イントロダクション
2003年のヴェネチア・ビエンナーレの日本館を訪れたとき、展覧会の支援者のなかに高橋龍太郎という名前が掲げられていた。協賛や支援企業の名のなかで、唯一の個人名だったと記憶する。大阪のキリン・プラザで開催されたできやよいと束芋のダブル個展の会場では、多くのできやよい作品に高橋コレクションの名が記されていた。
幻のコレクターの偏在。
しかも最近は、アーティストやギャラリストからその名が語られない日がないほどだ。
精神科医にアート・コレクターが多いのは、どこの国でも同じようだ。フランスでもっとも尊敬されていた故精神科医は、パリにいるある日本の作家をまるで息子のように生涯にわたってサポートしていた。日本でも精神科医にはコレクターが多いと、高橋氏も言っていた。経済的な余裕と、精神的な欲求。
だが、高橋氏はヒーリング・アートを胡散臭いと毛嫌いしている。そんな生易しいものではない、というプロの意気ごみと憤懣だろう。おそらく、他者の精神の奈落にまでも付き添う医師は、自ら帰還するために、灯台のような強靭な生の可視的エネルギーを必要とするのではないか。癒しのためではなく、ただ生きるために。生きる戦いの糧として。
アートがそうした力を与えうるものであることは、多くの人が感じている。しかし、精神科医の場合には、より切実で、より如実で、よりリアルな瀬戸際の渇望としてアートを凝視するまなざしがある。
神楽坂に高橋コレクションのスペースがオープンした。小谷元彦の充実した作品群は、まるでどこかのミュージアムのコーナーに立っているかのような幻覚を起こさせる。これはまだ数百点あるコレクションの一角にすぎない。今後の展開が楽しみだ。
とうとう日本にも、前代未聞の意欲的なコレクターが出現した。
「時代を買う」高橋龍太郎。気迫あるヴィジョンが、世界への確固たるメッセージとして、そこにある。
(岡部あおみ)