Cultre Power
biennale & triennale 国際展シンポジウム
リン・ティエンミャオ[林天苗]「卵3#」2001
福岡アジア美術館所蔵
第2回福岡トリエンナーレ 2002
Photo Kuroda Raiji








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イントロダクション
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ | 福岡アジア美術トリエンナーレ | リヨン・ビエンナーレ

福岡アジア美術トリエンナーレ

イントロダクション

第1回「福岡アジア美術トリエンナーレ」は、「大地の芸術祭」の1年前、福岡アジア美術館(アジ美)の開館を記念して1999年に開かれた。第2回展は2002年、第3回展は2005年秋、横浜トリエンナーレと同時期に開催される。

福岡アジア美術館は、1979年にオープンした福岡市美術館が収蔵したアジア美術コレクションと活動を分離独立する形で、20年後の1999年に誕生した新美術館である。アジ美のトリエンナーレも、福岡市美時代の「アジア美術展」を継承発展させたもので、名称は変わったものの、長い歴史を誇る重要な国際展である。福岡アジア美術館は http://apm.musabi.ac.jp/imsc/cp/cp_old/menuAJIBI.htmlをご参照ください。

「福岡アジア美術トリエンナーレ」の大きな特徴は四つある。第一に国際展といっても、アジアに地域を限定していること。第二に、交流部門を設けて作家を招聘し、滞在型の独自の交流プログラムを展開しており、アーティスト・イン・レジデンス活動が定期的に行われている点である。第三の特徴は、バイリンガルやトリリンガルが多いアジ美の優秀なキュレーターたちや現地のリサーチャーが、毎回アジア各国各地を丁寧に調査すること。エッジな今日のアジアン・アートを発掘し、そのノミネートリストを、より客観的な視点で選抜するために、国内外の選考委員に託して最終的に選考する。2006年秋に開催される第三回アジ美トリエンナーレは、学芸課長の黒田雷児氏のもとで、パキスタンの評論家やシンガポール美術館館長などと混じって、私も5人いる第3回福岡アジア美術トリエンナーレの選考委員を務めさせていただくことになった。そして最後の特長となるのは、おそらくこれがベースとなる特徴ともいえるが、福岡アジア美術館がメイン会場となっていることだ。つまり、お祭り的な会場で、誰かに頼んで任せて終わりという、よくある国際展的方法をとっていない。学芸員と外部選考委員のコラボレーションによる段階を経た真正なるセレクションのプロセスは、美術館が美術館で開催し、出品作のなかからコレクションもするという美術館的ミッションと結びついている。いわば、本格的なリサーチ型の「珍しい」トリエンナーレと言ってもいいかもしれない。

後小路雅弘氏がシンポジウムで説明してくれた第1回「福岡アジア美術トリエンナーレ」は、「コミュニケーション〜希望への回路」というテーマで行われ、“3C”(Community―コミュニティ、Collaboration―コラボレーション、Communication―コミュニケーション)をコンセプトにした。アジ美の学芸員たちの現地における調査の積み重ねと実体験から、こうした先駆的な発想が生まれてきたわけだ。個より、集団がもたらす開かれた価値観に重点を置いたこの“3C”のコンセプトは、その2年後、2001年に長谷川祐子氏がキュレーションした第7回「イスタンブール・ビエンナーレ」のコンセプトに連動していく。個という主体からの自由という意味で提起された長谷川氏の“エゴフーガル”も、“3C”(Collective Intelligence, Collective consciousness, Co-existence)がうたわれ、「知性と、情報の共有の先にどのような意識の共存が可能かという問い、そしていかに共に存在するか、という集合性、複数性をもった言葉」(「Egofugal」展図録、東京オペラシティアートギャラリー)と規定された。知性や意識の共有への発展形としての3Cである。

また、第1回「福岡アジア美術トリエンナーレ」の図録には、当時、アジアのさまざまな都市で生起していたオルタナティヴ・スペースや活動についてのヴィヴィッドな報告がなされていた。アジ美が指摘したこれらアジア現代アートの前哨基地の活動は、それから3年後、2002年に開催された韓国の第4回「光州ビエンナーレ Pause」で大規模な形で具体化することになる。

アジ美のトリエンナーレは、こんなふうにその他の重要な国際展のコンセプトや実践に、少なからぬ影響を与えている。それはアジ美にしかできない広範囲なアジア美術に限定した地道で貴重なリサーチの成果であると同時に、アジアが内包し提起するものが、アジアという境界を越えて、国際的に有効なディメンションをヴィヴィッドに持ち始めているということを示す証でもある。

(岡部あおみ)