インタヴュー
小山登美夫×岡部あおみ
学生:江上沙羅、笠原佐知子、國井万紗子、鈴木さやか
日時:2000年12月12日
場所:佐賀町の食料ビルにあった小山登美夫ギャラリーの外のベランダ
01 ギャラリースペースの運営/ギャラリストになったきっかけ
岡部あおみ(岡部):小山さんは、1996年に佐賀町の食糧ビルのなかにギャラリーをオープンする前は、どこで仕事をなさっていらしたのでしょうか。
小山登美夫(小山):僕は東京芸大の芸術学科を出てから、西村画廊という銀座の画廊に勤めていて、そこは舟越桂とか、ホックニーとかをやってるギャラリーなんですが、そこに3年くらいいて、白石コンテンポラリーアートに移り、その時白石さんの会社が東高現代美術館という青山にある美術館のオーガナイズをしていた頃で、そこで働いてたんですね。白石さんの所には全部で6年半くらい。その東高現代美術館は3年くらいでクローズしてしまって、白石さんの事務所のあった表参道のビルにプロジェクト・ルームという小さいスペースを作り、谷中に銭湯を改造してスカイ・ザ・バスハウスがオープンし、そこを任せられて展覧会の企画をしていました。その後1996年に食糧ビルで自分のギャラリーをオープンしました。
岡部:芸大の芸術学科を出て、先輩でギャラリストになった方はいらしたのですか?
小山:先輩では北川フラムさんがいます。あの方の時は大学紛争の頃で。あと経営者はほとんどいないと思います。働いている人は何人かいらっしゃいますけど、自分でやってる人はいないと思います。
岡部:学生の頃から、ギャラリーを経営したいと思うきっかけがあったのですか?
小山:先輩が西村画廊でバイトしていたところに遊びに行って、次の日からバイトしただけです。でもギャラリーというところへは中学生ぐらいから行っていた。見ることが好きっていうか、本にのってる本物の絵を見られるところがギャラリーしかなかった。ギャラリー自体にはよく行っていましたけど、仕事をする気はあまりなく、大学時代はほとんど美術から離れていた。映画とか演劇とかばっかり見ていて。だけどギャラリーで働き出すようになってまた美術を見出して、それから面白いかな、と思ったんです。
岡部:ギャラリーはもっとも新しい作品に触れられる最初の窓口みたいなものですよね。
小山:アーティストによっては、成功して値段が高くなったりする。そういうシステムも面白いと思い、業界にずっといてシステムもなんとなくわかってきて、それで自分でやってみようかなと思ったわけです。
岡部:なるほど。それで西村画廊は3年でお辞めになり、それは白石さんと出会ったかなんかの理由ですか?
小山:いや、白石さんとは、西村画廊をやめてから、知人の紹介で会いました。
02 SCAI THE BATH HOUSEでの展覧会企画
岡部:白石さんとはずいぶん長く仕事をなさって、古い銭湯をギャラリーにしたスカイ・ザ・バスハウスの改装なども担当なさったのですよね。
小山:そうです。僕の芸大の友人が谷中周辺の街作りというか、街並保存をやっていて、白石さんに話したらおもしろいと乗り気になったので、銭湯をギャラリーにする改造計画が進んだわけです.
岡部:学生時代に谷中に馴染んでいた小山さんを通してあの界隈に移ることが決まったわけですね。白石さんご自身にもお話を伺ったことがあるのですが、小山さんはスカイをどういう風に感じられていましたか?
小山:その頃、村上隆とか、中村政人とか、自分たちの世代の作家が30歳くらいになって登場してきて、そういう人たちと一緒にスカイで仕事をしてたんです。スカイ自体のスペースは特殊で、日本にはあんまりない贅沢な空間で、面白いんですけれども、あれだけ大きなスケールだとその頃の作家では企画して売れたとしても、見合わなかった。白石さんたちにとってみたら、若い作家の展覧会は全部売れたとしても売上高がそんなにならないので、あれだけ大きい母体を維持するだけのお金は得られない。色んな事をやらせてもらったんですけど。
岡部:つまりスペースの売上と、スペースの維持費が合わないという事ですね。現代アートにとっては素晴らしいスペースで、いろいろできたけど経営が成り立たない。
小山:そう。だから出て独立して、家賃も安い小さいギャラリーで、自分達の世代の作家を中心に始めたわけです。奈良美智さんもスカイで1回目にやりましたから、そういう人たちに、プラス、日本でまだ発表する事のなかった同じ世代の外国の作家も入れてやっていくようにしたんですね。
03 ギャラリーの基本は売ること
岡部:食糧ビルのスペースに移られたときにはまだ佐賀町エキジビットスペースが活発な活動をしていた頃ですね。佐賀町エギジビットスペース以外で、食糧ビルに画廊を開いたのは小山さんが最初で、Taro Nasuギャラリーの那須さんは後ですか。佐賀町には現代アート好きの人が来るので、ギャラリーとしてはいいロケーションだったわけですね。
小山:僕の前に佐谷周吾さんがあそこで美術室をやっていました。僕らは基本的に売る場所なんで、お客さんの数よりも、売ることの方が中心だから、だいたいのお客さんは固まってきましたね。
岡部:見てくれる人のなかで、いわゆる常連の顧客がいると。
小山:その人たちは、佐賀町に来る人たちとあまり重なっていないかもしれない。だけど、いろんな人に見てもらうのも大事。逆に美術館の人たちはほとんど来ないけど、コレクターは来ますね。
岡部:マメに来てくれるファンのコレクターの人も、やはり同世代が中心なのですか?
小山:いや、60代くらいの人から30代ぐらいまで、30、40代の人が割合に多いですね。
岡部:観客としては、那須さんが開廊してから、複数のギャラリーを同じビルで見られるようになり、楽でした。
小山:同じような業種なので、そういった意味でお互いにメリットがあります。今度、1回同じ作家の展覧会をしようという話もでています。
小山登美夫ギャラリー
© Yoshitaka Uchida (Nomadic Studio)
04 作家との契約システムは80年代の夢
岡部:アーティストとの契約はどのようにしているのですか?例えば外国の美術館のキュレーターやコレクターからコンタクトがあると、きちんと資料を出してあげたりとかの資料援助や協力はなさるんでしょう。
小山:契約は結んでないです。口約束みたいな形でしか成立してない。でも窓口的な役割はしています。
岡部:扱っている作家なら、日本での販売は、自分のところを通すというような約束はあるのでしょうか?
小山:基本的には通します。
岡部:ほとんどみんな人間関係みたいな感じで仕事なさるのですか?
小山:アメリカでも、ほとんどそうです。契約システムというのは、バブルのころの80年代の夢で、アメリカが多分中心になってやっていたと思うんだけど、もうできないでしょう。両方とも縛られてしまうし。
岡部:うまくいっていれば問題ないですが、トラぶるのはどんなところですか?
小山:とりあえず、今のところはないですが。まあ不明瞭になったり、経理がずさんになったりということはあるかもしれませんけど、基本的にはないと思いますけどね。
05 海外アート・フェアへの出品
岡部:日本で作品が売れた場合には、コミッションで半額いただくとか、海外だったら、運送費や保険があるので、もう少し手数料がかかるとかになるわけですね。
小山:海外では、運送費は一応向こうもちでやることが多いです。ケアしてくれます。あとは向こうのアート・フェアででたときに、そこから売るとか。売れたものはたいていそういうふうにして移動します。だけど、海外のコレクターの人はだいたい経費は自分達でケアする事も頭の中にありますので、ちゃんとしています。
岡部:最近は日本の作家の作品が海外でも売れるようになって、自主企画のギャラリーが成立できるようになったとおっしゃっていたと思うんですが、1995、96年ぐらいからですか?
小山:1997,98年ぐらいからじゃないですか。現代アート見本市をアートフェアといいますが、世界中にあって、僕は1996年からそれに出品しはじめ、今はロサンゼルス、マイアミ、ニューヨーク、バーゼル、シカゴなどに出品しています。資金はかかりますが、見返りがありますから。
岡部:スイスのバーゼルはわりと売れると聞いてますけど、パリのFIACというアートフェアはそれほどではないと。
小山:パリには行かないですよ。1番はじめ、1996年ですが、ニューヨークのグラマシー・アート・フェアというかなり若手のギャラリーフェアがあり、グラマシー・パーク・ホテルを借りてやるんです。僕らはそこに住んで、朝そこでアート・フェアをオープンして、50軒くらいのギャラリーが集まって開く。1回10万円くらいで済むんです。
岡部:すごく安いですね。小さなスペースですか?
小山:プラス、そこのスタンド代ですが。僕は作品を手持ちで持って行った。小さいといってもけっこうドローイングとかがいっぱいありますからね。
岡部:向こうで額に入れたり?
小山:額にも全然入れず、そのままどんどん貼って。相当売れましたよ。
岡部:海外フェアへの進出が食糧ビルでのご自分の画廊の立ち上げと同じくらいの時期ですが、当時は、そういうふうに日本から若いギャラリストが海外のフェアに出て行くことも少なかったでしょうね。
小山:僕がほんと初めてですよ。立派なシカゴとかバーゼルのフェアには何軒か出ていたけど、インディーぽいところは僕が初めてかな。僕とタカイシイというギャラリストぐらい。最近はみんなバーゼルのリステっていうヤングアートフェアに出しているけど。あとシカゴやミラノやケルンにも行きました。もう大変。チューリッヒは最悪だった。
岡部どうして?
小山:ぜんぜん売れない。まったく違うものでしたね。コンサバで。
バーゼルアートフェア2004、小山登美夫ギャラリーブース
福井篤作品展示風景
福井篤展、2004
06 リーディング・コレクターが動けば、マーケットも動く
岡部:感触もいいし、続けたいと思うフェアはどこですか?
小山:一昨年くらいにニューヨークにアーモリーショーができたんですけど、それがすごくクオリティが高い。それとバーゼルのメッセの方にも出店しているのでけっこういいはずです。バーゼルは売れます。でも1年目は、村上隆のフィギュアやペインティング、奈良美智のすごくいいペインティングを持っていっても、大きいものは全く売れなかった。
岡部:それが不思議ですね。とたんに売れ初めて。メディアのせいもあるのかしら?
小山:メディアもあるし、今はみんなが欲しがっている。はじめに何人かのコレクターの人が買うんですよ。ピーター・ノートン、ルベル、サンフランシスコのケント・ローガン、ボストンのケネス・ケンフリードとか、そういう何人かのリーディング・コレクターがいて、その人たちが買い始めると、アメリカのマーケットも動き始める。なかでもルベルはすごく良かった。ともかくすごい。
岡部:一種の定評というか、彼らを目ききとしてみんながリスペクトしているわけですね。ルベルのコレクション、見ることができるのですか?
小山:ええ、もちろん。こないだジェイソンって息子が新婚旅行でアジアをまわったんですけど、1日目にここ来て、村上さんの絵を2点買った。若いから、奈良君の絵も1番初めに買おうと言ったのは息子の方で、それから親たちが結構買い始め、とても大きな作品を買ってます。彼らのスペースは倉庫みたいなところを展示室にする。すごいですよ、マイアミ。素晴らしいです。
岡部:何百点もあるのですか?でも公開してる人はあまりいないですね。
小山:東京の現代美術館のコレクションなんて、比べものにならない。現代だけなら全然いいコレクションですよ。ケント・ローガンはコレクションを全部サンフランシスコMOMAに寄付した。あと、ディーン・バランタインは、テレビ局の重役かなんかで、その人もたくさん買った。その人たちが買ったってことは、すごくいいという宣伝文句です。大きなものはほとんどアメリカとか外国とかで売れてます。日本ではほとんど買う人はいない。
07 コレクターは情報量と資金力
岡部:大きい作品の場合、日本では美術館以外は普通の家ではあまり置けるところがないですし。でも日本でこういうレベルのコレクターが出てくる可能性はあるのでしょうか。
小山:見たことないですね。だけど、若いコレクターではすごくいい人たちは一杯います。それで何が問題かっていうと、情報量と資金力です。アメリカのコレクターは情報をどう追っかけていくかを知っています。価値がある作品は高くなるわけだから、基本的には投資と重なる。そういった事でいつもいい作家の情報とか、誰が興味を持っているとか、いろんな情報を常にゲットしている。日本のコレクターも、お金はないですけど、若い人たちを追いかけようとする熱意のある人たちがでてきて、どこのギャラリーでやったとかを知ってます。市場価値はそういう情報に繋がってますから。ここ何年かで、同じ情報量、同じレベルまではいかないけど、ある程度外国の情報と同じクオリティを持ったギャラリーがいくつか出てきてるので、それが一番大事ですよ。
岡部:外国に行かなくても、外国と同じレベルの重要な作家を扱ってるギャラリーがある。
小山:そうです。それが20年ぐらい前とはすごく違うところです。今、だけどロサンゼルス、5万円で行けるんだよね。HISと「地球の歩き方」が全てを変えて…あっという間に行けますよ。福岡に行くより全然安い。
08 情報として「美術」を見ない日本のキュレーター
岡部:日本では、若い人が少しずつ小さいものを買っていますね。
小山:大きなものは買えない。とにかく遅れているのは美術館。美術館のキュレーターの人たちは情報として美術を見ないんですよ。それはすごく遅れてます。
岡部:「情報として美術を見る」というのはいいキーワードですね。総合的なものですから。
小山:みんな「あー、いい作品だね」とか言ってるけど、その前にいろんな情報があって美術の世界は成立している。本当にモダニスティックに、この1点はいい・悪いっていう問題じゃない。全然違うわけで、そのところをみんな把握しなさすぎですね。
岡部:海外の美術館の人は把握してますよね。
小山:把握の度合いが全然違います。日本の場合、プロの人でも好き嫌いで決めてしまう。好き嫌いと、いい・悪いがあるわけですよ。いい・悪いと重要・重要じゃないとがある。そういったものをみんな混同している。自分達の趣味だけでやっているから、なんの発展性もない。ギャラリーのことは業者とかに区別してしまったりとか。アメリカだと、ギャラリーを使って美術館の個展をサポートして、制作者が全部お金をだしてもらって個展をやったりなどしつつ、マーケットを作っている。そういうマーケットに対する発想がゼロ!
岡部:公立美術館が多い日本の状況と、ほとんど民間の美術館で、美術館が作品を売ったりもできるというアメリカの場合の美術館システムの相違はあります。でも情報という点では、貸しをやらず企画のみで経営している画廊や現代美術館などの展覧会情報を扱っている「favorite(フェイバリット)」、あのミニコミ・リーフレットはとても役に立ちますね。英語もあって、外国人にも便利だし、現代アートをみたい学生たちに紹介しています。
09 ギャラリーの差別化
小山:「favorite(フェイバリット)」を出すことで、僕らのギャラリーを差別化できる。ここに載ってない他のギャラリーは見なくてもいいよ、っていう事ですから。外国の人に渡せば簡単にこれを見なくっちゃ!って思うしね。
岡部:おかげで画廊巡りがしやすくなった。
小山:あれが、僕の経営戦略。最初は「G9」という9軒の画廊の催しをスパイラルではじめ、それで一応集まりだした。現代美術のジャンルはひとまず、この「G9」で大丈夫だよとわかってもらえたと思う。
実際には日本で美術にかかわるお金は山のように動いている。日本画とか、洋画とか。美術を生活の中に取り入れるシステムを日本は持っています。お正月になったら床の間に熊の置物を飾るとか。くだらないものたくさん買うじゃないですか。現代美術がその人たちのどこに入れるかが問題なんです。
学生:いい作品と投資について、教えてください。
小山:もし、買った作品がいい作品とか、価値がある作品だったら、高くなるのは当たり前なんですね。だから自分で自分の事を確かめるために買うようなところもある。これがいい作品だと思って、自分を投影する。何か価値判断をする時は自分の事が関係してくるから買う。投資は関係無いという人もいるけど、高くなればみんなうれしい。その作家について10人しか良くないっていっていたのが、100人に、200人になったりすることによって、価格が上がっていくわけ。それだけ多くの人が認めたって事は、それだけ歴史的にも残る可能性が強くなる。
いい作品かどうかわからなかったけれど、自分がいいと思った作品の価格が100年後とか、200年後とかに上がって保証されることもある。だけど初めから投資として買おうとするとみんなわりと失敗する。それは情報としては人の後追いになって遅くなるから。また買っても、その作家が制作をやめてしまう場合もある。もちろん、自分にとっていい作品はいい作品ということも確かに成立するけど、いろんな断面と段階で美術は成立する。つまり作家がすごくいい傑作が出来た!って思った段階があって、作家にとってはいい作品だけどマーケットに出してみたら、ギャラリーの人にとってみるとそれは別に何でもない作品だったりもするわけよね。コレクターにとってはゴミみたいだったりもする。価値にはいろんな段階があるわけですよ。
学生:日本の美術館が遅れてるっておっしゃったのは、そういう面があるのに、好き嫌いだけで全部一緒にしてしまうということですか?
小山:日本の美術館の人たちは、基本的に作品がいいという作家と悪いという作家を、自分に照らして判断してるだけ。いろんな人が見て、マーケットもできたりとか、そういう世界の事は知らなかったり無視したりする人が多い。みんな協力しあいながら世界を作っていくんだけど、そういう事に関してはほとんど興味のない人が90%くらいいると思います。
10 現代美術の閉鎖性と政治力の不成立
岡部:それは古い日本画とか洋画の市場の閉鎖性もあったからでしょうか?
小山:いや、ちがう。日本画とか洋画に関しては、すごくマーケットに対する自覚があります。現代美術がだめなんです。日本画はね、マーケット戦略はばっちり。日本画はもう天皇陛下から繋がってますから。これは日本の国家事業なわけです、特に院展ね。日本のマーケットは院展だけですから。あれはもう天皇から直属の画家集団と思っていただければ間違いない。ほんとじゃないけどね。洋画は基本的に家元制度でヒエラルキーをつくって、お花と一緒のやり方をしています。日本画は家元制はやってなくて少数制でずーっとやって、プロフェッショナル集団として、クオリティキープはがっちりできている。自分達の院展を守るために、100年展とか、歴史的な跡づけができるような展覧会もちゃんとやっている。だから日本の洋画界に比べても全然いいし、現代美術界なんて赤ん坊みたいなもんですよ、そういう事に関しては。
岡部:つまり日本画壇はすごく政治的だっていう意味ですね。小山さんは芸大にいらっしゃったから、日本画のシステムのある種の政治性とかが、先生なども身近にいて、わかりやすかったのではないですか?
小山:まあ、そうですね。平山郁夫さんが学長の頃でしたからね。でも、その政治力が、現代美術の世界ではまったく成立していない。
岡部:日本では。でも海外の現代美術館はかなり政治的ですよね。
小山:すごい、めちゃくちゃ政治的ですよ。フランスなんか見てもわかるように、ポンピドゥー・センターなんかでも、どんどんやりたい企画やるけど失敗したら主任学芸員だって官僚の道からはずされるわけでしょ。そういう責任を負ってみんなやってる。でも、その期間は自分の好きなことができて、これだけいい展覧会をしたのだから自分の価値をおまえら認めろって言える。日本の人はそういうところもない。殺人でもしない限りは公務員として美術館にずうっといるわけでしょ。
岡部:心優しいシステムなんですね。逆に評価のシステムが無いからです。海外は評価されるかされないかで、すべてが変ってくる。その人がなにをやっていいか、やってはいけないかがはっきりしてくる。フランスでは公務員というポジションはキープされても、学芸員が美術館をよく変ったりします。一般のコレクターの人たちが、どんどん変わってきているのに、日本では美術館のコレクションの方針など、なかなか変わりえない部分があるので、その辺のギャップがある意味で問題かもしれません。
小山:とても問題です。美術館がすべて自分達で活動し始めたら莫大な予算があるわけです。予算がないないっていったって、けっこうある。それを使ったら、すごい情報量が日本にも入ってくる。日本の学芸員自体の学問としての美術の理解度は、外国に比べて劣らないと思うんです。だから美術館が正当に動き出せば、とてつもない現代美術のジャンルですら面白くなると思う。
学生:西村画廊にいらっしゃったときは、那須太郎さんとご一緒でしたか?
小山:那須君は僕のあとです。西村のところに勤めた人は結構みんな自分で画廊を続けていますね。西村さんはとても基本的な画廊なんです。洋画商協同組合とかにも入ってないし、すごく独立精神がある画廊で、作家がいて、作家のケアをして、作品を作って、それを売って。プレスもちゃんとやって、売り尽くして、自立している。
11 意識してやろうとしているのは、社会とリンクしているもの
岡部:西村画廊では美術市場と流通システムをオールラウンドに学べたってことですね。
小山:学べる学べる。美術館の人、山のように来ますから。彼自身はすごくオープンな方ですから、学ぶことが多い。
学生:展覧会の、ご自分のテイストとかは?
小山:僕の前の世代は「美術内美術」が多くて、美術の中で成立する絵画とか、彫刻が多かった。僕が意識してやろうとしているのは、それを離れたもの、社会とリンクしてるもので、それはポリティカルとかそういう事じゃなくて、どんな作品を作っているにしろ、アーティストはポリティカルな位置に社会人としてあると思うんだけど、題材として、「美術内美術」じゃないものを扱ってる人を心がけて紹介してきたかもしれません。だから、村上さんの「おたく」とか、ポップカルチャーの問題とか、奈良さんはメンタルな、すごくストレートな絵画ですよね。そういったものを描いてる人を見せようとした。
僕は、具象の方が抽象よりも造形言語としてはインターナショナルだと思っている。抽象はときにはとてもローカルなものでしかない。インターナショナルな言語を持った抽象絵画は、数えるほどです。モンドリアンの亜流はもう見てもモンドリアンにしか見えないですもんね。だけどオランダに行ってみたら山のように似たような作家がいるわけですよ。抽象の場合、チャンスはすごく限られてると思って、まあ、世界に向けた商売としては具象的なもの。
12 アジアのマーケット
岡部:最近国際展が増え、世界各国で開催するところがたくさん出てきました。韓国では光州以外にプサン・ビエンナーレも始まったし。アジアについてはどうですか?
小山:興味無くはないけど、わからないですね。
岡部:日本の作家を海外に売りこもうとなさっているわけだから、欧米に向いているってことですね。中国は、作家はいるけど国内マーケットは少ないから、売るのはほとんど欧米向けでやっていますが。
小山:マーケットとしては僕は今アジアには向いていない。日本はやっぱりアジアから嫌われてますから、戦争してたし。アジアにマーケットは今のところまだないと思います。もちろんアジアの作家を日本がやって、欧米などに売りこむことはできるかもしれない。だけど、僕はそうしたことに介在するアジア人ではないし、エスニックとかオリエンタリズムっていう問題は、今のところどうも消化できないですね。
お金は持ってるかもしれないけど、福岡アジア美術館という名前は代理店的発想すぎます。福岡市美術館でアジアのコレクションをしてるんだったらいいと思う。福岡でアジア美術館というネーミングをつけるのは、パブリックな意味ではすごくいいかもしれないですけど、僕は倫理観みたいなものがないと思うんですね。だけど、フランスはそういった意味ではジャンルをカテゴライズするのが好きですよね。パリにアジア・オセアニア美術館とかありますもんね。
13 日本にどうやってマーケットをつくるか、が全て
岡部:日本において、現在のような状況の中で、何が1番、問題だと思いますか?
小山:とにかく日本にマーケットがないことですね。日本にどうやってマーケットをつくるかが、全てです。そうしないと対等になれない。
学生:マーケットって、ギャラリーとか美術館とかがしかけてつくっていくものなのか、自然発生するようなものなのか、ヨーロッパなどにマーケットがあるのは、歴史があったからなんですか?
小山:歴史もあるし、アメリカなんかはそれを作ってきた。美術館のコレクションを充実させるために寄贈や寄付をつのったりする。でもキュレーターがいいって言ったものしか、美術館には遺贈できないから、おのずと価値は決まっていく。キュレーターの人たちが選べる立場にいるわけだからその価値を決めていく。需要と供給が発生してくるから周りの人たちもいっぱい買うようになるし、「権威」がちゃんといて、それがマーケットを作ることに加担してるよね。
岡部:日本は良い意味での権威がないですよね。
小山:ない。権威が全くない! だって、日本はみんな横並びでしょ?学芸員の人たち、みんな平等っていわれて、何にも知らない人がいばっていてもしょうがない。アシスタントとチーフのヒエラルキーをもっと作るべきですよ。
岡部:でも人の問題だけではないと思います。美術館という1つの施設や構造が、その活動が社会にどういう意味を持っているのかといった制度論の問題もある。パリのポンピドゥー・センターを見ていると、そこでやってきた展覧会などが、はっきりと観衆の嗜好を形成してきていることがわかるわけですよ。しかもあそこでとりあげる作品はいい作家なのだということは長年見ていれば、ある程度納得できる。それを30年続けて見ていれば、観衆も育ってくる。日本の場合、あまりにたくさんの美術館があって、それぞれの美術館の姿勢が見えにくいんですね。
小山:ポンピドゥー・センターなんかにはアーカイブとして情報がたまりにたまってますからね。ポンピドゥーは、ほぼ国の予算でやってるんですよね。
岡部:ええ。
小山:アメリカの場合はね、キュレーターがお金を集めなくちゃいけない。お金持ちの人に寄付をもらわなくてはいけないので、そういうテクニックも必要になる。それはいい場合もあるし、悪い場合もあるけど、苦労しますよね。
岡部:だから、今アメリカの美術館はとても苦労しているのではないでしょうか。
小山:でも、今は景気がいいから。日本の美術館の人たちは、アメリカのようにファンドレージングもしなくてすむし、一般の人たちとコミュニケーションする事はそれほど必要とされてないから、社会との接点が少ない。ほとんどゼロ。そんなことばっかりいっちゃいけないですね。(笑)でも、本当に何とかしてほしいんですよ、僕は。
14 日本の若い作家のコレクションはどこで見られる?
岡部:私はもったいないと思うんですよ。これだけいい作家が日本にたくさん出てきているのだから、コレクションすればいいのにと思います。私ならしたい。
小山:日本の若い作家のコレクションどこで見られる?と聞かれても、見られないですよね。それは、前の世代のコンプレックスもあって、戦争で負けて自信がなくなって。それでも外国好きで、リキテンシュタインの作品には6億円出す。それなら、日本の20人,30人ぐらいのアーティストの主要な作品はみな買えるはずなんだよね。もう、おつりがくるくらい。すごい財産になる。誰が考えても、自分たちの文化を人に見せるためにそれだけの資料があった方が文化的にも得だろう。そういう価値を作ることを全くしない。
学生:若い学芸員と話したりする機会って、ないんですか?
小山:もちろんあるよ。でも、パワーを使っていこうという人が少ない。
岡部:なかなかパワーをもてる立場がないでしょ?気持ちとしては私などと同じように思っているかもしれないと思うけど。
学生:こういうシステムを何から変えればいいんでしょうね?
小山:美術館が変わっていく方向性は、僕らは情報として発信することはあるけれど、外国からどういう事が日本として正しいことかって言ってもらうのも1つの手ですね。横浜トリエンナーレで、コミッティにいる人たちは何が日本で起こっているのか正確にはわからなくても、海外の人たちからヒントを言ってもらって何かが変わっていくこともある。海外との同時性が大事ね。
岡部:世界同時性をみんなが自覚できるような形のことをいろいろ作っていかなくてはいけないんでしょうね。今、国際展のシリーズでシンポジウムを始めたんです。世界で何が起きているのか、情報として知っている必要があるから。
小山:トリエンナーレのコミッティにいるような人たちは、外国で何を情報源にしてるかというと、国際展を見て情報源にしているわけなんですよ。日本のキュレーターの人たちは、スタジオ訪問もしなければ、アーティストに対する真摯な姿勢が、欠けに欠けている。僕は外国のキュレーターを村上さんのスタジオとかにいっぱい連れていってるけど、日本のキュレーターを連れていったことはない。本当にないですよ。村上隆は日本の美術界に完璧に無視されてるから。日本のキュレーターは、日本の情報を多分、外国の人よりも持っていないと思う。だけど今度、東京都現代美術館で村上の個展をやるんです(2001年「召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」村上隆個展)。
岡部:今、私たちはこうやっていろんな方にお話を伺って、お聞きしながら情報収集をしているのですが、そういう人も、あんまりいないかもしれませんね(笑)。
小山:いないですよね、全然いない。寒いね。中に入りましょうか。
(テープ起こし担当:鈴木さやか)
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