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art apace & alternative space ギャラリー ソープ/GALLERY SOAP
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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー

宮川敬一氏×岡部あおみ

日時:2007年8月9日
場所:GALLERY SOAP

01 北九州国際ビエンナーレを始めたきっかけ

岡部あおみ(以下、岡部):宮川さんは作家活動をしながら、GALLERY SOAPのオルタナティブスペース的な活動と運営を両方なさっていて、さらに9月に第1回目の「北九州国際ビエンナーレ」を手がけられる予定になっていますね(このインタヴューの後で、2007年9月28日から10月31日に実施され、第2回目を2009年に予定)。

宮川敬一(以下、宮川):最初は、各地で開催されている大型のビエンナーレのパロディで始めました。以前は、北九州市美が企画する「北九州ビエンナーレ」がありました。今回私たちが企画した「北九州国際ビエンナーレ」は、アーティストも10人ぐらいの、小さな企画なんですけれど。

岡部:今まで北九州市立美では「北九州ビエンナーレ」でしたが、「北九州“国際”ビエンナーレ」と名前を変えたわけですね。「北九州ビエンナーレ」もかなり長く実施されてましたよね。

宮川:今はやってないですけど、14年(7回)くらいじゃないでしょうか。

岡部:それに対しての一種のアンチもあるし、なくなってしまったので寂しいという感じもあるのでは?

宮川:90年代後半くらいから、大きなビエンナーレはどんどん巨大化していって、行っても疲れるだけだったんですよね。だからそのあとに、ベルリンビエンナーレのような、小さな規模がちょうどいいんじゃないかという話をしていました。特にここ10年くらいアジアのビエンナーレは巨大化していて、ツーリズムと一緒になってやっている。それなら、ぼくらは身の丈に合ったものを手がけていこう、アーティストのセレクションから自分たちなりに考えて、コンセプトを作ってやっていこう、ということで始めました。最初はビエンナーレという発想はなかったんですが、ビエンナーレってつけちゃってもいいんじゃない?というような、わりと軽いノリでした。今回は、私と古郷卓司さん、東京芸大の毛利嘉孝さん、音楽の大友良英さんとやっています。

岡部:多くの国際展は都市規模で行われ、都市の公共的な部分、いわゆる市の文化事業や、国際行政的な部分に関わって創設されることが多いです。でも、むしろ民間がイニシャティヴをとり、個的な単位を中心に、という感じですか。

宮川:今回は、北九州市に共催についていただいていますが、お金はもらっていなくて、自主企画でやっていきます。ただ、会場が、古くて使われていない港の倉庫などなので、それを借りるには共催を取った方がいいんじゃないかということになったわけです。

岡部:使っていなかった建物や空間だと、まず使えるようにするのに資金がかなりかかりますね。

宮川:そこは行政の方にも力を貸していただいて、何とか使えるまでにはします。

岡部:毛利嘉孝さんは、九州大学にいたときからのお仲間ですか。

宮川:そうです。GALLERY SOAPを始めてから10年になるのですが、開始して少し経ったくらいから、SOAP以外でも小さな企画を手がけていました。それから、candy factoryの古郷さんが、97年に横浜にスペースを作っていました。ここもちょうど97年に作り、現代美術センターCCA北九州に来ていた1期生が古郷くんたちと活動していたので、ときどきcandy factoryの展覧会を企画したりしていました。本当に友だちのように繋がっていきました。それで、毛利さんと今回こういった企画を計画して、誰とやろうかなというときに考えたのが、まず古郷さんでした。ビジュアルアートの部分はぼくと古郷くんで考えて、音楽イベントは大友さんに頼んで、映画の上映会とシンポジウムを毛利さんにお願いしました。

岡部:candy factoryとの関係がひとつのきっかけになって、GALLERY SOAPが開始したのでしょうか。

宮川:いえ、別々です。ほぼ同じ時期に作ってはいたんですが、当時はお互いのことは全然知らなくて、会ったこともなかったんです。

岡部:ここの元のスペースは日本料理屋さんか何かだったのでしょうか。

宮川:和菓子屋さんでした。下は料亭で、うるさいって下の女将さんによく怒られます。家賃は、かなり安くしていただいています。大家さんは現代美術や僕たちの活動にとても理解ある人です。

02 GALLERY SOAPを作ったきっかけ

岡部:宮川さんがここを作ろうと思ったのはどういうきっかけだったのでしょう。

宮川:それはもう、この町にそういうものがないから作ろうっていう単純な発想です。画廊はいくつかあったんですけど、97年当時の福岡や北九州には、自分たちで自主的にスペースを運営するという所はなかったので、それでやろうと思ったんです。

岡部:宮川さんご自身は、ほとんど小倉を中心に活動なさっているのですね。

宮川:そうですね。小倉がベースです。

岡部:いつごろから現代アートにシフトされたのですか。

宮川:父が絵描きなので、小さいころから絵は描いていたんですが、作品発表というのは、22歳か23歳くらいから始めました。そのときは絵を描いていましたが。それから、24、5歳のときに、福岡市美術館に就職してすぐの黒田雷児さんに会いました。黒田君とは同い年なんです。それから、福岡にあるミュージアムシティで、企画にかかわっていた山野真悟さんに会いました。

岡部:現代美術センターCCA北九州とは、具体的にはどのような関係があったのでしょう。

宮川:もちろんCCAに呼ばれて来る人たちの展覧会をやったり、個人的にCCAに来た人とコラボレーションしたり、作品を発表したりしました。もちらん二人のディレクターといろいろ話をしたりはしますが、CCA北九州という組織と共同で何か企画をするということはありません。

岡部:宮川さんは、candy factoryとのコラボレーションで映像作品を作っていらっしゃいますね。北九州市美で展示されていたのを、福岡アジア美術館の黒田雷児さんに教えていただいて見たことがあります。

宮川:古郷くんと一緒に作った、『CAMPAIGN&PRODUCTS』ですね。ぼくはほとんど誰かとコラボレーションでやっています。90年に最後の個展をやって、それからはずっと誰かと一緒に作っています。

岡部:作品制作としては、こうした映像インスタレーションが比較的多いのでしょうか。

宮川:そうですね。最近の作品では、この前東京都写真美術館に出品したのは、霊媒師に頼んで、アンディ・ウォーホルにインタヴューする作品があります。その前に制作したのは、僕のアイデアじゃなく、相棒のアーティストのアイデアだったのですが、世界各地の占い師に美術館の運命を占ってもらうシリーズがあり、各地の色んなアーティストに頼んでやってもらいましたが、それを金沢21世紀美術館などで発表したりしました。

岡部:それは見たことあります。とても面白かった。

宮川:ありがとうございます。

岡部:アンディ・ウォーホルの降臨作品も各地の占い師に頼んでされたのでしょうか?

宮川:これは一人の占い師ですけど、シドニーで映像が放映スクリーニングしたら、「ええ、アンディ・ウォーホルって日本人だったの?」とか、「日本人の女なの?」みたいな間抜けな反応がありました。

岡部:今回の第一回北九州国際ビエンナーレにはご自分の作品は出品されないんですか。

宮川:多分『CAMPAIGN&PRODUCTS』の焼き直しを出すくらいですね。相当忙しいので…

岡部:9月末にオープンだと、もう詰めですが、カタログも作られるのですか。

宮川:カタログというよりは、アーティストブックにしています。出品する人たちに、作品を10数ページ作ってもらって、それをまとめる形です。カタログって、意外につまらないから。だから展示風景は一切ないんです。あとになって展示風景を見ても分からないことが多いし。特に映像が多いから、それを写真にして載せるというより、本そのものが作品になった方が良いと思いました。

岡部:GALLERY SOAPは午後2時から夜中の2時まで開いているのですが、この場所で展示する場合はこのスペースのままでなさるのでしょうか。

宮川:そうです。展示するものによりますけど、テーブルを全部のけて。

岡部:年間どのくらい?

宮川:今は少なくなっています。展覧会が減ってるんですね。始めたときは、個展を年に10本やっていました。

岡部:全部個展だったのですか。

宮川:そうです。

岡部:宮川さんご自身の企画でされるのか、それとも、個展を開きたいという人にたまには貸し出すこともあるのでしょうか。

宮川:それはないです。

岡部:レンタルをやってされてない場合、展示関連の予算は作家も多少出すということでしょうか。

宮川:たまたま助成が取れたときはこちらで出しますが、基本的に制作費は出せないです。アーティストの交通費と、DMなどの印刷費、郵送費くらいでしょうか。基本的なものは出してあげられる、といった感じです。だから、誰でもというわけにはいかないんですよ。

岡部:だんだん少なくなってきているとはいえ、これまで10年間、年に10本ほどのペースでずっとやっていたとすると、実現したのはすでに100回越えますね。

宮川:ちゃんと記録されてはいないんですが、70回くらいはやっていると思います。音楽のイベントは、数え切れないくらいです。

岡部:アーティストやアート関係者のたまり場になっているということですね。

宮川:わりと一般の人も来ていますよ。一般人かどうかは、分からないですけど、その辺のチンピラの兄ちゃんみたいな人も来るし…もともとこの町にはCCAしかなくて、美術大学はないんです。CCAの子たちは来るけど、彼らは学生というよりも、若手アーティストですね。 でも、アート関係者だけのたまり場なんてまったく魅力がありません。

03 ビエンナーレをつづけるために

岡部:どんなに小さい規模とはいえ、これをビエンナーレで2年おきに実施することになったらかなり大変ですね。

宮川:大変ですね。誰かやってくれる人を見つけようかなと思うんですが、どこにもいなくて。当たり前のことなんでしょうけど、行政や法律の関係もあるし、現実的には余計なことが多すぎる。場所は、小倉から3つ目の駅、電車で12、3分のJR門司港駅で、電車を降りてすぐのところにある旧三井物産九州支社ビルは、古い6階建てのビルでここがメイン会場です。消防法で、何故か2階までしか使えないんですが。ここは主に展示会場として使う予定です。また、近くにある旧大連航路上屋倉庫では、大友さんがプロデュースする音楽イベントを開催し、JR門司港駅の2階のホールや、ちょっとした倉庫で、上映会やシンポジウムをやります。

岡部:SOAPを中心に多数の企画を手がけられてきたわけですが、これだけの規模は初めてですね。

宮川:そうですね。当然ですけど、いろいろな人が関わるから、いい加減にできないのが大変です。今まではずっとある意味、いい加減にやってこられたのですが。

岡部:個人的にされているなら、それでも構わないし、逆に即興的な面白さが出てくる場合もありますものね。全部きちんとやるとなると、どこで面白さを出せるかという問題も出てきますね。

宮川:そうですね。

岡部:ボランティアの方もいらっしゃるんですか。

宮川:すでに事務局があって、そこの人たちが動いてくれて、募集をかけたら20人くらい応募があったそうです。でも事務局も、女性2人がやっていて、全然人が足りない…彼女たちも初めてですし、組織が作れていないから大変です。

岡部:でも、久しぶりに北九州で行われる国際ビエンナーレですから、多くの人々が見に来るんじゃないですか?

宮川:どうなんでしょう。アーティストも地味めというか、お客さんを呼べるようなアーティストはそんなにいないです。

岡部:アーティストの選考は宮川さんがおもになさったのですか。

宮川:いえ、ほとんど古郷くんが候補者を出して、相談して決めました。ぼくもトーマス以外は以前に会ったことのある人たちです。ここで個展をやったことがあるのはフェデリコ・バロネッロくらいで、ヨンヘ・チャンなんかはだいぶ前に一緒に酒を呑んだだけなんですけど。

岡部:面識のないアーティストを多数招聘するのは大変ですね。知っている人なら、向こうも分かっているので、すぐに来てくれますけれど。

宮川:そうですね。今回は時間もなかったので、かつてぼくか古郷くんと一緒にやったことのある人がおもです。でも、2回目以降はまったく変えていかないといけないと思います。

岡部:ビエンナーレをつづけていく場合、今回借りている会場を今後も使っていけそうなのでしょうか。それとも、別のところになる可能性もあるのですか。

宮川:分からないです。別のところになる可能性もありますね。これからつづけてやるということを考えて会場を決めたわけではないから。それもいつまで使えるか分からない。今回は“門司港”というエリアですが、運河というか、海峡の向こうにある下関という町と、船で行き来できる所です。

岡部:イスタンブールみたいな所ですね。

宮川:そうそう。そこまでの野望はないんですけど、気持ちがいいし、使われていない倉庫がまだたくさんありますし。ただ、大きい倉庫を使えるようにするには相当資金がかかるみたいです。

岡部:そうですね。また、日本のような地震国だと、起きたときに誰が責任を取るのかという話にもなるので、空き倉庫がたくさんあっても、心配でなかなか貸してくれないという難しさもあります。

宮川:地震、この辺は少ないんですけれど。


北九州国際ビエンナーレ '07
ジョン・ミラー「永遠の悪臭の沼地」
photo:Aomi Okabe


北九州国際ビエンナーレ '07
ヨンヘ・チャン ヘヴィー・インダストリーズ
photo:Aomi Okabe


旧JR九州本社ビル
photo:Aomi Okabe

04 GALLERY SOAPの活動

岡部:GALLERY SOAPを10年手がけられたわけですが、ここのスペースの可能性や今後はどう考えられていますか。

宮川:最初は、3年半くらいの予定だったんです。でも今は、より若い人たちに企画をやってほしいなと思っています。ただ、若い人って前に比べるとアピールや思いは強いんだけど、作品はそんなに面白くないこともある。それで、以前はまったく苦痛ではなかったんですが、最近少し苦痛になってきてしまっているところもある。もちろん、70歳くらいのおじいさんとか、20代の人でも気が合う人は気が合うんですけど、今までは「気が合う人とやる」という感じでつづけてきたわけです。ぼくも古郷さんも毛利さんも大友さんも、全員40代で、同年代なのでビエンナーレに関しては楽だった部分もありますね。

岡部:ご自分でスペースや展示企画を自主的に手がけているということは、義務ではなく、やりたくてなさっているわけですから、今後も方針としては、やりたいこと、できることだけをやっていきたいという感じですね。

宮川:ただ、ここは地方都市だから、地方都市だからこそできる企画というものがあると思っています。3年くらい前に、毛利さんと『RE/MAPプロジェクト』で、1週間、24時間このスペースを解放して毎日レクチャーをやってくれる社会学者や建築家を招き、ディスカッションしました。そのときまでは美術と音楽のイベントを中心にやっていたんですが、そのときはレクチャーが中心でした。参加する人は、主に大学生や、街の若者とか、いろんなところから来ていて。夜中の2時くらいからアーティストのスライドショーが始まるというようなイベントで、大学にはない感じのものをやりました。だから大学生ではない人も来たし、町で音楽をやっている人も来た。

岡部:その24時間イベント実施体験をもう少し違う形でやってみたいと思われたのが、ビエンナーレ発案のきっかけだったのでしょうか。

宮川:はい、そうですね。その時はかなり疲れたけれど、2回目は福住廉や遠藤水城といった毛利さんの院生たち、今はみんな活躍していて、遠藤君はアーティスト・レジデンスのアーカスのディレクターになったらしいんだけど、当時はまだ学生で、すごく手伝ってくれたんです。それで何度かやって、海外スペースやアーティストにも送って、半年くらいの間に何人かのアーティストからリアクションがありました。まあ、1回目は美術はなくて、ほとんど呑んだだけなんですが。

岡部:でも、誰でも気楽に話せて、ディスカッション出来るスペースは大事です。

宮川:半年後くらいに2回目をやって、そのときは、美術のアーティストのプロジェクトもやりたいなと思っていました。第1回福岡アジア美術トリエンナーレに参加していたカラチ(パキスタン)のドゥリヤ・カジや、シドニーやベルリンのアーティストが、同じようなコンテキストで、カラチならカラチ、シドニーならシドニー、ベルリンならベルリン、香港なら香港で地図/再地図化をテーマにプロジェクトを起こしていて、その結果報告のプレゼンテーションとディスカッションをしました。

岡部:それを記録に残せたら面白そうですね。それぞれ違う国で、違うプロジェクトをやるんだけど、ひとつのところで報告して、またディスカッションする。しかも結果を本にまとめられたらさらに広がっていいですが。

05 企画・記録・運営・制作のバランス

宮川:1回終わると次のことをやってしまって、やることの方を常に考えているから、何の記録も作れてないんです。記録を作っていく、ドキュメンテーションの能力がなくて。

岡部:それは惜しいですね。アートアーカイヴに興味のある院生や研究生が出てきて、2年くらいかけて記録を作ってくれるといいですね。一応資料はあるわけだから、まとめたり、ウェブサイトにしたりできれば。

宮川:時間がないんですよね。個人的に。

岡部:宮川さんは、ここを運営する仕事や、企画だけでも猛烈にお忙しいんでしょうけれど。

宮川:ここはほとんど、スタッフにまかせていますが、今はビエンナーレにかかりっきりだし、今年も出品する予定の展覧会が3つあります。制作にはそんなに時間はかからないんですけど、それなりに時間をとられますね。

岡部:作家活動に割く時間が、現在のところは、一番多くなっているのでしょうか。

宮川:今は企画ですね。自分の作品を作るより、企画運営が忙しい。作家に会って打ち合わせしたり、全部やっているので、それにいちばん時間を取られます。その合間に自分のプロジェクトを考えなくてはならないから、今は使い回しが多いです。3年前の作品とか…もともと、そんなにたくさん作れるタイプではないし、「3年前のあれを出してください」というのもありますから。

岡部:地の利を生かして、CCAとうまく組めたら多少は、楽になるかもしれませんね。CCAには、アーティスト志望者だけではなく、キュレーターになりたい人も来ると聞きましたが。

宮川:キュレーターになりたい人はほとんどいません。今、アーティストとして来ている人たちが5、6人ですし、前は1年間でしたが今は期間も半年です。それでも、CCAの1期生で、今は秋吉台国際芸術村にいる原田真千子さんには、いろいろと手伝ってもらっています。

岡部:ここに美術大学がないのはつらいですね。あれば、関心をもって手伝いたい学生はたくさんいると思います。とくに第1回目のビエンナーレを創設する仕事は、やりたくてうずうずしている若者は多いと思います。

宮川:そうですね。だから今、九州工業大学という工業大学の学生や、東京芸術大学の学生が、事務局をずっと手伝ってくれています。夏休みなので。

岡部:そういう風に、SOAPの企画も、毎回夏休みに学生が手伝えるようになるといいですね。ビエンナーレ、見るのを楽しみにしています。ありがとうございました。


(テープ起こし:大山りみ)