Cultre Power
artist タケトモコ/Take Tomoko
contents

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04
05
注釈1
注釈2
注釈3
注釈4
注釈5
注釈6
注釈7
注釈8
注釈9









Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー

タケトモコ(アーティスト)×岡部あおみ

学生:3年ゼミ生
日時:2005年9月26日
場所:武蔵野美術大学芸術文化学科岡部ゼミ室

01 チコ・トコ・プロジェクト

岡部あおみ:タケトモコさんのレクチャーを始めたいと思います。武さんは2003年に東京日仏学院で開催した「おんなのけしき 世界のとどろき」展で、『ダッチ・ワイフ/ダッチ・ライフ1996-2001』(ヴィデオ 94分)という映像作品を出品していただいたことのある作家ですので、なかには映像を見たことのある人もいるかもしれません。今日は、それ以後に展開なさっている子どもやホームレスの方々とのワークショップを中心にお話を伺えればと思います。

タケトモコ:オランダに住んで、はや8年と9ヶ月が過ぎ、自分でも驚いています。オランダって聞いたことがあっても、皆さん行ったことがない方が多いと思うんですね。ロンドンとかパリとかには行っていらっしゃっても、オランダまではなかなか。

卒業生:ウトレヒトに行きました。

岡部:珍しいですね。足立圭さんは今日は特別参加の卒業生で、今は長野県の県立信濃美術館で学芸員の仕事をしています。ご両親が建築家なので、海外の建築をいろいろいっしょに見てますからね。

タケ:ウトレヒトにあるリートフェルトの建築を全部見て回ったんですね。

卒業生:はい。

タケ:今も私はオランダに住んでいますが、今日は私の仕事をさらっとご紹介しようと思っています。皆さんはヨーロッパやオランダのアートシーンにも興味があると思いますので、気軽に質問して下さい。私は3つのプロジェクトをメインにやっています。実はやりたいことは1つなのですが、表現が違う感じなので、1つずつ簡単に説明しようと思います。まずは「チコ・トコ・プロジェクト」(Chiko & Toko Project)。私と同様オランダ在住のアーティスト、渡部睦子と一緒にユニットとしてやっています。まず最初に絵本形式の話があり、子ども達とワークショップをして、音楽やグラフィック、デザイン、パフォーマンス、ファッションなど、いろんな形に展開しながら、見ている人たちも一緒に巻き込んでいくアート・プロジェクトです。もう1つが「ダッチ・ワイフ /ダッチ・ライフ プロジェクト」(Dutch wife/ Dutch life Project)。記号的なジェンダーの社会的意味をシニカルに探っているプロジェクトで、もう1つが「ホームレスホーム・プロジェクト」(Homelesshome Project)、社会のヒエラルキーとか自分の居場所を考えはじめ、それを探しながら一緒に何かホームレスや様々な人達と作っていこうというプロジェクトです。 まずは「チコ・トコ・プロジェクト」[注釈1]ですが、始まったきっかけは、オランダに来たばっかりの頃に、今日は日本人のDJが来るパーティーがあるから行こうと友人に誘われたんです。ファンタスティック・プラスティック・マシーンの田中さんとか、ピチカート・ファイブの小西さんとかがDJされていて、オランダ人のDJと一緒にラウンジ系のパーティーをやっていた。そこで踊ったりしていたら、オランダ人のDJが来て、「君はすごく楽しそうに踊っているから、今度曲を一緒に作ろうよ」 という話になった。それから1ヶ月後くらいかな? 私の友人の渡部に手伝ってもらって、アムステルダムの町の中で、素っ裸でダッチワイフの人形を抱いて、私の作品のビデオ撮影をしていたら、先日会ったそのオランダ人のDJのリチャード・キャメロン(Richard Cameron)が現れた。偶然にも裸で再会。前に音楽作ろうって言ってたから、早速今からレコーディングしようということになり、そのまま服だけとりあえず着て、渡部と2人でレコーディングスタジオに行ってレコーディングしたんです。その時の3曲を含めた、アーリン&キャメロン(Arling & Cameron)のアルバム「オールイン」(All-in)が、小西康晴さんのプロデュースで97年に日本コロンビアから出ました。ヨーロッパでも同じアルバムが出たり、その中の「ウィ・ラブ・ダンシング!」(We love dancing!)という曲が、98年にシングルカットになって、みんなで喜んでいて、ジャケットはどうしようということになり、なんとなく出てきたのがアニメ風のキャラです。レコード会社の人たちもすごく気に入ってくれた。この曲のプロモーション用にMTVヨーロッパ用のアニメーションを作ったりしているうちに、私たち2人ともアーティストなので、アート・プロジェクトにしたいという話になった。その間、子供からファンレターみたいなのが届くようにもなり、私たちは子どもが大好きだし、一緒に子どもと何かするのがいいかもしれないと思って始めたのがきっかけです。自分たちの性格に近いものにしようとキャラクター設定をはじめ、このプロジェクトを始める時に、最初に絵本形式の話を作り、それを基本にして、そこから全てが生まれてくる形にしたんですね。 「チコ・トコ・プロジェクト」は、音楽からはじまり、グラフィック、マーチャンダイズ、パフォーマンス、ファッションと、形式にとらわれずに派生していきます。これが最初に考えた「ネピュー」というお話。ネピューは歌を歌う宇宙植物で、火星に住み、チコとトコが火星に不思議な植物がいるというので探索しに行く。 火星で色んな人に出会いながらネピューを探し、ようやく会えたら、ネピューは病気で元気がない。タコ星人というタコのような人が、ネピューの代わりに歌を歌っているけれど、すごい音痴でますますネピューは元気がなくなってしまう。そこでチコとトコが歌を歌うと、ネピューが元気になるという話です。

岡部:こうしたアニメーションも全部、2人で描き、制作しているのですか。

タケ:コンセプトやイメージなどを出すのは2人ですが、私のほうがグラフィックが得意なので、主に平面的なものを担当しています。

岡部:イメージやコンセプトは2人で、実際に作るのは得意な分野で手分けしてやっているということですね。

タケ:手分けしないと間に合わないし、渡部はとても器用なので手作業が得意。彼女は洋服とか人形とか、主に立体的なものを担当しています。ネピューに話を戻しますが、ようやくネピューが元気になったので、火星人たちは大喜びする。チコとトコが地球に帰るときに、歌を歌う宇宙植物ネピューを1つだけロケットで持って帰ってきた。チコとトコがロケットの中で歌いだすと、ネピューがどんどん大きくなってロケットの壁を壊して、ロケットをすっぽり覆ってしまうというところで終わるんですね。私は大人になってからも絵本がすごく好きで、今も読んでいるのですが、想像が広がるような終わり方が好きです。チコとトコは地球に帰れなかったのか? とか、チコとトコは一緒にネピューになってしまったのか? とか、結末はみなさんに想像していただく終わり方にしました。この話をもとに、プロジェクトをいくつかやりました。

02 ライクス・アカデミーなどオランダのレジデンス

タケ:私はアムステルダムのライクス・アカデミーというアーティスト・イン・レジデンスに97年と98年にいたんですけれども、オープン・アトリエが、毎年11月末か12月の頭にあります。ライクス・アカデミーは学校ではないので義務とかはありません。個人アトリエをもらい、施設内にワークショップもあるので、自分のペースで好きなように作業をしていられるんです。自分の気に入ったキュレーターや美術評論家、アーティストがきたら、アトリエに招待して一対一で話すこともできる。1年ごとのレジデンスの成果を、オープン・アトリエの時期に見せます。自分のアトリエをパブリックに開放するんですね。これは3日間だけですが、毎年平均してのべ7000人から10000人くらいの人が世界各国から訪れます。例えて言えば、混み混みのスーパー・マーケットのような状態。うわぁって人が来て、うわぁって帰っていくっていう感じです。

岡部:補足しますと、ライクス・アカデミーは、世界中からアーティストが応募するオランダのアーティスト・イン・レジデンスですが、応募者が多くて、なかなか受からないことでも有名です。2005年はたまたま3人の日本からの作家が合格して滞在していますが、その内の1人はムサビ出身の女性の画家でした。武さんの時は日本からはお1人だったのでしょう?

タケ:そうです。3人なんてはじめて。毎年必ず日本人をとるわけでもないですから。

岡部:受かるのがすごく難しいため、レジデンスにいる作家たちに海外からも注目が集まり、オープン・アトリエにスーパー・マーケットみたいに大勢来るのは、その時しか作品を見たり作家に会ったりできないから、美術関係者たちがどっと見に来るわけですね。いい作家だともうその時に展覧会のオファーとか色んなオファーがあるわけです。武さんもそこでかなりオランダでの足場ができたのではないですか?ライクス・アカデミーにいたというキャリアだけでも、評価されるでしょうし。

タケ:そうですね。それはあったかもしれないです。オランダにライクス・アカデミーとは別のレジデンスがあります。ここはたぶんマネージメントに関心のあるみなさんにも興味があると思います。ライクス・アカデミーは分野は問わないんですが、アーティストのみです。ヤン・ファン・エイク・アカデミーというレジデンスが、オランダのマーストリヒトにあり、そこはアーティストとキュレーターやライター、デザイナーが一体になって、1年ずつプロジェクトをやっていくところです。しかもコースはオランダ語じゃなく英語。

岡部:オランダ人はヨーロッパのなかでも、かなり英語が得意な国民ですしね。

タケ:ヤン・ファン・エイク・アカデミーもインターナショナルで、マーストリヒトはアムステルダムから2時間くらいで、ベルギーに近くていい。アート・マーケットはオランダよりもベルギーのほうがしっかりしているからです。それはなぜかというと、歴史的な話になりますが、オランダにドイツから流れているライン川があり、その上流がプロテスタントの地域、アムステルダムもそうですが、生活や文化が質素、そうした面にお金をなるべく使わないから、アート・マーケットやコレクターが育たなかった。ライン川の下流はカトリックの地域で、昔、フランスのナポレオンの支配が強くあった影響で、アートだけではなく、ファッションや食などに関してもマーケットがあった。もともとオランダとベルギーは1つの国でのちに分かれたんですけれども、現在のオランダでもライン川の上と下で文化を区切る。上流は、プロテスタントの影響は少なくなってきてはいるけれど、下流は、現在もカトリックの影響が残っている。オランダ人はどちらかというと自分のところに何かを根付かせるというより、よそに行って何かを開発して帰ってくるという、トレーディングのメンタリティーの国だと思います。

03 ものを作る基準は「美味しそう」なもの

タケ:話が少しそれてしまいましたけれど、2年目のオープン・アトリエで「チコ・トコ・ブロジェクト」を本格的に開始しました。私はこの時、レジデンス2年目で、1年目のオープン・アトリエに、たくさんの人や子ども連れの人達も来ていて、子どもたちがすごく退屈そうにしていたので、子供たちと一緒に何かできたらいいなと、託児所を作ったんです。託児所の真ん中に、ギター型のオブジェを置き、いろいろな服をつるして着れるようにしたり、ネピューの話を読めるようにしたり、ネピューの塗り絵があって、子どもたちが好きなことをして楽しめるようになっていました。保育所の先生にも来ていただき、私たちも1日中いました。子どもを預けた大人たちは、その間に自分の好きなアートとかフィルムの作品をゆっくり見られるわけです。

岡部:託児所のプロジェクトはオープン・アトリエの期間だけ限定してなさったのですね。

タケ:その期間だけで終わったんですけど、3日間、託児所で、子ども達と楽しく過ごしました。このインスタレーションの服は、宇宙に行くときの服のイメージで作りました。数字やロケットのところはバリバリバリとマジックテープで取れるようになっていて、 好きなところにはれる。タコ星人のイメージから生まれた服もあります。こんな風にひとつの話から直接何かが飛び出す感じで作っています。たとえば、帽子の紐のたれてる緑のところがタコ星人の足の色と同じにしているとか。でも人々はそこまではあまり見ないんですが、私たちはそういうことにもエキサイトしながら作っています。


『タコ星人』
year:2001 <紙上プロジェクト、子どものためのアート・マガジン88>、アート・ブック「A-prior」より抜粋。
model:トスカ
photo:トーマス・マネケ
graphic & copyright:チコ・トコ・プロジェクト

岡部:使用なさっている布地自体のテキスタイルまで、オランダで作られているんですね。

タケ:そうです。このテキスタイルは、自分たちでコンピュータでパターンを作り、新しい素材でプリントしています。テキスタイル業界から色々変わったオーダーを受けているオランダの会社を見つけたので、自然の素材を使いたいと思って、シルクでやってくれるかなと。

岡部:つまりパターンのデータを作り、それを会社に出して、こういう白い絹でやって下さいとお願いすると、大体希望通りにできるのですか。

タケ:それがそんなに簡単じゃなかったですよ。色とか、シルクもサテンみたいなのは好みではないので、生地を持ち込みでオーダーしました。ざらっとしたシルクで、ツルツルテカテカしてなくて、ちりめんみたいなマットな感じの生地が良かったので、なかなか思ったように上手くインクが乗らない。向こうは簡単だと思っていたので、毎日通っているうちに、だんだん申し訳なくなってきました。先方はプリントできたからいいだろうという感じですが、私たちはこの緑が違う、青がこういう青じゃないとかあっても、上手くコミュニケーションがとれない。向こうの感覚ではOKですが、この緑の点々の色が1つずつ違ったりするのが、私たちのこだわりなのに、同じ緑色にプリントされていたり。先方はそのくらいいいじゃないかと言い張って譲らない。1ヶ月くらい戦って、ようやく思うように出来あがったんです。

岡部:洋服自体もとてもかわいいですね。それぞれ1着づつの制作でしょう。2003年に東京オペラシティ アートギャラリーで開催された「ガール!ガール!ガール!」展[注釈2]でも出品されていましたよね。

タケ:1着ずつ手作りです。ネピューのイメージから生まれた服は、袖のところの花のボタンをはずすと、びよーんと袖がすごく長く伸びたりします。葉っぱのかたちをした背中のかばんもちゃんと使えます。コラボレーションの仕事なので、どういう風にやっているのか、2人だと大変でしょとかよく聞かれます。私たちの中では、ものを作る基準は「美味しそう」なもの、そのイメージが2人結構似ている。その感覚で大体仕事をしているので、あまり間違いがない。皆さんの感覚とは、ずれてるかもしれないけど、私たちの中でたとえばこのイメージは「美味しそう」。

岡部:私たちが見てもとても美味しそう。

タケ:その美味しそうから繋がるんですが、「エルナ」というカメの話を別に作りました。[注釈3]その話は、カメロンというお菓子屋さんで働いているカメが、明日、自分の誕生日だから、おばあちゃんがよく作ってくれた海の色のゼリーを自分で作りたいのだけれど、それにはエルナ海に住んでいるおばあちゃんのところに行かないと、海の色の不思議な粉が手に入らない。カメは歩くのが遅いから、おばあちゃんのところまで行ったら誕生日が終わってしまう。そこでチコとトコが代わりに取りに行ってあげる。おばあちゃんにゼリー作りを習って帰ってくるという話です。それで、テーマはお料理。本当に全部使えるキッチンを子どものサイズでデザインしました。本格的なガスのコンロやオーブンがちゃんと付いていて、水もちゃんと蛇口をひねれば出る。扉を1個ずつ開くと、1個ずつ違うオリジナルの音楽が鳴るようにもなっています。キッチンの形も、スペースにあわせて自由自在に変えられる。キッチンの形とデザインは、「エルナ」の話のカメのイメージから生まれました。このキッチンを使って、前菜からデザートまで、色んなシェフ、シェフだけでもつまらないので、アーティストも呼んだりして、1品ずつアイデアを出してもらい、前菜からデザートまで、計5回のワークショップをしました。作り方、味、盛りつけなどを子ども達とチコとトコ、そしてシェフと一緒にワークショップでやり、そこで決まったものを、展覧会期間中に、「わたしたちのレストラン」として、フルコース・メニューで一般の方々にも味わっていただけるようにしました。前菜はフード・アーティストが担当。ハーブを彼女の農園に摘みに行って、みんなで色んな野菜を天井から吊るし、はさみで自分の好きな野菜を切って食べられるようになっています。味わうだけでなく、インスタレーションとしても楽しめるようにしました。これらの野菜は、チーズ味のバニア・カウダーというディップ・ソースをつけて食べます。サラダは、パプリカや色んな野菜を使って、レーシング・カーを作りました。オーガニック・マーケットにみんなで一緒に買い物にも行ったりしました。この時のシェフの2人は、パフォーマーなので、ワークショップの最後に、ユニークな衣装でパフォーマンスをしてもらいました。これが1番子ども達に好評でした。ワークショップに参加する子ども達はお料理好きで、5回のワークショップにすべて参加できるという条件で参加してもらいました。参加した子ども達たちは、展覧会の間に、チコとトコのようなキャラクターになります。シェフの人たちも、彼らが出してくれたアイデアを、フィードバックしたいので、顔かたちだけではなく、彼らの料理のアイデアも会期中に作ったキャラクター人形の服に表現しています。ただ人形はいっぺんには作れないので、展示の期間中にちょっとずつ増えていく感じにしました。

岡部:ずいぶん凝った人形ですが、作るのにどのくらいの時間がかかるのでしょう。

タケ:人形の素材は紙粘土なんですけど、まずキャラクターを紙上で作り、それを立体に起こして、パーツごとに形をつくります。ツルツルしたプラスチック系のテクスチャーではなく、手作りっぽい、張子っぽいイメージがいいなというのがあって、それを可愛い感じに作りました。見かけが美味しそうなスーパーで売っているパンじゃなくて、手焼きのパンという感じ。

岡部:その感覚、なんとなく分かります。

タケ:アムステルダム市立美術館ビュローの展覧会が夏だったので、夏らしいメニューを考えた末、トマトとオレンジの冷たいスープを考案しました。彼は、フランス料理のレストランで働いている若いシェフですけど、彼が作る料理は無国籍。アフリカの素材や日本の素材も使ったりして、すごくコンテンポラリーで驚かされます。メイン・コースにも、私たちは、オーガニックの野菜とか食べ物にこだわっていて、そういうものしか使っていない。オーガニックというのは有機野菜のことです。アジア料理の店に行ったら、サラダに千切りで入ってたりするビーツという野菜ご存知ですか?見た目はカブみたいなんですけど甘い。

岡部:ボルシチというロシアのシチューを食べたことある人がいればわかりますが、ボルシチのスープの赤い色は、ビーツの色でついています。

タケ:ビーツは砂糖で味付けしたみたいに甘いので、そのジュースで色を付けたマッシュ・ポテトは、ピンク色になります。みんなでチーズも手作りして、ポテトの付け合わせとして、デコレーションしました。最後のデザートは海の色のゼリー。青い色は自然界には存在しないからといって、着色料を使うのが嫌なので、1番時間がかかりました。デザートだけは、私たちの話の中から生まれているから、自らレシピのアイデアを出しましたけれど、なかなかイメージの色にならない。色々試した結果、ほうれん草とミントで、なめらかな美味しいゼリーになることを発見。下の白い部分はメレンゲで、パリパリのメレンゲの上にとろとろのゼリーがのっているという感じです。

岡部:リキュールのキュラソーもブルーだけど、もともと着色しているお酒ですよね、きっと。

タケ:あの青は色を付けてます。赤とかは昆虫とかで自然に色がでるんですけど。青は食べ物ではないんです。

岡部:できあがったデザートは自然な感じですし、美味しそうですね。

タケ:「わたしたちのレストラン」は、シェフの方々抜きで、私たちチコ・トコとワークショップに参加した子どもたちと一緒にしました。

岡部:随分いっぱいお客さんがきたのではないですか。

タケ:すぐにいっぱいになりました。オリジナルのフルコースが食べられるというので色んな人が来てくれました。

岡部:日本で実現するとしたら、材料費がかさむし、無理ではないかしら。

タケ:日本でもやるという話も出たことがありますが、美術館は衛生の問題があり、調理師免許持っている人がいないとダメとか、キッチンの水場が動くのがまずダメでした。ただ作ったものを食べなければよくて、作って展示するだけならできる。

岡部:でもそれでは、つまらないですよね。

タケ:でしょう。妥協したくないじゃないですか。食べることも楽しいから。水場が動くのがダメという理屈がよく分からないんですけど。別の「ミックス・ミックス」というプロジェクトでは、同じキッチンを使って、料理ではなくジュース・カフェを作りました。いくつかのチームに分かれてもらい、子供たちが色んな果物を混ぜて、オリジナルのミックスジュースを作るんです。子供たちはみんな果物の味やジュースの味を知ってはいても、混ぜたらどんな味になるのかは知らない。チコ・トコ・クッキングのワークショップの時に、みんなでコーヒー牛乳の話をしていたことがあったんですが、今の子ども達は、茶色い牛がいて、その牛から絞るとコーヒー味の牛乳が出てくると本当に思っていたりする。それで色々まぜたらこういう味になるというのを知るのは楽しいと思って、このワークショップをしました。その後で、展示会場をカフェにして、オリジナル・ジュースが飲めるようにしたんですね。そういえばチコ・トコ・クッキングの主題歌もあります(笑)。キューピー3分間クッキングとかも主題歌があるので、クッキングするならチコ・トコも主題歌が欲しいなと思ったんですね。

岡部:音楽はいつも同じ方にお願いしているのですか。誰に作っていただいているのかしら。

タケ:チコ・トコ・プロジェクトの音楽は、最初に不思議な縁で出会った、オランダのミュージシャン、アーリン&キャメロンが全部作ってくれています。みんなが思わず料理したくなるような、わくわくする音楽です。

岡部:いつもポップ系のミュージックにしているのですね。

タケ:チコ・トコ・プロジェクトの音楽はポップ系。アーリン&キャメロンはミュージシャンとして、オーケストラとコラボレーションしてアルバムを出したり、色々違った分野の人たちと音楽を作っています。 私個人の別のプロジェクト「ダッチ・ワイフ /ダッチ・ライフ プロジェクト」では、パフォーマンスの音楽をライブで担当して頂き、「ホームレスホーム・プロジェクト」でファッション・ショーをしたときには、「ホーム」(home)という曲を提供して頂いたり。多岐にわたって縁のある方々です。2003年に、東京オペラシティで展覧会があったときには、「ウィ・ラブ・ダンシング!」の元曲をオーケストラに編曲してもらい、青山学院大学中等部のブラスバンド部の方々と一緒にコラボレーションで、「チコ・トコ・プロジェクト」の衣装を着たモデルの子ども達とパレードをしました。[注釈4]それから「チコ・トコ・プロジェクト」は、オランダで生まれたプロジェクトなので、オランダとつながりのあることがしたいと、後日、オルゴールを使ったワークショップもしました。[注釈5]オルゴールはオランダ語の“オルゲル”という言葉で、オランダからきています。ワークショップで使った手回しオルゴールは木製、手のひらに乗るくらいの大きさで、厚紙にパンチで穴を開けると音楽が作れる。このワークショップでは、「ネピューの音楽」というテーマで、歌を歌う宇宙植物ネピューの話のビジュアルから、ネピューがどういう歌を歌っていたのかを想像して、作曲してみようということでした。手回しオルゴールの専門家にワークショップに来てもらい、どうしたら和音が作れるのか説明して頂きました。先生はさすがに、和音も美しい和音になっていて面白かったです。その先生の手回しオルゴールのコレクションも見せて頂きましたが、色々な種類があり、とても奥が深い。ワークショップに参加した子ども達たちは、それぞれのキャラクター人形の下に、ワークショップで作曲したオルゴールの紙がつるしてあり、見に来た人は、好きな紙を選んで設置してあるオルゴールを通して作曲した音楽が聴けるようになっていました。

04 ダッチ・ワイフ /ダッチ・ライフ プロジェクト

タケ:「ダッチ・ワイフ /ダッチ・ライフ プロジェクト」[注釈6]は、なんでダッチワイフなのと、よく聞かれます。オランダに来て間もない頃、英語もオランダ語も話せなくて、言葉にすごく不自由していたんです。ある日、英語を勉強しながら制作をしていると、ふと“ダッチワイフ”という言葉が浮かんだ。そういえば“ダッチ”は“オランダ”という意味だなと思い、色んなオランダ人に「ダッチワイフ、知ってる?」と聞いてみたんです。そうしたら意外にも、みんなダッチワイフの意味を知らない。日本では実はこういう意味よと話すと、怒り出す人もいたりして。それで、意味が気になってきたので歴史を調べ始め、オランダと出島の関係に始まることがわかりました。長崎の出島にオランダ人がやってきた時、オランダ人の男の人しか入国できなかったんです。当時、オランダから日本までの長距離の大航海は大変で、 船に乗ってきた人の半分以上は死んじゃうわけです。ようやく命をかけて出島にたどり着いて、そこで暮らしながら、色んなことをしていると、奥さんも子供もオランダに置いてきていますし、ふと寂しくなる。

岡部:本国に帰れるのかわからない異国での単身赴任ですから、淋しいですよね。

タケ:単身赴任でも、今だと飛行機で帰れますが、当時の船では簡単には帰れないから、ますます寂しい気持ちになりますよね。なぜ日本で、等身大のセックスの代用女性人形を“ダッチワイフ”と呼ぶのかには3つの説があると言われています。当時、出島にもいわゆる赤線地帯があり、遊女、今で言うセックス・ワーカーの人たちがいました。出島は女人禁制で、遊女を連れてくることはできたんですが、奥さんや子供を連れてくることはダメでした。しばらくして、出島が女人禁制でなくなった時に、初めてオランダの女性を見た日本人が、“ダッチワイフ”(オランダの奥さん)と呼び始めたんです。しかし、それまで出島に出入りできたのは、遊女のみだったという事実から、この“ダッチワイフ”という言葉に性的な意味も含まれるようになったようです。2つめの説は、オランダ人が出島にいた時期は、当時オランダがインドネシアを植民地支配していて、オランダ東インド会社の拠点であったという理由もあり、オランダ、インドネシア、日本の3国は関係が深かった。それで当時から日本も暑い国なので、“竹夫人”という竹で編んだ抱き枕があり、足の間にはさんで寝ると、汗でべたべたせずに涼しく眠れるというものがあったんです。その時期、インドネシアにも“グーリン”という布の抱き枕があり、日本の“竹夫人”と同じ目的で使っていました。インドネシアの“グーリン”は、現在もみなさん日常的に使っています。日本にもありますよね、布でできた抱き枕が。面白いことに、この“グーリン”、当時から現在まで、通称“ダッチワイフ”と呼ばれています。もう1つの説は、東インド会社を通じて、イギリスとオランダのあいだで、植民地をめぐる争いがあり、東南アジア、東アジアにおいては、結局イギリスが撤退することになり、オランダ人に対してイギリス人は強い反感を抱くことになったんです。オランダ人に対する恨み、嫉妬、劣等感などから、侮辱の意味を込めて、 イギリス人は“ダッチ”(dutch) という言葉を使っていました。いまだに、イギリス英語では、ダッチ・アカウント(Dutch account)は割り勘、オランダ人がケチだという意味が含まれています。ダッチ・カレッジ (Dutch courage) は、から元気、ダブル・ダッチ(double dutch)は、ちんぷんかんぷんという意味です。性的な意味合いの言葉では、ダッチ・キャップ(Dutch cap)は、ペッサリーという意味で、ダッチワイフという言葉も、当時、イギリス人がそういう風に付けて今も残っているそうです。

岡部:性的な抱き人形という日本におけるダッチワイフの意味は、こうしたいくつかの語源や意味が合体したのかもしれませんね。

タケ:現在、私たちが知っているダッチワイフを、東京の上野にあるオリエント工業という会社が作っていて、そこに話を聞きに行ったことがあるんです。最近は質のいいシリコン製のものを作っています。皆さん、もし機会がありましたら、上野にあるオリエント工業にぜひ行ってみてください。ショールームもありますし、すごく出来がいいので驚きます。ここのダッチワイフは、単に性欲処理の目的だけではなく、例えば老夫婦の方々が、亡くなったお嬢さんそっくりに作ってもらって、余生を一緒に暮らしていたり、身体障害者の方が、性的な処理を自分ではできないので、今までお母さんが、複雑な思いでお手伝いしていたのを、人形がきっかけで自分で処理できるようになって助かったという感謝の手紙を頂いたという話も伺いました。身体障害者の方々には10%の割引もあります。性的な体験がない独身の男性が、めでたく結婚されたあかつきに、今までありがとうございましたという心暖まる手紙と共に、こちらの会社に返却される方もいるそうです。実際、結婚したらなかなか家には置いておけない。製品にもよるそうですが、30kgくらいある。しかもバラバラには分割できない。私が何よりも感銘を受けたのは、性的な欲求を満たすだけのダッチワイフではなく、人としての大切なコミュニケーション手段として、様々なニーズにあわせた人形を制作されているということでした。そうこうしているうちに、私は自分のダッチ・ワイフを作ってみようと思いはじめました。私の体のパーツをすべて採寸して作ったダッチ・ワイフ制作キッドのパターンを、切って繋げると、ちょうど私の原寸大のダッチ・ワイフになるというコンセプトです。このダッチ・ワイフ制作キッドには、塩化ビニールとコットンの2バージョンがあり、好きな素材を選べるようになっていて、もちろん穴もちゃんとあいています。このオリジナルのダッチ・ワイフを制作するにあたって、色んな国のダッチワイフを何体も買って研究しました。私の持っているダッチワイフの穴の深さの平均は、約12,5cm。穴の位置も、生身の人間の女性と比べると、かなり上のほうについていますが、それでもダッチワイフということにしたかったので、角度なんかも、既存のダッチワイフにあわせて、かなり忠実に守って作りました。「ダッチ・ワイフ /ダッチ・ライフ プロジェクト 1997」[注釈7]で、塩化ビニール(P.V.C)のバージョンは顔がないのですが、コットンのバージョンは、顔を選択できます。インスタレーションとして、オリジナル・ダッチワイフのショールームや体験ルームを併設したこともあります。「ダッチ・ワイフ /ダッチ・ライフ 制作キット」の購入者は、既存のダッチワイフのように、顔のパーツを少し誇張して、コンピューターで変形した私の顔(オリジナル)か、自由な顔を選べます。普段、表現したいけれどできないような、人々の心の中に潜んでいる欲望に応えることができればいいなという気持ちから始めたプロジェクトです。顔は例えば、自分のパートナーの顔、家族の顔、友人の顔、ペットの顔、自分自身の顔と、選択は自由です。好きな写真を持ってきて頂いて、コンピューターに取り込み、同じように変形した後、コットンの布にプリントしました。パフォーマンスとして展示会場で行ったのですが、私の等身大のぬけがらのからだのようなものに、様々な顔がついていくのは、何とも言えない不思議な体験でした。これを少し発展させたものが、「ダッチ・ワイフ /ダッチ・ライフ プロジェクト 1998」で、塩化ビニールとコットンのバージョンをミックスして、人間が実際着ることの出来るオリジナル・ダッチ・ワイフを作りました。インスタレーションとして展示しているうちに、これを着てパフォーマンスがしたいと思うようになり、どうせだったらオランダ人の金髪の方にもお願いしたいと思って、「ダッチ・ワイフ /ダッチ・ライフ1998」という、シアター仕立てのパフォーマンスをしました。1999年にオランダで行われた、インターナショナル・パフォーマンス・フェスティバルでは、私自身が観客の前で裸になって、塩化ビニールとコットンのバージョンの素材をミックスしたダッチ・ワイフを、パフォーマンス中にライブで縫ってもらって、出来上がるたびに、その場でパーツごと着せてもらっていきました。このパフォーマンスでは、人間からダッチ・ワイフに変身していくといったプロセスを観客に見せながら、その時間を一緒に共有するというのがコンセプトです。オリジナルのダッチワイフを作る工場、まるで本当にそういう工場があるようにみせかけたフェィクのドキュメンタリー写真やビデオを使って、オリジナル・ダッチ・ワイフのインスタレーションを発表したりもしました。


『ダッチワイフno.18(ジャパニーズ・タイプB & ダッチ・タイプC/ブロンド)』
year:2001「今日の作家展2001-アーティキュレート・ヴォイス-」、横浜市民ギャラリー、横浜
model:フィオルナ・デ・ベル、タケ トモコ
photo:ロイ・テーラー
copyright:Tomoko Take

岡部:タケさんは、ご自分で縫うのは苦手だとおっしゃっていましたから、誰か他に縫うことのできる人たちに頼んでパフォーマンスやインスタレーションをなさったのですね。

タケ:縫うのは苦手ですが、私は逆にそれを長所あるいはチャンスと思っています。私が出来ないことを、器用に出来る人々がいる。だからこそ素敵な人々と出会いがあり、楽しくコラボレーションが出来るんですよね。「ダッチ・ワイフ /ダッチ・ライフ 2002」[注釈8]という作品は、先ほどお話したパフォーマンスから発展したものです。この作品もたくさんの素敵な人々とコラボレーションしました。18歳から80歳までの国籍も肌の色も体のサイズも違う裸の女性パフォーマー15人がいる後方で、ライブで縫いながら、パーツができたら裸の人に着せていくパフォーマー15人、計30人のパフォーマンスをスキーダム市立美術館で行いました。このパフォーマンスの時に、オランダのファッション・デザイナーのアレキサンダー・ヴァン・スロベ (Alexander van Slobbe)に、1つ1つ違った15通りのダッチ・ワイフのデザインをして頂きました。彼は日本でもソー (So by Alexander van Slobbe) というメンズのファッション・レーベルをずっとやっていらした方ですが、最近は、オルソン ボディル (Orson + Bodil) というレディースのファッション・レーベルをアムステルダムで立ち上げています。彼がダッチ・ワイフのデザインを考えていくプロセスも面白いと思ったので、ダッチ・ワイフに変身していくといったプロセスを観客に見せながら、その時間を一緒に共有するというのがコンセプトです。


『ダッチ・ワイフ /ダッチ・ライフ 2002』ライブ・パフォーマンス
year:2002「ダッチ・ワイフ /ダッチ・ライフ 2002」、スキーダム市立美術館、スキーダム
photo:シレー・ヴァン・デル・フェルデ
copyright:Tomoko Take

「ダッチ・ワイフの作り方」(How to make Dutch wife?)と題して、ドキュメンタリー・ビデオも制作しました。アレキサンダーは、ほんとうにモノ作りが好きで、デザインやファッション、アートなどにも、ユニークな独自の視点を持っています。彼は、常に新しいモノを追い求めることではなく、日常の中からさりげなく生まれてくる抽象的なイメージを、個性的なアングルでとらえ、かつパーソナルな視点でシンプルにかたち作っていきます。彼の生み出すかたちは、時としてファッションという概念を超えていて、それは言葉を失うほど、とても繊細で美しい。このドキュメンタリー・ビデオは、パフォーマンス上演後に、実際にパフォーマンスで使用した15体のペーパー・パターンと、実際のパフォーマンス・ビデオと一緒に、インスタレーションとして美術館で展示しました。 パフォーマンスの音楽は、先ほどからよく出てくる、アーリン&キャメロンのリチャード・キャメロン (Richard Cameron) の別のDJユニット、ミスター・アンド・ミセス・キャメロン(Mr.& Mrs. Cameron)にお願いしました。彼らの斬新なアイデアとユーモアをかたちにするセンス、そしてジャンルを問わず、幅の広い音楽への知識と造詣の深さは、今回のパフォーマンスでも大変感銘を受けました。

05 ホームレスホーム・プロジェクト

タケ:次に「ホームレスホーム・プロジェクト」[注釈9]についてお話します。なんでホームレスなのと、これもまたよく聞かれます。このプロジェクトを始めたのは2003年で、当時、オランダに住み始めて7年が過ぎた頃ですが、結構長くいるなと、ふと思ったんです。私はオランダに住んでいるのにオランダ人でもないし、そうかといって今さら日本に住んでも、感覚は日本人でもないし、果たして自分の居場所はどこなんだろうと考え始めたのがきっかけです。そうこう考えているうちに、ある日、ふと“ホームレス”という言葉が浮かんだので、実際にホームレスと話してみようと思い、町に出て話をしていたら、結構興味深い。彼らのフレキシブルなところとか、情報収集のスピードやネットワークの広さ、いつも身軽にどこへでも行って同化できる感じは、私が学びたいと思っていたことでした。それで、自分にないものを彼らから学ぶために、一緒に何か楽しいことができたらいいなと思って始めたのがきっかけです。プラットホームになるような何かが欲しいと思っていたとき、なぜかサーカスのイメージが浮かんできたんです。大きな真っ白いテントがあり、そこをプラットホームとして広がっていくような、オープンでいてクリエイティブな場所、シンプルで、いつでも戻ってきたくなるようなほっとする場所。今までのホーム (家) というのとは違った新しい価値観で、本当に必要なホームというのは何かを考えてみたかったんです。モノとしてずっと永続していくようなホームというイメージではなく、内側と外側の空間が曖昧で、ひとところに固定された場所ではなく、突然そこに現れて、すぐに消えてしまうようなかたちにしたかった。こうした空間をパブリック・スペースで表現することは、人と人との瞬間的な心のつながりを共有できるプラットホームとしてふさわしいと思ったのと、心のつながりを大切にした、コミュニケーション・ツールとして機能するだけのシンプルな場所を、社会に提供することがとても大切だと感じたからです。


『ホームレスホーム・プロジェクト』
year:2004 「ホームレスホーム・プロジェクト」、ダム広場、アムステルダム
photo:ゲルトールック・ヴァン・ポエリェ
copyright:Tomoko Take

そこから「ホームレスホーム・カフェ」(Homelesshome cafe) というオーガニック・カフェを始めました。ホームレスの人たちは、食べるものが偏っていたり、歯がなかったり、お年寄りの方も多いので、野菜を中心にしたやわらかい食感のメニューを、オランダ人やイタリア人のシェフと一緒に考えました。このカフェは、ホームレスだけでなく、誰でもリーズナブルな値段で、美味しいオーガニックのランチが食べられるようにしました。すごく単純なことですが、美味しいものを食べていると心がなごむというか、楽しい気分になりますよね。それと同時に「Tシャツ・プロジェクト」(T-shirts Project)、「ピース・オブ・ホーム」 (Piece of home)といったプロジェクトが生まれてきました。Tシャツ・プロジェクトのTシャツのプラットホームは、私がデザインしたんですが、これもホームレスの意見を聞いて、汚れの目立ちにくい黒いTシャツをベースに、大きさの違う、いくつかの白い円をプリントし、その部分にホームレスが絵を描くんです。アムステルダムにホームレスのアート・クラブがあり、このプロジェクトに来た、一般の人たちとコミュニケーションしながら、アート・クラブの人たちが絵を描きます。例えばアフリカ人のホームレスに、あなたのアフリカの思い出を描いてくださいというような感じで、思い出や日常生活の話なんかも交えながら描いていく。そのTシャツは絵を依頼した人が買い、材料費を差し引いた後、半分のお金がホームレスのオーガニゼーションに、残り半分を絵を描いたホームレス本人が受け取ります。「ピース・オブ・ホーム」というプロジェクトでも、プラットホームになる服のパターンを私が何種類かデザインしました。ホームレスや一般の方々を含めたワークショップの参加者に、そのパターンをベースに、絵を描いてもらったりしたものを好きなように切り取り、オリジナル・デザインの洋服を作ってもらいました。ホームレスの作る服は、内側に小銭の隠しポケットがあったり、雨よけのフードがついたり、とても機能的なデザインでしたが、一般の方々は、機能よりもファッション性を追求したアバンギャルドなデザインが多く、その違いが面白いと思いました。ワークショップの最後に、参加者自身がデザインした服を本人に着てもらって、ファッション・ショーをしました。このファッション・ショーをしたときに、リチャード・キャメロンに「ホーム」(home)という曲を提供して頂きました。この曲のテーマは、“どこか遠くにある場所で、思い出せない、でも、どこにでもなりうる場所”という感じの、とても幻想的で哲学的なイメージです。ファッション・ショーは、シニカルなユーモアを交えて、一般のファッション・ショーのように、キャット・ウォークも作り、オランダのパレス(王宮)の正面で行いました。ファッション・ショーが終わってから、たくさんのホームレスが、こんなに大勢の人から拍手をもらったのは生まれてはじめてだと、笑顔で話してくれたことは今も心に残っています。


『ホームレスホーム・ファッションショー』
year:2004 「ホームレスホーム・プロジェクト」、ダム広場、アムステルダム
photo:ゲルトールック・ヴァン・ポエリェ
copyright:Tomoko Take

ただやっぱりホームレスというテーマを扱うのは、日本では難しいと思います。プロジェクトを続けていくと、誰がホームレスなのか、何がホームレスの定義なのか分からなくなる。本当にわからない。興味深いことにオランダには、日本で言われている“ホームレス”という意味合いの言葉がふたつあり、一つは、「ダックロース」(dagloos)で、日本語に訳すと“屋根のない人“という意味合い、もう一つは「タウスロース」(thuisloos)、こちらは ”家のない人“という意味です。日本の感覚で考えると、どちらも同じに感じられますが、オランダにいるホームレスは、これらの言葉にとてもこだわっています。オランダの ”ホームレス“はよく“僕はダックロースだけれど、タウスロースではない”と口癖のように言います。屋根のある住居はないけれど、住むところはあるといったフィジカルな側面と、 屋根のある“家”はないけれど、心の居場所という意味での家はあるといった精神的な側面の両方を意味しています。こうした言葉にカルチャーショックを受けて、改めて自分にとってのホームというのは何かということを、深く掘り下げていくきっかけになりました。 2005年の9月に、アムステルダムのダム広場で行った「ホームレスホーム・プロジェクト」の中で「ピース・オブ・ホーム」から派生した「メッセンジャー」(messenger)というプロジェクトでは、「ピース・オブ・ホーム」の服のパターンを使って、参加者の方々に、人々に伝えたいメッセージを、自分の好きな言語で書いてもらった後、パターンを自由に切り取って、各自デザインをしてもらいました。ワークショップの最後には、それぞれデザインした服に着替えてもらい、人々に伝えたいメッセージを、メッセンジャーとしてパブリックに言葉を使って表現しました。このプロジェクトを行ったのが、偶然にも9月11日だったので、言葉を使ってダイレクトに伝えたいメッセージがあるのではと思ったんです。イラク出身のホームレスの書いたメッセージは、イラクの言葉で“ラブアンドピース”です。オランダ人のホームレスのメッセージは、オランダ語で、日本語に訳すと、“僕のそばにきて、いつでもあなたのそばにいるから”という意味でした。毎日が忙しく過ぎて、日頃から大切な何かを感じていながらも、なかなか人に伝えたり、かたちにするチャンスがない。 それどころか、大切だとか伝えたいと本当に思っている人にさえ、なかなか伝えることができない。このメッセンジャーというプロジェクトは、そんな心の中の大切な何かを人々に伝えて、みんなで共有できればいいなと思ったためです。2006年4月には、アムステルダムでホームレス・ディ(Homeless day)があり、そこで「ピース・オブ・ホーム」のプロジェクトを新しいかたちで行なう予定です。

岡部:武さんは来年と再来年の2年間、文科省から奨学金をいただくことになったそうです。何か新たなプロジェクトをなさるのですか。

タケ:映画を撮りたいと思っています。フィクションの映画を撮りたいと10年以上も思っているのに、なぜか撮れなかった。今回は棚からぼた餅のように幸運が落ちてきたから、ようやく映画を撮る時期が来たのかなと思っています。

岡部:どのようなストーリーになるのでしょう。以前考えていらしたストーリーとは変わらないのでしょうか。タイトルは?

タケ:まだ決まっていません。ストーリーは変わると思います。今はオランダに住んでいるので、オランダ・ロケにしたいと思っています。これからシナリオを書いて、じっくりロケ地を探そうと思います。たぶん3年くらいかかるかもしれない。役者なんかもオーディションしたいですし、納得できるものをつくりたいと思っていますから。

岡部:きょうは長い時間、どうもありがとうございました。
(テープ起こし:井上未羽)

注釈1

チコ・トコ・プロジェクト(Chiko & Toko Project)

Chiko & Toko Character
チコとトコは本来、オランダのミュージシャン、アーリン・アンド・キャメロン (Arling & Cameron) の曲、『ウィ・ラブ・ダンシング!』(We love dancing!)のボーカルを担当したことがきっかけで誕生し、これらのキャラクターは、タケ トモコの手によって生み出された。そして現在では、同じくオランダ在住のアーティスト、渡部 陸子とのユニット、『チコ・トコ・プロジェクト』となった。チコとトコのキャラクターがアーティスト自身そのものであるため、彼女たち自身の性格をチコとトコの性格にも反映させた。こうして、愛くるしい2次元のボディに無表情な笑顔のキャラクターに、本来のフレンドリーで好奇心旺盛な性格が加えられ、独自のチコ・トコ・ワールドが誕生した。現在に至るまでの様々な活動において、チコとトコは『解決できない問題はない』というポジティブなメッセージを世界中の人々に送り続けている。

Chiko & Toko Project
『チコ・トコ・プロジェクト』はアートという表現を基本とした、インスタレーション、絵本、デサイン、ファッション、グラフィック、パフォーマンス、更にはミュージック・ビデオクリップやキャラクター・グッズ、子ども向けのワークショップなど、その活動は多岐に渡っている。このプロジェクトにおけるあらゆる活動は、インタラクテビティそして親しみやすさがベースとなっているので、子ども自身のレベルでも充分に理解出来、多角性を持ったコミュニケーションが可能である。それに付け加え、大人であっても充分に楽しめる多様性のあるプロジェクトである。また『チコ・トコ・プロジェクト』はアートのためのアート活動ではなく、現実の世界の『今』を生存し、人々と共有するための活動である。これらの活動は、大きな理論や理屈ではなく、現実的に我々の世の中で起こり得る大きな問題と、その状態や変化に対応した小さな解決法を編みだすための鍵を握っている。それゆえチコ・トコ・ワールドが、現実の世界とのインタラクティブなコミュニケーションを可能にするために、多種多様な形態のプロジェクトを多岐にわたる手法で表現している。また既存のアート・スペースのみならず、公共施設をはじめとしたユニークな空間でプロジェクトを展開している。

注釈2

チコ・トコ・プロジェクト(Chiko & Toko Project)

展覧会名:『ガール!ガール!ガール!』(Girl! Girl! Girl!)
プロジェクト名:『ゴー・ベリー・ワイルド!』(Go berry wild!)
展覧会場:東京オペラシティアートギャラリー、東京
展覧会期:2003年8月―10月

東京オペラシティアートギャラリーでのグループ展で、新作パフォーマンスとワークショップ、インスタレーションを制作した。展覧会スペースでは、『チコ・トコ・プロジェクト』のオリジナル絵本『ネピュー』(Nepue)からデザインされた、7つのユニークなコスチュームが吊り下がっており、それらのコスチュームを着た子供のモデルの写真が3枚展示されていた。インスタレーション中央の床には、直径4mもの大きなギター型のオブジェが展示され、子ども達はテーブルとしてお絵描きに使用したり、よじ登って遊ぶことができた。このギター型のオブジェも『ネピュー』のお話から制作されたもので、子どもたちがぶつかっても安全なように、フェルトの布でくるまれている。もうひとつの大きなオブジェは、直径2m、幅1、5mの同じくフェルト製の本型オブジェで、この中にはフェルトや布、刺繍で描かれたドローイングや、たくさんの透明ポケットが仕組まれており、本のように1枚ずつページをめくることができる。展覧会スペースに訪れた人々は、この透明ポケットに彼ら自身のメッセージやドローイングを展示し、代わりに、別の人のメッセージやドローイングを透明ポケットの中から、持ち帰ることができた。またパフォーマンスやワークショップの様子もビデオで見ることが出来た。

注釈3

チコ・トコ・プロジェクト(Chiko & Toko Project)

展覧会名:『チコ・トコ・クッキング!』(Chiko & Toko Cooking!)
展覧会場:アムステルダム市立美術館ビュロー・アムステルダム
展覧会期:2000年7月―8月

オランダ市立美術館ビュロー・アムステルダムでの個展で、子ども達を対象としたクッキング・ワークショップと新作インスタレーションを制作した。展覧会スペースでは『チコ・トコ・プロジェクト』のオリジナル絵本『エルナ』 (Eluna)、そしてこの絵本のお話の中からデサインされたキッチン、クッキング・コスチュームとそれにまつわるインスタレーションが展示された。このクッキング・ワークショップは、8人の子ども達とチコとトコ、そしてそれぞれのメニューを手がけるシェフ(前菜、スープ、サラダ、メイン・ディッシュ、デサートと、毎回異なるシェフやパフォーマーなどのクリエーター)を招待し、1品ずつ計5回のワークショップを行った。これらのワークショップは一般公開され、誰でも自由に見学することができた。ワークショップの最後に、チコとトコ、そしてワークショップに参加した8人の子供達が、一緒にフルコース・メニューを制作し、『わたしたちのレストラン』と題して、レストラン形式の展覧会スペースに一般客を招待した。各回のワークショップ終了後、展覧会スペースにはワークショップの様子がビデオや写真で展示された。またワークショップ参加者の8人の子ども達のキャラクターが、コンピューター・ドローイングで描かれた後、これらのミニサイズのキャラクター人形を制作し、出来上がり次第、順次スペースに展示された。プロジェクトで使用されたキッチンは、今回のワークショップに参加する年齢(9才から12才まで)のオランダの子ども達の平均サイズに合わせて、アーティスト自身がデサインした。もちろん、通常のキッチンのように、水道やガスコンロ、ガスオーブン、冷蔵庫も使用できるが、キッチンの形態はスペースと目的にあわせて、自由自在に変形が可能である。さらにキッチンの各扉を開けると、先述のミュージシャン、アーリン・アンド・キャメロンが、このキッチンのために特別に作曲した音楽が聞こえてくる。また彼らは今回のプロジェクトの為に、クッキング・テーマ・ソング『チコ・トコ・クッキング!』(Chiko & Toko Cooking!)を作曲し、チコとトコがボーカルを担当した。このキッチンはインスタレーションとして、週ごとに形を変えて展覧会スペースの中央に展示され、訪れた人々はカラフルなインスタレーションを目で楽しむのみならず、キッチンの様々な仕掛けを手で触れて楽しむことが出来た。また展覧会のオープニング・パーティでは、子ども達とチコとトコが『エルナ』のお話の中からデサインされたクッキング・コスチュームを身にまとい、前菜のメニューをその場で調理し、展覧会スペースに訪れた人々にもてなすといったパフォーマンスを行った。

注釈4

チコ・トコ・プロジェクト(Chiko & Toko Project)

展覧会名:『ガール!ガール!ガール!』(Girl! Girl! Girl!)
プロジェクト名:『ネピュー・パレード』(Nepue Parade)
展覧会場:東京オペラシティアートギャラリー
展覧会期:2003年8月4日

『ネピュー・パレード』のライブ・パフォーマンスで、ブラスバンド・チームが生演奏を行うため『ウイ・ラブ・ダンシング!』を子どもブラスバンドの演奏用に編曲した。このブラスバンド・チームは、青山学院中等部ブラスバンド部の11人の子どもたちで構成されていた。ライブ・パフォーマンスでは、チコとトコ、そして7人のモデルの子どもたちが『ネピュー』のお話からデザインされたオリジナル・コスチュームを着て、ブラスバンド・チームの生演奏にあわせて、チコとトコがこの曲を歌いながら、7人(6歳―9歳)の子どもたちと一緒にファッション・ショー形式のパレードを行った。

注釈5

チコ・トコ・プロジェクト(Chiko & Toko Project)

展覧会名:『ガール!ガール!ガール!』(Girl! Girl! Girl!)
プロジェクト名:『ネピューの音楽』(Sound of Nepue)
展覧会場:東京オペラシティアートギャラリー
展覧会期:2003年8月5日

『ネピューの音楽』と題したワークショップは、『チコ・トコ・プロジェクト』の絵本『ネピュー』をスライドで見せながら、チコとトコが自らの『ネピュー』のお話の朗読から始まった。ワークショップに参加した子ども達に、お話を楽しみながら、絵本に登場する歌を歌う宇宙植物、『ネピュー』の音を自由に想像してもらった。それから木製の手回しオルゴールの専門家と作曲家を招いて、使用方法や作曲の仕方などの基礎的な説明を受けたのち、用意された厚紙にパンチを使って穴を開けて自由に音楽を作曲し、さらにその上にドローイングと曲名、そして各自の名前を描いた。このワークショップは、一般公開されていたので、展覧会に訪れた人々も、自由に子どもたちと一緒にワークショップに参加することができた。ワークショップの最後には、参加者全員が各自作曲した『ネピュー』の音楽を発表をした。ワークショップの後、参加者の8人の子ども達と、木製の手回しオルゴールの専門家と作曲家のミニサイズのキャラクター人形を制作した。これらの人形は、このワークショップが終了した2、3週間後に、3台の木製の手回しオルゴールと共に、既に展覧会スペースに展示されていたチコとトコのキャラクター人形のとなりに設置された。またこれらのキャラクター人形の下には、子どもたちがワークショップで各自作曲した、穴の開いた厚紙(オルゴール紙)もあわせて展示されており、訪れた人々は展示されているオルゴールを自身の手で回して、子どもたちの作曲した音楽を聞くことができた。

注釈6

ダッチ・ワイフ/ダッチ・ライフ プロジェクト(Dutchwife/Dutchlife Project)

Dutch wife/Dutch life Project
システム化された現代社会においては、あらゆる『個』の情報が商品として成立し得るが、それと同時に、そこに存在する本質的な意味での自己としての価値観は瞬間的に抹消されてしまっている。むしろここで必要とされるのは、もはや本来の自己としての『個』でなく、社会のシステムとしてのパーツとしてのみ機能する『個』である。『ダッチ・ワイフ / ダッチ・ライフ プロジェクト』は、現在の社会システムの中で、『個』が『個』として本来の価値観を持ちながら、いつの時代においても、多様な方向性を持ったレベルでのリアルなコミュニケーションを構築するためのキーワードを提示している。このプロジェクトの主題となっているダッチワイフという言葉は、このような現代社会のモデルを反映しているといえる。またこの言葉の意味は、大衆的でありながらも、時代や国境という枠組みを超越した社会システムに対する本質的な概念を内包している。現代においても、視覚的にセクシャリティから派生したひとつの社会的シンボリズムとしての役割を果たしていると言える。この『ダッチ・ワイフ/ダッチ・ライフ プロジェクト』の中でも、ドキュメンタリー・ビデオ・シリーズ『ダッチ・ワイフ / ダッチ・ライフ』は、それぞれの登場人物によって、手探りで個人的な記憶や経験に基ついてストーリーが展開しながら、自己にとって本当に必要な価値観を再確認していく。さらにこれらの自己との対話を軸として、それぞれの登場人物が、その時々に必要である価値観だけを個人的に選択していく。こうした個々のアイデンティティについて再考察する作業は、今まで出会うことのなかった自己と直面し、他者との新しいコミュニケーションを手探りで構築していく。そしてそれぞれの登場人物が、今までにない自分自身に出会い、変容していく過程をドキュメンタリーベースで表現している。また『ダッチ・ワイフ / ダッチ・ライフ プロジェクト』では、多様な方向性を持ったレベルでのコミュニケーションを構築するために、作品の形態や手法は常に変容し続けている。インスタレーション、ビデオ、グラフィック、ファッションやデザイン、パフォーマンスなど、次世代に向けたコミュニケーションの構築するために新しい表現方法を探究している。

注釈7

ダッチ・ワイフ/ダッチ・ライフ プロジェクト(Dutchwife/Dutchlife Project)

展覧会名:『今日の作家展2001、アーティキュレート・ヴォイス』
プロジェクト名:『ダッチ・ワイフ / ダッチ・ライフ プロジェクト2001』
展覧会場:横浜市民ギャラリー
展覧会期:2001年9月
横浜市民ギャラリーでのグループ展で新作インスタレーションを制作した。

『ダッチ・ワイフno.18、ダッチ・ワイフ制作キット(タケトモコ・タイプ)』
(Tomoko Take type Dutch wife no.18 pattern sets)
アーティスト自身の身体をパーツごとに採寸し、正確なサイズを割り出した4枚1セットのオリジナル・パターン原型で、綿100%のコットン・バージョンと半透明の塩化ビニル製のPVC・バージョンの2種類がある。PVC・バージョンには顔がないが、コットン・バージョンは、購買者自身が顔を選択することができる。顔はアーティスト自身の顔、もしくは自分の嗜好に合わせた写真を自由に持ち込みが可能である。希望する顔の写真を持参すると、アーティストがコンピュータで描画・変形を施し、人間とダッチワイフの中間のようなオリジナルの『ダッチ・ワイフ』の顔を制作し、共布にプリントし完成させる。これらのプロセスは一般公開され、ライブ・パフォーマンスとして『ダッチ・ワイフ・ショールーム』と題した展覧会スペースで行われる。

『ダッチ・ワイフno.18、コードネーム:デルフィン』
(Dutch wife no.18,codename: Delphine)
『ダッチ・ワイフno.18 ダッチ・ワイフ制作キット』のコットン・バージョンと PVC・バージョンの2種類のパターン原型を組み合わせて、近未来のイメージを持つ、コスチューム・タイプの『ダッチ・ワイフ』としてデサインされた。またこの『ダッチ・ワイフ』は、実際にパフォーマンスなどで身につけるので、身体のパーツが自由に動かせるよう、本物のダッチワイフのパターンをベースとしながらも、身体のラインに自然にフィットするように、細部に立体裁断の手法を加えてシンプルかつ機能的に制作されている。

注釈8

ダッチ・ワイフ / ダッチ・ライフ プロジェクト(Dutch wife / Dutch life Project)

展覧会名:ダッチ・ワイフ/ダッチ・ライフ プロジェクト 2002
展覧会場:スキーダム市立美術館
展覧会期:2002年6月

オランダのスキーダム市立美術館での個展で、新作ライブ・パフォーマンスとインスタレーションを制作した。ライブ・パフォーマンスは、15人の異なるボディサイズ、幅広い年齢(18歳―80歳まで)層の様々な肌の色を持った女性パフォーマーが、歴史の趣を感じる古いドーム型ルーフを持つ展覧会スペースで、観客に向かって全裸で立っている。その背後に別の15人の縫製パフォーマーが、業務用ミシンの前に座ってダッチワイフ・コスチュームをパーツごとに縫っている。そしてパーツがひとつ出来上がり次第、それぞれ席を立ち、15人の縫製パフォーマーが15人の女性パフォーマーに、1つずつ出来上がったパーツをリアルタイムで着せていく。これらのダッチワイフ・コスチュームは、オランダのファッション・デザイナー、アレキサンダー・ヴァン・スロベ (Alexander van Slobbe)が、1つ1つ異なる15通りのデザインをした。パフォーマンス音楽のライブDJは、ミスター・アンド・ミセス・キャメロン(Mr.& Mrs. Cameron)が担当した。単調で機械的な業務用ミシンの音と、繊細で、時にはドラマチックなメロディの音楽が、パフォーマンスに彩りを添えていた。このパフォーマンスの音楽は、パフォーマンスの進行状況にあわせてその場でミックスされた。パフォーマンスの終わりには、15人の女性全員がすべてのパーツを身につけ、異なる色やデザインの15体の『ダッチ・ワイフ』が完成品となった。展示用のインスタレーションは、ライブ・パフォーマンスのドキュメンタリー・ビデオ、パフォーマンスで出来上がった『ダッチ・ワイフ』のコスチュームとアーティスト自身を型取りした原寸大のマネキン、15体の『ダッチ・ワイフ』のパターン、そしてこの『ダッチ・ワイフ』をデザインするアレキサンダー・ヴァン・スロベのプロセスを追ったドキュメンタリー・ビデオ、『ダッチ・ワイフの作り方』(How to make Dutch wife?)、『ダッチ・ワイフ』の制作過程の写真10点で構成された。

注釈9

ホームレスホーム・プロジェクト (homelesshome Project)
展覧会名:ホームレスホーム・プロジェクト
展覧会場:ニューマルクト広場、ダム広場、アムステルダム
展覧会期:2003年4月15日、2003年5月18日、2004年6月20日

『ホームレスホーム・プロジェクト』は『あなたにとってのホームとは?』という疑問の周辺で、常に変容し進化していく。身体的な意味での『ホーム』を持つ人々と、持たない人々、または精神的な意味での『ホーム』を持つ人々と、持たない人々の間で、インタラクティブなコミュニケーションの構築を容易にするためのプロジェクトである。このプロジェクトは、アーティストが2003年にオランダのローマ賞を受賞したことを契機に開始され、アムステルダムをはじめとする様々なパブリック・スペースで展開されている。このプロジェクトのシンボルである、直径16mの大きな白いテントを中心に、オリジナルのオーガニック・カフェやワークショップ・スペースがあり、訪れた人々は自由にワークショップに参加することができる。プライベートとパブリック空間のはざまに存在し、社会的かつ文化的な側面に横たわる『ホーム』と『ホームレス』という概念や、人々の社会的/文化的役割、また日常生活における環境、例えば、家と食物、衣類と保護の価値など、様々な役割を再考するために、単なるコミュニケーション・ツールとして機能している。おいしい食事を一緒に食べること、想像力をかきたてるような小さな出来事、そして、たわいもない話をする時間。そういった中で、人々の心の温かさに触れて、誰もが持っているクリエイティブな想像力を確認し、自分の居場所、そして自分にとっての『ホーム』を思い出すことが、このプロジェクトの重要な軸となっている。さらに表面的な出来事や現象、既存の社会制度を新しいアングルでとらえた独特のアプローチは、人としてどう生きるかという根本的な問題や、社会に横たわる様々な問題に疑問を投げかけている。

『ホームレスホーム・カフェ』(Homelesshome cafe)
手作りの無農薬/有機栽培の食べ物や飲み物を食べながら、ホームレスと一般の人々が自然にコミニュケーションできるようにと作られたオープン・カフェ。絞りたてのフレッシュ・ジュースや野菜を中心としたサンドイッチやキッシュなど、歯のないホームレスやお年寄り、また野菜不足の一般の人々も手軽においしい食事を楽しむことができるメニューがある。

『Tシャツ・プロジェクト』(T-shirts Project)
アーティスト自身がデザインしたオリジナルのTシャツに、ホームレスが一般の人々とコミュニケーションしながら絵を描いていく。このTシャツは10ユーロで販売され、Tシャツの売上金は材料費を差し引いた後、絵を描いたホームレスとプロジェクトに参加したホームレスのオーガニゼーションで折半される。

『ピース・オブ・ホーム』(Piece of home)
アーティスト自身がデザインしたオリジナルのパターンから、自由なかたちに切り取って、自分のカスタムメイドのオリジナル・デザインの衣服を制作できる。これらのパターンは夏用/冬用の生地があり、異なるデザインとサイズや色などワークショップの参加者自身が自由に選択することが出来る。この『ピース・オブ・ホーム』ワークショップは、ホームレスのみならず、一般の人々も参加することができる。ワークショップ終了後には『ホームレスホーム・ファッション・ショー』と題して、ワークショップの参加者全員がそれぞれ制作した服を身にまとい、オリジナルの曲にあわせて、キャットウォークを歩くといったファッション・ショー形式で、観客に披露される。ファッション・ショーの後、制作した衣服は、ワークショップの参加者が各自持ち帰ることができる。

参考資料
タケ トモコ(英語と日本語):http://www.tomokotake.net*2006年7月開設予定
アムステルダム市立美術館ビュロー・アムステルダム(オランダ語と英語):http://www.tomokotake.net
オランダで活躍する日本人(日本語):http://www.tomokotake.net 
ライクス・アカデミー(オランダ語と英語): http://www.tomokotake.net
ヤン・ファン・エイク・アカデミー(オランダ語と英語): http://www.tomokotake.net
ローマ賞(オランダ語): http://www.tomokotake.net
アーリン・アンド・キャメロン (英語):  http://www.tomokotake.net
ミスター・アンド・ミセス・キャメロン(英語):http://www.tomokotake.net
バスター・レコード(英語):http://www.tomokotake.net
アレキサンダー・ヴァン・スロベ (英語):http://www.tomokotake.net



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