Cultre Power
artist 田窪恭治/Takubo Kyouji

金比羅
© 田窪恭治








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イントロダクション

「こんぴらさん」の総本山、香川県琴平町の金刀比羅宮を2004年1月にはじめて参拝した。
瀬戸内海にかかる瀬戸大橋を南北にはさんで似たような経度に、倉敷市と琴平町は位置している。倉敷の大原美術館と金刀比羅宮が、21世紀の瀬戸内文化交流をめざして第一回交流展を開催した。交流展のために、金刀比羅宮からは所蔵の高橋由一の全作品23点が大原美術館に出品され、大原美術館からは、1950-60年代のアメリカ現代美術が貸し出されて展示された。同時に関連企画のシンポジウムなども行われ、私が訪ねた日には、金刀比羅宮文化顧問田窪恭治氏と大原美術館高階秀爾館長による公開対談が、大原謙一郎理事長の参加のもとで行われた。
金刀比羅宮は2004年に33年ぶりの大遷座祭を迎え、秋から125年ぶりに奥書院の伊籐若冲「花丸図」などの障壁画が公開される。201の花を描いた若沖の秘めやかな空間をその前に特別に見せていただいた。感無量。表書院にある丸山応挙の襖絵の迫力といい、高橋由一コレクションといい、金刀比羅宮はすばらしい美術家たちに制作の場や機会を提供してきた傑出したパトロンのようだ。ミケランジェロやラファエロが仕事をしたローマのヴァチカンと比べてみたらおもしろいかもしれない。
大遷座祭を見据えて、琴平山の新たな革新をめざす宮司、琴陵容世氏が旧友でもあったアーティストの田窪恭治氏に白羽の矢を立てた。田窪氏は美大を卒業してすぐに内外の国際展で活動、パリ青年ビエンナーレや35歳で参加したヴェネチア・ビエンナーレを経て、フランスに渡った。1988年から約11年間、まさに家族ぐるみで、ノルマンディー地方にある「サン・ヴィゴールド・ミュー礼拝堂プロジェクト」に携わり、荒廃した礼拝堂を美しい芸術のあるスペースへと再生させた。その稀有なビッグプロジェクトの経緯は、自著『林檎の礼拝堂』(集英社、1998年)に、金刀比羅宮のプロジェクトについては新著『表現の現場―マチス、北斎、そしてタクボ』(講談社現代新書、2003年)に詳しい。言ってみれば、日本や世界の各地で、廃屋をアートの場に変え、コミュニティの再生をはかる最近の潮流が盛んになったが、田窪氏は10年以上も前に、フランスという異国の地で手がけた先駆者といえる。
先見性に富む環境創造の総合クリエーターとして帰国した田窪恭治氏と、金刀比羅宮という卓越した芸術のパトロンとの連携。瀬戸内海をはさんだ倉敷の大原美術館とのコラボレーション。伝統的な神事の総本山と日本のモダンアートミュージアムの本家本元を結ぶ瀬戸内一帯に、今後、どのような芸術と文化の新たな息ぶきが広がってゆくのか、大いに期待したい。

大原美術館や東京都現代美術館には、アーティスト田窪恭治氏の作品が所蔵されていて、常設展示で見ることができる。廃材などに木片や金箔などをアサンブラージュ(集合)した田窪氏の70-80年代の代表的な立体作品は、祭壇を想わせる形態をしていて、未知で原初的でもある聖なるオブジェのような趣を湛えている。表現の現場は、フランスの礼拝堂や金刀比羅宮へと格段にスケールアップしていくが、若きアーティストが残したこれら等身大のオブジェに、20年、30年後の田窪恭治の今が暗示されているようで興味深い。

(岡部あおみ)