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art apace & alternative space 神戸アートビレッジセンター/KOBE ART VILLAGE CENTER
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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー

木ノ下智恵子(学芸員)×岡部あおみ

日時:2001年6月2日
場所:神戸アートビレッジセンター

01 ハイカラな新開地

岡部あおみ:この界隈で何かをやりたいという行政の側からの話があった訳ですか?

木ノ下智恵子:この「新開地」という町全体が、戦前は大衆演劇場や映画館などが立ち並び、すごく栄えていました。神戸は港町なので、海外などからハイカラな文化がいち早く入って来た町で、スケートリンクやボーリングなどもあって娯楽が中心でした。港には川崎重工などの造船所があったので産業も盛んだったんです。しかし、戦災に遭って戦後復興が遅れてしまい、どちらかというと雰囲気がよろしくないと認知されるような町になってしまいました。
「新開地」の昔の栄華を御存じの方は、ここが神戸文化の中心だったと自負されています。そういった方々と、神戸市と、いろんな組織が手を組んで、地域活性化・地域復興を兼ねて「まちづくり協議会」を作ったのが84年です。もともとここは小さな店が並ぶ商店街だったのですが、いろいろな計画が入りまして、高層ビルの下には施設が入り、上は住居であるという建築形式に変わりました。中の構造は地主さん、借り手、市と三位一体で話をしながら建物のスタイルを作っていくことにしたらしいですね。その結果、大衆演劇場や映画館とか、従来からあった娯楽施設をキープしつつ居住空間と併せて建っている。そうしたもともと盛んであった大衆演劇など、大きな意味での「文化」を中心に何か町おこしができないかということで、この「ア−トビレッジ構想」というのが生まれました。
ランドマ−クとして建ったのが、神戸ア−トビレッジセンタ−(木ノ下AVC・かぶっく)です。阪神淡路大震災の影響で当初の計画の半年遅れて、1996年の4月にオープンしました。1984年からオ−プンまでの約10年間には、いろんなまちづくりの方ですとか、神戸市の方とかが御苦労されてここを計画し、建物をどんどん建てていったんです。事前に映画や演劇といった・・・芸術といっても美術を中心とした形ではなくて、広くいろんなジャンルを対象にプレ事業を実施されたようです。もともと新開地は様々な神戸文化の発信地だったので、美術を基軸というよりも演劇や映画など、いろんなジャンルを展開していくことにしました。

02 木ノ下AVC・かぶっくは民間と公共と財団の混合態

岡部:全部で何人くらいの人が働いているんですか?

木ノ下:常勤のスタッフが13名です。それ以外に外部のオブザーバーといった形で、美術・演劇・映画のジャンルに1名ずつ企画委員の方々がいらっしゃいます。全部で17名くらいということですね。当初私達スタッフがとても若く、初めての職場経験という人もいたので。企画委員の方々は私達の手が離れるまでというようなオブザーバーですね。

岡部:でも、まだ5年目ですよね。ずいぶん早く熟練になったのではないかしら?

木ノ下:ならざるをえないですね。逆にスタッフが若く経験値が浅いことが良かったのかもしれないです。芸術監督がいたら、こんなにフットワークが軽くなかったかもしれない。館のコンセプトも流動的でしたし、一応「若手芸術育成」あるいは「地域の活性化に貢献すること」・・・というような漠然としたものでした。館のコンセプトが曖昧であったからこそ内部のスタッフが様々な肉付けが出来たのかもしれません。

岡部:スタッフの年齢はみんな同じぐらいなのですか?

木ノ下:そうですね。近いですね。30代、20代後半。

岡部:13人のスタッフの中で、木ノ下さんが美術担当ですね。役割やたとえば部長職などはないのですか?

木ノ下:事業部長がいますが基本的にはここはみんな同じ立場で、それぞれ美術・映画・演劇の担当制です。その担当の中ではいろんなバランスがあるんですけども上下関係はないですね。

岡部:一応ここの施設は神戸市の管轄ですか?

木ノ下:このア−トビレッジセンタ−は神戸市の施設で管理運営が財団法人文化振興財団です。

岡部:そうすると、皆さん全員が財団の職員ですか?

木ノ下:・・・違います。すごく変わっているんですけど、館長と総務は神戸市からの出向です。我々、事業課の内1名は財団の職員ですが、それ以外のスタッフが民間企業の所属です。ここがユニークなところですけど、大阪ガスグループのプラネットワークという企業が神戸市から業務委託を受けています。大阪の扇町ミュージアムスクエアを運営しておりまして、おそらくその実績を含めて神戸市が業務を委託したと思われます。

岡部:珍しいケースですね、財団があってさらに民間企業への業務委託というのは。そうなると、予算の流れはどうなるのですか?

木ノ下:施設管理運営費、事業予算、人件費も全部神戸市から財団を通じて来ています。私達はプラネットワークから給与を頂いていますが、館の運営は全部財団がやっていますので、外から見ると私達も「公務員?」って聞かれますけど違うんです。民間企業の契約社員です。こういったケースはまだないように聞いています。実験的ですね。民間の人間と、公共の人間と、財団の人間と、様々な立場の者が一緒にいる。私達も意識的に半分は公共のスタッフになるし、けれども実際の所属は違いますから、すごくバランス感覚がいります。いろんな組織、考え、価値観の人間がこの組織・施設を運営していますので。まあ、よくぶつかっていると思います。いい意味で摩擦関係があるし、私達スタッフの中では上下がないし、ジャンルが違うので結構何でも言えちゃうんですね。

03 神戸には文化的磁場がない 唯一のコンテンポラリーアートの場

木ノ下:これまでの経験で思うのですが神戸は都市規模に対して文化的活性度が低いように感じます。コンテンポラリ−のギャラリ−が少ないですし、神戸で言うと、「C.A.P」ぐらいですね・・・。アーティストは島袋さんなど世界的に活躍している方がいますが、みんなよその土地に行ってしまう。それは制作活動できるような基盤がないからで、たとえば京都だったら、芸術系の大学があって、そうすることで講師という雇用が生まれますよね。学生が発表する貸画廊があったり。でも神戸には文化的な磁場がないというか。

岡部:あるように見えてない。文化と芸術の香り高い感じがするんですが、具体的には場所がないわけですか?これは震災以前からの問題なのでしょうか?

木ノ下:震災以前の問題です。広い意味での文化は根ざしているかもしれませんが実験的なコンテンポラリ−のモノはない。その証拠に神戸市は現代美術を扱う施設がないんですよ。美術館と言われるものは、神戸ファッション美術館や小磯記念美術館。私は美術担当としては、「神戸市唯一のコンテンポラリーアートを扱う所だからなくしてはいけない」ということを売り文句にしているんです(笑)

岡部:これまで木ノ下さんは具体的にはどのような企画を担当してこられたのですか?

木ノ下:基本的には美術事業すべてです。これまでは個展と若手育成の企画展『神戸アートアニュアル』などです。

岡部:この場所は作家に対して発表の機会を与える、ということで非常にプラスになっていると思うのですが、さらに作家が求めている、多くの人たちに見てもらいたいという要望には、立地的にかならずしも答えられるかというと、どうでしょうか?問題はないでしょうか?

木ノ下:実際にはあると思いますけど、ここでの美術企画というのは、単に展覧会をやるのではなく、関連企画の充実を考えてるんですよ。そうすることによって企画も充実しますし。あと、お客様が足を運びやすい状況を作るよう努力しています。たとえばワークショップやゲストト−クですね。本当にたくさんプログラムがあります。この関連企画の充実は美術だけでなく当センターの特徴かもしれないです。

岡部:そうですね。たくさんのプログラムありますよね。地元の方とか、みなさんかなり来てくださるのでしょうか?たとえば、アーティストの島袋さんなんかがお話をしたりすると50人は集まりますか?

木ノ下:集中的に来やすいですね。毎回40〜50人とか。実は今日もフィリッシモという企業へ島袋さんがトークに行ったんですけど、土日のお休みにも関わらず社員の方など30人ぐらい来ていただきました。すごいですよね。質問もががんがん出てましたね。島袋さんもフランクに話していただいたんで。やっぱり彼は話も含めて作品みたいなところがあるので。企画する私としては意識的にそういう企画を作ったりとか、あるいはそういうア−ティストとコラボレ−ションします。いわゆる学芸員が研究分析の為に展覧会をするのとは全然違うスタンスでやってますね。ここでは研究とか蒐集とか、一切コレクションもないんです。そのための予算もないですし、だから常に企画のプロジェクトで動いています。

04 束芋さんも「神戸ア−トアニュアル」出身

岡部:木ノ下AVC・かぶっくで開催してきた「神戸ア−トアニュアル」が、最近の現代ア−トの動向などにも影響を与えているような手ごたえはありますか?この企画によって若いアーティストが育ってきているといった。

木ノ下:やっぱり5年やってきて、その作家達が美術展なり海外の展覧会に出展したりとか、賞を受賞したりですとか、実績になっているので・・・。

岡部:作家はみな、どこよりも早く、最初に取り上げてきたのですか?

木ノ下:ほぼ最初です。例えば「横浜トリエンナーレ」に最年少で参加した束芋さん。彼女もそうです。「神戸アートアニュアル」が決まった後にキリンプラザさんの「アートアワード」の大賞受賞が決まったんですよ。「神戸アートアニュアル」の参加対象は学生あるいは27才以下です。それは何故かと言うと、若手って言ってもいろんな区切りがあると思うんです。いわゆる美術で言うところの若手って30代〜40代。でも、本来実社会の若手というのは10代20代じゃないですか?その頃からちゃんと社会を意識してやっていかないと、本当のプロ意識は育たないんじゃないかと思うんです。美術館とか大きな組織では怖くて出せないようなキャリアの浅い作家と今からちゃんと付き合って行こうと思うので。

岡部:どうやって有望な作家の卵を探し出すのですか?

木ノ下:展覧会やギャラリ−でリサーチしたり、関西の芸術系大学の教員の方々に実行委員として御協力いただいて。

岡部:成る程。面白い学生がいたら紹介していただくわけですね。

木ノ下:私がテ−マを作のではなくて、主任キュレ−タ−のような存在として実行委員から当年度の主任実行委員を一人選ぶんです。その方と私共で方向性を練って、それに価するような方々にテ−マを設けたりして参加者を応募・選定します。このアニュアルをやることによって出品作家の間にネットワ−クもできてきましたね。
アルは、出品作家が出そろったところで顔会わせを含めて一度会わせるんです。展覧会をするにあたって、ミ−ティングを沢山します。たとえば企画のタイトルとして「神戸ア−トアニュアル」は決まっていますが、サブタイトルや関連企画の内容、ゲストなどは皆でディスカッションして決めます。

岡部:ブレ−ンスト−ミングですね。作家も刺激的ですよね。初めて会う同年代の作家と議論をするのは。

木ノ下:そうすることによって世代の意識とか、問題点とかすごくクロ−ズアップされるんですよ。ア−トアニュアルは10月の下旬から約1カ月くらい開催しますが、6月くらいに作家の初顔合わせがあって、一ヶ月に多いときには3回はミーティングをします。カタログのデザイナ−も出品作家と同世代を起用するんですよ。そういうプレゼンも含めて検討する。

05 フォロ−アップの10年史をめざして

岡部:オ−ルタウンドでト−タルな感じで、多岐にわたるクリエイタ−が集まるわけですね。

木ノ下:タイトルも含めて関連企画もそうです。ワークショップなのか、講演会なのか、誰を呼びたいとか、あるいは呼ばないとか。自分の作品以外の事をいろいろと話し合わなくてはいけないので、これまでの個人活動とは意識が少し変わると思います。あとはア−トアニュアルで初めて作家として呼ばれ、ほんとに薄謝ですが展覧会に参加してギャラをもらうことも初めての経験の人がほとんどです。また、印刷物に加えて岸本康さんにご協力頂いてア−ティストのインタヴュ−ビデオも作るんですよ。それをプロモーションビデオみたいにマスコミ各社に送ったり、学芸員の方に送ったり、リサーチにいらした時に資料としたりします。また、展覧会場内でも上映します。そうすることによって「作家とは喋れないけど、何を考えているのか知りたい」というお客様に対しても、アピ−ルというか資料になる。これは結構好評でお客様が実際に見ていますね。ア−ティストにとっても、他人に話すことによって自らのステ−トメントが確信できるというか。スケジュ−ル的にはこのビデオの撮影が終わってから制作に入るようですね。企画の骨組みを決めて、インタヴュ−をして、それで自分達で制作に入る。

岡部:ア−ティストにとってもトレーニングになりますし、いいプロセスとられていると思います。

木ノ下:本当にこれは実社会で作家として活動していく為のトレーニングです。

岡部:この、みんなで考えていこうというシステムは誰が考案したのですか?

木ノ下:実行委員の方々にご協力頂いて私達で考えました。私達も始めた頃は対象作家と同じ世代だったので、アーティストの伴走者という感じですね。彼らのリズムが分かります。昔みたいに鯱張って、キュレ−タ−の方や評論家の方に頼むっていうのと意識が違うし。

岡部:仕事がとても楽しいでしょう?

木ノ下:そうですね。しんどいことはありますけど。嫌だったら絶対できない。充実していると思わないとやっていけないですね。逆に言うと、私達経験のないスタッフに預けていただいてるというのはすごくありがたい。

岡部:でも、もう経験がないとは言えないでしょう。

木ノ下:ここからは、私達に対する評価でもあります。だからアニュアル自体もずっと続ければいいとは思ってなくて、この次のフォロ−アップ、10年史っていうのを考えてるんですよ。

岡部:みんなが育ってきてる訳ですからね。

木ノ下:そうですね。更にそれをシャッフルして、別の感覚で視点を与えて、次の段階の展覧会をすると。だから、10年一区切りと考えています。今ちょうど折り返し地点に来ているので、あと5回はやろうと思っています。

(田中恵郁)


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