culture power
artist 田中功起/Tanaka Koki


















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コメント

田中功起の作品を観て毎回感じるのは、一見恣意的に制作されたかのようであること、あるいは、観る側に固定的な解釈を求めたり心地悪さを一切感じさせたりすることなく、静かな衝撃を与えることに成功しているということである。極めて実験性が強く、そこに緊迫感はない。それは、日常という極めて身近な主題を田中が取り扱っているからであろうか。とすると、日常は緊迫していないものなのであろうか。日常と非日常との境界線はどこにあるのだろうか。果てまた日常における一現象なのに、「未必の故意」という言葉を連想したりしてしまう。

本人は試行錯誤の連続だと言うが、近年、彼があっけらかんとやってのける、「あたりまえのこと」を自然に提示する方法の難しさは、表現者であれば容易に理解が出来ることであろう。その難しさの感覚が覆されるのは、彼の受容のキャパシティ、すなわち、インタビューでも田中自身が言うように、まずはすべてを受け入れてみる、という彼のスタイルに拠ることを認識した瞬間ではなかろうか。簡単にいえば彼は、観賞する側のわたしが当初に感じたように恣意的なのではなく、作品の主題を成す「一状態」を、婉曲なしに伝達をするという行為に徹底的であるだけなのである。

近年の制作スタイルを観ていると明らかであるが、「ありもの」の再構成によってサイト・スペシフィック・インスタレーションとすることで、彼の表現は一歩前進を遂げる。音楽のトラックメイキングで言えば「リミックス」である。ある特定の場所ではあのような空気が生まれ、こんなことも起き得るのだというように、我々の情緒を揺るがし、無意識における知覚を促すのである。

彼のインスタレーションは即興的で、本人が意図せずとも、スペクタクルがそこには生まれる。それは、やはり、「あたりまえ」の事柄や事象が、例え特定の場所によるものであったとしても相互依存関係にあること、そして加えて言うならば、だからこそ特別なものであるということを、我々に気付かせてくれるからであろう。特別であること、それは確かに人間の情緒におよぼす影響が大きい。偶発性、それは無限性である。偶然の集積、それらが我々の意識、または無意識を目覚めさせる引き金となり、何らかの知覚を引き起こさせる。2006年の台北ビエンナーレで自身がつけた展示のタイトル「Everything Is Everything(すべてがすべて)」*1が、彼の作品のスタイルを雄弁に物語っているように思えるのは、わたしだけではないはずだと思う。

*1:“Everything Is Everything” とは、「すべては、そこに見えるものそのもの以外の何ものでもなく、それ以上でも、それ以下でもない」の意であるとの解釈。

(森美術館学芸部 町野 加代子/Commented by Kayo Machino, Mori Art Museum)