インタヴュー
小柳敦子×岡部あおみ
学生:武蔵野美術大学芸術文化学科芸術文化政策コース大学院1、2年生12名
日時:2004年5月6日
場所:武蔵野美術大学芸術文化学科
01 六本木のComplexと新川ビューイングルーム
岡部あおみ:小柳さんは今、活発になってきている企画画廊の中心的な存在として、女性で頑張ってこられた方で、ずっと前から注目しております。企画ギャラリーを運営されている方々は、それぞれ方向性が違うのですが、小柳さんの場合は、かなり強い方向性を感じます。私自身の関心とも似通ったパラレルなところがありますし。
小柳敦子:そうですね。岡部先生も女性ですが。岡部先生と違うのは、女の人がいいと思ってないんだけれども、選んでみると女の人が多い・・・
岡部:私も特別、女の人がいいってことはないのですが。(笑い)
小柳:私の場合は、男の人がいいんだけれども、まあそういう結果になるというか。
岡部:銀座というギャラリーの老舗の界隈から出発して、今でもそこが本拠地ですが、新川にビューイングルームを開き、六本木のコンプレックスにもスペースを設けて、どんどん拡大しているようですね。
小柳:六本木のコンプレックスのスペースでは、今まで、吉井さんと組んでやっていたんですけど、吉井さんのほうに譲りました。彼とリトグラフィーを中心にしたギャラリーにしていたんですが、彼がリトのみならず、海外の若い作家を紹介し始めたからです。現在はヨシイヒロミギャラリーになってます。
もともとあそこのビルにギャラリー・コンプレックスができたのは、森美術館が開設されるにあたって、森社長と偶然席を一緒にしたのがきっかけでした。「海外ではね、美術館のまわりには必ずギャラリーが集まってくるから、森美術館だけがあってもダメですよ。今流行りの、古いビルを安く若手の画廊に貸して、森美術館を盛り上げるようにしたらどうですか」と、話をしたんです。そうしたら森社長が、「それはいいかもしれない。ちょっと待ってなさい」と言われて、すぐに企画部長さんを呼んでくれ、その人が「ボロビルならいっぱいありますよ」と、話がはじまったわけです。一方で小山さん、佐谷さん、和光さん、那須さんなど、若手画廊に声をかけ、みんなの賛同を得て、それこそ、その日に会いに行ったんですね。15、6人に会って、どういうことをやりたいのか、日本のアート事情がどうなっているかを説明して、大変盛り上がり、ビルはもう、ボロボロのまま借りました。それはそれは大変でしたが、芋洗のビルにギャラリーが何軒かまとまることで、お互いにお客さまを紹介しあったりもしています。
自分のお客さまを紹介するなんてことは、美術市場の競合が厳しいニューヨークではありえないことですが、日本はまだまだマーケットがとても小さいですから、自分さえ良ければというわけにはいかない。とにかく広がりましょうと。ギャラリーそれぞれにキャラクターがあって、画廊のオーナーを見ると、下手するとアーティストより個性の強い人がいっぱいいますからね。1人1人の選択眼が違いますから、ケンカはしない。たとえば、うちにきたお客さまでも小山さんに紹介する。小山さんのところと、うちのアーティストは全然違いますから、そんなにかぶらない。それよりもむしろ、全体でマーケットの底を上げていきましょうという希望のほうが強いんですね。日本でしか考えられないような状況ですけど。で、もうひとつの新川にあるギャラリーが集まっているビルは、私が探している最中に、小山さんが見つけて来てくれたところです。うちは、銀座では出せないような大きい作品を見せられる場所が欲しかったので、新川にビューイングルームを開くことに決めたんです。
岡部:新川も六本木も家賃は通常よりかなり安いと伺っていますが。
小柳:ええ、2つのスペースとも家賃はすごく安いです。芋洗は上階に行けばいくほど安い。森ビルからは、あまり他には言わないようにと言われてます!
岡部:4年ほど前、まだ新川も六本木もはじまっていない頃ですが、学生たちと一緒にインタヴューをお願いしたことがあったのですが、なんか謙遜されて、おことわりになりましたよね。(笑い)
小柳:本当は人前で話すのは好きじゃないんですけれども、また勧めてくださったし、今回は講義というかたちをとってますので、アートマネジメントや芸術文化政策コースを出た学生さんたちは、ほとんどが学芸員か評論家、あるいはプロデューサーの方向にいって、なかなかギャラリストの後輩が出て来ないので、みなさんがなるべくギャラリーの道に入ってくれたらいいなと思って、今回来ました。だから今日はいいところしか話しません!いかに楽しいか!そのへんも頭に入れながら聞いて下さい。最初にギャラリーと作家について、後半は美術館やアートフェアについてお話したいと思います。
02 日本のギャラリー3つのタイプ
小柳:最初に、日本のギャラリーについてですが、日本には特殊な、貸し画廊システムがあります。これは日本だけで、アメリカでは貸し画廊システムはなく、要するに画廊主に気に入ってもらえないと、一生展覧会は開けないという、可愛そうなところです。その点、日本はお金さえ払えばどんな若手でも発表できる。これはある意味、いいところですけれども、1回借りて、終わったら、はい、さよならとなって、1回こっきりで、貸し画廊にはいい面と悪い面が両方あります。それから、半貸し半企画という画廊があり、日常的には貸しているんですけれども、たとえば月1回、半年に2回とか、自分たちの企画の作家を招待して、お金をとらずに企画展をやる。ここのところ日本ではこれが1番多い気がします。それから、いわゆる企画オンリーの我々がいて、「フェイバリット」というギャラリー・ガイドに掲載されている企画専門の画廊です。つまりスペースを貸したりして場所代を取らずに、全面的に作品を売ってビジネスを成り立たせている。ただ作品の取り扱い方には二つあり、いわゆる「「プライマリー」」という、作家と契約して作家から直に作品を預かり、個展をひらいて売っていくのと、「「セカンダリー」」という、既に市場に流れている作品やコレクターあるいはオークションから作品を買い取って、それを売っていく方法があり、良いも悪いも含めて後者は相当過酷なビジネスで、投資家を対象にしたようなところがあります。小山さんは「「セカンダリー」」を大変憂いてます。小山さんご自身は奈良美智さんや村上隆さんと、若い時から共に頑張ってやってきたのに、作品の市場価値が何千万円もするようになった途端、今度は「「セカンダリー」」の画廊が、コレクターから一気に買い集めて高く売るわけです。小山さんだって何千万の絵なんて、そうそう売れませんし、そうなってくると、結局なんで俺が一生懸命やってきたのに「「セカンダリー」」が…ということになってくる。でも一方で、そういう人たちがマーケットを活発にしているところもあり、必ずしもすべてが悪いってわけではない。アメリカのギャラリーは、マティスやピカソを売って、若手作家の制作費を援助したりしています。
岡部:そのマティスとかのモダンアートで稼いでいるのは、有名な現代アートギャラリーですか?
小柳:そんな感じですよ。うちも「セカンダリー」でも、ピカソやマティスはリスクが大きすぎてやりませんが、最近杉本博司の作品がかなり高くなってきて、だいたい30万円くらいでうちで始めたのが、今、2百から3百万、高いのだと4百、7百万ぐらいになってますから、杉本博司の作品を買った人からは買い戻してます。学問という聖域では数字はあんまり出さない方がいいのかなと思いますが、岡部さんからは、「刺激的な講義を」とお願いされてますし、分かる限り具体的な数字でお話しします。
岡部:そうしていただけると、アートマネージメント的には、具体的な勉強になりますので助かります。「フェイバリット」は地図もあって、ギャラリー・ガイドとしてとても便利なので、1年生の頃から学生たちに教えてあげてます。ギャラリーを見るのは美術館と違って無料ですから、学生も大喜びですし。
小柳:この10年、いえ、この5年で、日本でも企画画廊が圧倒的に増えて、「フェイバリット」に掲載されている18のギャラリーは、積極的に海外に売り込んだり、海外の作家を日本に持って来たりして、インターナショナルな市場に出始めました。
03 ギャラリーのノウハウ:作家との契約、美術館へのプレゼン、広報<
岡部:企画画廊での作家との契約関係については、いかがでしょうか。
小柳:契約作家、作る人とどう関わっていくかですが、直接出来上がった作品をいただく、ということが、まずなかなか大変です。例えば杉本博司は、今は売れるようになってますから世界中のギャラリーが欲しいわけです。作家が作品を画廊に持ってきても明日すぐ売れるわけです。こうした状況でも、「プライマリー」であること、作家から直に作品がもらえるのが大事なんです。ですから、第一の関係とは、まず作家との直取引で、これが「プライマリー」の優位な点です。作品をいただいた後どうするかと言いますと、まず作品の管理。どれだけの作品を預かっているか、どこに売ったか、どこに委託しているか、どこの美術館が興味をもっているかをリストにします。それから作品に関しては、もちろん作家とのパーセンテージの取り決めや制作費について契約書を作ります。契約作家に関しては、その作家のすべての責任を負わなければならないので、べつに規制はしませんし、ただ情報としてもらうだけですが、作家が1年間どういう活動をするかなども、すぐに答えられるようにしておかなければいけません。その作家に関して、いろいろな問い合わせが来ますからね。
岡部:しっかりしたギャラリーがついている作家に関しては、すぐに情報が得られますし、資料や写真の手配なども親切にしてくださるので、原稿を書くときなど本当に助かります。
小柳:そして大事なのが、美術館へのプレゼンテーション。内外問わず美術館のキュレーターがよく来ますから、こんな企画展をしたいんですけれど、それにふさわしい作家はいませんか、といった問い合わせも結構あります。その際に、ギャラリーは、まあ戦争に例えるのはよくないかもしれないですが、最前線で働いているわけで、1番最初に出て打たれて死ぬかもしれないけど、最初に出てって大手柄をとってくるという、身体をはって、身銭を切っていろいろやっているわけですから、言ってみれば最前線の兵ですね。美術館の学芸員は、そういう情報にとても興味を持ってくれます。もちろん私たちは、こんな作家がいましたよ、あんなのが面白いですよと言うけれど、それを鵜呑みにしてはいけない。学芸員のほうで、それが本当かどうか、あるいはこのギャラリーはどこまで力があるかを、学芸員は学芸員でさらに選り込むわけです。いずれにしても情報をたくさん持っていれば、美術館の学芸員がたくさん画廊に来てくれるということですから、そのへんは絶えず色々な資料を揃えておくわけです。たとえば海外へ出張したら美術館のカタログを買ってくる等、情報をたくさん集めておいて、美術館の人たちが、この作家は面白いですねということになったら、今度は資料を、まとめてお見せする。美術館が何を欲しているのかによって、その美術館にむけてのプレゼンをつくるわけです。何でもかんでも数が多ければいいわけではなく、美術館がどんなテーマで展覧会を考えているかを知り、その作家のふさわしい作品を中心にプレゼンします。作家のコメントも、なるべくそのテーマにふさわしいコメントを添えます。もし展覧会に出品する作家として選ばれた場合には、そこからは作家によって色々ですけれど、作家が美術館と直にやりとりする場合には、画廊は全面的にひきます。作家とキュレーターと2人でやったほうがいいわけですから、プレゼンまでは私たちがしますが、そこから先はどうぞ感じですね。海外の美術館に対しては、英語がまだできない作家もいるので、英語の得意なうちのスタッフが、一緒に海外についていって、向こうでコーディネート役を果たします。展覧会を開いて評価があれば、そのまま美術館が出品作を購入する可能性もあるわけです。売るという話がでてきたら、もう私がすっとんでいって、ビジネスの話をします。海外のギャラリーも全く同じです。みなさんご存じのように奈良さんや村上さん、日本のアーティストがとても注目されていて、海外のギャラリストがしょっちゅう日本に来ます。やはりポスト村上を探していて、たとえばうちだと、写真でいい人、誰かいないかって聞いてくる。その場合も、美術館と同じように相手のギャラリーの性格、オーナーのキャラクター、ギャラリーのスタイルに合わせてプレゼンします。プレゼンテーションの仕方は非常に難しく、そこが勝負なんですね。それはギャラリーに来ればもういくらでも教えてあげます。そういうノウハウは現場で覚えるしかない。黒板で教えられるものではないですね。最終的には人と人で、ものすごくクールなビジネスに見えますけれども、1対1、人と人とのつながりから始まります。ニューヨークやロンドンのギャラリーはよく訪ねて来ますので、プレゼンがうまく行って海外デビューを果たした若い作家もたくさんいます。
岡部:最近は、美術雑誌だけではなく、一般の雑誌にまでアート情報が華やかに掲載されるようになっていますから、ギャラリーのお仕事もさらに多忙になっているのではないですか?
小柳:そうですね。広報活動が大事です。広報は作家を選定して、プレスリリースを書き、だいたい3か月前ぐらいに発送しないと、月刊誌は2か月前に編集会議が開かれますから、その段階で入れてもらわなければいけないので、その前にプレスリリースを発送します。DMなどの案内状はだいたい美術館だと1か月前ぐらいにお手元に届いてると思いますが、ギャラリーの場合は、2、3週間前を目安にしています。今までは美術手帖、芸術新潮が芸術関係の記事を組んできましたが、アートと建築の特集をすると売れるので、「流行通信」、「STUDIO VOICE」、「PEN」、「エスクァイア」など、美術専門誌以外も取材に来ます。若い人向けの雑誌も出てきましたし、一般誌のアートへの取材がここのところ続いて、スタッフを忙しくさせてちょっと可愛そうなんですけど。これは、即ビジネスにつながりませんが、広報活動です。結構な手間と経費がかかりますが重要です。言ってみれば、雑誌で1ページ広告を打とうとすると、安くても20〜30万、高ければ100万かかかります。広報活動はすぐ数字には出てこないので、地味にみえますが、どこの会社の人だったか、企業で文化活動をしているところで、たとえば支援した作家の展覧会を開き、それがどう雑誌に、どの新聞に取り上げられたかを、全部を数字にするんです。さすが企業ですから、この雑誌に1ページ載ったので、広報料としていくらいくらと、計算をする。それで、その企業はその展覧会にメセナしたおかげで、いくら分の広告がタダになったという報告が出来る。
岡部:それはメセナ活動をしている企業が、社内的に、または株主などを説得するためではないかしら。文化活動として支援しているけど、実際には広告になっているし、宣伝費に換算したら、十分ペイしているから、続けて支援する必要があると。
小柳:ですねぇ。そういう説得の仕方があるのか、と思って私はびっくりしましたが、まだやっていない企業の文化部の方は、そうしたらいいと思います。私も聞いたときは、正直驚きましたけど、たしかに新聞に広告を載せるのには莫大な経費がかかりますから。
04 企業にモテモテ 中村哲也
岡部:小柳さんの作家のなかで、企業とかかわりをもって作品を作っている作家がいるのですか。
小柳:うちだと中村哲也がそうですね。スピードキングと呼ばれている人で、まったく1ミリも動かないけれども、とても速そうに見える乗り物を作っています。彼は圧倒的に企業からのオファーが来ます。芸大の漆を出ていて、本当は人間国宝とかと同じような箱をつくっているはずなのに、突然方向転換した。漆って表面的だから、表面的な仕事にコンプレックスをもっていたらしいんです。ところがそれを逆手にとって、表面的で何が悪い、うわべの美しさだけで何が悪い、かっこよけりゃいいんだと開き直り、突然伝統の世界にいた人が、見るからに速い、スピード感覚のあるものを作り始めた。大きくて、かっこ良く、まさに現代なのです。そうすると、その仕事がいろんな企業の目にとまり、今まで一緒にやってきたのはマツダで、マツダのテレビコマーシャルに2003年末ぐらいに、作品が使われました。かっこいいスペースシャトルみたいな中村さんの作った作品から、マツダの車が出てくるCM。それから、ニューヨークから電話が入り、バスケットボールのスタープレーヤーがゴールにジャンプして、ボールを入れる瞬間に、乗り物に変わる、そのトランスフォームした乗り物をデザインしてくれと言われました。それはアメリカのテレビ用のコマーシャルなんで、残念ながら私たちはヴィデオで見たんですけれど、すごくかっこよかった。縦にぐっといきそうな、垂直にスピード感のあるものを中村さんがデザインして、模型を向こうに持って行きました。それからCGで画像処理してCMとして流れました。また、中村さんは炎、ファイアーの絵を描くのがすごく上手なんですね。コムデギャルソンのメンズですけども、革ジャンに直接火を描いてくれと言われて、20着限定で、1着25万から30万くらいの革ジャンが全部売り切れました。で、うちに電話がかかってきて、革ジャン持って来たんで描いてくれませんか、という人も現れましたが、それはお断りました。あと、この間六本木クロッシングでかっこいい車を出したんですが、モナコの大使館から電話があり、モナコの有名なバレエ団が来日するので、モナコの大使館と観光局が共同で、六本木のアークヒルズクラブで大大的なパーティーを開くと。そのときにF1の車がくるのだけど、その時にぜひ中村さんに日本からF1に対抗できる、見かけだけ速い車を作ってくださいと注文された。中村君は夢のF1と一緒にならぶと舞い上がって、今必死に作ってます。7月にパーティーが終わったら、森タワーの展望台に飾る予定ですので、ぜひ見てあげてください。
岡部:企業からの依頼の場合は、企業が負担すると思いますが、こうした展示のための作品依託の場合、その制作費はどこがもつのですか?
小柳:モナコのほうの観光局か、政府ですね。制作費プラス、ギャランティですよね。本来ならデザイナーがやる仕事ですが、車のデザイナーは、中の構造も考えてデザインしなくてはならないから立場が全く違う。中村さんの車を見てデザイナーは本当に羨ましがっていました。中を考えなくていいので。それはもう中村さんのアイデア勝ち。開き直ってよかったって感じですね。あと、制作費をカバーしてあげないと、若手はともかくお金がないですから、制作費をうちのほうから先に立て替えてあげます。キャンバスでも、大きいの描こうとするとすぐ10万かかかりますから。
岡部:そうした立替の限度ですが、1千万ぐらいまでいきますか。
小柳:1番多く立て替えたときで、たとえば杉本博司が今大型の作品を作っているんですけれど、あれは1枚につき1万ドルかかります。今度カルティエで11月に行う展覧会には、18枚ほどは必要ですから、1万ドルの制作費で、18万ドルですから、だいたい2000万円になりますが、その販売権をうちがもらいたいので、18枚の制作費を全部払います。先に払っておかないと作れないし、権利をもらえない。それにニューヨークのギャラリーでも当然売れますから、みんながそれを払いたがるわけですね。
岡部:みんな知っていると思いますが、小柳さんは杉本博さんの奥様でもあります。
小柳:いや、それは、あの、きっかけで。そうですね、今だからこんなに払えますけれども、画廊をはじめた時は、大変でした。だけどやっぱり、ここで払っておけばよいという時には思いっきり払いますね。ただし、若いアーティストで、多額な制作費が必要な場合、ビジネスとしては成り立たないということは話します。たとえば若い作家ですと100万円以内の価格でないと合わないのに、制作費に200万かかるって言ってくる人もいるわけです。そういう場合には、美術館からのコミッションワークのオファーを待ちなさいと言います。美術館が制作費を払ってくれることもありますし、いろんな財団の助成金をもらって制作費をまかなう事もできますから、ギャラリーでビジネスとして行う場合には、どう考えても制作費が価格を超えてはいけないんです。画廊には、個展をひらいて作品を販売、配送、集金するという通常の仕事がありますが、集金が大変ですね。そういう雑用もたくさんあり、お仲人さんみたいに、いいコレクターと引き合わせる役目もあり、そうするとその方が自分の部屋にあう大きさの作品を、新たにコミッションワークとして依頼される可能性もでてきます。
岡部:最近コレクターも増えてきましたし、コミッションする方も多いですか。
小柳:そうですね。作家さんによっては派手な活動はしてないけれど、ずっといい仕事を続けていればきちっと見続けてくれるコレクターがいます。個展では、作品を設置して、オープニングになりますが、オープニングが終わった後の作家を囲むディナーでは、誰を呼ぶか、どういうディナーにしたいかを決めます。作家によって、安いところでいっぱい呼びたい人もいますし、きちっと座ってゆっくり話したいから、10人ぐらい選んでセッティングしてという希望もあり、それはもう全部作家に任せます。
05 陶芸からアートギャラリーへ
岡部:これまでギャラリストになるためのノウハウやギャラリーのお仕事について、お話を伺いましたので、ここらへんで、小柳さんがどうしてギャラリストになったかをお聞きしたいですね。
小柳:なぜギャラリストになったかですね。今の銀座のギャラリー小柳がある場所で、1階で茶碗屋をしていた父が引退する事になり、1階におりてきたらどうだということで、90年代の前半に陶芸画廊を8年ぐらいやっていたので、陶芸枠から工芸全般にして、たとえば染め物とか、うるしとか、そういう風に広げてやるか、あるいは陶芸くくりをやめて美術全般にしようかと迷っていた時に、ちょうど杉本博司に出会ったんです。当時、写真がちょうど美術界で注目を集め始めたところでした。アメリカではシンディ・シャーマンがでてきて、写真を写真画廊や写真美術館だけではなく、一般の美術館が扱いはじめた時期で、杉本博司は、東京のアート・ギャラリーで自分の写真を扱ってくれるところを探していました。それで当時全盛だった上田さん、アキライケダさん、所さんなどのギャラリーに杉本の写真をもってプレゼンに行ったのですが、みなさんうちは写真は扱ってないよという反応で、日本ではまだまだ写真がアートの市場に入り込めると認識していた人はほとんどいなかった。それで、しょうがないから私がやるかってことになった。お父さん作る、お母さん売るって感じではじまったので、パパママギャラリーなんて呼ばれてました。1番最初、第1回目の展示は杉本博司の展覧会でしたが、確かワックスの仕事ができあがった頃で、当時30万円ぐらいにして、展覧会をひらいたのを覚えています。で、そうこうしているうちに写真がぐんぐんとアートマーケットで位置を占めるようになり、ベッヒャーの弟子たち、トーマス・シュトゥルートとかドイツの写真家達がどんどん出て来て、一方でナン・ゴールディンとか荒木惟経さんも出て、そういう2つの流れで、写真はあっという間にアートのなかで認められてきました。私もびっくりしたんですけれども、あれよあれよという間に杉本の作品が値上がりました。1番バブルの最悪な時期にオープンしたので、本当にお金がなく、当時は杉本の制作費も払えないし、あの頃は確か額代も自分で払ってもらっていた気がします。
ギャラリーを当初始める時は、もちろんギャラリーがないわけですから、アーティストに声をかけようがない。こういう画廊ですからやって下さいとも言えない。でもちょうどうまい具合に、ドミニク・ゴンザレス・フォースターというフランスのアーティストが、茨城のアーティストインレジデンス、アーカスに来ていました。見に行ったらとても面白かったので、ちょうど日本にいるから声をかけたら、彼女はすごく日本を気に入っていて、すぐに個展の開催を決めてくれました。まだスペースもできていないのに。私は美大を出ていなくて、全然美術のバックグラウンドがなかったから、誰にも相談できなかったんですが、それがけっこう、今となってはしがらみがなく自由気ままに動けます。逆に日本のアーティストは美大につながっていますから、海外のアーティストのほうが気楽にやれるんじゃないかということもありました。行き当たりばったりで始めた事が、今となってはよかったかなと。
ギャラリーをはじめる前に、大学を卒業してから雑誌の編集の仕事をしていて、そのあと小池一子さんの事務所で、西武やワコールの広告と無印良品の立ち上げにずっと関わって仕事をしていました。時代といっしょにずっと働いてきたんです。現代美術ってまさに時代の申し子ですから、時代を読み込む訓練は、その前の仕事でやってきたように思えます。今なら何かというのが感覚的に見える。現代美術の場合、昨日まで無能だった人が急にシンデレラになったりするわけですから、研究しようっていっても資料がない。そういう意味でおもしろいし、だからといって勉強しないわけにはいかない。私もはじめてから、これはまずいと思って、慌てて美術史の勉強をはじめたりしました。それはそれで今のうちにきっちりとやっておかなければなんですけれど、でもあまり自分のなかで、私はドイツが好きだからドイツの展覧会をやりたいとか、ミニマルがいいとか、そういう国や形式にはとらわれない方がいい。狭いマーケットですからフレキシブルにしておいたほうがいいし、どんなタイプの人が現れるか分からないわけですから。私としてはもう老若男女関係なく、ともかく現代だな、この人は今を語っているなと思った人を選んでいます。しかしそればっかりやっていると、流行りの画廊と批判されますから、一方ではどこかで核のある、コツコツやっている人を大事にもしています。たとえば堂本右美さん。まだインターナショナルではないけれど、ずっと日本でいい仕事をしてきました。天才とよばれてデビューしてから、自分のなかでどんどん変わってきた。ちょうどうちでやってるチューリップ描いている人です(2004年4月1日〜5月11日)。ここにきてすごく変わってきている。彼女は日本を支えるとてもいいアーティストです。そういう人もきちんと紹介していきたいし、また、たとえばマルレーネ・デュマスみたいに、差別をテーマに自らの表現をつらぬいている人もいます。そういう人たちは長いスパンで捉えたいと思っています。この2つの方向でアーティストを選んでいます。長距離ランナーのような息の長い作家を核にもってこないとギャラリーとしても長生きできないし、一方で時代を語っている人がいないと、若い人の心を掴めない。その両方をバランスよくやっていくのがいいような気がします。
岡部:ギャラリーの方向性には極端なところもありますね。最初から若い人だけをやっていくと公言なさっている方もいますし。
小柳:そうですね、洋服やCDを買うような感覚で、アートを若い人に気軽に買ってもらいたいとね。それはそれでいいと思うんです。自分がどの方向でいくかのは、自分の性格とか、生き方とかとけっこう関係してきますね。
06 どんな作家を、どういうふうに選ぶのか
小柳:どんな作家を紹介してきたかですが、作品内容よりも、どうやって選んだか、どこで選んだかも話しますね。オランダ人のヤンニ・レグニルスは、木になっているりんごが、地面に落ちてくる時に痛いだろうと、お座布団ひいて待ってたり、藁で恋人をつくって一緒にピクニックを楽しんでいる写真です。彼女はCCA、北九州のアーティストインレジデンスに参加して、そこの生徒でした。
岡部:生徒だったのですか。
小柳:それでたまたまCCAに見に行った時に出会い、すごく面白いと思って。芸大の取手リ・サイクリングプロジェクトに彼女は選ばれてました。舞台美術をやっていたけど、一生懸命やった舞台美術なのに、芝居がひどいので、自分でつくって、自分で演じて、1人芝居にしようと思ったわけ。すごく孤独な作業ですよ。三脚たてて写真撮ってすべて1人でやってるんです。知らない人が見たら、ちょっと変だと思われますよね。これはカラカラの砂漠で、もうあまりに悲惨だから川をつくろうと言い出して、川に見立てたり。この人はほんとに若手で、うちで世界初デビューして、うちがオランダの画廊やパリの画廊を紹介した。だから向こうの人にしてみると逆輸入という感じです。
岡部:ここにいる院生の高橋実和さんが、今年の卒論で、『ワイルド・イノセンス』を書いて優秀賞を受賞したのですが、そのなかで小柳さんのところのヘレン・ファン・ミーネについて分析をしています。
小柳:そうですね。オランダのヘレン・ファン・ミーネも若くて26、7歳ぐらいですが、アクマールという、アムステルダムから1時間ぐらい行ったところの郊外、そうとう田舎なんですが、そこで暮らしている少女達を撮っています。自分の家だったり、その子の家にいったりしながら撮影している。これが実に普通の子で、自分達もなんで私が選ばれているのかわかないので、不安感とか、あるいは選ばれた自尊心とか、複雑な表情がある。だいたい12、3歳ぐらいの女の子を撮っていて、自分自身まだ若いですから、写真に自分自身も投影している。自分がこうであった、あるいは未だにひきずっている部分を撮るのですが、彼女は非常に冷静で客観的。だから作品が非常にクールです。主題はウェットな、少女の悲しみとか傷つきやすさですけれども、写真は非常に男っぽい。その突き放したところがヘレンの良さです。で、女の子にわざと別の人の服、たとえばおばあさんの服を着せたり。違和感を覚えることをさせ、それによって表情が出てくる、そこをうまく捉えている。建築家の妹島さんがヴェニス・ビエンナーレの建築展の日本館代表に選ばれまして、そのときテーマが都市だった。小池一子さんと磯崎新さんがコミッショナーでしたので、小池さんが都市をテーマとして東京で何にするかを考えて「少女」になり、少女都市を撮るにあたって、日本の少女を撮れる人はいないかと探していて、小池さんに頼まれた時には、実はヘレンではなく、同じ女性の写真家ですがリネケ・ダイグストラが候補にあがりました。リネケは当時もう有名でしたので、彼女のオランダのギャラリーに頼みに行ったら、ちょうど机の上にヘレンの写真が置いてあったんです。当時700ドルでした、つまり7、8万円。だからとりあえずこれはいいと思って10枚その場で買って帰ってきて、磯崎さんにお見せしたらもう即決まった。ヘレンを国際交流基金で招いてくれました。
岡部:ヴェネチア・ビエンナーレではアートと建築が交互に開催され、私はアートはいつも見てますが、建築展はあまり見てないのです。でも小池さんと磯崎さんがかかわって、妹島さんのインスタレーションで日本館の外に、ヘレンが撮った東京の少女の写真を展示した2002年の建築ビエンナーレは見てきました。他のパヴィリヨンと違い、建築展という感じがしないソフトなイメージで、良かったです。
小柳:お花が舞ってるんです。妹島さんは写真を壁にかけないで、スタンドを作り、木陰の下に少女たちを点在させたいと、少女たちをみんな譜面代みたいなところに置きました。木漏れ日のなかに、うつろいでいる少女たちがいて、非常にいい感じでした。
建築の話がでましたが、ルイーザ・ランブリは、イタリアのアーティストで、建築撮ってるんですけど、いわゆる建築写真ではなく、全部、光とか風、影を撮ってます。彼女自身は「壁は沈黙していない」と。壁こそが一番情熱的に空間を語ってると言ってます。彼女は壁にあたる、たとえば窓、そういう平面で空気とか、空間の質感を捉えています。記憶やストーリーなどナラティブなものではなく、もうすこし男っぽい気がします。彼女は撮りたいものがはっきりしていて、ミニマルなものが好きなのかと思って、安藤忠雄の建築を見せにつれて行っても、撮れない。1番気に入っているのが妹島和世さんの建築で、彼女は1番感じるらしい。ルイーザとの出会いも偶然で、ヘレン・ファンミーネと妹島さんと一緒に仕事をしているときに、突然日本にやってきて、私の友人で一色さんという、アラーキーとか森村泰昌の海外への紹介をやっている人のところに来て、何とか妹島さんとコンタクトをとれないかと頼んだ。そこで一色さんからルイーザ・ランブリを紹介されて、ヘレンとプレゼンに行く時に、ルイーザの作品も持って行って妹島さんに見せたらすごく気に入った。それであっと言う間に、人が住んでいるところは難しいんですけど、妹島さんのすべてのプロジェクトの撮影ができるように手配してくれました。ルイーザが撮ったガラスのきれいな熊野古道にあるなかへち美術館は、ルイーザ好みの妹島さんのデザインですが、おすすめの美術館のひとつです。妹島さんは今、もうすぐオープンする金沢21世紀美術館を設計してますが、あれもぜひルイーザに撮ってほしいと、7月にルイーザを呼んで、金沢を撮ることになりました。だから本当に人との出会いはアンテナを張り巡らせておくと、思いもよらない方向に展開していきます。これが1番面白いところです。岐阜にできた、畳が手前にある日本のアパートも、ルイーザが撮ると、とてもおしゃれなヨーロッパ風になる。彼女の9枚組の写真は金沢21世紀美術館の長谷川祐子さんが大変評価してくださって、コレクションにはいってます。野口里佳さんの富士山を撮った写真も、長谷川さんが全シリーズ購入してくれました。
大巨匠、大ベテランといっていいイギリスの作家、レイチェル・ホワイトリードの個展もしてます。部屋全部のなかにコンクリートを流して家の外側を外し、空間を物質化する。そこに流れていた空気とか時間、記憶とか、すべてを物質にとりこんでしまうわけです。物質化とか材質化なんて言われてますが、巨大な環境作品は、近所からはやく取り壊せと苦情があり、主催者たちが裁判を起こしたりしたのかな。でも負けて、取り壊されたその日にイギリスでもっとも栄誉のあるあのターナー賞の受賞が決まったという、何とも悲劇的というか劇的な結末のあった作家です。ギャラリー小柳で展覧会をひらいたときのシリーズはそれよりは小さいので、個人のコレクターも買いますが、本棚を型取ってます。本ではなくて、空間に本があったわけです。ちなみに今、この作品は3千万円ぐらいします。
岡部:そうそう、わたしも見に行きましたが、友人の美術史を教えている大学の先生も行って、価格をみてびっくりしてましたね。
小柳:結局イギリス人に売ってしまいました。イギリスから持って来たんだけど、またイギリスに輸出。建築とアートは非常にちかい関係にあり、アーティストが建築をテーマにいろいろ作品を作ってますね。たとえばトーマス・ルフ。建築をアーティストが撮るとどうなるか。それからグルスキーにトーマス・デュマン、この人面白いですよ。歴史的だったり、事件があったり、意味のあるストーリーのある空間を写真に撮り、それを紙でつくりなおす。これ全部紙なんです。するとそこに、さっきまで流れていた記憶や時間がまったく無くなって、表情としては同じ空間ですけれども何でもない、無、意味のない空間になってしまうわけです。
次は岡部先生も本などで解説なさっている、おなじみのソフィ・カルです。お父さんと二人でお墓見ている作品。いつか一緒にはいりましょうと。いずれ私もあなたもこの中で眠る。ここからはマルレーネ・デュマス。南アフリカでうまれた白人ですから、差別化に反対しているんですけど、彼女自身が白人であるから抑圧する側にいて、生まれたときから矛盾をかかえている。彼女のなかでは人種差別もそうだし、貧富の差とか、男女の差とか、あらゆる差別に対する矛盾がテーマです。
07 ラッキーな束芋 クールでおもしろい野口里佳
岡部:横浜トリエンナーレで『通勤快速』を発表した束芋さんとは、『アートと女性と映像 グローカル・ウーマン』(彩樹社)という本のなかで、インタヴューをさせていただいているのですが、日本の美術館で、彼女の作品を収蔵しているところはあるのでしょうか?
小柳:ええ、原美術館と高松市美術館です。束芋さんには面白い話があります。森山大道とか荒木惟経さんとかも展覧会を開いたパリのカルティエ財団が持っているとてもいいスペースがあり、そこでアニメーションの企画展を開く事になり、出展依頼の話が来たんです。束芋ちゃん当時ロンドンに1年間留学してましたから、私もパリに行く用事があり、早いほうがいいと思って彼女をロンドンから呼んで、カルティエに行ったんですよ。それが早かったので、15人選ばれたアーティストの中から、私たちが1番乗りで、彼女の資料を見せたら、どのぐらいのスペースが必要かと言われ、カルティエは1階と2階があって、そこを15人で分けたら1人あたりはとても狭いので、こんなスペースではできません、はじめてパリで発表するのに、小さな作品だけの展示ならやらないほうがいいかもしれないと話したんですね。束芋ちゃんの今までの作品がどれだけ大きくて迫力があるかをプレゼンしたら、次の日ホテルに電話がかかってきて、あのアニメの展覧会はやめることにして束芋の個展にしようって言ってくれたんです。驚きました。
岡部:すごい。良かったですね。パリのカルチエ財団の現代美術のスペースでは、比較的日本の現代美術が紹介されてきましたが、個展は珍しい。
小柳:で、また束芋ちゃんとすぐ行こうって、フランス人って気が変わるの早いじゃないですか。気が変わらないうちに行ってプレゼンし、日にちも早く決めてくださいっ!って言ってきました。
岡部:大変なバイタリティとスピードで動かれてますね。
小柳:原美術館ではじまったばかりですが、野口里佳さんも、地道に着実によい仕事をしています。彼女が原美でレクチャーしたら、若い子が100人くらい集まった。無機的で、写真はすごくクールなのに、本人が面白いんですよ。非常に自由で好奇心が強く、とにかく見たい!知りたい!行ってみたい!というところからすべてはじまる。
岡部:彼女の写真は前から好きですが、どこかミステリアスなところがありますよね。私も1度、彼女のレクチャーを聞いたことがあって、じつに感心しました。ある種の芯の強さというか、しっかりしたクールな核に触れることができて、べつの方向から理解も深まりましたし。
小柳:彼女はもともと、何が撮りたいか自分のなかで確固たるものがある程度できてるんだけど、それを見たい聞きたいという好奇心で、微妙な折合いをつけているんですね。「水をつかむ」という作品では、、水をつかんでいるわけじゃなくて土砂を取ってるだけ。でも「水をつかむというタイトルにしたことで、作品として意味が出てくる。これも船に乗せてもらえるまでが大変だったんですって。野口里佳さんは小柄で、可愛らしい顔しているので、どこでも少女扱いされて、邪魔だ、うるさい、危ないって言われるらしいんです。工事現場を撮ったり、危ないところへ行くの好きなんですね。何度も追い払われるんだけど、追い払われても追い払われても来ましたという感じで、絶対撮りたいんですって何回も言う。これは北京なんですけど、北京でも、作品を発表してほしいと言われた時に、里佳ちゃんは寒いところ大嫌いなんで、絶対嫌だと言ってたのに、こんな中で寒中水泳している人たちがいるんだからと説得されたら、うそ!って思って、本当にやってるかどうかじゃあ見に行くわと、出品を受けて見に行ったんです。そしたら、氷がはってるところで、本当に寒中水泳している人たちがいる。それをもし素人が撮ったらどうしようもないシチュエーションだと思うんですよ。太ったオッサンたちが氷のなかに入ってるなんて。でも野口里佳が撮ると、作品になる。彼女は、「実は後悔してます。私も入っておけばよかった」なんて言ってたけど。展覧会の時には20人くらい見に来てくれたそうです。作品自体は静かですけど、そこに至るプロセスで、写真をつくることで、自分の人生がとても豊かになっていると、非常にヒューマンな答えが返ってくるんですね。「ロケットの丘」はロケット打ち上げ前の写真ですが、ロケットの打ち上げを種子島に見に行くと、そこには報道関係者ばかりで、ホテルも民宿もいっぱい。それでも行きたいと、お好み焼き屋のおばちゃんに頼んで、昼間はそこでアルバイトして、そのかわり2階のおばちゃん家に泊めてもらい、ロケットの打ち上げ現場を撮った。ところが、ロケットの打ち上げに行ったら、NHK、朝日新聞、読売新聞と、そうそうたるジャーナリストや科学者が来ていて、ここは私のいる場所じゃないと思ったし、自分で撮った写真も新聞で見るような写真だった。それは撮りたかった写真ではなかったし、あまりに自分とは遠かったと。たまたまそこに集まった、その他大勢みたいな人たちの中に紙ロケット研究会の人がいて、紙ロケットを飛ばしているという話を聞き、これはおもしろいと、マシューロケットとかって言って、摩周湖まで行ったらしいんです。それで打ち上げを撮ったら、彼女が思っていた通りのロケットが打ち上がった。原美術館で発表している空にうち上がっているロケットは、実は紙ロケット。彼女の写真は毎回タイトルがおもしろくて、「飛ぶ夢をみた」とか。またカタログの作り方がおもしろくて、展覧会の作品を全部入れない。遠路はるばる展覧会に来てくれたんだから、展覧会に来なくちゃ見られない作品を置いておきたいと言う。また、逆に展覧会に行っただけですと、見えてこないウラの話があって、たとえば、カタログには出品していない本物のロケット打ち上げ写真だとか、影のストーリーが入ってます。だからカタログの売り上げがとてもよくて、こんなに売れたのははじめてですと、原美術館が喜んでました。あのカタログは価値があると思いますので、お買いになることをお勧めします。彼女は非常に頭のよい人で、すべて説明で納得させられてしまいます。
岡部:はい。カタログ、すでに入手しております。
08 おすすめ美術館・アートフェア
岡部:だいぶ前ですが、フランスのボルドー現代美術館で杉本博さんの展覧会があった時に、すてきなパーティーがあって、パリから美術関係者がどっと行き、そのとき小柳さんも杉本さんとご一緒だったので、お会いしましたね。小柳さんはいろいろ美術館を訪ねておられますが、どこがお気に入りですか?
小柳:お会いしたの95年ぐらいじゃないですか。倉庫を改築したボルドー現代美術館は、ワインもレストランもおいしくて、おすすめですが、ほかにはトリノのカステロ・ディ・リボリというリボリ城を改築した美術館。改築の仕方がセンスいい。ディレクターのセンスがいいんですね。日本の美術館で近いのは、直島の家プロジェクト。あといいのは、ロンドンのテートモダンにスイスとの境目にあるオーストリアのブレゲンツ。4階建てのガラスの箱なんですが、素晴らしい!ピーター・ズントーというスイスの建築家で、ものすごい職人肌、ミニマルなところにこだわった作品をつくっています。杉本がそこで海景と建築のシリーズの展覧会をしたら、ほんとうに作品が映える。絶対おすすめです。4フロア全部1人のアーティストが使っていい。松のシリーズを撮ったので、最上階には能舞台をつくって、屋島という能をやったのです。N.Y.のディア・ファンデイションでも能をやったのですが、モノクロームの写真の前に、カラフルな衣装が非常に映え、いっさい人工の光を使わずにロウソクの光だけでやったので、暗い中で衣装の金が光って非常にきれいで、幻想的でした。今は能楽堂に行くと電気が煌煌とついていて興醒めですけど。
岡部:小柳さんは中国のアートフェアから帰られたばかりで、もうすぐスイスのバーゼルに行かれるそうですね。
小柳:はい。6月なのでもうすぐです。1番有名で歴史のあるのがバーゼル・アートフェアで、だいたい6日間にわたって行われるアートの見本市です。アメリカやヨーロッパ中の美術家、コレクターが集まってくる。参加するにはどうすればいいかと言いますと、各ギャラリーの専属作家や企画展の報告を元に参加の申請しますが、ものすごい競争率で、ヨーロッパですと20〜30倍。だから武蔵美の入試ぐらい難しい。日本は比較的応募する人が少なく、2004年は日本枠が五つあります。小山登美夫さん、佐谷周吾さん、スカイ・バスハウスの白石さん、タカイシイさんと私です。
ここに入るまでにいくつかの道のりがあります。バーゼルの会場とは違う会場に若手のギャラリーがいっぱい集まっているブース代も安い「リステ」があり、小山さんはそこからはじめています。まずそこに出店すると当然バーゼルに来る人や委員の人たちが見に来ますからアピールができる。それから次の方法としては、本会場の中に17、8軒から20軒くらいの「ステイトメント」枠があります。他のブースよりはすごく安く借りられて、ほかのブースは1ブースにだいたい200万、ステイトメントはたぶん5、60万で借りられます。私も最初、「ステイトメント」に応募しました。ただ「ステイトメント」枠だと、若手の個展を開かなくちゃいけない。大きな美術館で個展をひらいていないけれども、ある程度キャリアのある若手のアーティストを選ぶので、非常に難しいところです。私は木で花を彫って、空間との関係を提示する須田悦弘さんが、そろそろインターナショナルに動き始めていて、まだ大きな美術館で個展をしたことがないということで応募したら、通った。つまり「リステ」を飛び越して「ステイトメント」で通ったんですね。その20軒ぐらいを対象に、保険会社かどこかが賞を出し200万円の賞金をくれるんですけれども、その時は佐谷周吾さんがタイの作家ナウィン・ラワンチャイクンで賞をとったので、みんなでごちそうしてもらいました。小山さんは確か「リステ」から始めて、「ステイトメント」をスキップして、本ブースに申請して受かったのかな。難しいのは、選ぶ人たちがプロのギャラリストだから、政治的な動きもあり、ヨーロッパの中ではその人たちに嫌われると、実力はあるのにバーゼルに入れないといった面もある。日本は、わりと平等に選んでもらえてます。ポイントの1つはものすごくインターナショナルに活躍している作家がいたほうがいい。そうはいっても日本人のギャラリーですから、日本人で注目されている作家も入れなくちゃいけない。と同時に誰か若手でおもしろい人も必要。この3つが大事です。たとえば和光さんのギャラリーには、リヒター、トーマス・シュッテ、ヴォルフガング・ティルマンスと、そうそうたるアーティストがいるけれども、残念ながら日本人作家が少ない。逆にミヅマさんは、会田誠さんとか面白い日本人作家がいっぱいいるんですけれども、海外の作家がいない。そのへんで、ミヅマさんにしても和光さんにしても、ご本人が1番何が足りないか分かっていると思います。ギャラリー小柳ヴューイングルームで個展をしたフェデリコ・エレーロという若いアーティストとは、ひょんな出会いがあって、ちょうど今おもしろい時期なんです。国際的に活躍しはじめたところで、今回のバーゼルは彼を目玉にしようと思うんです。彼がたまたま日本のアーティストインレジデンスに来てくれていたタイミングをうまく活かしました。コスタリカまで交渉に行くのは大変ですから。そういう意味では日本のアーティストインレジデンスにくるアーティストたちにもしっかり注目しているといいです。
岡部:AITが墨田区で始めたレジデンスですか?
小柳:そうなんです。AITは小沢さんを中心に活動しているNPO組織です。バーゼルの会場についてですが、100軒ぐらいずつで、1階がほぼモダンマスターズ、ピカソとかシャガール、ダリだとか1点を何千万円で売買するクラスのギャラリーが入っています。2階が現代美術。でも1階2階を行ったり来たりする人もいて、ダミアン・ハーストで有名になったジェイ・ジョップリンは、メジャーのギャラリーになりましたから1階に降りたけれども、地味でつまんないからまた2階に戻って来たりとか。またブースがどこに配置されるのかは、その時々のギャラリーの活躍、どんな作家をやったかによっていい場所をもらえたりします。私は長いことべつのところでしたが、2003年から、突然真ん中のいいところに入りました。会期は、まずファーストチョイスとヴェルニサージュというのが、オープンする前日にあります。バーゼルに来る人たちはみんな買うぞ!って来ますから、いち早く入って、いち早くいいものを見つける意気込みがもうすごい。ここで、いいものはあっという間に売れる。それから、会場が落ち着いてきたアートフェアの終わりの頃にプロフェッショナルデイがあり、ギャラリーの人たちにインタヴューしたいと思っているジャーナリストやクリティックなど、プレス関係者が来ます。
岡部:その頃にはすでに、何かどの程度売れたかがはっきりしてますから具体的な記事にしやすいし、オープニングの時期だと、ビジネスでてんてこまいで、プレス対応がしにくいからでしょうね。
小柳:そうなんですよね。バーゼルには、ギャラリーのメインブース以外に、ジャーナリストとかキュレーターのサロンになっているアートロビーもあり、そこで人と会ったりもできる。また世界中の美術雑誌がブースを出していますし、ヴィデオやアートフィルムを絶えず流しているところもあります。これだけ大きな会場ですから、時間をかけてゆっくりみると、かなりの動向をうかがえます。ギャラリーはこういう国際的な場で発言するために、作家の新作を見せるのが大事なわけです。なかなかつくってもらえない新作を見せて画廊の力をアピールするわけです。2004年は杉本博が11月にパリのカルティエ財団のスペースで発表する新作をつくっていたので、それを先にバーゼルで2枚だけ見せたいと交渉をしたんですけれども断られました。ところが運がよく、うちで扱っているトーマス・ルフが機械を撮った新しいシリーズのカタログを送ってきてくれたので、杉本の新作も機械だったから、トーマス・ルフが先に機械をはじめてますよ、11月にのこのこ発表したんでは遅いんじゃないですかと説得して、出してもらえることになった。アートフェアのおすすめは、6月のバーゼル、3月のニューヨークのThe armory show。あと1月にあるイタリアのボローニャのフェアですが、和光さんもはじめて海外に出そうかと言ってます。シカゴのアートフェアは、「セカンダリー」のギャラリーがたくさん出るようになったため、「プライマリー」のギャラリーが非常に嫌がって、あんまりうまくいってなくて、ここにきて一気に人気が落ちてますね。
岡部:北京から戻られたばかりなので、きょうは中国の話題になるかと思っていたのですが。
小柳:北京ははじめて行って来ました。面白かったです。北京でのはじめてのアートフェアで、上海でもはじまったばかりかな…もちろんそれほど売れはしませんでしたけど、北京のアートフェアは台湾、韓国、日本、もちろん上海、北京など、アジアのマーケットを見るには今後注目してよいと思います。韓国や上海の画廊とお互いつながりができました。そういう意味ではこれからの市場ですから、北京のオリンピックまでは毎年出店しようかなと。安くて、17、8万、20万以下でブースが借りられる。四つ星ホテルが5000円で泊まれるし、北京まではマイレッジを貯めてタダチケットで行ってきましたから。中国はアートに限らず、ぜひ訪れることをおすすめします。時間はかかるかもしれませんが、アジアのマーケットは様々な可能性を感じさせてくれます。これからです。だから次の世代に期待したい。日本でも今、中古の貸しビルなど、とても安い家賃で借りられますから、ギャラリーはその気になれば何とかできる。アートさえあれば。N.Y.でも若いギャラリストがアーティストと一緒になって自分たちでボロビルを改造してやってます。私も何が何だか分からないままはじめましたけど、まずはじめることが大事。それでその人の核みたいなものがはっきりしていれば、自然と人は集まってきます。アートとビジネス、この相反する2つの要素。このバランスをうまくとれば、これほど醍醐味のある仕事はありません。
岡部:(学生に)刺激になりましたね。きょうは大変、充実したお話をありがとうございました。
(テープ起こし担当:藤川知佳)
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