culture power
artist 杉本博司/Sugimoto Hiroshi

チェルシーのスタジオで
photo: Aomi Okabe








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イントロダクション

−メビウスの輪のごとく−

化石は人類の始まりに、海は地球の始まりにつながる。 こうしたすべての始まりへの試行は、写真を近代性の始まりとみなし、従来の美術史の終焉を告げるラディカルなまなざしに連なっている。

ニューヨークの街角で、はじめて杉本博司と会ったのは、彼がソーフォーで日本の骨董を売りながら生計をたてていた70年代末、写真家として「ジオラマ」と「劇場」シリーズを手がけていた頃だ。彼の写真の磨かれた高度な水準と硬質なコンセプトは、洒脱で粋で、鍛えぬかれた鑑識眼と作法から生まれたものだと雑誌に書いたことがある。

ハゲタカが木にとまった原野やライオンの雄姿など、アフリカの原始の大地をドラマティックに再現したニューヨークの自然史博物館のジオラマは、20世紀前半に、当地のアーティストの救済事業を兼ねて制作された立体展示模型なのだそうだ。「パノラマ館」や「ジオラマ館」の迫真的なだまし絵は、19世紀初頭から写真に先行する見世物となり、視覚的な異次元体験を可能にする娯楽施設として大衆を魅了した。

杉本博司
チェルシーのスタジオで、「海景」とともに
photo: Aomi Okabe

米国でおもに1920年代から30年代初頭にかけて建設された劇場のような映画館は、いわば写真から派生した大衆娯楽施設といえよう。杉本は映画の上映中に写真機のシャッターを開放したままにすることで、スクリーン上に光の束の集積を現出させる。写真家が見たはずの個々の映画の物語は消滅し、空虚であり充溢でもある輝ける空白には、各人が記憶にとどめるエンターテイメントという米国式ご神体が再臨するだろう。アールデコの建築物は、このとき、あたかも巨大な祭壇と化す。

「ジオラマ」と「劇場」は、都市文明が生み落とした歴史的かつ物質的な視覚装置であるがゆえに、時間の推移とともに変遷し、ときには破壊される運命にある。一方、1980年に開始する「海景」シリーズにおける自然は、時間を超え、地理的な差異を超え、太古の記憶へと遡る永遠の層の表象として、人為的なるモダニズムと拮抗する。静かな海を前に、古代人の意識の発生や音と言葉の誕生を感じるという、杉本博司が当時「海景」に込めた思いは、物質性や時間性に関する人間の共通感覚の表現として受容されたというより、とりわけ海外の鑑賞者にとっては、穏やかで不動で禅的な精神といった、むしろ“デジャヴュ”のわかりやすい日本的美意識の記号として浸透したように思える。それは偶然の誤解だったのか、杉本の無意識による戦略だったのか。

三十三間堂の千手観音群像を撮った「仏の海」(1995年)で彼は明らかな転機を示した。国際的にも地位が確立した杉本によるマニフェストとしても読み取れる。仏像が無限に反復するかのような鏡像的な宗教観、その類まれな東洋の精神の形象化は、唯一絶対の直立したキリスト教的聖域とは異なる水平の広がりを表し、「海景」の作者の文化的背景を明確に示唆する。さらに、それ以上に重要なのは、再現された東山の朝日を受けて、漆黒の闇を彫り輝く光背が、まるで銅版画の鋭利な線描のように、遠近法にのっとった精緻な幾何学を編み出している構図だろう。後に杉本が確信するに至るモダニズムの日本起源は、この千体の観音の図によってはじめて実例として提出されたともといえるのだ。

日本人にとっては不気味な「蝋人形」シリーズも、「海景」と明らかな対照をなしている。人形は、日本では固有の生を吹き込まれる客体化した対象なのだが、西洋では蝋人形として人間が人形化され、歴史とともに封印される。このシリーズは、その凍結された歴史性を解放する実験だと思えるが、パンドラの箱を開けるがごとく、封じられた「悪」までもが滲みだす薄気味悪さも引き受けねばならない。ここで写真は時間を止めるのではなく、時間を開ける鍵となる。

円熟の訪れは、より身体的な空間概念への関心を醸成させた。未見だが、カメラのアングルを反映させたかのような凝った東京の自宅の設営を始め、世界各地で頻繁に開催される個展の展示空間自体も独自の作品へと変貌する。模型と原型、陰影と実体、三次元と二次元、比率と角度といった近代的な造形論への言及は、90年代以降の作品である「建築」「影の色」「観念の形」へと展開してゆく。

杉本―護王神社
Appropriate Proportion 石室内部 2002
©Hiroshi Sugimoto

直島における「護王神社」の再建は、杉本が考える我が国の伝統に潜むモダニズム定理の実現の好機ともなった。日本古来の美の世界を渉猟し、細部と全体に精通した杉本博司ならではの珠玉の傑作だが、地上の本殿と拝殿の建物は、あまりにも奥ゆかしく凛々しいために、地域住民にとっては近づきがたい高嶺の花的な社になってしまったかもしれない。杉本の創作の領域となったのは地下に眠る石室、大胆不敵なこの闇の神域には、デュシャンに由来する階段とガラスのメタファーが潜み、海からの光を導入する仕組みは、写真の暗室やカメラ・オブスキュラの原理を暗示する。創造空間としての子宮でもある、この始原の光を宿す洞窟の闇を訪れた者たちは、革命への意思ともいえる強固な胎芽を体得することになるはずなのだ。

杉本博司は、近代の正当性という大きな物語を総括したヘーゲルよりも、多神論の復活を近代性として規定したマックス・ウェーバーを想起させる。忘れられたモダニティのあくなき探索と推敲と再発見の実践において、杉本ほどの正統なるポストモダニストもいないのではないか。

根源への遡行は、その求心的な力学において、つねに原理主義的な危険性をはらんでいる。だが、光が写真の始まりであり、生命の始まりであり、すべての記録されたイメージが死の始まりであり、銀板写真史が終末に近づいていることを知りながらも、杉本博司の写真は、死を美化するのではなく、行為し続けることへの、したたかなまでの決意において、始原と終焉をつなげ、メビウスの輪のように永続的な“運動体”として存在し続ける。
(岡部あおみ)