Cultre Power
artist 山口晃/Yamaguchi Akira
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー

山口晃氏×岡部あおみ

学生:芦立さやか、足立圭、池内麗佳、小黒加奈子、高木嘉代、中村美久、横井麻衣子、渡辺隆司
日時:2003年10月22日(水) 16:00〜
場所:日暮里 山口晃氏アトリエ

01 ハイとローのドッキング

岡部あおみ:いろいろお伺いしたいことがありますが、まず最初に、山口さんの絵と伝統美術との関わりについて。今描いていらっしゃる作品も、雲の形態など、いわゆる空間的構造が俯瞰になっているため、よく言われるように大和絵の構造を持っていて、そこにいわゆる現代の世相とか、人々の情景が入り混じっていますよね。様式は大和絵的ですが、そこに現代の世相や人情などを混入させる方法は、貴族的な大和絵の浮世絵化、あるいは大和絵と浮世絵のドッキングのように感じます。山口さんご自身はそういう表現方法をどのように解釈なさっていますか?

山口晃:大和絵とか浮世絵とか日本画とかっていうのは知らない方からするとたぶん、区別がつかないと思うんですよね。今からすると皆昔の日本のっていう、いっしょくたでそこにはハイとローって言うんですかね、高い文化と大衆とというのもあったでしょうし、規制もあり世代間の差もあるんですけれども、それが過ぎてしまうと、ただ一つの日本の文化という括りで見られてしまう、気軽さと寂しさと危うさと、みたいなことをやっぱり込めていると言うのでしょうか。多少考証がいい加減だとか、反対にその外形的なものを持ってきて軽さとか、そういうのも含めて、なるべく確信犯的に、であるんですけれど全部を確信してないで、ある部分、現代人としての無自覚な、乱暴な搾取みたいなことを少し混ぜつつやっているような気でおりますが。

岡部:結局、一般の人が日本の古い美術を考えると大和絵も浮世絵も一緒くたみたいになってしまうわけだけど、基本的には大和絵は貴族の文化で、源氏物語のように、御公家さんの屋敷に十二単を着た女性がいるとかの光景が描かれ、浮世絵の場合はむしろ東海道の茶店や歌舞伎など江戸の庶民的な生活を中心に描かれてきたわけです。現在は大きな高尚な絵がハイアート、身近な消費的イメージがサブカルチャーとさらに分かれてしまっています。だけどもそれを山口さんの場合は、先程おっしゃったようにハイとロー(上と下)というアートのヒエラルキーをごちゃまぜにして、アナーキーに描いていると解釈してもよろしいのでしょうか。

山口:たぶん今の人は貴族に会っても臆することなく堂々と目を見て話しができるでしょうし、逆にホームレスの人とも話が出来る、それは良いことなのか悪いことなのか…それはあるものがなくなってあるものが生まれたという結果なんですけれども、そういうものが存在しているというよりは、自分のスクリーンに届いているという状況なんですね。ですから届いている所に於いては同一平面上なんです。貴族であれ大衆であれ昔であれ今であれ。例えば私達がこういう(大和絵風の金雲を指して)雲を実際目にすることはないんですけれども、そういう雲の描かれた絵というのは目にすることができる。それは多分そういう平面…二次元に三次元を落とし込んだときにこういう描き方しかできない人にとっては自然なことだったんですけれども、現代人から見るととても不自然で不思議なことなんですよね、雲が地上4m位の所にあるというのは。そういうことも含めて、街角の分譲住宅の看板の「正統を手に入れるあなたに」といった、全然意味が分からない文章と同じ位の意味の分からなさでしかない。そういうことがスクリーンにピタッと貼り付けられることによって、それぞれの元の位置みたいなものをかえって思いやることができると云うんですかね。考証を正確にすると多分、その時代のことなんだなっていうことで、現在いる自分たちが見ているという意識が消えてしまうと思うんですね。作りの丁寧な時代劇はむしろ危険であって、昔こうだったんだなと思ってしまうんですけれども、暴れん坊将軍みたいなのですと、本当にそうかって言う気がしてくる。

岡部:わかる程度にまがいものの方が、人に思考を促す要素を多くもつということでしょうかね。

山口:結局見ているのは今から一秒もタイムスリップできない自分でしかない。

岡部:だから、どこの時代っていう幻想はもたずに、スクリーンというか、画面の現前に直面する。

山口:言ってしまえば現代であり、視神経から脳に届く、何秒か遅れの現代と言われる過去ですかね。永遠に手に入れられない現在。

山口氏
© ミヅマアートギャラリー

02 絵画環境 幼少〜芸大へ

岡部:割と小さい時から細い線を描いていたとどこかに出てたんですけれども、それはイラストみたいなもの、どんなものを描かれていたのですか。マンガみたいなもの?

山口:漫画ではないですね、ストーリーが付くようなものではなく、イラストですね。落書き…

岡部:小さいサイズ、ミニチュア版に?

山口:広告ですね、多かったのは。帳面に描くのがどうも苦手でして。広告を持ってきては…。昔は裏表に刷られたものがあまりなくて、裏の白い広告が随分ありましたのでそれに描いて。気が乗ると…父親がケント紙を持ってまして…ちょっと特別な気分の時はそれを1枚引きだして描くんですけれど、いつもは広告に描いていました。

岡部:お父様も何か絵の方のお仕事を?

山口:いえいえ勤め人でして…日曜絵描きというんでしょうか。

岡部:好きで一応描いたりしたので、ケント紙とかも持っていらした?

山口:どうでしょうね。何の為にというのは聞いたことはないんですけれど。

岡部:割と小さい時からお父さんと美術館に行くことがあったとかお聞きしましたが。

山口:そんな素敵な絵画環境にはございませんでして…

岡部:ご出身は…

山口:群馬県です。生まれだけ広尾の方の日赤(日本赤十字病院)なんです。広尾っていうと素敵な所を皆さん思い浮かべられるんですけれど、ガーデンヒルズの下は、昔、川が流れていてジメッとした所で、その脇に孤児院とか親と暮らせない子供の収容施設がありまして、そこで親が職員をやっていて。観に行ったと云えば某バレエ団とか人形劇とか位で…覚えている位ですからきっとたまにしか行っていないんでしょう。

岡部:芸大で油絵を専攻なさったわけですが、いつごろから絵描きになりたいと思われたのですか。

山口:それは現在に至ってもないかもしれないんですけれども。

岡部:あまり自覚がないということですか?

山口:ちょっとずるいんですけれど「お前は何だ」って言われると「いや、僕はただ…」と言ってしまう所がある。自分としてはそういう気概を持っていたりするんですが、相手が押してくると「いや、僕は…」と言ってしまう所があって。大学進学についてですが、高校生の時に大学というのをどうやら受けるらしいぞ、最近はというので…自分の成績表を見るとどこも受からないらしいぞ、これではというのが分かるわけですね、そういう時に、芸大というのは2科目で通る、2科目だったんですよ、僕の時は。国語が必修で、もう一個好きなのを取って、それも殆ど0点以外は気にしないというらしくて、じゃあ芸大だろうと。

岡部:デッサンは自信があって、大丈夫だろうと?

山口:いえ、ですから一応画塾に通おうかと…地元の画塾で。父親もちょうど昔行っていた所で…そこの先生が油絵科出身の方だったので、自然と油絵で…と。確たるものがあって油だというのはございませんで。デッサンが基礎的なものと思っていたので、デッサンをやれば絵がきっと上手になるんだと思って習いに行ったのが油絵との出会いで。

学生たち
photo Aomi Okabe

03 日本的なものとは

岡部:最初から日本画にいこうとは思わなかったわけですね。

山口:日本画そのものを存知ませんで…洋の東西の区別が付いていなかったんですね。予備校の日本画は水彩ばかりやっているし…気にしなかったんです。

岡部:でも芸大の環境への違和感から、ご自分の方向性や油彩で描くこと自体に矛盾を感じ始められたのは大学2年生位からですか?近代から続く油絵=洋画、あるいは西洋的な現代アートへの道とは違う、ご自分のコンセプトやスタイルを発見する何かきっかけがあったのでしょうか。

山口:きっかけで言うと高校生の時の教科書が…不思議な教科書で、右に行かせたいの?というような教科書で、谷崎の陰影礼賛とか、加藤周一が桂離宮をべた誉めする文章とか、そういうのばかり載っている教科書でした。その中で中村光夫っていう人が「移動の時代」というのを書いていまして、それはどういう文章かというと、日本は近代に工業化する過程で文化面に於いても工業化と同じシステムを取り入れたことによって文化を自分の国から発信できないという、それは如何なものかというような文章で、要するに工業というのは最新式が1番良いわけで大砲があそこの国が良い物を作っているといったらそれを貰ってきて、ばらして「こうだ」という。文化というのはその国の人の物ですから例えばジャズが格好良いからそれを持ってきて「こうだ」というのでは実は成り立たない分野だというのに気付かずに平行移動し続けたんじゃないかというものでしたか…。

岡部:それで、ひらめいたのですか?

山口:変に焦りまして…これはいかん、日本がなくなると。

岡部:早熟ですよね、高校からそういう感じになったというのは。

山口:どうなんでしょうね。多分、何も…からっぽだったのでちょっと思想めいたことが鼻先に来ると飛びついたのでしょう。焦るも何も、自分の中に桂離宮があるかといえば、ツーバイフォーの積水ハイムがせいぜいなんですね。畳の縁踏んでも別に気にならないですし…。

岡部:桂離宮は日本人であっても実際に見ている人は少ないですから。

山口:どの辺まで自分のものとして受け入れて良いのか。自分の中に確固たる日本というのは何があるんだと。相当あやふやなことになってきまして、焦る以前になくすものがまずないじゃないかということに段々気付いてきたところで。最初は形みたいのものから入ったんですけれども、どんどん自分がうつろになってきまして…最近ですと、場当たり的な…惰性でというのが言い表すとしたら一番近い言葉になってしまっているんですけれども。

岡部:日本画の人にとっては研究しつくしたものであっても、山口さんが最初の頃に美術の空間構成に着目して描き始めた時期はとても新鮮だったのではないですか、ずっと油絵でいらしたから。かなり夢中で日本の異なる構成とか図法とか美意識にのめり込んでいったみたいな所はあるのですか。

山口:閉じこもって何かやってたりすると格好良いんですが、ずぼらなものですから図録を見ては面白いな、真似してみようかなというくらいです。構図とか、こういう色なんだという、細かな分析というのはしないんです…。

岡部:ビジュアルに何か惹かれるものっていう?

山口:多分その時代の感覚というのには到達できないんですね、五合目位までしか。だとすれば残った形から型稽古することによって、型が気持ちを呼び起こしてくれるというところから行くしかないんです。それで無理矢理に消失点のない絵や雲を作ってみる。やってみると実はすごく自然だということに気がつきまして、絵というのは物を見て描いている気でいて実際に自分のフィルターを通したものを再現していることでしかないので、主観なんですね。主観というのは消失点のないもの、結局はダラダラダラダラ続いていく物なんですね。よく臨死体験、上から自分を見ているというのがありますよね、三次元の同じ高さで思い出しているということは少なくて、思い出す時は俯瞰が多い。そういう意味で言うと日本人というのは景色を主観として、相対化するよりも、主観で作っているんだなあと感じるんですけれども。雲を描くことによってダラダラと続くものを、場面を変えたい時は雲をポンと置くとそれが消失点のような画面に引き締めると思うんですね。ですからこういうものをなぞって見ると、自然とああこうなんだなということが段々見えてくる。

岡部:そうした山口さんの個性的な作品は一般の人々にも大きなインパクトを与えて、ミズマギャラリーの青山時代から、個展なさると、すぐに完売!みたいな感じでしたね。最近はやや若い世代も日本の伝統的要素にインスピレーションを受けたものを描いたりして、ニュージェネレーションも登場していますが、そういう意味で、山口さん以降というか、そういう若者たちの日本回帰、日本に対する関心というのは、山口さんご自身のあり方とどう違うと思われますか。

山口:いえ完売とまではいきません。山口さん以降と言われると何か申し訳ない気がするんですけれど…。僕なんか知らないでしょうし。

岡部:比較的国際化してきた日本の現代アートの状況を生きている最近の若者たちは、海外に向けたアピールみたいなこともあって、日本的要素の重要性を意識している面もあるかもしれません。山口さんのファンにも海外のコレクターが多いと聞いたことがあるのですが、そういう意味で日本の要素のある作品は国際的にも受け入れられ易いのかとも思うんですけれども。

山口:誰が吹聴するのか…僕のファンの海外コレクターなんてきいた事ありません。でも日本の古美術はブランドとしては相当強いものがありますね、桃山の屏風と言ったらどこに出してもすぐ売れるような物ですけれども。そういう所で見られる哀しさも同時にあって、それをはずした時にですから…結局はあちら様のものなので中に入って優等生とかある匂いを出すお客さんとして座席は確保されているんですけれども。否定の言葉というのは与えられないんですね、「それは駄目でしょ」と言われればそれで消されてしまう…。下手をすると自分達のやっていることですら、相手の言葉が入りこんできて、相手の言葉でしか自覚できない、例えば日本の美術は工芸と美術の折衷であるとかカテゴライズされる。折衷の元として工芸と美術というものがあると考えられてしまう。別々にあるものが合わさったものは別の物なんですね、それが不可分にあるからそれであって、楚になる概念が多分こちらとあちらさんではくくり方が違う。向こうでは単一の概念が私達から見ると複合であり、あちらから見ると複合のものがこちらでは単一であるという、捉えなおして行かないと…。この国の中で細々とやっている分にはそれで良いんですけれど、そういう所でガシッとやり合えるようでないと、形だけ借りて向こうに打って出るというのでは結局はお客さんとしても認められないし、もっと言ってしまえば、向こうが買いに来るというような…こっちがバシバシっと向こうを目利きしていくぐらいのことでないとやっぱり一時のはやり物で終わるだけ。

谷中のアトリエでの山口晃氏
photo Aomi Okabe

04 劇画風 前田青邨の『洞窟の頼朝』

学生:現在のスタンスに固まったというか、ご自分のスタイルを確立したのはいつ頃なのでしょうか。どの作品を見ても「あ、山口さんの作品だ」と分かるんですけれど、今の日本の作家さんの中でも希少な方だと思うんですね…。

山口:スタイルを確立ですか…後は枯れるだけですね…。あぁいや、まあ…ふっきれたというのは大学三年の時です。なんか疲れちゃったんですね。ファインなアートとコンテンポラリーというのがあって、日本人が油絵を描いているという事に。なんで白人の--白人全部ですらない、白人のある地域の責任を負って、日本と相対化して描いているんだ?誰が喜ぶの?というので疲れてしまいまして。大学三年生の講評会の時にクラフト紙にサインペンでこんな絵を描いたんです。(ファイルを見せる)で、他の人がインスタレーションやったり、素敵な材料を使って大きい絵を描いている時に、ひょろひょろっとしたものを描いて、もう俺も終わりかと、ファインなアートとも縁が切れたんだなと、でもやりたいことをやっておこうと思って出したのがたまたま誉められまして…。

岡部:すぐに評価されるなんて良い先生だったのですね。ご自分に近いものじゃなくても面白いと言って下さった先生って。

山口:あぁ、いや、誉められたというのは言いすぎで、面白がられたと云う位です。でも、今から思うとそれで良かったのかなと…それで大いに気を良くしまして。学生時代を知っている人からすると一年生からずっと変わらないね、と言われるんですけれども。一年生の頃からもう『洞窟の頼朝』という前田青邨の…あれが大好きで、それを描こうと…それを油絵で描く意味はと考えまして。ピカソのアヴィニョンの娘よろしく、人物の顔を様式を違えて描き、人体を墨絵的な筆使いで、キュービックの背景を添えて…遠知恵ですね。そこに水色のファイルが…(ファイルを取りだし、指さして)「洞穴の頼朝」と題しました。これが大学一年。

岡部:すでに劇画風ですね。

山口:呆れられましてね、先生方に。まあ、まだ早いんじゃないの日本に引っ込むのはと。

学生:学生時代に油絵で日本画風な絵を描いて、アカデミックな日本画をなさっている先生方からはどのような評価を受けられたのですか。

山口:全然接点がありませんで…。科同士の交流というのが芸大では殆どないんですよ。意見を聞いておけば良かったですね。学芸祭の実行委員とかやっていて、他の科の、日本画の人と話していて「いま水墨画とか描かないの」と聞いたら笑われまして「水墨画ねえ」みたいに言われました。やはり本家ですと照れるものがあるんですね、油絵科の人が裸婦を置いて花を描くぐらいの恥ずかしさがあると思うんですよ。まあ、せっかく門外漢なのでぬけぬけとやろうと。

山口晃「東京圖:広尾ー六本木」2002 紙、ペン、水彩絵具
© ミヅマアートギャラリー

05 会田誠の「コタツ派」から

岡部:会田誠さんとお親しいですよね、いくつ違いですか?

山口:4つですね。さっきお見せした『洞穴の頼朝』を石膏室に並べて、講評の後には誰でも見られるようにしてあるんです。それを見て会田誠さんは、この馬鹿は誰だと思ったらしいんですね。その時から覚えていて下さったらしいんですよね。ただ知りあうのはずっと後なんです。大学院出てから、1997年ごろ、ある日突然電話が掛かってきて…それで開いた展覧会が「コタツ派」という。

岡部:会田さんが企画した「コタツ派」の展覧会の参加者のなかで、山口さんが1番年少だったのですか?

山口:いえ、大塚君というもう一人の方がそうです。始めは大塚君と僕の2人展になる予定だったんですが、なんとなくコタツ派という4人展になりまして…。

岡部:それがデビューですね。れからもうトントン拍子、ギャラリーにすぐに入られたのですか?

山口:明確な手続きというものが全然ないんですよね、日本のギャラリーというのは。東京のギャラリーで展覧会も開けたし、と思っていたら来年個展でどうだというような話をいただきまして。何となく毎年やるようになって、段々絵が売れてくれるようになって…何となくなんですね。

岡部:この部屋で制作は全部なさっていらっしゃるんですか。

山口:学生の頃はここに住んで居まして、今は連れ合いができたものですから、油絵の中に置いちゃまずいだろうと思って。大学で助手をやっていたものですから、広い場所はあったんです。ここだけになって3, 4年ですかね。

岡部:大学の頃からの荷物が堆積している感じですね。

山口:そうですね、押し入れの中もそういうもので。

学生:日本のギャラリーは契約が曖昧という話が出て、山口さんに認識について伺いたいんですけれども。ミヅマさんの所では、本で読んだ話なんですけれど、昔会田誠さんの家賃を払っていたとか運命共同体とまでは言いませんけれど、公私に渡って一緒にやって行くという形で、ギャラリストの方がおつきあいしている作家さんもいると思うんですよ。ミヅマさんに決められたきっかけというか、ミヅマさんご自身に人間的に惹かれた面もありますか。

山口:割と私、今まで自ら行動を起こしたことがありませんで、大体流されて、これやらない?というそればっかりで…。ミヅマさんとも、個展どう?と言われたからやっているようなもので、それより前に「ファイル見せて下さい」という方もありまして、その方から個展やらないかと言われていたらやっていたと思うんですね。臆病と言いますか…世に出た途端に商品―いくらと還元されてバッと露出して、こっちのペースで露出してくれない訳ですね。こちらは年に一回しか作品が出来ないのに、週替わりでそれを出せと言われても無理だと、そう露出のある分野ではないんですけれども、何かそういう怖さみたいなものがありまして、個展に尻込みしていたんですね。会田さんにグループ展と言われた時も古い作品で良いと言われたから「それじゃあ」と言って新作一個も出さずにやった展覧会でした。ミヅマさんの人柄というのが全然分かりませんで…この人は何をやっている人なんだということも全然分からなくて他に仕事をやっていて、画廊は趣味的で、ということぐらいしか分からない。話を聞くとそれなりに熱いことを言って下さるんですね。契約書を交わしているのは会田さんぐらいじゃないですかね、ミヅマでは。僕なんかは何となくの口約束で動いている。西洋人からすると驚くべきことなんでしょうけど、日本では往々にしてあるという、そういう状況なんです。

岡部:基本的にミヅマさんのなさった個展で出された作品はミヅマさんを通してディーリングされる。でもそれ以外の所で出品された作品の場合なども、やはりミズマさんからの入手でしょう。その辺は日本ではどうなっているのですか。作家中心みたいな感じなんですか。

山口:多分作家がしたいと言えばしてくれるんでしょうけど、わりと画廊さんの方が気にされるんですね。ミヅマとしては一手にしておきたいらしくて…。どういうルールかは分からないんですけれども、作品写真のポジとかプロフィールとか、あっちに置いてあるので、任せてしまっているんです。そういう意味では職人みたいに、自分では回していけなくて、できたのを買い叩かれる日雇いみたいなような感じがしております。

岡部:海外のコレクターとかで直接ここに来られた方とかいらっしゃるのですか?

山口:最初からここに来るということはないですね、ミヅマに資料が揃ってますし。そんなにでも外国の方に受けているという印象はない…。

岡部:ご自分としては日本の方がずっとコレクションが多いと思われますか。あまり流出しているような感じはしません?

山口:外人受けしない所があると僕は思うんですが。むしろ日本の方が「外国の人喜ぶでしょう?」とおっしゃいます。
まあ、いくつかはお買い上げいただいているんですが。その辺がちょっと嬉しい所でもあるんですね。

岡部:ただエキゾチックだからとか言うことではなくて、山口さんの作品の過激なところもわかって買ってくれているということですよね。

山口:色なんでしょうかね…バッと強烈に色が来るものの方が外人さんには割と受ける気が…単純な意見ですけど。

岡部:山口さんの作品の色彩はとても繊細ですからね。

山口:昔から色塗りというのが苦手でして…線で描いてこれで終わればこんな楽しいものはないのに…図画工作は必ず絵の具を塗って提出しなければいけない、それが嫌だった記憶があります。最近は塗るのも楽しくなってきまして…ただ、濃く塗れないものですから。

山口晃「百貨店圖(日本橋) 」s1995 麻布、油絵具 91×143.4cm
© ミヅマアートギャラリー

06 日清日露の戦争画

岡部:山口さんの重要な作品をもっとも多くコレクションされているのは精神科医の高橋龍太郎さんですか。

山口:高橋先生が倒れると、私も明日から日雇いに出なければ…。

岡部:身近に重要なコレクターの方がいらっしゃると、どうしても意識して描くことになりませんか。「これ、上手くできたぞ、高橋さんのところに入るかな」とか・・・

山口:微妙な所でして…売れた後の事を考えた作品はあまり捗々しくないんですよね、売れ行きが。

岡部:もちろん自由に描いた方が思いがけない良いものができるでしょうけど。

山口:売れなかったら家に飾っておきたいな、というのからはけてしまうんですね。不思議なもので。

岡部:一番手放したくないものが消えてしまうというのがやはり哀しいところでもありますね。高橋さん以外にもコンスタントにコレクションしてくださっている方がいらっしゃるのでしょうね。

山口:そうですね、その方は場所が…やはり大きいと置き場が無いし、高いし…。私は大きいのは本当はあまり描きたくなくて。小さいこれ位のストロークで足りるものが描いても楽なのです。僕らは鉛筆で育った人間ですので、ストロークが危なくなってくるんですね。この位で足りる絵っていうと決まってきて。最初の頃にミヅマさんに言われたのはある程度個展を毎年開いて、美術館でやれる位の大きいのを描いておいた方が良いよと。

岡部:川崎市の岡本太郎美術館で受賞されていますが、あの作品は大きいですね。

山口:そう言われて描いた絵でして、スカスカなんですね、今見ると。

岡部:あれが最初の大作で頑張って無理して大きい作品に挑戦してみた。相当大きいですね。

山口:僕としてはそうですね、50号6枚なので。

岡部:ここで描いたのをつなげたのですか?

山口:ここと助手部屋で。助手部屋を閉められる時は持ってきて…6枚にわかれますので、1枚1枚は50号なので。大きいの描けと言われた時にカチンと来たものがありまして、卒業制作というと150号を描くんですよ、みんな。私も130号位のを描いたんですけれど、邪魔で邪魔でしょうがない。日本人として描いちゃいけないサイズじゃないかと思いまして。こういう家に入れられて、ある程度の引きが確保できるというと30号が手一杯じゃないかと。家では6枚組の1枚を取りだして見る、美術館では組みにすればある程度の見映えがするという。

岡部:(画板に貼ってある写真を指して)写真は山口さんご自身がスナップで撮ったりしているんですか。

山口:資料として撮るぐらい。これはNHKなどが地上デジタル放送というのをぶち上げまして、それ用に描いてくれと言われた作品の為の資料です。本当は 10月から宣伝したいと言うのに、もう10月が終わってしまうんですけれど…間に合わせの画面でやっているのを見ると気がひけます。名古屋と大阪にお連れいただきまして、そこで撮ってきました。

岡部:この作品が特別というわけではなく、いつも御自分で撮った写真を参考になさるのですか、それともイマジネーションだけとか、スケッチなども参照なさいます?

山口:一応するんですけれど、思い出しながら描くんですね。

岡部:写真はある程度忘れないように記憶にとどめるためですね。近代の建築をかなり撮られていますね。

山口:明治大正昭和で建った建物って、わりと邪険に扱われるんですね。時間をかけてなじんできたものをあっけなく壊すんです。

岡部:歴史ということで思い出したのですが、日清日露戦争のテーマの作品がありますが、あれは展覧会の機会か何かではじめられたのか、戦争という主題で描いて下さいという依頼があったのですか?

山口:日清日露というよりは絵巻風でどうでしょうと言われまして。平治物語絵巻が浮かびました。貴族がこれを絵にしたら…というのでできあがったらしいんですね。実際平治物語のああいう事件が起こって物語ができて、絵にしてというのは相当スパンとしては空いていて、百年近くあるのでしょうか。で、日清日露があって、司馬遼太郎が坂の上の雲を書いて、僕が絵を描いて、現代の絵巻だから活字をコピーして貼ろうというのが引っ掛かりまして。いや、引っ掛かる前にナディッフの社長さんが本屋さんなのでその辺敏感で駄目ですと言われて、坂の上の雲という文字も取ったものですから、ただ単にこの人は日清日露について真面目に考えているんだなという事になってしまった。全然考えてないんです、読書感想文--読書感想絵なんで。すごくいい加減なことででき上がった作品だったんですけど、すごく重くみられてしまって。

岡部:特定されていない戦争というテーマの『當世おばか合戦』や画中に争いなどの情景はあっても、歴史的な戦争画はなかったですから。

山口:そうですね、第二次大戦とかそういうのを語ってしまうと生き残りの方がおりますんでね。

学生:流されて活動してきたとおっしゃっていますけれど、作家として譲れないこと、日本人として譲れないことなどがあったりするのでしょ?

山口:モチーフでということはないかもしれないんですけれど、原水禁と原水協でしたっけ?近いモチベーションを持っている人達って意外と細かいことで「そこが違う」という。はたかから見ると日本風でくくられるグループにいると思うんですけど、私なんかから見ると「それはやっちゃおしまいだろう」というのが結構ありまして、人の作品を見ると、これはやっちゃいけないんだなというのは分かるんですね。自分では意識して避けている気はないんですけど、多分一線みたいなものが…。資料との距離の取り方には気を使いますね。例えば考証的にこの時代にこういうのものはないとかこの時代の建物はこう、この時代の人はこういう格好をしているというのがある時に、着物が左前でも全然構わないとか、短いスカートみたいな浴衣というはずし方は私はちょっとできない。だったらオートバイを描いてしまう。うるさ方がいっぱいいるんですよ、日本美術は。完全にはずしきっちゃうともうその人達には響かない。ギリギリその人達にも響きつつ、普通の人達にも響く…。これは室町時代前期にはない、後期でしょ、というそこを狙っちゃうともう響かないわけですね、普通の人には。それもあります。その辺のさじ加減は毎回違うので、こうだと決めた途端にずれて行っちゃうと思うんですね。

07 コレクションのお得感

岡部:近世のせいか、江戸も多く描いてらっしゃいますね。最近は日本でも研究が進んで、それぞれの時代の異なる読解ができるようになり、歴史をべつな目で見られるようになりました。

山口:嘘と思ってかからないと、というのが逆に他の時代にも出てきまして。この時代にはこれはないと言われていたようなものが、思った以上にある。資料を見ていて思うのは、真ん中が抜けるんですね。真ん中というのは当たり前の物って言うんですかね。当たり前の物というのは描かないんですね、気付いたことから描くものですから、周辺から来るんですね。周辺から見て「この時代はこれがなかったんだな」と。マヤ文明に文字がないというのはひょっとしたら文字があって、当然のように示されていたので、物として残らなかったかもしれないし。物に書くよりももっと早い方法でコミュニケートしてたのかもしれないし。似たようなことで、嘘を付くということも許されることでもあると思うんですけど。

学生:作品の制作ペースはどれくらいですか。気分によりますか。

山口:よりますね。ペースはまちまちです。どうもコンスタントに仕事ができませんで、遊んでいるというか、ダラダラしているというか、そう云う時間が無くなりません。詰まってくると早いんですけれどね。(描きかけの未着彩の作品を2枚とりだして)同じような絵なんですけれど、これが一週間でこれは三日目ぐらいです。そうやってどんどん変わりますので、自分でもこれ位で仕上がるなと思っていたものが半月かかったりもしますし。そこら辺が読めるようになると自分でも楽だろうなとは思うんでけれども。

岡部:これを三日で仕上げるなんてすごく早いですね。最近、段々ペ−スが早くなっていますか?

山口:慣れて細かくなるんです。細かくなると堅くなるんですね。密度は上がるんですけれど。作品を見た時に大きい感じがなくなってくる。たまに資料を見たりして引き戻すようにしています。

学生:山口さんの絵を買っていかれた方がいたとして、その方は山口さんの作品をどのような気持ちで購入されていると思いますか。

山口:お得感と言いますか、値段のわりには描いてあるぞというのが若干はあると思いますね。後は面白味をそれぞれ見つけていただければと良いんですけれど。現代を見据えていろんなものを見ている、その俯瞰の仕方がおもしろいという人もいれば、単純に細かいものが好きという方もいらっしゃると思うんですね。僕がしびれたようにしびれてくれるのが嬉しいんでしょうけど。細かい上に整然としてるものを見たとき、例えばヴィデオデッキの中に機械が並んでいるのを見た時に「オー」ってくるような感じに見て貰えたら嬉しいです。(質問した学生に向かって)本当にこういう風に、いろいろ聞いて下さる方がいらっしゃるんですけれど、後で問い直されて「そんなこと言いましたっけ」というような人間ですから…。もちろん全身全霊でお答えしているんですけれど、三日後にはすっかり忘れているということもありますので。

岡部:コレクターの高橋さんにもお話を伺ったんですけれど、やはり現代を買っている、時代を買っているとおっしゃっていました。現代という時代を一番象徴している絵画だと彼は評価しています。

山口:そういう風に言っていただけると嬉しいです。確かに言われて思い出しましたけど、現代というのを一番気にしますね。これは設定は昔なんですかと言われますが、全部現代なんですね。結局資料に出てくる人間というのは現代人が判断しているわけで、それは千の昔に描かれたものかもしれないけれど、フィルターを通した途端にそれはもう現代人でしかないだろうということは意識していますね。

岡部:ありがとうございました。 (テープ起こし担当:足立圭)


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