culture power
artist 高嶺格/Takamine Tadasu
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
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インタヴュー

高嶺格×岡部あおみ

課外講座 高嶺格(アーティスト)×岡部あおみ      

学生:芸術文化学科1年、2年を中心にその他武蔵野美術大学他学科の学生、助手、教員など
日時:2009年10月19日
場所:武蔵野美術大学一号館104室

岡部あおみ:私が高嶺格さんの作品を初めて見たのは、11年前パリの国立高等美術学校、ボザールの展覧会場で行われた「どないやねん」という展覧会でした。当時2年間ほど、ボザールで日本の文化と芸術に関する講義を担当していた頃で、高嶺さんの作品はかなり激しいヴィデオでインパクトを受けました。それからしばらくして、私がカナダのバンフにあるレジデンスに日本のアーティストを推薦するプロジェクトを手掛けている頃に一度、高嶺さんからコンタクトがあり、また私のほうでもムサビに一度お招きしたいと思って2005年にコンタクトをとったことがありました。
高嶺さんご自身が『在日の恋人』というご著書で書かれている、京都ビエンナーレで旧炭坑の中での仕事をされた作品の後、横浜トリエンナーレにも出品し、次々と国際展に参加されていた時期でしたので、残念ながらムサビでのレクチャーは実現できず、4年目にして今年とうとう実現できたので、私はとてもうれしく思っています。
幸運にも去年は、山口県立美術館で美術審査をご一緒する機会があり、そのとき山口情報芸術センターでは大友良英さんとのアンサンブルで、大規模な展示も行われていて、興味深く見させていただきました。山口の後、昨年の11月にせんだいメディアテークで行われた「大きな休息」という個展は、さまざまな反響をよび、今はちょうど富山県立近代美術館で「I believe」展というグループ展が開催されており、巨大なインスタレーションを行ったばかりで、これからバンコクでも展覧会があるそうです。

「大きな休息」のカタログを読むと、この展覧会に行くことができなかった人でも高嶺さんの問題提起のあり方が分かると思うので、ぜひおすすめの本ですが、京都ビエンナーレで出品なさった「在日の恋人」と関連した同タイトルのエッセイ『在日の恋人』はとても面白い本で、これからアートに関わる人にはいろいろな意味で啓発され考えさせられるところがあると思うので、最初の部分を読ませていただきます。

「あなたのその、在日に対する嫌悪感は、なんやの?」とKは言った。僕はその質問に答えねばならなかった。それは2003年の1月のことだった。それから1年後、彼女は妊娠した。その質問は、僕に、まるで日本人を代表するように迫った。僕とKとの関係、6年間もつきあっていたこの関係において、そんなことははじめてだった。在日に対する嫌悪感。彼女にその印象を与えてしまったものは、何か?困惑しながら、僕はその難問に答えようとした。どうしても「自分」を肯定する必要があったのだ。」と始まる本です。非常に臨場感があり、作品を見られなかった人たちにも、多くのことが伝わると思います。今日は多岐にわたる高嶺さんの活動を知るすばらしい機会になりますね。
略歴ですが、まず京都市立芸術大学を卒業されてから、岐阜県にある、IAMASという国際情報科学芸術アカデミーを出られて、今は京都造形芸術大学で教えていらっしゃるのですよね。では、高嶺さん、どうぞよろしくお願いします。

01 「どこに暮らそうか?」

高嶺格:こんにちは、高嶺です。僕は大学でちょっと教えてたりもしたんですけど、最近辞めたので、こんな大勢の前で話すのは久しぶりです。 前に京都造形で持っていた授業は舞台の学生に対する授業だったんですけど、僕は舞台の専門ではないけれども美術と舞台の境界線にいるみたいな、そこが珍しがられていたんです。

辞めたのは、普通は何年もやってると人前で話したりするのがだんだんうまくなるものだと思ってたんですけど、僕の場合は反対で、最初の年はすごくうまくいってたのにだんだん上手くなくなっていって、どんどん自信もなくなって、人に教える才能がないという結論に達したからで、自分の才能に可能性を感じたらまた始めるかもしれないですけど。 今日、この講義のタイトルを何にしましょうかって聞かれて「どこに暮らそうか?」というものにしたんですけど、本当に単純に、いま、自分がどこに暮らそうかって考えているからなんです。

職業柄、別にどこに住んでいてもいいんです。日本でもいいし日本じゃなくてもいいし、日本の中でも都会に暮らしてもいいし、田舎に暮らしてもいい。選択肢がありすぎて、どこに住むかと言うのがなかなか決められない。「どこに暮らそうか」は、自分がどう生きていくのかを決める作業で、それ=コンセプト、コンセプトって、普通にみんな言いますけど、それって、どこに暮らそうかっていうのと同じ意味だと思うんです。いちいち作品のコンセプトを人にきっちり説明できないといかんという強迫観念があるような気がしますが、特に必要ないと僕は思ってます。つまり、どこでどんな暮らしをしたいと思っているのか、ということ。それが作品に反映されているならば。

僕は、特に決まった得意分野があるというわけではなく、作ってるものはバラバラです。発表する機会によって何をするか決めるんだけど、それは、美術館でやるのか、ギャラリーでやるのか、劇場でやるのか、1人でやるのか、誰かと一緒にやる作品なのか、どんな客が来るのか。そうすると結果的にバラバラな作品になる。その場所で効果があるのは何か?を考える。

02 仙台メディアテーク「大きな休息(明日のためのガーデニング 1095)」

仙台でやった個展です。これがメディアテークの外観なんですけど、伊東豊雄さんが作った、かなりユニークな建物です。この白いチューブみたいなのが一階から上までズバっと通っていて、それが天井と床を支え上げるという特殊な構造、周囲の壁が全部ガラス。そこに力をかける必要がない形。

僕が展覧会をやることになった6階のギャラリースペースというのは、この写真は何もない状態ですけど、つまり、何もない空間がすごくきれいなんですよね。ここに何か置いていく、壁を作って仕切るとかしていくと、空間の抽象性が損なわれて、どんどんダメになっていく。つまり中途半端にモノを置けない空間なんです。チューブもすごい存在感で、これに勝つには、これに負けないくらいの大量のモノを持ってきて、埋没させるほかない。じゃあ何を持ってくるかを考えたんですけど、もし素材が見つかったとして、大量に持ってきたものを1ヶ月だけ使ってまた捨てるのはどうよ、と。展覧会で、特にこういう大型の部屋とかを与えられたときに、それを埋めるという発想をやめたいなと思った。埋める発想自体はもしかしたらいろんなことに言えるかもしれない。日本全国にいっぱい「ハコ」がありますけど、箱があるから中を埋めていかないといけない発想があると思うんですね。作ってしまったハコを埋めるために労働している、そういうことがいろんな場所で起こっているんだろうなと。この空間をどう使うかというときに、そんなことについて考えてしまいました。

仙台メディアテーク外観
©せんだいメディアテーク


仙台メディアテーク内部空間
©せんだいメディアテーク

この展覧会は、「大きな休息(明日のためのガーデニング1095)」というタイトルでやったんですけど、この空間に対しての答えは、廃材で空間を構成して、その廃材とチューブが同じ価値に見えるようにすることでした。「ゴミ」と「伊藤豊雄作品」が同等に見えるように展示する。そうやって組んだ空間を、目の見えない人に案内されながら鑑賞する。 入っていきますと、まず白布で作られたトンネル状の通路をくぐり、それが開けると、着物を縦に開いてパネル状にしたコーナーに出ます。 下に青いラインが敷いてありますけど、これは眼の見えない人のためのガイドライン。

※着物のコーナー※
仙台のボランティアスタッフの中で、実家をもうすぐ解体するかもしれないと言う人に出会って、ぜひ家を見せてください、で、その家を私達の手で解体しますから、使わせてくださいとお願いしました。家の廃材のほかに、着物とか毛布とか、家にあったものをいろいろもらってきて、それを再構成しています。通路を抜けると、結構スカスカで、全体が見渡せるんです。スカスカすぎて、視覚的にこれだけで展覧会として成立するかと言うと、ガイドツアーなしでは多分キツい、ただ、見渡せるんだけれども、太鼓の音がドーンドーンと鳴っていて、それにシンクロして照明をつけたり消したりしているので、全体がなんとも不安定な感じではある。

※六ヶ所村の映像※
青森の六ヶ所村から海に向かって糸がフワ〜と出てる。みなさんご存知と思うけど、プルトニウムの再処理施設で、これが本格稼働すると仙台はもちろん、多大な影響が出ると予想される施設です。で、知ってる人が見ると六ヶ所村のことを表現しているんだなと思うと思うんですけど、ガイドの人に僕がお願いしたのは、六ヶ所のことを話す代わりに、プロジェクターに触って「これ、温かいですよね」と言ってくださいと。マニュアルとしてお願いしたのは、ここともう1か所だけ、あとはすべて全部お任せしています。

※塩ビパイプのコーナー※
ツアーの終わり近くですが、左にある塩ビパイプに透明な点字が貼ってあります。それをガイドが触って読むのですが、それはこの家の歴史で、何市何番、大正何年に母屋を建設、現在は更地、などという。観客はそれを聞くことではじめて、いままで見て来たものが解体された家の廃材だったということがわかる。

※敷石の作品※
これは1番最後の空間ですけど、風呂場で使われていた石です。砂岩系かな、この地方でしか取れない珍しいものだそうです。この石に、スタッフに各々お任せして、模様を彫ってもらっています。真ん中の石はコンクリのシンクです。裏返して色を塗り、ロウで磨いてツルツルにしてあります。ここだけ特別に演出が入っていて、目の見えない案内人に、最後にこの石を手で愛撫するようなアクションをしてください、とお願いしてあります。無言でモノを慈しむみたいなことをやってほしいなと思ったんですね。

で、作ってみてどういう効果があるのかは、半分意図的で半分そうではなかったのですけど、というのは実際にやってみて初めて分かったことが、この作品には結構たくさんありまして。 それは、世界全体を見渡して自分がどういう意見をもつか、みたいな、ある種批評性みたいなものがありますよね、展覧会という場所には。
それは作る側にもあるし、見る側にもあると思うんだけど、この展覧会の中では、視覚的には一応全体を見渡すことができるわけです。しかし、案内してくれる人は、指で触ったことについて解説している。こちらはもう見えているわけだから、いまさら触ってなにか違うかどうか、でも触らないと失礼かもしれないとか、そんな微妙な気持ちで見たり聞いたりしてて、実は特に触っても新しい発見があるわけでもないんです。で、ね、そうこうしていくうちに、自分が、「全体を把握している」という優位性が揺らぎ始めるんです。正確に言うと、「全体を把握しているというとはどういうことか?」という疑問が生じて来る。そうすると、例えば新聞を読んでいるときの自分の態度だとか、そういったことにも飛び火して、自分が常に「全体」を把握したいという欲求というか、強迫観念の中で生きているということに気づいていくわけです。自分が認識していると思っているこの世界が、どこに確信があるのか、なんとも居心地の悪い状態になってきたりして、そういうことが思わぬ効果でした。


「大きな休息(明日のためのガーデニング1095)」展 仙台メディアテーク©越後谷出

03 Twist and Shout: Contemporary Art from Japan タイ

※砂袋の家※
バンコクでもうすぐ日本の現代美術を紹介する展覧会があって、17人の日本の現代作家が参加します。僕の作品は、今からやるんでどうなるかわからないんですけど。 今年、タイのチェンマイに行ったときに知り合いになった人がいて、アーティストインレジデンスを自分で運営している人なんだけど、チェンマイからも離れたかなり辺鄙な場所で、ここで彼は砂袋で作った家をどんどん建てて、そこにアーティストを住ませているという、かなり珍しい場所なんです。電気や水道も自分で引いてるからね。 よくそんなことが自分でできるなと思って、どうやってるんだと聞いたら、「今やネットで質問するとみんな教えてくれる」って言うんですよ。家の作り方とか、みんながワーって教えてくれるって。それ聞いたら、僕もやってみたいなと思って、タイでは彼と一緒に作品を作ることにしています。 普通、家建てるとかいうと3000万とか4000万とかかかると思うから、一生に一度の買い物みたいに思っちゃうんですけど、これを見るともうタダみたいな値段で家が作れる。しかもこんな奇麗なものをつくれるんですよね。地震とかにもすごい強いって書いてある。人生設計みたいなもの、働いて働いて、家を買って、残りの人生はその借金のために働く。そんな常識がガラガラ崩れていく感じがします。日本だと、気候が違ったり建築の法律も違うので、同じようにはできないかもしれませんが、でも、新聞広告とかで刷り込まれた家の在り方に対して、そうではない方法もあるんだということを、みんなが普通にイメージできるようになればいいなと思います。


砂袋で作られたComPeungの建物、タイ

04 ダムタイプの仲間たちとのパフォーマンス

「生存権と開発権」映像
昔の作品をいくつか見せます。まず、これは20歳ちょっと過ぎくらいのときの映像です。3人でやったパフォーマンスですけど、真ん中が僕で、二人は女の子、大阪の通天閣の近くの日雇い労働者が住む場所に、白い何も書いてないプラカードをもって、おっちゃんたちに何か訴えたい事があったら書いてくださいとお願いして、書かれた言葉をもって歩くというものです。

ここには知らない方もいるかもしれないけど、ダムタイプというグループの「S/N」という作品があって、この3人は「S/N」のパフォーマンスに参加していたメンバーですけど、それと平行してなにか3人でもやってみないかということで始めたものです。街中でいろんなアクションをして、それを撮影したものを会場で流している中でやったパフォーマンスでした。

クラブで大勢とキスをしてる映像です。「S/N」という作品は、このときダムタイプのディレクターがエイズに感染していて、その中でいかに生きるかというのを大きなテーマにして作った作品ですが、大勢とキスをするというこの映像は、エイズはキスではうつらない「KISSING DOESNT KILL」という有名な言葉を実践してみたものです。
当時は街中で実際にパフォーマンスをやることの可能性を信じていたというか、どうなるのかという実験をやっていました。

05ニューヨークの居心地悪さ イーストビレッジでの服交換

※ニューヨークの映像※
本来は大きな声で何かをやったりするの結構苦手で、直接的になんかするのが苦手なんですけど、この頃はがんばってますね。NYで93年ですね。この映像は、NYでいろいろ撮影した中のひとつのソースなんですが、これ以外のソーズはお蔵入りにしてます。
これは、イーストビレッジの路上で服を売っている人がいっぱいて、そこへ出かけて、今売っている服と僕の着ているものを交換してほしいといって、どんどん交換していってます。
このときは2回目の渡米で、最近になってまた行きたいとは思うんですが、このときはすごく居心地がわるくて、自分が辺境から来た人間だということをいやというほど思い知らされた。英語もうまくしゃべれなかったし、話せないと人間扱いされないみたいな。
後から考えたらNYはまだマシなんで、アメリカの田舎とかはもっときつい。でもその中でへらへら生きてる日本人もいっぱいいて、それもまた居心地が悪い。エキサイティングなんだけど、ねじくれ曲がっている変な精神状態を、そのままヴィデオ作品にできないかなと思って、いろんな撮影をしていたんです。実はこの、服を交換するパフォーマンスの後に、ここで知り合った人なんですけど、レズビアンの女の人の家に行って、僕とその人が愛し合えるかみたいなことをやってみたんですね。裸になって。僕はヘテロ男だし、相手はレズビアンだし、そこに恋愛感情みたいなのは起こり得ないんですけど、恋愛じゃないけど、愛し合うみたいなことは可能なのかどうかをやろうと。服を交換した最後にどうして女の人の格好になっているかというと、このあとその人の家に行ったからなんですね。93年の映像です。

06横浜トリエンナーレ2005に参加して

「Kagoshima Esperanto」
2005年の第二回横浜トリエンナーレです。壁が8m立ちあがってて、横が16m、もう一方が11mほど、かなりでっかい作品です。お客さんは上から見下ろします。そこに、土と廃材と、家から持って行ったおもちゃみたいなもので底の部分を作ってあります。ところどころ、捨てられていた按摩器だとか扇風機だとか、電化製品なんかも埋め込んであります。
4台のプロジェクターで内部のほとんどの壁を覆うように投影していて、その光だけでインスタレーションを見せています。エスペラント語という20世紀初頭に作られた人工語と、僕の故郷の鹿児島弁で書かれたテキストが土に彫られています。いまやスタンダードというかインターナショナルな言葉というと英語になってしまってますが、英語がそうなる前に、人類統一語を作ろうと考えた人がけっこういるんですよ、何人も。その中で、エスペラント語は、ある程度、世界の中で普及した言語だったんですけれど、多分、いろんな政治的なことで英語が共通語になり、エスペラント語は廃れてしまう。方言にしても、日本に限らないと思うけど、たとえば僕の喋っている鹿児島弁は、父親の鹿児島弁に比べるとかなり東京語に近くて、まあ近い将来、完全に東京語に飲み込まれると思う。それに逆行する形で、たとえばイギリスで、1回消滅してしまった言葉をもう1回復活させて使うような例もありますが、とにかくこのインスタレーションは、そういう消えゆく言語を使って書かれています。なんかこう、国際展とかの時に、当たり前に英語の表記をするのが腹立つときがあるんです。で、たくさん文字があるんだけど、ほとんどの人がわからないというものにしたかった。なるべくおおげさに。


『鹿児島エスペラント』横浜トリエンナーレ2005

07 初めての映像作品

「inertia」
これは僕が初めて作った映像作品で、さっき岡部さんもおっしゃったんですけど、98年にパリでの展覧会に出品したものです。映像作品はいくつかあるんですけど、映像祭とかで発表したことはなく、いつも展覧会の中で出品しています。その時に心がけているのは、ストーリーがないように作るということです。美術館の中でも、1時と2時と3時から上映があります、という方法もありますが、要するに、展覧会にふらっと入った時に、それが映像の真ん中ぐらいとか、頭をちょっと見落としたとかいう場合がすごく嫌で、だから、美術館での映像作品の中では、いつ見始めても、いつ見終わってもいいような金太郎あめみたいな作り方をするのがマナーだと思っています。というか、作品をちゃんと見てもらうための知恵。

08 ダンスカンパニーとの協働

「Blackice」
金森穣くん率いるダンスカンパニー、Noismの舞台美術です。説明すると、ステージの上に菱形のスクリーンが1本立っていて、そこに映像が当たっているんだけど、このスクリーンの後ろにスポットライトが4つか5つ吊ってあって、それが1つずつ切りかわっていくんですね。そうすると、床に映るスクリーンの影の形は、スポットライトの位置によって変わる。で、どの形になっても、スクリーンの影にダンサーが入ると、そのダンサーの足跡がスクリーンに映るという仕掛けがしてあります。

「愛音」
もうひとり別のダンサー、寺田みさこさんとのコラボレーションです。泡を使っていて、これがだんだんと出て来るようになっています。最初はマイクの中から泡が出てきて、次に奥の椅子から、次に天井からも降ってきて、最後はステージ上が泡だらけになっています。


『愛音』寺田みさことのコラボレーション

09 アニメーション作品:God Bless America

最後に映像作品を一つ、「God Bless America」という作品です。
2002年に作った初めてのアニメーション作品で、それ以降アニメーションは作ってないので今のところ最初で最後の作品ですけど、90年代に二度ニューヨークに行った経験から、いつかアメリカをテーマとした作品を作らないといけないなと思っていたんですね。強大なアメリカという存在、日本人としてどうアメリカを捉え、それがどう表現できるか。そこに挑戦したかった。これは2001年の9.11の次の年で、ニュースもニューヨークの映像ばかりで胸くそが悪くて、そのときアメリカから送られてくる映像はすごくうさんくさいと思っていた。このままいくと、アメリカの愛国心がすごく危険になる、それでなくても愛国心がかなり高い国なのに、日本のメディアもそれを煽っているという風に見えた。
でも作品にするのは簡単でなく、何が難しいかというと、やっぱり自分が日本人だってことなんですよね。僕らは日米安保条約の中で生きているわけで、ほかの国から見たら、アメリカがいなかったら困るくせにと。何か文句があるならば、アメリカに文句言う前に、もっと自分の国の足もとから変えるべきであって、という状況があるわけです。そんなことを考えながら作った作品です。
※映像終わり※

10 質問など

岡部あおみ:興味深い映像やお話をありがとうございました。木村さんという身体に障害のある人への性的介護をテーマとする作品を制作されていますね。そのヴィデオ作品を横浜美術館のあるグループ展に出品されたら、結局、問題視されて不参加になるということ一件がありました。それについては、どう思われたのでしょうか。

高嶺格: 今日見せようかどうしようか考えたんですけど・・・若いうちに見た方がいいと僕は思っているので、自分の授業の中でもずっと見せていたんですけど、前後の話をけっこうしないと誤解される作品なので、今日はあまり時間ないかな、と思って。障害者だし、性器も映っているし、いろんな意味でリスクを伴う作品ではあります。でも、イギリスなんかでは公共の美術館でやったし、できないことはないだろうとは思っていますが。
横浜美術館からオファーがあった時に、やっと日本の美術館もここまできたか!ありがとうございます!とお受けしたんですけれど、ちょっと分からない経緯があって、やっぱりうちではできないという話になった。まあ、よんどいてできなくなったって話なんで茶番なんですけど、そのことから、日本の美術館は、館長にどれだけ権限がないかということも分かった。
まあ、でも、1回よんでくれたことがあるので、そのうちいつか、落ち着いてくれば、できるのではないかと思っています。

岡部: 金森穣さんなどの振付師やダンサーの方々とのコラボレーションで舞台美術を担当されていますが、ご自分でもパフォーマンス作品を手掛けてますね。そうしたパフォーマンス作品についてお聞きしたいのですが。タイの人が出ている1番新しいパフォーマンス作品について聞かせてください。 

高嶺: 出演者の方が来てくれています。

岡部: 少し映像を見せていただけますか?

高嶺: 舞台は美術作品を作るのとは全然違って、いや、全然違うわけではないんですけど、お互いに影響を与えあっている感じです。いま見た粘土のアニメーション作品って、いわゆるアニメーション作品としては出来がめちゃくちゃなわけですよ。とっても中途半端な形のまま放っておいたりする瞬間があったりする。いわゆるクレイアニメの世界の人から見たら、技術的にはなかなかひどいと言われると思うんですね。舞台もけっこうそう、普段はとても舞台にのっからないようなものを、いかに舞台として成立させるかというところに興味があるように思います。
今回の出演者が12人だったんですけど、経験のある人も数人いたんですけど、まったく未経験の人もいました。わざわざタイから素人を連れてくるというのが贅沢でしょ?美術作品ではまったくの未定で始めるのは無理ですけど、舞台の場合は、それができて、とりあえず人を集めて、シナリオも何もなく、何をするのか分からないという状態から、とりあえず動いてみたりして、その中で、今のおもしろかったね、とかそういう瞬間を集めて、最後に構成するということが可能です。かなりストレスのかかる作業なんですけど、実際にどうなるかわからないということから、集中力が要求されるんですけど、その分、できた時にとてもびっくりするのがいいです。
※映像終わり※

岡部あおみ:映像もありがとうございました。高嶺さんには今日お話しにでなかったさまざまな作品があり、いろいろ質問もあったのですけど、本当にお忙しいところを来ていただいて、これから15分くらいで打ち合わせに行かないといけないということですので、5,6分ほど質問の時間を取りますが、何かありませんでしょうか?みなさん、遠慮しているのかな?
それではこれで高嶺さんの講演を終わりにします。どうもありがとうございました。

(文字起こし:木村優子 中田莉央)