culture power
artist 竹村京/takemurakei
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
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インタヴュー

竹村京インタビュー

学生:瀬野はるか
日時:2008年7月10日(木)
場所:国立新美術館にて

01 刺繍との出会い

竹村:とてもドイツに行きたかったとか、明確な理由があったわけでもないんです。ただ、リサイクルシステムに興味はあった。日本もそれなりに力は入れていると思うのだけど、ドイツのリサイクルに対する考え方って徹底しているでしょう。私もちょうどこの頃、油絵の具にかわるものを探していて…布から糸を引き出すなどの作品を作っていたりして。ドイツの美術に関する環境を気に入ったというよりは、ドイツの人の生活に興味がありました。

瀬野:今では「エコ」という言葉が大量に消費され、商品化されているほど環境に対する声が強まっていますね。この頃から竹村さんがリサイクルシステムについて意識していたのはなぜですか。

竹村:学校教育なのかなあ。でも元からそういったことに無頓着な家庭ではなかったし、意識するのは当然のことなのかもしれない。

瀬野:油絵の具に代わるものを探していたのは、リサイクルのことだけが理由なのですか。

竹村:もちろん、その事だけではないです。描いていて気分が悪くなる事もよくありました。とにかく乾くのが遅くて待ってられない(笑)。刺繍というやり方はフィックスでモノを作るのが好きという意味でも選びました。

瀬野:待っていられないというと?

竹村:油絵の具ってやはりとても西洋的なものだなとドイツへ行って改めて思ったの。ドイツは建築も言語も油絵(絵画)も構築的に、時間をかけて作られる。さすが石の国文化だなと感じて。

瀬野:確かに日本はうつろいだとか、一瞬一瞬に重きをおくところがありますよね。

竹村:まさにそう。やっぱり日本の元々の文化は水墨画とかにありました。建築も木造が基本だし、地震も多いしね。だから情報として、その一瞬一瞬を残していきたいというか。壊れゆくものをどうやって残していくかというアプローチ。繊細なものに美しさ、壊れやすいモノに美しさを感じます。

瀬野:とても国を意識されていますね。作品にある素材の表記に「イタリア製合成繊維、日本産和刺繍糸」(註1)などあるのは、やはりその為ですか。

竹村:それまでは全然考えたことなかったのだけど、ドイツへ行ってから、とても国ということを意識するようになった。産地名を書くのも半分は冗談の意味もあるけど、自分の記憶とも結びつくし、なんだかオリンピックのような気分ですね。

瀬野:これまでに影響を受けた作品などはありますか。

竹村:京都にある圓徳院にある長谷川等伯が描いたふすま絵を観たときに、自分のやりたいインスタレーションがあったと感じましたね。ふすまって動くでしょう。また、四季によって絵を変えたりもする。常に可動性のあるものに描きたいとも思いました。

瀬野:ところで絵を描くときはどのようにして描かれているのですか?

竹村:原寸大で描くことがとても有意義なことだと思っていて。私はいつもプロセスを思い出して描いていきます。例えば祖母の部屋なら、祖母の部屋にいつも座っていた角度からの構図しか思い出せないというように。 そうそう先日、友人から教えてもらったんですが…私のこのやり方はイエイツ(註2)という人の「記憶術」という考え方にとてもよく似ているんですよ。その中に出てくるエピソードの一つにギリシャで何らかの事故で宮殿が壊されてしまったのだけど、テーブルの場所に座っていた順番などで死者の判別が出来たというエピソードなのだけど…まさにそんな感じです。

02 「地震」をめぐるエピソードとその思い

瀬野:先ほど、日本についてお話しされたときにも出てきましたが竹村さんの中で「地震」はキーワードのひとつなのでしょうか。

A.Nのリビングルーム、地震の予感

『A.Nのリビングルーム、地震の予感』(部分)
イタリア製合成繊維、日本製絹糸、ドイツ製/日本製ピン、ドイツ製パーマネントペン、ドイツ製クレヨン、紙テープ、ドイツ性室内ペンキ、トランスペアレント紙 380 x 1120 cm(2008)
Courtesy of the artist

竹村:今住んでいるドイツは地震がとても少ないです。それに対して、日本はとても地震が多いですよね。実は今回の新しい作品も偶然にも仙台生まれの30代の女性の友人をモデルにしているのですが、彼女は今からちょうど30年前に起きた仙台地震の日に産まれているんです(※1978年発生の宮城県沖地震)。

瀬野:それは偶然ですね。先日も東北地方では大きな地震が起きたばかりですよね。(※2008年6月14日発生の岩手・宮城内陸地震のこと)震源地の宮城や岩手ほどではないですが、仙台の方も大きな被害が出たように聞いていますが…これも偶然ですよね?

竹村:そうなの。私もこのことには本当にびっくりしていて。

瀬野:ちなみにいつもどなたかモデルがいらっしゃいますが、どのようにモデルを決めているのですか?

竹村:これがまたね、アーティストって不思議なものでね。いつも決めるときはその人が引かれてくるような感じで決まるの。先ほど話した仙台出身の彼女はピアニストなんです。それで私と同じ年にドイツに留学している。向こう(ドイツ)での数少ない心許せる友人で、私は彼女のことを8年間一緒に見ているの。今回展示をやるトーキョーワンダーサイトに偶然にもクラシックピアノがあったことがきっかけで、思いついたんです。

瀬野:その彼女が竹村さんのキーワードである地震と関係のある人だったというのは、とてもびっくりですね。

竹村:そうなんです。私もとても驚いています。実は来年、レジデンスを行う予定のイギリスのコルチェスターという場所も、地震とゆかりのある場所なんです。イギリスは普通、地震が起きない場所なのだけどそのコルチェスターは約130年前に地震が起きた場所なんです。

03 「May I Enter?」

瀬野:次に竹村さんのパフォーマンス、「May I Enter ?」(註3)についてお聞きしたいのですが。 毎回、覚えるのは大変ではないですか。

竹村:いつもは10〜15分程度の動作しかしていないのでそんなに苦労はしていないです。ルーティンでやっていることを教えてくださいというやり方でやっていましたしね。今回の国立新美術館(註4)で展示した学芸員さんをモデルにした作品は、朝ご飯シリーズとしてビデオで全て撮らせてもらった。そしたら、彼女は朝きちんと起きるまでにとても時間がかかるみたいで、結局1時間半も撮っていて…大変でしたね。

瀬野:撮影するときは竹村さんが撮るのですか?

竹村:もちろん私が撮ります。緊張してしまうとだめなので常にこちらから話しかけるような感じでいつも撮影しています。

瀬野:動作を覚える時はどのようにして覚えるのでしょうか?

竹村:楽譜のようにメモをおこしていくんです…(と言って実際のメモを見せてくれた。かなり詳細に絵と番号がふってある。)あとは私はバイオリンを幼稚園年長から小5・6の時まで習っていたのだけど、それが鈴木式という音を聞いて覚えるというやり方で。その方法にも似ているかもしれない。今思えば、刺繍の糸を引く感覚とバイオリンもとても似ている気がする。

瀬野:竹村さんの作品を語るのにパフォーマンス性の問題ってとても重要だと思うのですが、そもそもパフォーマンスをやるきっかけって何だったのでしょう。

竹村:じつは最初にやったパフォーマンスはドイツ人のお母さんになるというものでした。

to act German mother
『to act German mother』パフォーマンス(2003)
Courtesy of the artist

ストーリーって構成次第で悲劇にもなるでしょう。旧東ベルリンの小物屋でうられていた、お母さんの首が切れている構図がプリントされているグローブが売られていたのを見て、それを子どもがずっと見て育ったらどうなるんだろう?と思って。それがきっかけですかね。

瀬野:お面をかぶるスタイルもその時からなのですか?

竹村:そうなんです。お面のメリットは線描。人間を単純化した線で描くことができる。私にとってモデルそのものを表現するのではなく、抽象化できることに意味があると思うので。 私は常に前にある対象を抽象化したいと考えているの。そうでないと普遍化していかないでしょう。

瀬野:竹村さん自身がモデルになることはないのでしょうか?

竹村:今まで自分自身をモデルにした作品を制作したことはないですね。自分自身は無意識のうちに出てくると思います。

瀬野:トーキョーワンダーサイトでの展示(註5)の反応は如何ですか。

竹村:パフォーマンスは反響が良くって個人的に嬉しいです。

瀬野:お母様と娘さんの二役をやったんですよね。複数の役を演じる事はよくあるのですか。

竹村:去年は14役やりました。3日にわけて、6、3、5人に分けてやったんです。 去年参加したプロジェクトで、ベルリンに在住している女性のアーティストに対する奨学金みたいなのがあって。ゴールドラウシュっていうのですけど。それに参加しているグループのアーティストで展覧会をすることになって1年間ずっと一緒にいてミーティングなどをしてきた。表面的なおつきあいはあったのですけど。もっと個人的にお付き合いしてみたいと思いました。あの作品を考えたのは個人の中に入ってみたいというのがあって。全員のパフォーマンスをしたいと思ってやりました。

瀬野:今回初めて実際に観てみて、あんなに細かな動作をやっているとは思わなかったので、びっくりしました。お湯が沸くまで机の上でポンと指を弾ませるような仕草に妙にドキッとしました。

竹村:なんかね、あの手つきって彼女がいつも何かの拍子にやる仕草なの。まあ、彼女はピアニストですしね。私自身は普段やらないんです。でも他の人がやっているのはよく見るのよね。そういったところで普遍的なものを観られるというか。

瀬野:竹村さんの作品はパフォーマンスであるにも関わらず、観られることを目的にはされていないような気がしました。観られるということについては、どのように思ってらっしゃいますか?

竹村:観られることは私のなかでは二の次なんですね。もちろんパフォーマンスをやっている時点で当然観られるというのは枠として大前提にある。見せるための構成ではなく、彼女の実生活というのがプロットとしてある。彼女は別に当然実生活なのだから観せるためにやっているわけではないですからね。それを切り取るのが私の仕事だと思うんです。でも私の体を通す事でそれが普遍化につながる。彼女を無名化する。けれども、それによって浮かび上がってくる、個人の中にある文化っていうかな。私は個人とは個人ではないと思っていて、文化の集積というか…いろいろなパターンのコンビネーションだと思っている。同時代性という問題もあるし、この母とこの父から産まれて来たという線からの連なりもあるし、その中で私と偶然で会ったというパラレルな生活もある。

瀬野:モデルになったご友人はパフォーマンスを観ていたのですか。

竹村:本人はベルリンにいて観れなかったんです。そのかわり、お母様が見に来られて。お母様としては個人的な興味あったと思うんです。娘のベルリン生活って絶対に観られなかったから気になるはずですよね。私のやることが本当だと信頼してもらえるならば、普通に代弁しているという感覚はありますね。

04 「途中駅」のベルリンにて

瀬野:ちなみに竹村さんの作品はエディションはないですよね?

竹村:写真の作品を除けば、もちろんないですね。

瀬野:今、ようやく日本でもアートを買うということが定着し、マーケットも少しではありますが盛り上がりを見せてきているように見えます。ただ、その中でアートが消費されるだけの流れの中に巻き込まれないようにするにはどうすればいいと思いますか

竹村:批判精神じゃないですか。現代に対する批判の目でモノを作っていたら、なじむことないでしょうね。フォーマットとしてこれが美術なんだという規定ができたときに初めて共存できるようになってしまう。

瀬野:コレクターとの交流はありますか。

竹村:面白いですよね、アートをコレクトする人って。作品を所持したいという欲求。それを作品を買う事によって理解すると言う意識が面白いなと。

瀬野:竹村さんにとっての批判精神とは何でしょう。

竹村:単純に、流されない事。自分のやっていることを見据えておくこと。人間って、しがらみで何となく動いてしまうところがある。社会の一員なわけで、そこからどうやって少し離れておけるかというのも、アーティストの力や才能だと思う。アーティストの社会的な存在理由は社会の外にいることだと思っている。私がもしもOLをやっていてたらあんなことできないし、時間だって許されないだろうし、「何でやるの?」と聞かれてもきっと私は答えられないと思います。確信を持って今やれているのは、今までの人生で正しいと思えるからなんですけどね。 ベルリンの床にドイツ語を掘って勉強するというのがあって。

修復:ベルリンブリュッセラー通りにて
『修復:ベルリンブリュッセラー通りにて』(部分)インスタレーション3800 x 1120(2000-2002)
Courtesy of the artist

註6)2000年から2002年にかけてやっていました。人の家の床をはがして残すのはさすがに無理なのでね。写真でしか残ってないんです。一人のコレクターさんはやりたいと言ってくれたんだけど。大家さんに黙ってやってしまってので、バレたら怖いから上に絨毯引いて出てしまえばいいやって思ってたのですけど、展覧会(註7)としてみせていたら、友達が勝手に展示に大家さん呼んでしまって、見に来ちゃったんですよ。「ああ、これ君のアートだね」って。だからよかったな〜って、放置放置(笑)。

瀬野:それってドイツだから出来ることですよね?(笑)

竹村:絶対ドイツだからだし、そこの大家がちょっと変っている人だったからです。ラッキーな理由が重なりました。

瀬野:日本だったら大変な事になっていたでしょうね。

竹村:そうですね〜〜〜いやあもう大変な事になってしまいましたよね。ただ、日本だったらやってないですよ。やっぱりベルリンの空気が私を開いてくれましたよね。

瀬野:そういう所から「修復」シリーズ(註8)の考え方が出て来ているのですね?



修復シリーズ『修復されたコーヒーマグ』ドイツ製の壊れたミルク入れ、イタリア製合成繊維、日本製和刺繍糸(2000)
Courtesy of the artist



竹村:出て来ていると思います。日本ではやりたいと思わなかった仕事ですしね。ただ日本でやっている事がベースになっているのは確かです。九州の長崎にある波佐見町というところで絵付けの仕事をさせてもらって。アーティストを滞在させていくらでも絵付けして良いというプロジェクト。白いうつわに傷など一点でもついていたらもう間違いだからゴミになってしまう。有田焼などの文化もあるし、プロの目はもちろん厳しいのだけど、私のような素人からするともったいないということになる。じゃんじゃん捨てられていくのも見たし、今でこそ釜の技術が発展して、そんなに焼き間違いってないと思うんですけど。そこはものすごく大きなのぼり釜が有名なんです。くらわんか茶碗(註9)という大阪のどんぶりみたいなのを作ってた所なの。その時代はもう引っ付きがあったりとか間違いがあったようなのは埋められて今どんどん出てくるのね。そういう意識は昔から変らなかったんだろうなと。中国の歴史を見てもそうですけど陶磁器ってものすごく洗練されてしまった文化。これがいいものだってなったら、貴重なものだったし、そのすごく貴重だったものを、おじいちゃんかおばあちゃんか受け継いで、欠けたらついで使うっていう文化だったわけで、それが金継ぎとかの技術だと思うんですけど。ベルリンの床で事故でモノが部屋で壊れてしまったときに、ここで金継ぎは出来ないと思って。とりあえず包んでおいて置こうというところから来て、始まったのがあのシリーズ(修復シリーズ)。なんとなくもったいないという所から来ているんです。

瀬野:工芸はどういうものに興味がありますか。

竹村:日本の工芸に興味があります。特にお茶碗が好きですね。祖母が古いもモノが好きで使っていた、古い備前焼きとかね。そういうの見てすごいなあと。

瀬野:民芸運動はどうですか?竹村さんと一緒に論文(註10)で取り上げる大西伸明さんという作家の方はとても民藝運動に影響を受けていると仰ってました。

竹村:柳宗悦は私も熱く読んでいたことがあります。

瀬野:柳宗悦はもともと、東洋思想に行く前はキリスト教信者だったこともあって独特の思想の持ち主ですよね。

竹村:そうですね、彼はとても西洋よりの人間ですよね。でなければ、あんなことできないもの。結局、外に出た人間だからこそ良さがわかるんですよ。当たり前のことって当たり前にしか見えないから問題なんですよね。当たり前のことって家にあるモノだから良いじゃんて無視してしまうことがあって。民芸でも復興しようと思った事はそのことですよね。とにかく普通の人が生活のためだけに関わらず、もっと努力してやっちゃう所にギュッときてしまうんですよね。何万回もやることによって出て来てしまう美っていうか。まあ私は、もちろん民芸に関わらず李朝とかも好きですけどね。あとは、お茶碗といっても井戸茶碗(註11)とか好きです、というかビックリしましたね。あれを美しいと定義した人がいたことがすごい。それはもう絶対に外国人じゃわからないだろうなって思います。

瀬野:今後もベルリンで制作されますか。

竹村:今の所はベルリンがベースなのでそうすぐには動けないと思ってますね。でもただ永遠にいる場所でもない。人生がそうなんですよ。なんかねここに永遠に住むぞと思ってどこにも住んだ事がない。小さい時から引っ越しばっかりでしたし、他の人に聞いてもベルリンは「途中駅」のような気分にさせられる所らしいんですね。そういう場所なのかなと理解しています。

瀬野:ベルリンと日本だとベルリンの方がやはり制作しやすいのですか。

竹村:ベルリンはとっても制作しやすいですね。なんでかはわからないのですけどね。日本から少し離れたかったんですね、気分的に。その方が日本について語れるというか。今だったらまだできるのかなとワンダーサイトで展示をしたときに思ったんですけど、それは片足をあっち(ドイツ)にのっけているからこそ自由にできたのかなと。

05 壊れやすさと美しさ

瀬野:壊れゆくモノを残していくことが竹村さんのテーマだと思うのですが、壊れゆくモノは段々少なくなって来ているのではないでしょうか。技術が発達して永久保存していくことが出来るような気がしたのですけど…

竹村:結構簡単に、何でも壊れちゃいますよ。残そうとする技術共に壊れていきますよ。レコーディングのシステムだってどんどん変っていくでしょう。こんなに壊れやすい時代ってないと思う。

土くり練ってるだけでいい時代とは違いますよ。

親愛なるあなたとの回転
『親愛なるあなたとの回転』1300 x 4000 x 3210 mm(2006)
Courtesy of the artist



瀬野:そうかもしれない。壊れやすい時代かもしれないですね。

竹村:地下システムなんかあんなに作っちゃって。壊れろと言わんばかりでしょう。だから壊れるのを願っている時代なのかなと思っちゃったりする。きっと、守りたいという動きが出るのは当然だと思う。だってガラス張りの建築も今、異常に多いでしょう。何でかなあと思います。どうしてあんなに危ないものを使うのかなって。日本に戻ってくるとつくづく思うのが建築に節操がないなと思います。ギューンと細かいところに、細かくてちっちゃい、いろんな色した、いろんな形の建築が所狭しと並んでいるというか。アジアに来たと言う感じがします。あれは驚く瞬間だな。何て言うんだろうな。壊れやすい所にきたなと思いますね。またここに戻ってきたなと思って。繊細な所に。

瀬野:その繊細さは美しく感じられますか。

竹村:美しいと、イライラとが混じった感じですかね。常に変るモノと言うか。ヨーロッパってなんとなくいつ来ても、というよりか中身は変わっていても風景が全く変らない。あの不動な感じが(日本には)全くない。皇居とか東京タワーなどのランドマークは変らないものもあるかもしれない。でも、うちの近くは普通の住宅街なのだけど割と人気な地域なのか、まだできたばかりの建物をつぶしてまた新しく建てたり、次々とマンションは建っていく。すごい勢いで変っていく。帰ってくるたびに風景が変わっていくから懐かしさも憶えない。アスファルトの直線の道やカエルがひき殺されたの見たりして、「あったあった。こうゆうの小学生のときに見た!」みたいに、有機的なものでしか懐かしさを憶えられない。10年も住んでいたのに。

瀬野:必ず実在のモデルがいて対象を抽象化させているのですか?

竹村:私が言葉で尽くしても伝わらないかもしれない。やっぱり私は個人の人の生活の中にある美しさにすごく惹かれる。自分が単純に経験している事だから。大学生の時に現代美術に100%興味がなくて。怖いくらい、工芸に興味があった。まあ他にも建築にも仏にも興味があったんですけど。とにかく全然、現代美術なんて見ていなかったし、もちろんメジャーなのは見ていたのだけど、自分にとくに必要な事だと思わなかった。それの為に海外に行きたいとは思わなかったし、それよりは自分の生活に関係する問題を見ていたいと。それを考えると徹頭徹尾私のやっていることって変っていないと思うんですけど。自分との関わりにあることにしか問題は提起できないし、自分に関わりのある人間からしか本当の共感や理解って出てこないと思う。美術はやはりコミュニケーションだと思っている。音楽と違って美術は持続性のある状態で保つ事ができる。 パフォーマンスはその瞬間なんですけど。刺繍の作品やドローイングは恒常的に保つことができるし。次の時代につなぐできることができるというか。私、一番最初に考えていたのは作品を宇宙人に見せたいと思っていた時があって、自分のやっていることは必ず残るだろうという確信があった。何かしらこう小さな破片を読み込むと私のやっている事がバーッと出て来て、こんな面白いことをしている人間いたんだなと思ってもらえることをしたいと思っていた。それにはぽっと思いついたアイデアとかよりは自分のまわりにあることを徹底して観察すると言うか、自分のまわりのことをずっと見ていて、それをつなげていくという方が強度があると思ったんですね。 それでまわりの人たちの普通な、当たり前を切り取って見せるというのは、例えば1000年後見た時に絶対当たり前でないと思うんですね。今程モノもないかもしれないし、人間滅びてるかもしれない。そうやっていろんなもの削いでいったときに普通の人たちが当たり前を重ねていることってすごく強度だと思う。人間の営みとしても。それを拾い上げる事は普遍の美しさにつながるのではないかと思った。私にとっての美しさは普遍なんですけど。不動のものというか。

はなれても
『はなれても』イタリア製合成繊維、日本製絹糸、M.Bがアフリカの何処かで撮影したCプリントとB&Wプリント、カラースプレー2600 x 5300 mm(2007)
Courtesy of the artist

瀬野:美しさ以外にも怒りとか、悲しみ、といった感情を伝えようと思ったことはありますか。

竹村:人間が、結局、心から伝えようとしていることって美しさに全てつながると思う。 たとえ悲しみだとしても。だから感動させられてしまうというか。

お忙しい中、2回にも及ぶインタビュー、ご協力ありがとうございました。

(文字起こし・編集 瀬野はるか)



(註)

1.竹村の作品におけるキャプションはあえて原産国が書かれているなど、非常にユニークである。/例)竹村京 『はなれても』(2007年)日本製絹糸、イタリア製合成繊維、M.B.がアフリカの何処かで撮影したCプリントとB&Wプリント、カラースプレー

2.フランシス・イエイツ(1899-1981)イギリスの文化史家。『記憶術』という著書で中世ヨーロッパ社会における記憶術の研究の第一人者。インタビュー中に出てくるエピソードは「記憶術」を最初に発明したと言われるきっかけとなるシモニデスのエピソード。エピソードの内容に関しては本論参照。

3.2006年にベルリンのギャラリー・アレクサンドラ・サヘブで発表した「May I enter?」をきっかけに竹村がシリーズ化させているパフォーマンス。竹村の知人の自宅に置ける日常の動作を再現するという内容。展示場所で竹村が知人宅を再現して作った舞台の中でパフォーマンスを行う。または、それを映像として記録したものを展示する場合もある。

4.2008年3月5日-5月6日「アーティスト・ファイル2008 現代の作家たち」展、国立新美術館(東京)

5.2008年6月28日-8月31日「TEAM13 雨宮庸介 ムチウチニューロン/TEAM14 竹村京 Apart a part」トーキョーワンダーサイト渋谷(東京)

6.2002年「修復 ベルリン ブリュッセラー通りにて」ブリュッセラー通り15番(ベルリン)にて展示された『日記 床に刻む』

7.2002年「修復 ベルリン ブリュッセラー通りにて」ブリュッセラー通り15番(ベルリン)

8.不意に壊れてしまった食器等を半透明の布で包み修復するシリーズ

9大阪と京都を結ぶ淀川水運で、大阪から舟で商売にやってくる人たちを相手に「飯くらわんか〜」とお皿やお椀にお酒や食べ物を売っていた。江戸時代からのもので、舟の上でゆれながらでも食べられるよう、高台を高くして持ちやすく、割れにくくもなっている。竹村が以前、滞在していたという長崎県波佐見町ではこのくらわんか茶碗が大量に作られた。分厚い白い磁器に素朴な柄が描かれた物が多い。

10.筆者の卒業論文『現代作家論 コモン・センスの儀式』(2009年1月、武蔵野美術大学・芸術文化学科卒業研究制作展にて発表)。この中で竹村京と大西伸明に二人の若手作家から新しい美術の動向を捉える論文を書く。

11.本来は当時の李朝時代の人々がご飯を食べ、汁椀として日常使っていた生活雑器。井戸茶碗の典型的な鮫肌状の梅花皮(かいらぎ)は、窯の温度が低いため、釉薬が溶けなかった出来損ないと見なされ、最も粗悪品の雑器といわれていた。それが日本では、素朴な器形が、千利休によって侘び・寂の象徴として高く評価され、茶道具として見立てて使われ始めた。特に日本の国宝に指定されている喜左衛門井戸(きざえもんいど)はあまりにも有名。