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biennale & triennale 国際展シンポジウム


















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大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ | 福岡アジア美術トリエンナーレ | リヨン・ビエンナーレ

リヨン・ビエンナーレ

データ

フランス第2の都市リヨンは、約120−130万人の人口がある。1984年に美術学校の設立か現代美術の美術館を作るかという展望のもとにビエンナーレが政治的にはじまった。学芸員のポストについたティエリー・ラスパイユがティエリー・プラを招き、共同で1984‐91年にコレクションを形成、1988年に市内のあちらこちらの会場で、ビエンナーレの前身ともなり、賛否両論の議論を巻き起こした「モノクロームの歴史」展を行った。2ヶ月で5万3千人の入場者という大成功を博し、1991年にミシェル・ノワ市長がビエンナーレをリヨン市の予算で開催することを決定した。 フランスではすでにパリ青年ビエンナーレが開催されていたが、運営費は赤字で入場者が少ないといった問題を抱え、1985年から中断しており、地方分権政策の最中だったため、文化省から国がリヨン・ビエンナーレに半額出資するという提案があり、市は6百万フラン、国が5百万、入場料が2百万、合計13百万フラン(約2億6千万円)で開催した。 リヨン現代美術館のティエリー・ラスパイユとティエリー・プラを中心に毎回、ゲスト・キュレーターを招き、そのつど組織方法は異なるが、新作の何点かは美術館に買い上げる。 リヨン・ビエンナーレは1997年以降はダンスとコンテンポラリー・アートをほぼ交互に毎年実施し、ビエンナーレ・スタッフがいる。予算は2倍以上に増加、2000年は2千8百万フラン(5億6千万円)、企業メセナも多い:EDF、アートプライス・コム、額縁、ルノー。 リヨン・ビエンナーレと観客との関係は、ヴェネチア・ビエンナーレやドクメンタなどの国際的かつ国内的なビックイベントの国際展とは異なり非常にローカル、観光都市ではないので、リヨンの広域圏の住民をターゲットとしている。 1995年にリヨン現代美術館が開館。美術館とビエンナーレが同じ予算のため、兼ね合いが難しい。もともとフランス人は現代アートに関心がなく、市民への現代アートの普及は果たせているが難しい。近隣のグルノーヴルやサン・テティエンヌにも近現代美術館があるが、場所の文化的ポテンシャルをあげるには美術館もビエンナーレも重要な役割を果たしている。
(2000年9月8日 ティエリー・ラスパイユとティエリー・プラへのインタヴューをもとに再構成:岡部あおみ)

ローヌ=アルプ地方の地方庁所在地であるパリに続くフランス第2の都市リヨン市。そのリヨンにて、1991年よりリヨン・ビエンナーレはリヨン現代美術館を中心に毎回指名されるゲスト・キュレーターとリヨン現代美術館キュレーターとの共同企画によって実施される。リヨン市と仏文化相が新たな地方主義方針の下開催されるフランスを代表する現代美術のビエンナーレ。
URL:http://www.biennale-de-lyon.org/
(白木栄世)