して、外国向けには日本の中堅の作家を紹介したりしてアートにも関わっていた。そうしているうちに作家たちの作品が欲しくなって、お金を出して買いながら、だんだんそういう風になっていったのですね。音楽の評論家である父親の影響もあった。だからこういうギャラリーをやるのは親父の影響だってみんな言うのです。最初のギャラリーは1989年に西麻布ではじめ、ここに1994年に移ったのです。(2002年3月に目黒区に移転、北青山ではレンタルギャラリーESも経営している。)

岡部:以前に比べると少し広くなったようですね。

三潴:一番違うのは、当時は麻布の家賃が高くてこっちは安い。この辺はなにもなかった。最近5、6年で高くなった。レストランとブティックとあと美容院のおかげで・・

岡部:「カリスマ美容師」とかいう影響で・・(笑)

三潴:そう、それでものすごく変わった。銀座も地盤沈下しているでしょう。銀座はだいたい京橋に集まっている。このギャラリーのスペースのデザインは僕がやったのですよ。マンションの事務所みたいな感じに。だからいつでも美容院にすぐこのままなれちゃうっていう風に・・

岡部:で、第二回目の移転の際に大きく変わったのは何ですか。

三潴:場所より何より、「作家」ですね。特にはじめた頃はフランスのマーグ画廊の付き合いで結構マーグの作家をやりました。マーグはご存知のように今ではモダンで、現代は、特に僕が出会った頃にやっていた黒田アキを除いて全部消えた。例えば92年だったか、欧米で活躍している日本の作家を含めた3人の絵描きをNYで日米美術交流協会の「ダブルテイク」展を僕がキュレーターしたのですが、彼らは、ある種のモダニズムにおける西洋の文脈の中で結構そこのモダニズムの評価を受けている作家達だった訳です。そういう外国で有名になった作家を日本につれてきて紹介したとしても僕はその人にとってべつになんでもないし、向こうの評価がすでにあるわけですよね。そうじゃなくて自分で見つける。結局、今の美術教育もそうだけど、西洋のモダニズムとか戦後アメリカの現代アートの考え方の優等生みたいな作家たちを探してもしょうがないし、別に土着とはいわないけど、日本の土で栄養分を吸って、この空気吸って日本の中でしか育たない植物があるように、そういう作家っていないものかと、1995年ぐらいからけっこう若い人にシフトを変えていきました。特に「モルフェ」というアートイベントを青山でやるようになってから、そういう作家たちと出会ったり、例えば会田誠にしても「モルフェ」からですよ。

02 危険作家・会田誠

岡部:会田さんとのお付き合いは長いですね。いわゆる欧米並みの普通の企画画廊というかたちで契約を作家となさっているのですか。

三潴:やっています。僕は作家との形はインターナショナルにやりたいと相手に伝えてありますからね。僕の最終的目標は日本の作家たちを海外に出すこと、インターナショナルな作家にしたい願望がありますので、本当の意味で日本のギャラリストとしてプロデュースしていきたいということです。だからやはり作家たちとそういう話はちゃんとしないといけない。

岡部:だから契約を結んでスタートする。その方法ってすごくヨーロッパ式じゃないですか。日本はわりと契約はやりたがらないところがあるのではないですか。

三潴:マーグのアドリアンにけっこう教育を受けたから、彼なんかアトリエまで全部作家に与えるでしょ。そんなお金はないですけど、人によっては家賃の援助までしていましたから(笑)。会田なんか年がら年中家賃払えないで結局うちで家賃払っていましたしね。そういう風にして全員が全員というわけではないですがね。

岡部:何人かはかなりサポートする形でやっていっている。でもその場合、例えば会田さんもある程度、作品を定期的に売る方法での交換になるのですか。

三潴:うーん、会田は最初4年、5年は全然売れなかったし、ようやくここに来てみんなが会田、会田ってきてくれたのですよ。

岡部:人気すごいですよね。横浜トリエンナーレにも出てますし。

三潴:会田誠はうちの作家の中でも「同じものを繰り返しつくらない」作家です。マルチプルもやりたくないので、ひとつひとつが全部違う。だからべつの作家たちのグループ展みたいに思われるほど中身が違う。ですからなかなか売るの難しい。シリーズになっているもの、例えば「戦争画リターンズ」などだやりやすい。

岡部:かなりラディカルですが、コレクターたちはどう思うのでしょう。

三潴:現代アートのコレクターの中で'90年代のアートとか2000年代におけるアートのアリバイ証明的に欲しいという人はいるのです。一枚だったら欲しいとか。でもそういう人は悉く断っている。やっぱりある程度まとめて、継続的に買ってくれないと、売りたくないっていうかんじですね。

岡部:三瀦さんがストックしてお持ちなのですか。

三潴:ギャラリーと作家と二人で我々共同の権利っていう形でやらないといけませんね。もちろん最初は、僕が買っていましたけど。今はもう違います。それで、ようやく今は、何人かが継続的に、ずっと買っている。近頃は、トリエンナーレなんかの3m、2mある作品、ニューヨークで描き始めたけど、帰ってきて一年以上かかった作品を、もうその時点からほしいほしいっていう方いますね。

岡部:日本の個人コレクターですか?

三潴:そうです。その人もニューヨークでみていたのですが、ただその絵はオープンスタジオあったから、アメリカのジェフリーダイチにはじまって、けっこう目立ったギャラリストが展覧会で出してくれってオファーがものすごくきたけど、出さなかった。というか、でき上がらなかった(笑)。結局こっちに帰ってきて仕上がった。

岡部:では、これから美術館などがほしいっていえば、まとめて出すことができますね。

三潴:できますね。でも彼、なかなか危険作家だから、美術館で展示できますかね。わからないですが。でも、いずれ会田誠っていう特異な作家がいたと検証できる場所はできるのじゃないかな。そういうつもりで買っているも人います。

03 売れる山口晃とアジアブーム

岡部:山口さんの個展にはびっくりしました。初期の頃はそんなでもなかったですが、今回の展覧会などでも、見事に完売していました。

三潴:オープニングの前日に外国の人が来ていた。今、カナダとかアメリカにいるのですよ、そういうコレクターの人たち、彼らは早速、今年はいつ個展やるんだと聞いてくる。みんな欲しがっている。

岡部:やっぱり山口さんが一番売れ口ですか。買う人も外国人が多いですか。

三潴:向こう(外国)が多いですね。だから今、会田と山口は向こうで欲しがられている。

岡部:会田さんも外国人が多いのですか?

三潴:来ていますよ。かなり。

岡部:でも売ってないのですよね。

三潴:売ってないですよ。それとね、今やっぱり特にアメリカがアジアブームでしょ。アジアブームというと全部中国にいっているのですが、日本にも興味が来ています。で日本の作家でおもしろい作家を一生懸命みています。

岡部:でも同じ人ではないのではないでしょうか。中国のアートを収集しているコレクターが日本にも興味をもつことはあるのかしら。中国に関心をもつ人は中国ばかりの感じですが。ある程度アジア系の作家という感じで関心が広い人だったら違うかもしれませんけど。

三潴:僕は遅ればせながら今年スペインのアートフェア、アルコに出たのですよ。アルコにうちは松蔭くんという写真をやっている作家の「スター」という作品をもっていきました。インタラクティブアートですけど、日本の女の子200人を集めて彼がパフォーマンスやって女の子達が「キャー」とか拍手したのを全部同時的に映像に録音しておくのです。それを写真の9mぐらいの大きなパネル9枚にして、これがスクリーンになっていてそこにマイクロホンを置くのです。そのマイクの前で上にスポットライトがあってしゃべるとそこがステージになる。それでその女の子達が声によって反応するんですよ。キャーとかワーとか。だから要するにきみもスターになれるという作品。それをアルコに持っていった。そしたらものすごく受けました。8種類ぐらいの音声に分わかれているんです。でもスペイン人には「どうぞ叫んでください」って書いといたら「叫ばないで下さい」って書かなきゃいけないくらいのノリのよさで、ものすごいことになっちゃった。人がものすごく来て、マスコミは殺到し、前のスタンドのギャラリーからものすごいクレームが入りました。

岡部:そうでしょうね、音も出るし。

三潴:そう、そのうち結構分かってくれたのですが、もっと離れたところにいる人が、よく分かったような真面目な言い方で、「お前ね、エレガンスを知っているか。エレガンスということはね・・これはすばらしい作品だが一日2時間で十分だ」って。2時間にしろとは言わないですけどね。でもスペインですごく受けて、他にもいろんな話が来ています。ロンドンにもその作品は行っています。セルフェッジでやって、バービカンでも一部出していますけど、「スター」は、アムステルダムのフェアに向こうの画商が出してくれて、その後はカナダ。どんどん紹介するのが決まっている。

岡部:すごいですね、一回そうやって認知されるとあちらこちらから引く手あまたみたいな感じですね。

三潴:やっぱり、おもしろいですよ。だけどちょっと気を遣うのはカラオケ風に思われた部分があることです。彼は全然そういう気はない。自分で「ゴージャラス」っていう二人のバンドをしている経験からそういう制作をしたのですが、カラオケ文化みたいに言われると違うって感じですね。あと、スイスのバーゼルのフェアはなかなか難しくて出られないんだけど、マイアミではじめて、バーゼル・マイアミアートフェアをやるのです。マイアミには世界中のコレクターがいる。あそこで同じバーゼルのフェアがあるので、そこにはじめて出します。世界のアートフェアにもっと積極的に出て、作家たちを連れて行って紹介をしていこうと考えています。

岡部:そこにはどなたの作品を出品なさるのですか?

三潴:今度はまあ、会田、山口、筒井、OJUN(オウジュン)って作家、彼は今度アルファエムでやりますけど。彼なんかももっていこうと思っていますね。ようやく作家たちが自分なりの形みたいなのを出してきたので、海外にも持っていける感じですね。

04 鴻池朋子などの女性作家たち

岡部:90年代後半5、6年は日本の現代アートの状況が著しくプラス方向に変わりましたよね。作家もすごく活躍するようになっていますし、コレクターも日本の中でも増えてきています。でも具体的にはミヅマアートギャラリーでは、欧米のほうに売れる率が多いのですか?

三潴:いやそんなことはないですよ。国内にもいます。もちろん価格帯によりますけど、若い人ですよ、結構。例えば10万20万ぐらいだったら買います。去年、鴻池朋子を初めてやった。彼女、完売したので、僕もびっくりした。ふっと通りすがりの人が買ったりしてくれましたね。このギャラリーの前にショウという小さなギャラリーができたのですけど、彼は骨董商でもあり、コレクターでもあり、現代アートのギャラリーもはじめた。あれは奈良美智の影響でしょうね。奈良美智を買っているのは骨董商多いから。

岡部:どうしてでしょう。

三潴:いやわからないけど。古い物を扱う人は先見の眼があるのではないでしょうか。あとは村上隆の活躍。村上、奈良が突出していて、あと曽根裕もかなり活躍しています。彼はNYのツベルナー・ギャラリーの契約作家です。おそらく日本の若手のコンセプチュアルなああいう作家ではナンバーワンじゃないですか。ヨーロッパの中でもいい線いっているのではないですか。

岡部:曽根さんは各地で大きな国際展に出ていますし(2003年のヴェネチア・ビエンナーレの日本館にも出品)、ビデオ作品もあるので、インスタレーション以外にも出品できます。なかなかおもしろいですね。三瀦さんのところから横浜のトリエンナーレに出るのは会田さんとどなたでしたっけ。

三潴:あとジュン=グエン・ハツシバがいます。(倉敷の大原美術館で、横浜トリエンナーレに出品したハツシバの映像作品を日本で最初に購入)

岡部:わりと男性が多いですね。

三潴:そうですね、それで最近うちの作家には、鴻池さんだとか、もとみやかをるさんとか、できやよいさん、あともう一人ね岡田裕子っていって会田君と結婚した作家がいますね。同時期にICCというアメリカに行く奨学金の試験に受かって。で、アメリカで会田は作品何も完成しなかったのですが、彼女に作品をつくって、つまり今年の7月におめでたなのですよ(息子とともに会田家として活動もしている)。

岡部:そうですね、同じ画廊だったのですね。この前二人で歩いていた時ばったりギャラリーでお会いしました。岡田さんの作品はどうですか。

三潴:岡田はね「LOVE'S BODY」という展覧会が写真美術館であり、一番若手でとりあげられた作家ですね。写真にちょっとコラージュした作品がおもしろくて写真美術館の笠原美智子さんが今年のヨーロッパの展覧会なんかに推薦するって言っていたのですが、結局断ったみたいですね。

岡部:できやよいさんも三瀦さんと仕事なさっているのですか?変わったところがある人らしいですね。

三潴:彼女は椹木野衣から頼まれて、ちゃんとした画廊でデビューさせたいってことだったので。ただ、みんなが一気にやりすぎて、ヴェネチアの建築ビエンナーレにも持ち上げられたり、マネージャーがついたりとかしたでしょ。もともと普通の話が通じない子だったのですが。有名な人のレコードのジャケットとかやったりもしているようです。ま、才能はあるし、若いから、22、3だから、そういうもの持っていますし。できやよいと草間弥生が対談したでしょ。話かみ合ってないけど。「あんたずいぶん若くしているわね」って。同じ「やよい」だけど(笑)。

岡部:でも通じるところがあるのかもしれませんね。こういう風に多少、少しずつ作家が増えたりとか減ったりとかするのですね。

三潴:最近考えているのはね、我々もトルシエじゃないけどイレブンチームかな。最初は野球かなと思っていましたけどやっぱりサッカーかな。サッカーチームで11人のベストメンバーに何人かの補欠がいる、みたいな形。そんなにたくさんフォローできないし、ま、最初の頃ずっと'94年くらいから夢中でどんどん新しい作家やってきた中で、大体残る作家は決まってきている。でも、そうすると若い世代が入ってこないですから、次も少しやらないとは思ってはいます。

05 運営・観客・マーケット

岡部:ギャラリーとしては運営的にはうまくいっているのでしょうか。

三潴:まあね、家賃が上がってきています。それも急激な値上がり。特にこの辺が一番上がっている。だからバブル期よりずうっと高くなっているのが実情。35坪ぐらいありますから。奥のバックヤードも入れて。

岡部:借りるだけで60万円とかするわけですか。それでは大変ですね。

三潴:いきますよね。作家が多いから他にも倉庫借りています。それはそんなに高いものじゃないですが。ですので、この前思い立って、アメリカに進出してやろうと。どうせ家賃高いならアメリカで仕事した方がいいかな、って思ったらアメリカの家賃は日本よりも、もっと高い。

岡部:それはニューヨークの中心の画廊街とか、1等地だったからではないですか。

三潴:じゃなくて。それが、チェルシー。チェルシーって大体基本的には19丁目から22、3丁目までチェルシーで、下の方は14丁目まである。上はもっと27、8。今ではさらに下のミートパッケージエリアっていう肉屋さんのある場所にまでギャラリーが入ってきている。ニューヨークはかつては広くて安かった。ところが、最近は全然です。だから物価でもなんでもみんな高い。イーストビレッジも高いし。作家なんかはブルックリンに行っている。

岡部:そうしたらニューヨークでは賃貸は難しくて、もともとアパートやビルを持っている人しか住めなくなってしまいますね。ここのギャラリーはどのくらい人が来るんですか。

三潴:最近かなりきますね。展覧会の内容によるけども、ちなみに会田がやったときなど、たまたま水戸芸術館でもグループ展に参加していた時ですが、ほんとにまだ覚えているのですが、1月7日にギャラリーをオープンした時に人が並んでいて、何しているのかと聞いたら、「水戸芸の帰りに寄ったのです」って。その日150人入ったのです。そのうちほとんどが地方の人だった。そのとき彼の展覧会は正月一ヶ月間やっていて5000人くらい来た。

岡部:すごい。現代美術の個展だったら美術館でさえ1万人越せばばかなりいいほうではないでしょうか。ちょっとセンセーショナル。

三潴:ほんとに。大変な人数でしたよ。彼のカタログを出したとき、大体そのくらいはいきましたから。全国で売りましたけど。

岡部:だけどギャラリーでは観客数のカウントはしてないですよね。

三潴:やっていましたよ。でも、たぶん最近やめたのじゃないですか。僕はカウントしろって言っています。大体、記名帖に書いた人とただ来たカウントされた人で、書く人が半分。その比率なんかもどのくらいかなと、番号振ってやっているのです。これ棚田くんという彫刻の作家ですが、書いた人だけで約500、だからこの倍から1.5倍が要するに大体一ヶ月ぐらいですね。会田の時は書いた人だけで2000人くらいいますから。

岡部:でもいつも来る人は書かないでしょうし。コレクターの人は前の日ぐらいからコンタクトして展示のときにすぐ来られるのですか。

三潴:そういう人もいますし、土曜に来てもらうとか、休みの日に待ち合わせして来てもらいますね。まぁ、昔ほどコレクターがわがままでうるさいことはないですよ。わりとサラリーマンとかのコレクターが多いでしょ。あと、変な話ですけど、「ぴあ」に出るとすごく反応がいい。

岡部:やはりメディアの反応はすごいんですね。

三潴:特にぴあすごいです。うちなんかカラーで出たりしますし。あれ出るだけでも違います。あと、テレビのNHKの真夜中の王国。あれもしょっちゅうギャラリーやっていますけど。

岡部:でもそういう風にどんどん現代アートを買う人も増え、つくるアーティストも生活ができるようになればいいですよね。 

三潴:だから僕は日本ではみんなアマチュアだと言ってるんですよ。そういうマーケットのないところにはアーティストは育たないってことです。ま、会田は働いてない。借金してまでも働かないっていう形だから。・・・そういう意味で目の色変わってきますよ。特に会田なんて結婚しちゃったしミルク代稼がなきゃ。マルチプルはいやだとか話していましたけどね・・だからポスターなんかつくってる。「切腹女子高生」の作品はものすごく売れてるんです。もうパルコだけで2回ぐらい刷ったから2000枚ぐらい売っていますよ。で、今度またつくるのですよ。1500円ですけどね。

岡部:でも、たくさん売れるといいですね。

三潴:あれはね、外国で飛ぶように売れるのです。

岡部:モティーフが多少エキゾチックだからかしら。会田さんはそれでも日本でやっていくつもりでしょう。

三潴:そうですね、もちろん。彼はドメスティックでいいっていう、自分は現代アートじゃないと言っていますから。アメリカに出たからってみんな現代アートだって言われるけど、俺は現代アートじゃない、ちょっと違うって。

岡部:三瀦さんご自身がすごく好きでも、ご自分のギャラリーではなかなかできない作家もいますか。どうしても市場のマーケットと結びつきがたいということになるかもしれませんが。

三潴:ええ、いますよ。できないというか、今人数もこれだけいるし簡単に手を出せない人もいますね。まあ、性格もよくて作品のいい作家ってなかなかいないから。よく言われますけどね。ただ自分では現代アートの日本の若い作家の動向を分析しています。リストつくってある。例えば簡単に言えばリスト外のところに草間弥生とか河原温とかそういう人たちがいますけど、その下の世代、特に森村ぐらい、宮島、杉本博司ぐらい、あとそれから下という、そうすると村上からはじまってくる。わりと裾野まで含めて大体100人弱ぐらいをリストアップしていますね。その中で、外国のギャラリーで展覧会やった人とかフェアに出ている、そういうところから点数を考えていきます。また作品の内容ですとか、それこそ新進気鋭の作家でこれから先いくかどうかみたいなことも考えますね。僕はね、本当は外国で自分のところ以外の作家もやりたいというのが根底にあって、アメリカでスペースを持ちたい。アメリカでやるのは日本の若い作家を、ないしアジアと日本しかやらないというギャラリーをやりたい。でも向こうの人と組まなきゃいけない。やはり向こうの事情を分からないといけないから、その人の意向も入れないとならない。そうすると僕の考えている強烈な匂いがなくなってしまうのです。 

岡部:それはちょっと残念ですね。でもNYはマーケットか的に言えば一番仕事になりますし。

三潴:やはり、なんていうよりも世界がね。僕が最初の頃ヨーロッパ行っていたころはアメリカの作家はみんなタフだな。やだな。と思っていたわけですが、でもやっぱり今はアメリカでしょう。いい作家みんな集まるし。それと景気がいいのでアーティストインレジデンスの招待システムが盛んで作家が沢山行ける、半年とか。すごく多いですよ。

岡部:アメリカの場合は支援が豊かで、全世界的な支援の広がりがありますから。

三潴:だから世界から集まっている。この前もね、ホイットニーに行ったっていうスウェーデンの彫刻と版画の作家が2人来ていたのです。なんで日本に来たのかときいたら、アメリカにいたけど東京、スェーデン、NYと考えたときに東京に興味があってきたということでしたね。で、どうだったかを聞いたら「東京に抽象画が多いのでびっくりした」って。(大笑)

岡部:確かにそうですね。日本って抽象画が多いですね。具象系は少ない。なぜだと思います?

三潴:いやー、だから我々の教育システムを含めてまだ古いから。やっぱりそういうものはみんなまだですね。うん、最初の出会いに留まっちゃうからですかね。

岡部:すごく興味深い話をありがとうございました。

(テープ起こし:岡内秀明)


↑トップへ戻る