Cultre Power
artist 杉浦邦恵/Sugiura Kunie
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー

杉浦邦恵(アーティスト)×岡部あおみ

日時:2007年2月13日
場所:ニューヨークのアトリエ

01 鎌倉画廊での個展「color works」

岡部あおみ:杉浦さんは今、鎌倉画廊での2007年3月の個展の準備をされていていますが、制作の拠点はつねにニューヨークですね。

杉浦邦恵:今度の鎌倉画廊の作品は、カラーなんですよ。この間お見せした花のシリーズで、全部ラボで作っているんです。カラーは自分のところでは出来ないので。

岡部:実際の花を印画紙に置く方法で、フォトグラムを使われているのですよね。色もそのまま写るんですね。

杉浦:フォトグラムというよりはタイプCのプリントで、フォトグラムが基準だけど、その応用と両方で、白黒もあります。フィルターによって色が変わるのもあるし、時間によっても色が変わる。

岡部:実験を重ねたあげく、この間見せていただいた作品になったわけですね。線香花火みたいなかわいらしいのもありますね。

杉浦:『evanescence』という作品で、この色がずーっと消えていくんです。これが今度の展覧会のモックアップで、カタログの代わりに小さい本を出しています。出品点数は38枚で、小さいのは8インチから11インチ。大きいのは30インチx40 インチ。『evanescence』は8x11インチが20枚。

岡部:これは20枚のシリーズで、一点一点のバラ売りはできないんですね。

杉浦:そう、全部じゃないと全然意味がない。ガーベラも4点で一組。時間で色が変わるのも4点一組。色と時間を考えてもらうのが私の考えです。


鎌倉画廊 個展 2007 color works
©Kunie Sugiura, photo Aomi Okabe


「evanescence 2005-06 type C」
©Kunie Sugiura, photo Aomi Okabe


「Gerbera 4 times 2005-06 type C」
©Kunie Sugiura, photo Aomi Okabe

02マウントのこだわり

岡部:写真をマウントする場所は、杉浦さんのスタジオがあるカナール通りの近くにあるのですか?

杉浦:カナールから1つか2つ南で、歩いて持って行ける所です。チャールス・グリフィンという人がいて、杉本博司さんを中心にやっているんですけど、シンディ・シャーマンとか写真のアーティストはみんな彼のところに行きますね。焼いてもくれるし、白黒の大きなプリントが一番まわるし、でもその他にデジタルもやっています。私はマウントや額に入れる作業は自分でもやりますが、チャーリーもアーティストだった人だから、繊細なところが分かるので、マウンティングをやるところも何箇所かあるんだけど、チャーリーのところだとクオリティがいいから、みな行くのね。

岡部:カナール通りには、パールという画材屋さんがあるので、アーティストたちも、あの辺をウロウロしていますね。(笑)ニューヨークで写真のマウントを頼むと、どのぐらい時間がかかるのでしょう。

杉浦:私のカラーのラボも、チャーリーの前のビル。だからあの辺にゴロゴロって提げて行けば、みんな持って行けて、地下鉄にも乗らなくていい。チャーリーが引き受けて下請けの人に出すのに時間がかかるけれど、私たちが直接持っていくと、チャーリーから来たのよりは大切にやってくれない。だからチャーリーのところだと手数料取られる代わりに安心があるのね。アメリカの2週間っていうのは、日本の2週間と違って、すぐ3週間になっちゃう。下の方の人が無責任な人が多いので。今まで私、アルミマウントだったんだけど、アルミだと重いからプラスチックが入っているアルミにしています。この5,6年は白黒の写真をやっていたから、そのときは大体額に入れ、アルミマウントはしないんだけど。今度またタイプCのカラープリントで、薄いんですよ。それでマウントした方が綺麗。もちろんカラー写真を額にいれてもでもいいんだけど、そうすると東京に行って展覧会までに額を選ぶ時間もないし、ここで選んで入れてしまうと、重くなって輸送費も高い。時間がかかる上に量がかさむから、今回は辞めたのね。

岡部:依頼されて制作するコミッション以外は、基本的には全部ご自分で材料費まですべて出して、自己資金で制作することがほとんどなわけですが、今回のように展覧会に出品する場合、額に関しては画廊が半額もってくれるというのを期待できないのでしょうか。

杉浦:費用もかさむので、半分出してもらいました。鎌倉画廊は歴史の長い画廊だから、変なものを出してお客さんを失くしたらいけないし、すごく良心的だというのが分かりましたね。コミッション以外でも、大きい特別な作品は、例えば気に入らなくても材料費だけは向こうがかぶるとかもあるけど、普通私たちアーティストは何十年も勝手にやっているわけで、すごく真剣な遊びですよ。

岡部:一応保管しておけば、いつでも売れるということもあるし、資産づくりの投資ともいえるわけですが。

杉浦:そう上手くはいかないことが多いんですけど。作るときは、売れるとかはあんま考えないですし。でも、いざ展覧会になると支出がダダっと出ますね。カタログ作ったり、CD作ったりで、そういうお金が100ドル200ドル300ドル出る。自分のドキュメントになるから重要なんだけど。


「Trochoids」
©Kunie Sugiura

03 40年前の作品

岡部:名古屋生まれって言われたくないとおっしゃって言ましたね(笑)。河原温さん、荒川修作さんとか、名古屋出身にはいい作家が多いですけど。

杉浦:名古屋は生まれただけで、1歳半ぐらいで静岡に移っているんですもの。母が静岡で、小学校1年から東京。だから自分としては東京のつもりだし、名古屋の記憶は全然ない。しかもうちの母、名古屋がすごく嫌いなんです。

岡部:杉浦さんは絵も描いていたのですか。見たことないですね。

杉浦:絵も割かし自信あるんですけど、今日は、40年前のカラープリントをお見せしたいと思って、出しておいたのです。かつては写真もやり方が違う。40年前は自分で全部出来たけど、今はオートマティックになっていて、簡単ですけどつまらない。だからカラーソラリゼーションで、七個ぐらいケミカルを使ったりして、卒業制作だから66年67年の作品。色も激しかったんです。40年たってもそれほど変わってない。その時なりに成功はして、雑誌にも載せてくれたし、コダックも展覧会に出させてくれた。だけど、今は全部オートマティックで最後にデーターになって出てきちゃうので、こういう事はもう出来なくなってしまいましたね。

岡部:面白いじゃないですか。またこういう古い作品も発表すればいいのに。やはり新作を見せたいという気持ちのほうが大きいとは思いますが。

杉浦:いつか、何らかの機会があればやりたいとは思うんですけどね。新作もなかなか見せられないから。だけど、関係があるような気がするんです。二人づつ男女を使って、『孤』というタイトルのコラージュですが、男の人と女の人がいて、一人の女の人が主ですけど、人間の孤独を体を使って表現しているのですが、セックスは全然入ってない。1966、7年だから、その時はそれなりに反応があって、喜んでやっていたんですけど、学生作品と言われればそうなのかもしれない。

岡部:なんかグロテスクで、これもおもしろいですね。モデルは誰でしょう。ヌードに凝っていたこともあるのかしら。写真の基本にはヌードがあるし。

杉浦:この頃、カフカに傾倒していて、ある日、起きたら虫になっていたみたいな感じがあった。男女の2人が主だけど、その友達もいるので全部で4人。ヌードというか、人間の一番エレメンタルなもの、生まれたままのかんじを、別に男でも女でもよかったし、セクシャリティとかエロティシズムも、子どもで、まだ分からなかった時期でしたね。

岡部:花を使い始めたのは、いつ頃からでしょう。最初のころは人体が中心ですが。

杉浦:フォトグラムをやり始めた時に、ある日友達が花をもって来て、使ったことがあったんですね。フォトグラムには割りと初めから入っています。花はアウトラインが綺麗だし、暗いとこで花をいじっていたりしたら、匂いもして幸福じゃないですか。花は、すごく好きだけど、私たちと同じように花って命、すごく不思議です。花によっては、男性器と女性器が一緒に入っていたりするわけでしょ?そういう意味で激しい状態だけれども、どこにでもあって身近なもの。綺麗だからそれだけで人が寄ってくる。汚いものだったら弾いてもいいっていう。

岡部:40年も前の作品でも、保存状態は完璧ですね。まったく問題はないのですか?アメリカは気候がドライで湿ってないからかしら。日本だったら、置いておくだけでしみが出てきたりしますが。

杉浦:普段は裏のダークルームにおいてあるから。日本は大変だと思う。

岡部:美術館では、24時間温湿度を管理できる収蔵庫で保存しているからだいじょうぶですけど、普通の家で作品を持っている場合には、痛むこともあると思いますね。

杉浦:国際芸術センター青森でレジデンスをやって、最後に展覧会をしたときも、除湿器が一日で水がずいぶん溜まってました。壁に磁石で留めたら、磁石が落ちてきちゃう。壁のペイントがベロンって伸びてしまって。ただ、アメリカの場合、冬はヒーターの焚きすぎで、逆にドライすぎます。


「Stacks Lillies A2P」
©Kunie Sugiura

04 美術館、コレクターとの関係

岡部:名古屋の愛知県立美術館でなさった個展を見ました。あの美術館では何年間か運営関係の委員をさせていただいていたことがありましたから。購入費がなくなった時期がありましたが、杉浦さんの作品は収蔵されてましたっけ?

杉浦:去年、やっと『子猫の書類』を買ってくれたんです。ちょうど、その前の年から美術館で購入予算が無くなって、向こうの人も買えなくて悪いと言ってくれていたんですけど。ただ、コレクターの所有する作品からで、私自身からの購入ではないんです。でも作品が美術館に入ったらからいいし、オリジナルは私がアメリカで持っています。ほかにも美術館から欲しいと言われることがあるんですけど、なかなかあの作品は出来ないから、とても良い所でなければ手放せない。なぜかというと、ニューヨークで展覧会して分かったんですけど、作家が持ってないといい作品を回すのは大変です。

岡部:コレクターに渡ったら、転売で何処に行ったかわからなくなることもあるし、展示に貸したがらない場合もありますからね。

杉浦:大体コレクターの人は嫌がるし、評価額を高くするので保険の問題も出ます。いろいろ分かってきたのが、遅いんですけど。

05 影絵、フォトグラムと写真

杉浦:イブ・クラインがすごく好きで、身体に絵の具を塗る彼の作品を乗り越えなくてはというのがあるんです。まだ乗り越えられないけれど。

岡部:イヴ・クラインの作品に原爆の光で映ったような影を主題にした作品がありますけれど、杉浦さんが現在、影絵のように人型で黒いシャドーを作る写真作品は、きっとどこかでクラインと関連するんですね。最近お亡くなりになった田中敦子さんの影も作っていますが、今までどれくらい人体の影の作品をなさっているのでしょう。人物のフォトグラムですよね?何がきっかけだったのかしら。

杉浦:ダークルームに来てもらって直射でやります。すでに7年間ぐらいやっています。花は植物ですが、小さい動物とか子猫とかもあって、子猫の後、レントゲンを見て人間をやりたいと思ったけど、直接作るのが恥ずかしくて、ついに人に頼んで人まかせ。

岡部:撮りたくて、お願いしても、駄目だった人はいるのでしょうか。

杉浦:いっぱい、いますよ。最初は友達からはじめて、自分のイメージがあっても、知らない作家からは随分断られた。

岡部:残念。でも日本の作家は割とOKしてくれたのではないかしら。

杉浦:草間さんをはじめ、すごく協力的でした。問題は日本では大きい紙がないこと。アメリカから取り寄せなくてはならない。状況がすごく悪かったですね。友達のところで作れたんですけど、材料をNYから持って行ったり、大きいダークルームを獲得したりが大変。日本ではケミカルも普通で買うと小さいから、芸大や美大などの大学で買うと、大きいのが買えるらしいですけど、ヨドバシみたいなショップでは、本当に小さいのしかない。ケミカルはこれだけのサイズだとものすごく高くて、1回やるごとに1万円はかかってしまう。コマーシャルに切り替えればいいんだけど、アーティストでそんなことやる人あまりいないので、変なことをしている状態になり、全部がすごく高くなる。

岡部:日本の場合、日用的な規格品は安くても、それ以外になるとなんでも破格に高いですね。ニューヨークで制作なさっているので、日本での個展の場合、こちらから作品を送ることも多くて、輸送も厳しいですね。

杉浦:今テロリストの問題で、写真の運送はすごくうるさい。B&Hという写真屋から直接、送ってもらうんですね。インターネットで出来るんですけど。鎌倉画廊の仕事や、大きい写真などはアート専門のドイツの運送会社も使っていて、かつては安かったのに、この頃派手になって高くなったので、そこは使わないで結局フェデックスを使いました。

06カナール通りに近いアトリエ

岡部:ニューヨークのダウンタウンの東側、賑やかな中国人街のあるカナール通りの近くに杉浦さんのアトリエがありますが、このスタジオ兼住居は60年代からでしょうか。

杉浦:いや、74年からだから、33年。アメリカに来たのは67年ですが、勉強はシカゴでしていて、学校を卒業してニューヨークに来て、一年ぐらいして結婚してからはアップタウンのウェストサイドに住んでいたんです。それから3年か4年してここに移ってきたかんじですね。

岡部:当時の旦那さんはアーティストだったのですか?

杉浦:科学者で、今はカリフォルニアに住んでいますが、大学の先生だったけれど、今はコンピューター関係の仕事をしています。今でも仲良しで友達です。

岡部:33年って長いですね。すごく広いですが、こんなに広いところに住んでいる人は、あんまりいないのではないですか。

杉浦:成功している人もいるから、大きいスタジオもありますよ。でもこのぐらいの広さがあれば、みんな5つぐらいに分割して、共有したりしますね。私もここを綺麗にして、1部に写真スタジオを作ろうと思っているんです。フォトグラムではなく、普通の写真を撮ろうと思って。近くに安いスタジオがあったけれど、このごろ1時間150ドルとかすごく高くなった。ビデオの制作は600ドルぐらいする。それで勿体無いと思って、ここにあったガラクタを、お金を払ってトラックに来てもらい、捨てたんです。心機一転しようと思っています。

07 レスリー・トンコノウさんとの出会い

岡部:ニューヨークでは、チェルシーにあるレスリー・トンコノウさんのギャラリーでいつも展示をなさってますが、トンコノウさんとの関係はどのように、いつ頃から始まったのでしょう。

杉浦:レスリーには、85年に会ったんですけど、彼女も最初作家だったけれど、友達のために画廊をやるようになり、最初はアートシテイという小さい画廊をやっていました。私の知っている友達がレスリーと大学が同級で、ニーナという絵描きがオープニングかなんかで紹介してくれて、しばらくして作品を見せに行ったらすごく気に入ってくれたんですね。85年のグループショウが最初だから、彼女とも21年か22年の付き合いですね。レスリーは、ニューヨークのザブリスキー・ギャラリーに8年か10年ぐらいいて、ポーラ・クーパー・ギャラリーでもちょっと働いて、やっと自分の画廊持てたのね。今はすごく上手くいっているけども、チェルシーは家賃が高くなってきているので、大変です。彼女はもともとコンセプチュアルアートの出身だから、写真だけではなく、いろいろ扱ってますね。

岡部:アメリカではさまざまな大学系のギャラリーの活動も活発で、杉浦さんも展覧会にかかわられたことがありますが、ユニヴァーシティ・ギャラリーがコレクションしてくれたりもするのでしょう。

杉浦:大学のミュージアムで30点ぐらいの個展をして、カタログもあって、パッケージになって、結局5箇所ぐらい巡回したんです。最初2箇所ぐらいだったのが増えて。開催してくれたところは買ってくれた場合もあるし、見た人たちが後で買ってくれたこともあった。『アートインアメリカ』の雑誌を書く人が見て書いてくれて、表紙にもなりましたね。だからいろんなことが起こるんです。

岡部:アメリカには大学のギャラリーがたくさんあって、現代アートの振興を手がけていますね。

杉浦:大学のギャラリーでも自主企画ができるところと、予算がないので、巡回展で回したりと、いろいろで、パメラアーカインクロスという私の個展をやった人は、かつて画廊をやっていてうまくいかなかったので、巡回展のオーガナイズに回ったのだけれど、NYのマネージメントをする人たちは大学美術館に企画を勧めに行くわけです。彫刻家ならこの人、女性の作家なら、こういう人がいますとか。ただこの間会ったら彼女はもう辞めたみたいで、今はアートアドバイザーみたいなかんじです。結構、儲かっているみたいですよ、場所がいらないから。

岡部:今、マーケットが過熱していて作品が売れるから、そちらの方にいったのかもしれませんね。

杉浦:でも売れると言っても、売れる人は少しで、すごい人がいても、ほとんどのアーティストが食べていかれない。いつの時代もそうだけど。だから、いつもミスリーディーングだと私が思うのは、バブルのとき80年代に、アートは売れけれど、それは、ほんの5パーセントぐらいで、あとの95パーセントは売れてない。みんな先生していたりするんです。でもみんなも自分も元気づけられてそうだ!と思って錯覚に陥いる。今も、オークションで売れるのは、ウォーホル、ジャスパー・ジョンーンズですから。

岡部:アメリカン・テイストというか、かなりチョイスは決まっていますね。杉浦さんの場合、コレクターはいるんですか?京橋のツァイトギャラリーでも個展なさってますから、日本でも売れているんですね。

杉浦:コレクターはほとんどいないですよ。ツァイトで花は売れたけれど。鎌倉画廊は4、5回、ツァイトでは10回ぐらいやっていますね。でもここのところ日本で3年ぐらい出していないのです。

岡部:基本的には、NYのトンコノウさんがアメリカでコレクターに売っているわけですね。

杉浦:レスリーを通してボストンにも画廊があって、半々でした。10年ぐらいなんとか、やってきているんですけど、来年できるかどうかは分からない。でもなんとかなるだろうと思う。(笑)私の場合、自分のできるところで自分のできる事をしようと思っているだけだから、何とかあと10年ぐらいは生きていけると思っているんですけど。

08 本当のアートの歴史、アートに浸る

杉浦:私たちのジェネレーションで、画廊がついてない人もいっぱいいて、先生でしか生きていけない人もいっぱいいる。ほとんどの人はオークションにも出ない。だから、いつも私は、本当のアートの歴史はそうだと思う。ポロックのときにも、みんなお酒飲んでゴチャゴチャやっていたように、今だってみんなほとんどの人はそうですよ。私の場合は他のことがあまり出来ないから、先生をやるのが嫌なんです。まあ10年くらい、たまたま運良く作品が売れて食べてこられたわけですよ。もう作品で生きていくしか仕方がないから、絶対もっといいものを作って、あるところまでいこうと、アートを作ることに浸っているわけ。もとは音楽を聞くのが大好きで、いつも音楽をかけながら仕事したり、音楽会に夜行ったりしたけど、今は、作品を作るのに神経集中できないから音楽も聞いていられない。昔は、テレビを持ってきてやっていたんですよ。(笑)若かったのかな?その頃、キャンバスに大きく写真をやるときには、二時間ぐらいダークルームに座っていて、暇だから遊びながらやっていた。 今考えたら、あんなことしてアートやっているのだから、ロクなもんが出来るわけないと思うわ。(笑)

岡部:今はすごく幸せですね。アートを作り、アートに浸っていられるのだから。

杉浦:ある意味ではすごく幸せです。だから、もうちょっと作りたいので、死が追っかけてこないといいと思う。(笑)

岡部:まだまだ大丈夫ですよ。

杉浦:どうもありがとう。でもね、本当になかなかいいものは出来ない。これだ!と自分が離したくないものがなかなか出来ない。

岡部:それは、どんなアーティストでもそうだと思いますが。

杉浦:そうなのかな?でも、ゲルハルト・リヒターを見ると・・せめてあの辺に行きたいと思う。思ったことと、出てきているものが近い感じするじゃない?コンセプトがはっきりしている。悔しいなと思う。ボヤボヤしていないで早いとこ、あそこに行きたいと思うんです。

岡部:それで仕事に集中なさっていて、時間が勿体無くなるのでしょうね。

杉浦:というかやっぱり、楽しいですよ。でも『ニューヨークタイムズ』を開く度に、私がニューヨークに来てから会ったアーティストが、64歳とか65歳で3人死んでいて、その頃はすごく上手くて、素敵だと思っていて、印象が強く、その辺でまだ一生懸命やっているような気がするのに。悲しいですよね。あの人達のいい時ってこんなに短かったんだなと思って。

09 美術手帖での書くという仕事

岡部:制作以外の他の仕事はBTに執筆したりするぐらいですか。書き始めたのはいつ頃でしたっけ。

杉浦: 85年か86年だけど、最初はできると全然思わなかったし、書く方は未だに自信ないですけど、作品を見るほうには自信がある。偏見を持たないでいいものに反応すると思うから。だけど、ニューヨークですごいなと思うのは、アーティストの幅や広さ、世界中から来ているし、発想法も広くて深い。書く度にもう驚きはないだろうと思うんだけど、毎月やっぱりある。それがすごい。

岡部:でも驚きがなかったら書けませんよね。

杉浦:書けない。そういう意味で楽しいけど、ただそれに対する言葉が見つらないこともある。だから『ニューヨークタイムズ』とか、毎週あんなに書けてえらいと思う。BTは2ヶ月書いて、2ヶ月お休み。大体、展覧会は、その期間続いているので、2ヶ月毎のほうがやりやすい。私、今月はキキ・スミスと、セイフティーギャラリーで写真の個展なさっている吉田茂樹(?)について書いんですね。すごく地味ですが、いい。彼は9年いるのですが、作品は2年前ぐらいに知ったんです。40歳ぐらいで大人しい人。ストレートの写真ですけど、私にお金があったら本当に買ってあげたい。ニューヨークで撮っているんですけど、瞑想的で入魂されている。岡部さんも評論などの原稿をずっと書いているでしょ?

岡部:今は定期的には、信濃毎日新聞に2、3ヶ月に1度書いていますが、新聞なのであまり量は書けないですね。

杉浦:私はBTに書かせてもらって勉強になる。書くってすごく責任を感じるから。それから見るときもちゃんと見るし。あなただったら、もっと深いと思うけど。すごくそういう意味でいいし、勿論やりたいけど、時間がとられる半面お金にならないから、考えたりもしますね。

岡部:見て回ったりする経費もあるし、どこも原稿料はそんなにはよくないですけど、書くのが好きだし、楽しいから。

杉浦:私、子どももいないし何となく写真だけでやっていても、刺激がないんですよ。今日、フリック・コレクションのプレスに行って、イギリスの作家で、馬を書いてる有名な人の展覧会を見に行ったの。なぜかというと、昨日いろんなことが終わって、今日は朝から仕事していたんですけど、なかなか始められない。こんなにぐらぐらしていてもしょうがないから気分転換に行こうと思って。

10 写真家ではなく写真を使うアーティスト

杉浦:今までの20年間ぐらいフォトグラムをやってきていたけれど、今度は、写真をやろうと思って写真機も買ったの。

岡部:昔は普通の写真も撮っていたのですか。

杉浦:もちろん撮っていたけど、写真と絵を合わせたり、いわゆる写真家の写真は、やったことがない。写真を使うアーティストであっても、ドキュメンタリーの写真家ではない。今もそうだと思いますし、それは生まれつきだから仕方ないんですけど、でも、今度は写真をやってみようと。その場合に、何を撮れるかを一生懸命考えています。吉田さんはそういうタイプだから、じーっと見てストレートに撮って、写真で外の現象がカメラやフィルムを通してどう変わるかを彼は学んで、よく分かったところでプリントしている。でも私は多分、彼みたいなことは出来ない。だからもう少しコンセプトがある写真を撮って、それを何かにする感じかな。自分がしていることをクリアにして、分かったものを写真にしないと嫌。ニューヨークには、写真のうまい写真家がいっぱいいるわけですから。

岡部:アメリカの写真の歴史は、深く知れば知るほど面白くなりますね。

杉浦:今度、MOMAでカナダのジェフ・ウォールが展覧会やるんでけど、MOMAの人たちを知っているけど、みんなヨーロッパ一辺倒です。私は日本だって中国からだって、アフリカからも、黒人の写真家もいるし、いい写真家が出てくると思いますけど、あの人たちの記憶がヨーロッパだから。

岡部:やはりモダンですから。最近は、これまで周縁とされてきた地域の人達や、黒人作家も取り上げられるようになりましたけど。

杉浦:でもそれはまだアクセサリーですよ。時代的な問題があって、ドイツのベッヒャー夫妻から現代写真はきていて、だからシンディー・シャーマンだって、グッゲンハイムやメトロポリタンでは多少取り上げられるけど、MOMAではなかなか認められていない。例えば、ロバート・フランクのような、本当のドキュメンタリー作家の方が強い。私なりにここで、花、生物、人の影をやって、その次は何かといったら、フォトグラムでもその上にいけるかもしれないけど、やはり東洋の思想などを写真のコンセプトにトランスファーしたものが出来るのではないかと思っているんだけど、出てくるかどうかは分からないです。

岡部:それは大いなるチャレンジだから、まずやってみないと。

11 新作を生む苦しみ

杉浦:国際芸術センター青森で、あんまりやることがなくて、一生懸命、煙草吸っている人を撮ったんです。ニューヨークでも撮っていたから、それをパラレルにして、煙草吸っている人を二人出したんだけど、ただ煙草を吸っていても駄目だということが分かったのね。ヴィジョンにしたときに、抉るようなアイデンティティが出てないと駄目。煙草にあいまいさがある。今、フォトグラムでやっているのは、女の人たちが作った枕カバーとかテーブルクロスの刺繍です。最近、これが好き。ウーメンズワークで歴史が入っていて、マージナルだけれども、回想などもある。ただ、自分でどの辺までいけるかは分からない。それを言葉で割るか文章に出来るかも分からない。

岡部:これは新作なんですね。日本の着物の模様にみえますね。刺繍というより、私が持っている浴衣に似ています。(笑)

杉浦:私、日本の着物の模様で、なにか面白いものないかと思っていたりした。でも普通では駄目で、着物の柄の刺繍がしてあるとか、失敗してるとか、そういうのでないと駄目。そのへんが難しいです。レスリーなんかは最近は売れるものを作れというんです。これまで売れるものなんて考えたこともなかった。今でも、それよくない。キキ・スミスなんか見ていても、自分の本当に作りたかったときが一番いい。売ろうとして作るのは、幸福ではないと思う。アーティストは、そういうことでは満たされないと思う。

岡部:皮膚をはがれたマリアとか、キキ・スミスの初期の彫刻やインスタレーションは、醜いまでにラディカルだけれど、新たな美を作っていて素晴らしいです。今回のホイットニー美術館の個展や最近の個展では、綺麗になった作品も多くて、面白いけれど変わってきましたね。

杉浦:ファンキーで、面白い人。エネルギーも凄まじいです。生意気だけど、アーティストとして、自分もびっくりするような窮地に行きたい。いけると思うんです。ルイーズ・ブルジョアのような人を見ていて、年とかではなくて、アーティストは体験でいけると思う。エネルギーが無いからじゃなくて、無いから上手く使えば出来るんですよ。

岡部:忙しいですね。次から次へとやっていかなくてはいけないし、さらにつねにチャレンジをして、しかも、きちっと出せるものを作らなくてはいけない。発表できない、実験だけやっていても困るわけですし。(笑)

杉浦:すごく焦ります。20歳や30歳の人が、美術館でやっていたりするから。でも、半分水がないと思うんじゃなくて、半分もあるんだからと、なるべく思うようにしてやっているんですけど。
(テープ起こし:田中みなみ)


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