Cultre Power
gallery ナディッフ/NADiff
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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
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インタヴュー

高橋信也×岡部あおみ

学生:浅野直子、笠井大輔、笠原佐知子、清都千恵、竹内亜季、原田圭、光井彩乃、吉村一磯
日時:2000年11月21日
場所:ナディッフ

01 ナディッフ表参道に設立

岡部あおみ:ここにいる学生はみな、すでに来たことがあると思います。まずナディッフがどのような背景で設立されたのかを簡単に説明して頂けますか。

高橋信也:ナディッフは97年の3月にオープンしました。実は背景がありまして、今はもうなくなってしまいましたが、それまではセゾン美術館の脇で「アール・ヴィヴァン」という美術書店を運営する会社が母体です。ところが、西武百貨店が文化芸術は今後もうやらない、という経過になり、アール・ヴィヴァンを運営している会社が外に出る形になりましてグループからはずれます。ただ問題は、東京都現代美術館、水戸芸術館、愛知県芸術文化センターなど、公立施設との取り組みでオープンしている店があり、べつの受け皿を作って、それらの店を新しい会社に移しました。で、最後にアール・ヴィヴァンという店を閉じた。 それで本店をどこに作ろうかと、色々物件を見て回った訳ですが、銀座はセンシビリティーの点で、アール・ヴィヴァンがやってきたことと方向が違うし、恵比寿はややクラブシーンに寄り過ぎる。アール・ヴィヴァンが出来た最初の頃に評価して頂いたのが三宅一生さん、勝俣育夫さん、杉浦康平さんでしたから、青山、表参道の一角にお邪魔しようと言うことになりまして、物件探しを始めました。ところが、この辺は30坪以上の物件ってほとんどないんですね。実はここは裏まで含めると110坪あります。ここの大家さんがたまたま池袋の方で、「アール・ヴィヴァン」をご存じだったこともあり、また1997年まで、地下をショップにしてはいけないという渋谷区の条例があって、それが解除されるのと、我々が探し回っているのとがちょうどうまい具合に合い、大家さんもここを分割して貸すと大体、美容院か飲み屋になるのが関の山だということで、本屋で一括して借りてくれるんだったらその方が良い、となりました。 それともう一つはロケーションが非常に良く、地下でも表の道路から階段を付けられるし、陽光が入ってくる。80年代の文化芸術はプレステージが高いというか、高級商品のようなイメージを作ってきたのですが、90年代に入ってからはもうそうではないと我々は認識していました。なるべく敷居が低くて、気楽に入って頂けて、しかもポスト団塊ジュニアを対象にした時に、シニアのように美術史の知識や見解はなくても入れる、その代わり作品と出会って頂けるような場所を作りたいと思いまして、真ん中にギャラリーを置くことになりました。 「美術書」は独り立ち出来るメディアではなくて、美術があった時に美術書が成立する。したがって本来の美術に元気がないと、「美術書」というメディアは成立しない。したがってそのためにも、書店の真ん中にギャラリーが必要になる。このギャラリーで「オリジナル」作品を展示して、まわりに「和書の美術書」「洋書の美術書」それから「音楽関係」などを置く。例えば、デュシャン以降のことを考えると、音楽のムーブメントと美術はほとんど親戚付き合いをしてきてますから、音楽抜きでは資料としては不十分。あと、ミュージアムグッズですね。主にアメリカが中心ですが、美術を権威化するのではなくて美術を日常に持ち込むという考え方ですから、ミュージアムグッズはどうしても必要になる。ギャラリーを中心に本を見て、「あ、音楽もあるな」、先に音楽を見て、「あ、ギャラリーがあるんだ」とギャラリーを見ると、結構1〜2時間経ちます。そうすると喉も乾くし話もしたくなるので、「カフェ」がある。こういう考え方です。






© Megumi Hasimoto

02 アールヴィヴァン閉店の理由

岡部:「アール・ヴィヴァン」を潰すという決定は、美術館を閉めるという考え方と同時にあったのでしょうか?

高橋:いえ。美術館は堤光次郎さんのコレクションですから、現実的には閉ざすことはないだろうと個人的には踏んでいました。ただ、その社長が堤氏から義理の弟の水野篤次氏に、さらに和田さんという外食産業をやってた方に変わった時に、「もうこの館は文化を止めます。」となり、チェーンオペレーションで生活消費材に特化していきます。したがって高級な商品、差別化した商品は置かない。みんなが何でも普通に買えるものを種類そろえて置くことぐらいしかやらないと言われた時に、これはもう違うかなと思ったんですね。

岡部:それは百貨店の方針ですね。アール・ヴィヴァンは西武百貨店の一部門だったのですか?

高橋:いえ、違います。西武グループの一種です。

岡部:独立していたということですね。経営はどうだったのですか?

高橋:全く自主的です。べつに赤字でもなかったし。

岡部:今は西武グループとは全然関係がないのですか?

高橋:商品上の取り引きは若干強いとこもありますけれど、会社としては全くない訳です。アール・ヴィヴァンの経営陣がそのまま新会社に移行したという考え方で、何人かの個人株主さんで創設しました。

岡部:個人株主さんには高橋さんも入っていますか?

高橋:私もちょろっと入っていますが、今の社長とまわりで応援して下さる方の何人かで作ったんです。社長は芦野といって、東京都現代美術館のアール・ヴィヴァンの社長も兼ねてます。

岡部:かつては店舗の数が多かったわけですね?

高橋:百貨店の言われるままに店を出した経緯もあり、日本全国で12店鋪位ありました。出版もやってましたし。

岡部:出版関係の人はそのときに抜けたわけですね?

高橋:そうです。「リブロポート」という出版社の美術書を全部我々が企画して納品していた訳ですが、リブロポート自体がもう出版はやっていません。

岡部:そういう経過だったのですね。私の本の1冊も出版元がリブロポートでした。(笑)

高橋:あ、失礼しました。(笑)

岡部:アール・ヴィヴァンも別に出版をやっていましたね。「アール・ヴィヴァン」と「リブロポート」の関係はどうだったのでしょうか?

高橋:兄弟会社ですね。「ニューワード西武」がアール・ヴィヴァンを運営している会社で、「リブロポート」が出版をやっている会社で、「リブロ」が書店を運営している会社です。アール・ヴィヴァンを運営しているニューワード西武という母体が、中から割って出た形で、「ニューワード・ディフュージョン」という風に名前を変えて、取引先様アカウント等を引き継いでやるようになったというか・・・

岡部:表参道のこの場所を見つけられたのはすごくラッキーでしたね。

高橋:ええ、半年位かけましたからねぇ。広さがどうしてもある程度欲しかったし、ギャラリーの機能とカフェも欲しかったので。(笑)

岡部:かわいいですし、広いですね。これだけ充実した美術書を置いているスペースは他にはないでしょう?

高橋:そうですね。ここは「ファッション」とか「美容院」が地場産業なのですが、この渋谷のゾーンにはいろんな種類のものを入れればギャラリーも100軒以上ある。そうすると、美術、アートも一つの地場産業かもしれないので、そこのランドマークになれればいいなぁと思いながら・・・

03 ナディッフ売り上げNO.1

岡部:ナディッフ系列のショップは現在、全部で何店鋪で、スタッフの方は何人ぐらいですか?

高橋:東京都現代美術館、水戸芸術館、東京オペラシティアートギャラリー、軽井沢のセゾン現代美術館、Bunkamura、あと卸売りですが、愛知県芸術文化センターと、ここの「ナディッフ」で、全部で7店鋪になります。各店鋪にそこのスタッフがいます。

岡部:もともとアール・ヴィヴァンのときからの繋がリと、新たな店舗と二種類あるのですね。

高橋:「ナディッフ」になってからオープンしたのはオペラシティとBnnkamuraです。セゾン現代美術館は「セゾン」とは関係なくて財団法人ですから、継続させて頂いております。

岡部:少しずつ店鋪が増えてきているという感じですか?

高橋:ええ。ここにきて急にいろんなお話をいただいてますが、お断りしなくてはならないケースの方が多いと思います。ご存じのように「箱物行政批判」とか「独立行政法人化」とかで、美術館が多少自前で稼がなくてはなくなってきた。そうすると、作るのは「ショップ」だということになるのですが、リストラ含みで前に行こうという話で頂くケースが多いので、難しいですね。 今までの美術館運営は、内部に企画部があり、そこは展覧会の展示内容にしかあまり関心がなく、集客にもそれほど関心がなかった。ところが入場料収入その他で稼がなくてはならない。それで「ショップ」ということになるわけですが、ノウハウもないし、まあ、あいつらどうも採算とれてそうだから声をかけてみろ(笑)ってことになる。ところが、日本海沿岸の一小都市で「企画展を春・秋1本ずつ」しかやらない美術館に、「人ともの」を持って出てこいと言われても、なかなか行けないですよ。ですから、散々はじいて、お話させて頂いて、ノウハウはお渡しするのですが、実際出店は出来ない。

岡部:運営なさっている店鋪の中では、やはり表参道の「ナディッフ」本店が、規模から言っても売り上げから言っても一番ですか?

高橋:安定的な売り上げという意味では「ナディッフ」が一番ですね。ただし、「アンディ・ウォ−ホル」展や「ポンピドー・センター・コレクション」展などの大展覧会が入ると、他の店舗でも収益が上がることがあります。

岡部:規模から言うと、他ではどこの店鋪が大きいのですか?東京都現代美術館(Mot)は廊下にあって、まとまった店舗の感じはないですけど。水戸もわりと大きくないですか?

高橋:いや、水戸は15坪くらいしかないから、チョロです。やはり東京都現代美術館が面積的には大きいかもしれません。美術館の「学芸部」と「東京都」は作りたかったんですが、建築家の柳沢先生は作りたくなかったんですね。(笑)「あのロビーはスカーンとこうリニアに見せたい」と。ポストモダンではなくてモダンの方で、「コルビュジエ」の世界ですから。そこに置いてもらっちゃ困ると。こうした問題含みでああいう形状になったんです。

岡部:両者の妥協策で、借り置き場みたいな感じになってしまったのですね。

高橋:そうです。館の方としては、「うちの建物なのに何でやっていけないんだ」ってことになりますから、散々揉んで、提案して、なるべく見通しを遮断しないで、囲いも作らないで。(笑)

岡部:最近グッズも増えてますし、美術館からも要望があると思いますけれども、基本的には各店舗のために高橋さんが選ばれるのですか?

高橋:うちの店は大きく分けると4つのジャンルで構成されてます。「和書」と「洋書」と「ミュージックCD」と「ミュージアムグッズ」で、それぞれにスタッフのバイヤーがいます。全体的な会社の方針に沿って各バイヤーが買い付けます。バイヤ−は本部にいますけども、全店鋪分を買い付けます。したがって、私が洋書のバイヤーだったら、Mot用、オペラシティ用、Bunkamura用、ナディッフ用、という風に全部やる。そうするとスケールメリットが出てきますので、何とか採算がとれるわけです。

岡部;全体の方針は、高橋さんや社長さんが決められるのですか?

高橋:一応組織ですから、意見を聞いて社長と私がオーソライズしていくことになります。

岡部:高橋さんは副社長ですか?

高橋:いえ、私は役員の一人です。と言っても常勤は2人しかいませんので結局2人が決めているということです。(笑)例えば、Motの様な店だとその展示内容によって商品は当然入れ替えていかなければならないし、音楽商品より、ミュージアムグッズと開発商品が中心になります。グッズは輸入もするし、国内のアーティストが造ったものの受け入れもするし、開発もします。

岡部:「アートマネージメント」のクラスで、ミュージアム・ショップとグッズの調査をやったので、東京都現代美術館や水戸芸を調べた人がいました。売れる商品はそれぞれの店鋪で違いますよね?来る人が違うから。

高橋:はい。違います。展示内容によっても随分左右されますし、それはその都度調整していく。

岡部:売り上げの結果を見ながら判断していくわけですね。

04 オルターナティブスペース

高橋:そういうことです。でもここは、美術館があって成立しているショップではなく、ショップの中に小さなギャラリーがあるわけですから。(笑)

岡部:スペースとして一番ユニークな印象を持つのがこのギャラリーですね。ギャラリーというか何か・・・

高橋:オルターナティブスペースですね。プライヴェートギャラリーとは全然トーンが違うと思うんですよ。画廊なら、買ってくれる人が5人来ればいい。用は作品が売れるか売れないかですから。

岡部:ディーリング(作品販売をする画商の役割)もなさるのですよね。

高橋:やりますが、ディーリング中心では運営していないのです。なんて言うんでしょうね、美術館だと展覧会を見せるだけになります。画廊だと今度は売れるか売れないかだけが問題になります。その中間です。作家さんとは、「美術館で出来ないこと、ギャラリーで出来ないことをやって下さい」と言って一緒にやっていきます。

岡部:ギャラリーの担当はいないのですか?

高橋:ギャラリー担当はいません。

岡部:みんなが何となくやってる?

高橋:そうです。

岡部:それもすごいですね。

高橋:スタッフ内で適当に「こういう話あったけどどうする?」みたいな感じですよ。正月明けにやるのが、明和電気の社長の展覧会なんですけど、彼は昭和40年会メンバーでもあり、うちに昭和40年生まれのスタッフがいますから。(笑)

岡部:期間はどの位なんですか?

高橋:大体、ひと月からひと月半ですが、ここは本屋の都合でやってる所もあるので、ビジネス上、例えば夏休みだとか連休だとか、あとクリスマスだとか、多少意識する必要もある。派手にやった方がいい時と、地味に内容を見せた方が良い時と、色々ですね。2000年の夏休みは「荒木さん」やりましたし。夏休みはお客さまが多いんです。美術業界そのものは夏はシーズンオフですね。ところがここは、高校の美術の先生みたいな人がお金を握って本を買いにくる。

岡部:(笑)いいですね。売り上げのチャンス。

高橋:(笑)だから楽しんで頂けるものをしなくてはいけない。逆に、2月はあまり派手にしても、お正月で真面目に働こうかなという雰囲気だから、シックなものでいきたいというような感じですね。

岡部:これまでにどの位の人が.訪れているのでしょうか?

高橋:すいません。カウントしてないので何とも言えないんですが、例えば、「森村泰昌」展をMotでやって、こっちで「大竹展」をやった時、ほぼ互角位動員してますね。

岡部:えーっ!すごい!3万人位でしたっけ?

高橋:あちらはMotで、遠いし、入場料かかりますし、こちらはただで、表参道で、近い。原宿から茶髪のお兄さん達がいっぱい来てくれるし、美術の好き嫌いの関わりなく来ますから。それで、モチベーションが「お茶!」。「カフェのある雑貨屋さん」とかいう記事も出ますしね。(笑)それも込みです。ともかく、例えば奈良美智さんの展覧会やった時に、ひと月半ですけど、それに合わせて出版してもらった本と他の本とを合わせると、一千冊位動くんですね。出版で言えば、「ワンロット」です。それ位売れると本屋さんとしてもおいしいし、展覧会としても賑わうことになります。

岡部:その時は、作品も売れました?

高橋:作品はもうボコボコ売れました。ドローイングなんか一日目で完売です。

岡部:最近びっくりしたのですが、現代アートのギャラリーで、時々バーッと完売の「赤」が付いていることがある。

高橋:ええ。今年も「タカノ綾」という村上の弟子筋の女の子、23才位ですけど、綾ちゃんの120点位持ってきたんだけど。完売。でも、筋ってものがあるんですけどね。売れるか売れないかって筋が。

岡部:1、2年すごい勢いですね。若い人が買うようですが。

高橋:結局、日本ゼロ年、時代のターンじゃないけど、東京美術学校が出来て明治二十何年に「お前ら一点透視図法で描かなきゃ絵じゃないだろう」ってお役人が言い始める以前、一点透視図法で絵を描いた歴史は日本にはないんですよね。だったら一回、その枠をとっぱらって好きに描くことをやってみたらどうだろうと村上とか奈良さんとかが言い始めた。しかも作品として提出してみたら海外はもっと受け入れてくれたという経過があります。日本の若い人たちは当然、「速い」というか、もっともっと受け入れやすいから、広がりますね。90年代は、色んなものが出かかって潰れて、出かかって潰して、97年位からやっとコンテクストが細々と繋がってきたって感じがします。

岡部:そうですね。一つの現象みたいな形で、表れてきましたね。

高橋:パルコでやった「スーパーフラット」展がロスとウォーカーアートセンターに回って、ニューヨークではMOMAのPS.1に巡回するんですよ!信じられないですよ!日本の作家をこちらから持っていく。スーパーフラットで、近代以降の展覧会は、出来れば海外にある作品、アメリカにあるもので日本の作家を併置するという考え方で、村上がキュレーションを一生懸命やる。

岡部:おもしろいですねえ。本当に、これだけの速さで同時代的な現象が広がっていく感じは、かつてはなかったですね?

高橋:そうですねぇ。今は日本の学芸員が受け入れるよりも海外が受け入れる方が速いです。

05 グッズの現状は?

岡部:現在のグッズの状況はどうですか?すごく流行ってきていることは確かですが。

高橋:流行ったのが完全に枝葉が落ちて、継続的なところだけが残った感じでしょうか。例えば、海外でもバブルの時はドイツの美術館なんかも作り始めていたのですが、やはりアメリカが中心かな。あと、パリ一部、ロンドン一部位ですか。日本関連で言えば、明和電気、「ヒロポン」、荒木さん、横尾さんのグッズも扱っているし、「三宅一生」展用にも、「横浜トリエンナーレ」用にも作っています。

岡部:本類と比べると、グッズの収益のほうが恒常的にあるのですか?

高橋:それは難しいところですね。例えば3万人以下の動員の展覧会ではモノを開発したら必ず売り残しますね。3万以上入ると見越せる展覧会が現代美術でいくつあるのかと言うと、そうはない。

岡部:動員可能な企画展用に作るグッズが多いということですね?

高橋:(笑)ええ。焦点絞って。それから美術館が新しく立ち上がる時は必ずロゴグッズを欲しがられますので。MotはMotのロゴが入ったバンダナ、ノート各種類ですね。

岡部:企画展用に作ったグッズは、企画展が終わってしまうと、消えてしまうものが多いですね。

高橋:売れ続けるものが少ないと言うのかな。

06 画集らしい画集じゃダメ

岡部:本に関してですが、「和書・洋書」色々ありますけど、美術書の売れ行き傾向はどうですか?

高橋:本に関しては、実はものすごく細分化されているので、一概には言えないですね。ただ今の傾向ですと、昔のいわゆる画集らしい画集が成立しなくなってきたという感じはあります。

岡部:買う人がいないってことですか?

高橋:結局売れれば作れるのですが。たとえば、これは「ベン・ハ−」の画集で「エーブラムス」が出版社。ニューヨークの代表的な出版社ですが、「エーブラムス」が元気だったのは70年代までです。つまりヨーロッパ中心の美術界に、ニューヨーク発のジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタインなどをモダニズムの中に収めるツールだったのです。しかもアメリカ発の発生現場に隣接して本屋があり、生の情報で、しかも印刷は台湾とか日本とかで、グローバルスタンダードも満たしていたから、ものすごい普及率だった。しかも作りも、作家を権威化しがちなヨーロッパの画集の作りと違って、「エーブラムス」のはより散文的で、ミニマルの作家だったら、2ページにまたがって折り込んで臨場感を出すような豪華な編集をしています。ところが80年代前半からあやしくなってきた。まず、これがあんまり売れなくなってきたことがひとつあり、もうひとつは岡部さんなんかはよくご存じだと思うんですが、ポンピドゥーセンターがこんな分厚い10cm位ある展覧会カタログを作り始めたんですね。

岡部:私も作りました。(笑)

高橋:結局あの分厚い展覧会カタログはよく考えてみると、やっぱりモダニズムが整理の段階に入ったことを端的に示す展覧会のコンセプトブックのようなものです。それまでは、セザンヌ展だったら、セザンヌの絵が平面体に並んで、「お土産」ってトーンが強かったわけですが。それが展覧会のサブテキストになったんです。

岡部:辞書みたいだから買わなくてはならない。

高橋:そうなんです。展示以外のドキュメントとかテキストがいっぱい詰まったものになったわけです。

岡部:ポンピドゥー・センターでも大きくてあまりにも重いし、場所もとるし、値段も高い。それで小型で再販したりしましたが、初版図録は絶版で、見つかっても10万円するという時期もあった。

高橋:そうですね。それで日本も散々まねたんですが、この厚いカタログもまた流行らなくなってきた。それはなぜかと言うと、例えばジャスパー・ジョーンズだったら、彼の仕事を参照するために、「パリ−モスクワ」だったら、実際にあった美術運動をリファレンスするために必要だったのが、モダニズムが失効しかかっている今となってはリファレンスするものがなくなってきた。本自体はメディアであると同時に、ある種作品でありオブジェでもある。したがって本は「アーティストブック」的なものにならないと自立しにくいわけです。

岡部:ある程度モダニズムに対する検証が十分になされた、ということもありますね。

高橋:ええ。結局そうした本の形とかスタンダードとか概念そのものが崩壊しつつあるから、本棚が汚くなってくるわけですよ。(笑)きれいに並ばなくなってくる。

岡部:本棚の崩壊って、おもしろいですね。

07 ランダムで自由なアーティストブック

高橋:その準備をしてくれたのは実はマルセル・デュシャンで、古いですけど、結局アーティストブックと言えるのは「グリーン・ボックス」辺りからでしょう。デュシャンがいなかったらそういう考え方はないようなものですから。

岡部:普通のカタログにはあまり魅力が無くなって、ランダムで自由なアーティストブックの方向に進んで来ている。でもアーティストブック的なものを作るのは個展以外には難しいのでは?

高橋:重いカタログは包装して送らないと、となります。ただポンピドゥー・センターなんかは変わり身が速いと言いますか、タブロイド版とかファッション雑誌の形を模した、こんな袋にどさーっといろんなものを詰め込んでいるカタログを出し始めたんです。

岡部:新聞と同じような形のカタログを出したりしていますし、すごく変わってきました。

高橋:今度は横に広がり始めた。写真家も、デザイナーも、ファッション関係者も作り始める。ジャスパー・ジョーンズの仕事を一冊にまとめるとなったら、20年位仕事してくれないと1册にまとまらないという時間的制約があるのですが、アーティストブックは逆に空間的に広がります。

岡部:最近はしかもバイリンガルで出しますね。英語を入れるなんて、かつては、お金もかかるし誰も読まないという感じで、以前は考えられなかったけど。

高橋:気楽に同時性を持ちうる。国家政策のくびきがとれたってことですね。どこでもありじゃん?みたいなね。僕はかなりラディカルに変わってきていると思います。

08 パリ、ニューヨークの古本屋

岡部:ナディッフでは古書も扱ってますよね?最近インターネットで古書が買えて、私なんか調べてつい「ああ、安い!」ってつい買いを押してしまうのですけど。図書館で借りればいいのに。そうすると、お金を払えばすぐ送ってくれる。交渉はすごく楽。今までは1年待たないと出ませんよ、とか言われたこともありましたけど。

高橋:古書も、20世紀はある意味ですごく豊かな時代です。いろんなジャンルがあり、「Illustrated Books」とパリで呼ばれてるものには、たとえば、ジョルジュ・ブラック、キュビズムの作家の作品など、全てリトグラフで、本が綴じられていません。オリジナルリトグラフも4、5点入っている。こういう豪華本を作る時に、当然、紙はそれ用に漉かせるし、日本語だと漢字がいっぱいあって大変ですけれど、向こうだとアルファベットだから活字の数が知れていますから、活字も作らせる。タイポグラフィーまで作らせるんです。このジョルジュ・ブラックの本は、100部刷られて、売りものは100部とあとは22部が作家のためとコラボレーターのためです。で、これは100部の97番という風にシールが貼ってある。戦前から始まって、大画商が出てくるに従って、シャガールとかミロとかに「あんた本やらない?」と言って作らせたんですね。60年代位まではこういう形式の本が非常に活発に、戦争中の一時期を除いて出版されていた。この中には名品と言われる、マチスで言えば『ジャズ』とか、ピカソやデュシャンとか、ミュージアムピースも出てきた。ところが、高価なものですから、なかなか昨今そんなに刷れない。それで古書屋レベルで探すことになるんですね。高いものは何百万円が当たり前ってことになります。そういうのは大体扱っている古書屋も、パリで何軒、ニューヨークで何軒と、大体ネットワークがある。

岡部:これからはそれもインターネットで買えるようになるのではないですか?

高橋:一定程度までは買えますが、ある水準以上のものは、持っていても、情報として店が出さない。フランスの古書屋なんかは陰険ですから。(笑)

岡部:値段が交渉で決まったりしますしね。

高橋:そうです。で、大体「お主やるな」と分かると、「あれ、ある?」と言ったら「あるけど。・・・欲しいの?」となる。

岡部:薄くて、かわいらしい日本の作家のアーティスト・ブックなどは、どの程度売れるのですか?

高橋:売れるものは売れます。「レントゲン」が作ったヤノベケンジさんの本はうちだけでも200部位は軽く売っています。

岡部:若いアーティストがデビューすると、アーティストブックもどんどん伸びる可能性がありますね。

高橋:ええ!たとえば、うちでは、新潮社が厳かに出した美術評論の本が5冊売れる間に、村上隆のアーティストブックが20冊売れれば、その方が効率良い訳ですから、当然そちらにシフトします。ですからインディーズのもひとつのジャンルになりつつある。

09 ちなみに売り上げは?

岡部:ちなみに、売り上げを教えて頂くことは可能ですか?

高橋:店鋪によってマチマチです。比率は「ナディッフ」だけで言えば、和書が4割、洋書が3割5分で、あと3割5分で音楽と雑貨がシェアしてる感じでしょうか。グッズと音楽は半分半分という感じですかね。もちろん日本のものしかない展覧会だとそっちが伸びるし、洋書しかないものだとそっちが伸びる。

岡部:翻訳書は和書に入るんですね。

高橋:和書です。日本で出版されたものは全て「和書」というくくりになります。

岡部:となると洋書がかなり売れてることにもなりますね。

高橋:ええ。洋書は「くださいな」で買うお客さまもけっこういらっしゃいますけど、やっぱり大学の図書館とかコレクターさんとかですから、もう全国ネットじゃないと洋書はちょっと売れない。九州から電話がかかってくることもあるし。北海道近代美術館にもお納めするという具合です。

岡部:なるほどね。うまく回ってますね。(笑)でも、贅沢な場所ですから、ここ家賃高いんでしょ?

高橋:なんとか回ってますが、むちゃくちゃ家賃は高い。そうは言っても他のこの地域に比べれば安くして頂いているとは思うんです。そうでないと、本屋なんかで、帳尻合わないですよ。

10 これからやりたいこと

岡部:高橋さんが考えていて、まだ出来ないけれど、いつかはやるぞ、みたいな新しい方向はありますか?

高橋:新しく作ったBunkamuraの店舗がそれに変わるかもしれないですけど、「ナディッフ」は現在進行形の美術用法がいつも動く形で入って、それに対してBunkamuraは20世紀を扱うモダーンです。つまり現在準備してきたものが一体何だったのかを、いろんな形で見られるショップを作ってみたいと思います。だから、Bunkamuraは「NADiff Modern」といいます。

岡部:落ち着いた顧客層を狙う、と。運営の形態は?

高橋:一応「株式会社Bunkamura」が持ってる施設なので、そこにテナントのような形で入る訳です。あそこはシニアが行くみたいです。展覧会の内容が、「デ・キリコ」展、「ジャン・コクトー」展という感じ。要するにバブルを知っていた人と知らない人とでひとつ線が引けて、価値観が全然違います。ですから村上隆以降をゼロ年世代と呼べばいいのかな。ゼロ年に抵抗なくキャッチする方と、それ以前です。それ以前との間に少し溝があり、それがモダニズムの認識の問題かもしれない。逆に「ナディッフ」が仮にスーパーフラットの牙城でしょう!と目されたら、もうモダニズムの人は来ない、にちょっとなりかかっている。もうひとつ大きく言えば、美術館が完全に失効しかかっていますし、学芸員の保守化もあるかもしれません。

岡部:学芸員の平均年齢もかなり上がってますから。高橋さんはスーパーフラット系の作家が好きなのですか?

高橋:好き嫌いと言うことはなく、理解できる。学芸員にとっては、パフォーマティブな動き、動きを作ろうとする動きが嫌という感じがあるかもしれない。近代がなくなるってことは散在することだから、散在している状況がカッティングエイジでしょ?なのに、意図的に若いやつらを捏造したムーブメントに巻き込もうとしてるかのように見えるのはいかがなものか、って言うような感じですよね。それはよく分かります。ただ、村上の側に立つと、アートピープルじゃなくて世の中を巻き込まないとだめだ。一般のメンタリティーを一緒に巻き込みたい、と思っていますよ。そうした時に、多少戦略的な動きになってしまうのかな。うちでデビューして他でデビュー戦をやらないまま、横浜トリエンナーレにノミネートされた作家が1人います。「オダマサノリ」です。日本ゼロ年展の「リミックスインスタレーション」を作った人で、変わっていて、人文学者なんですよ。

岡部:知っていますよ。展覧会を見ましたから。珍しいですよね。

高橋:ええ。そういうケースは珍しいです。新しいタイプのアーティストです。民俗学をやってる人がいて、その人の展覧会もやろうかなと思っているところですが。

岡部:フランスでは陰の実力者を「エミノンス・グリーズ」と言うんです。あまり表舞台には立たないけれど、陰で大きな役割を演じている人。高橋さんはそんな感じですね。

高橋:いやあ、とんでもないとんでもない。そんなことないですよ。本屋の親父ですよ。

岡部:いえいえ。なんか大きな感じがしますよ。みんな何か質問はないですか?

学生:お話を聞いていて、推し量りきれない世の中のお話も聞けて、すごくおもしろかったです。

高橋:ありがとうございます。

11 高橋さんの気になる本屋

学生:他に高橋さんが気になる本屋はありますか?おもしろい動きや出版物があるところなど。

高橋:1番気になるのは「ケルンのヴァルター・ケー二ッヒ」ですね。弟がドイツのミュンスターで彫刻展をはじめた有名なキュレーターの「カスパ・ケー二ッヒ」ですから、当然リンクしてやっています。あれ位アクチュアルにやれればおもしろいだろうなあと思う。弟が展覧会を作って、その展覧会カタログを兄貴が出版もして本屋で売る。彼は本屋も自分で持っているから、各美術館の売れ残りのカタログを全部集めてきて安く売る。そうすると、3000円だと買う気はしないけど1000円だったら買えるから、本の形で流れていく。で、美術館も在庫がなくなるし、買いたい方も安く買えるし、一番いいですよね。

岡部:すばらしいですね。流通経路のフレキシビリティーがあるんですね。日本ではなかなかそうはいきませんよね。

高橋:ええ、日本では一般の書店には展覧会のカタログは降りてゆきません。それで別にうちなんかがごそごそ動いてやるしかない。しかし展覧会カタログを全部ってことにはなりませんし。

岡部:もったいないですねえ。

高橋:新聞社系の展覧会だと、結構流して頂けるんですけど。

学生:話題が多少違うのですが、美術書はなぜそんなに高いのですか?

高橋:まず、1色で刷るのと4色で刷るのとでは、1回でいいところを4回刷ってるわけですから、コストは4倍ですね。しかもそんなにたくさん売れないから、たとえばスティーブン・キングなら40万部、50万部は当たり前ですが、奈良さんの本がよく売れたといっても3万部。でも普通の美術書ですと2000部、1000部ですから、美術書で3万部といったら、みんなもうびっくりですよ。

岡部:もうベストセラーですよ。

高橋:もちろん数刷ればだんだん安くなります。でも2000部位ならまだとても高い。だからみんな買ってくれればもっと安くなります。(笑)
(テープ起こし担当:清都千恵)


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