Cultre Power
artist 島袋道浩/Simabuku Michihiro
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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
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インタヴュー

島袋道浩×岡部あおみ

日時:2001年6月2日

01 美術をやるのににどうしてデッサンが必要?

岡部あおみ:島袋さんの作品をパリで開催された『どないやねん』展(1998)で見ました。海外に行くようになったのはいつ頃からですか?

島袋道浩:もともと大学がサンフランシスコですから、その頃から外国とか日本とかあまり意識しなかったんですけど。

岡部:サンフランシスコにはいつ頃から?

島袋:20歳の頃ですね。僕はその頃、全く自分の知らないところに行きたかった。それで外国ってことですね。あと、僕はデッサンの勉強をしたくなかった。美術をやろうとするためにどうしてデッサンが必要なのか分からなかった。それで、デッサンをせずに、でも、美術の勉強をしたいって考えた時に、アメリカの大学ならできるってことが分かった。それで、アメリカに行こうと思った。


輪ゴムをくぐり抜ける
2001 東京オペラシティアートギャラリー
©Michihiro Simabuku

02 ニューヨークよりサンフランシスコ

岡部:で、なんでサンフランシスコに?

島袋:サンフランシスコは自分自身ニューヨークより興味があった。て、いうのは一つはヒッピーの流れとか、ビートニックの流れとか、なんかどっか人間的なものに憧れを感じてて、多分ニューヨークに行くよりサンフランシスコに行く方が向いてるだろうと思ってサンフランシスコに。

岡部:学校をさがしてですか?

島袋:んー、それはちょっと長い話になるんですけども。高校を卒業して、美術をやりたいというのはすごくはっきりしてた。でも、僕がやりたいのは絵を描くことではなかった。彫刻をやりたいわけではなかった。そういう事ではなかった。文章にもすごく興味があったんですけど、文章と美術の中間のような事が出来ないかなってずっと考えていて、まあそれが今しているみたいなこと、そのままなんですけど、そんなことする学科日本にないでしょう?だから、高校卒業してから1年間フラフラしてて。

岡部:日本では受験勉強はしていないわけですね?

島袋:してないです。どうして、芸大に入るためにデッサンで受験という決まりがあるのか理解できなかった。どうして、高校2年の終わりで、それまで一緒に遊んでいた子が急に受験勉強しだすか、納得できなかった。受験勉強はしなかったけど僕はちゃんとフラフラしてたと思う。

岡部:ちゃんとって言うのはどういう意味ですか?

島袋:ちゃんといろいろな美術館や自分で面白そうだなって思ったものは見に行っていたし、大人の人に会って話を聞くとかしていた。町のギャラリーの人とかともその頃、友達になったり。そうして、話をするうちに、大阪の専門学校、大阪美術専門学校っていうところに行くと、国際学科っていうのがあるんですけど、その学科に2年間行って、成績優秀だとアメリカの大学の3年生に編入できるシステムがあるっていうのが分かったんですよ。しかもデッサンも全然勉強しなくても入れる。アメリカでも、3年編入ってことは、アメリカで学科の勉強しなくても、実技だけでやっていけるという。これはいいなってと思って、僕そのために一生懸命やろうと思って。この専門学校に入りまして。

03 子供の時からアメリカの兵隊さんに会う機会が多かった

岡部;アメリカに行く事が決まったから、英語は一生懸命やったのですか?

島袋:それはあまりしなかったですね。ただ、一つ言えるのは、田舎が沖縄で、親戚がほとんど米軍関係で働いてるんですよ。それで、子供の時からアメリカの兵隊さんに会う機会が多かった。自分のおじさんの同僚の人たち。

岡部:育ったのは神戸ですよね?

島袋:神戸なんですけども1年に何週間とか行ったりしていて。夏休みにアルバイトしたりとか。そんななかでアメリカ人に対して特別自分と違うという感じは子供の頃からなかった。親戚のなかにいわゆるハーフの子がいたりするから。だから、外国人だから、全然通じないとかは思わなかった。外国人でも大根の煮付けとかおいしそうに食べるんやなっていうのは子供の時から見ていた。

岡部:それはなかなかない環境ですよね、日本だと。

島袋:そうですね。で、アメリカ行ったらみんなちっちゃいなって思って。僕、兵隊ばっか会ってたから、兵隊さんは大きいし筋骨りゅうりゅうですよね。それが、僕にとってのアメリカ人だったから、逆にアメリカ行くと、なんや僕とそんな変わらへんなって。

04 すぐ先生がね、あんた学校来んでいいって

岡部:それでサンフランシスコに行ったのですね。

島袋:そうです。サンフランシスコだけじゃなくって、選べたけど、10個ぐらい。そのなかからサンフランシスコに行きたいなって。学校に行ったら、すぐ先生がね。半年たった時に、あんた学校来んでいいって言われたんですよ。

岡部:どうしてですか?

島袋:僕は校舎に閉じこもっているよりも、街のなかからいろんなものを見つけてくる子なんやなってわかったんでしょうね。だから、僕が学校で話することも、ダウンタウンでこんなことがあったとか、あれは面白いとおもったとか、結局、外に出た方がいい子なんやなって思ったんでしょうね。僕、クビになったんじゃないかって最初思ったんですけど。

岡部:心配しますよね。それで、別に問題はなかったのですか?

島袋:単位もくれて。

岡部:すてきじゃないですか。

島袋:しかも学校の施設を使わないってっことで学費を半分返してくれたんですよ。旅費に使いなさいって。

岡部:すばらしいわね。

05 ロンドンに行って片方まゆげ剃ったり

島袋:それでロンドンに行ったんですよ。あんた英語あんまり上手じゃないから一応英語圏にいきなさいって、じゃ、ロンドンに行くって言って。ロンドンに行って片方まゆげ剃ったりしてたんです。

岡部:ロンドンとサンフランシスコにはどれくらいいたんですか?

島袋:ロンドンっていうかヨーロッパに半年いましたね。1学期間。サンフランシスコに最初は1年間いたのかな。あとヨーロッパに行って、それでもう1回戻って、半年って。結局アメリカの学生は2年したんですけど、滞在期間は1年半。

岡部:でも、ちゃんと2年分の単位をくれて、結局卒業ってことになったわけですね。

島袋:そうです。そうです。そのころから、いかに学費使わずに、しかも自分のやりたく無い事をやらずに。

岡部:でも、理解してくれる先生がいたからよかったけども。

島袋:でも、こっちがやりたい事がはっきりしていたら、どこにいてもそういう人は現れるって思います。専門学校の時でも、まず最初に先生に僕は絵が描きたいわけじゃないって言って。僕はこんな事に興味があるん。こんな作家に興味があるんだって言ったら、先生が君はまあデッサンとか造形とかやらなくてもいいよって言ってくれて。版画学科やったんですけど、その時、先生が版画は面白くないから、別の事したらって。写真の勉強したり、カメラの使い方教えてもらったり。


眉毛の消去と出現 1991 ヨーロッパ
©Michihiro Simabuku

06 僕は遊びのルールを作るところからやりたいタイプ

岡部:自分がこういうことをやりたいって思うようになったの高校からっておっしゃってたけど、早いですね。今の若い人、学生は自分が何をやりたいのかわからない人がかなりいる。それは小さいころから?

島袋:というか、やりたくない事を割とやらないようにしてるんじゃないですかね。やりたくないこととか、やれっていわれたこと、試験だからやらざるをえないこと。そういうことをなるべくやらないようにしてる。頑固なんですね。

岡部:実際に小さいときからやりたい事があるんですか?

島袋:んー、て言うか、子供の時の遊びとかってルールから自分で考えたりしてたでしょ?そういうところで僕は遊びのルールを作るところからやりたいタイプ。だから、今も自分の美術の基礎の部分というか、まず基本的なルール。僕の作品を見る時のルールとか、テキストと写真がいつもセットとか、自分の文法みたいなものから作るのに興味がある。

岡部:今はそれだから、引く手あまたということでしょうか。

島袋:そんなことないんですよ、全然。別に美術を通して世界を席巻したい訳ではないですから。全然違うところだと思うんです。どこいっても野球でいったら8番バッター、どこでも勤まるようにしようって。別にヨーロッパをやっつけたいわけじゃないし、敵とも思って無い。逆にいうと、日本とヨーロッパをそんな分けて考えてないし、飛行機のチケットを買う都合上ヨーロッパに行くって言うけど、逆に言うと、僕に近い人たちがいるのがフランスとかイギリスだなって思うし。自分の好きな人達と一緒にいようとしてるだけ。

岡部:それは、分かります。フランス人とも英語で喋っているんでしょう?

島袋:そうですね。

岡部:フランス語何となく分かります?

島袋:ちょっと分かりますね。そりゃ。というかフランス人だけですね、言葉というか自分をこの人達と同じ顔してるだろうって思うのは。鏡みて、何か変なやつがおるなと思ったら僕やったとか、そんな事がありますね、フランスでは。フランスに行ったらフランス人としか会わないから。日本人との付き合いは、1人。でもその子も在日の子だったりするし。ほんとに日本人と付き合いが無いから。

岡部:鏡見てハッと気付く。自分が違うんだみたいな。わかりますよ。同化して、日本人の方が異質な感じがしたりするんですよね。

島袋:そうですね。大好きですよ、フランスは。


鹿をさがして
1997 アーカス,茨木
©Michihiro Simabuku

07 キュレーターの性格や仕事が作品に反映

岡部:東京都現代美術館の『ギフト・オブ・ホープ』展と、東京オペラシティアートギャラリーの『出会い』展の両方に同じ時期に参加しましたよね。二つの美術館の展覧会のコンセプトは両方全然違うわけですけど、展覧会や美術館についてどう思われました?

島袋:やっぱり人。僕の場合は美術館とか何とか言う前に、キュレーターの、僕の担当のキュレーターの人の性格や仕事の仕方が、僕の作品にも反映されるかな。東京都の塩田さんは魚屋さんの息子さんやって言うから、じゃあ、タコにしましょう。築地詳しいんやったら、連れてって下さいって言って。

岡部:それは知らなかった。

島袋:でも、逆に塩田さんとは毎日毎日御飯が食べれるような関係にならんなって思っていたから、忙しい人やし。で、あれはヴィデオで見せることになったし、逆にオペラシティの片岡さんは、毎日でも顔突き合わせて御飯一緒に食べる人やなって思ったから、毎日滞在するプロジェクトになっていくという。どっちかにしか滞在できない。体、一つしかないからね。その時に何が物差になるかと言うと、やっぱり御飯食べれるかどうかですよ・・・やっぱり、キュレーターの個性、キュレーターの覚悟みたいなものが作品にでるなって思いますよ。監督次第と言うか。

08 観客は美術館にくる人だけじゃない

岡部:基本的に、コミニュケーションにかかわる展覧会で一番身近なのはキュレーターだから、一応そこから出発していくということですね。その場合、観客との関わりは、滞在したからでてきたけれど、ヴィデオを見ていてもでてこないわけですよね。

島袋:美術館の中で起こるコミュニケーションだけじゃなくて、あのタコのプロジェクトに関してはそれをやってる時に出会った人達とか、タクシーの運転手さんとか。そういう人が観客だなって思うから。別に僕の観客は美術館にくる人だけじゃないと思ってるから。

岡部:プロジェクトをやってる時に会話したりする人が観客?

島袋:そうです。そうです。観客の居場所がかわるだけで。

岡部:撮影ですが、「鹿を探して」の時は自分の体にヴィデオ・カメラをつけていました?影を写したりした時とかはどうしたのかな、片手で運転していたのかなって思ったんですが。大変でした?

島袋:ううん。

岡部:撮影者がべつにいることもありますよね?それはいろいろですか?

島袋:はい。でもなるべくプロの人に頼まないようにしようと思っています。友達とか。僕一番いいのは恋人やと思いますね。やっぱりそういう人が一番大切な事が分かるというか、僕の作品なんてそんなドラマチックじゃないから、いわゆる写真の上手い人が来ても、撮れない。どこを撮っていいのかわからない。

岡部:自然に花なんかがふわふわってあって、いわゆる本当に撮ろうと思って撮ったんじゃなく、偶然に撮れてるってところにポエジーがあると思います。かえって、それを一生懸命撮ろうとしたらつまらなくなるんじゃないかとも思いますね。

島袋:そうですね。もっと下手でもいいんじゃないかって思ってる。ヴィデオは緊張しちゃう。かしこまるっていうか。撮られてる時も、自分が撮る時も。もっと下手でもいいかもなって。

岡部:ああ、上手く撮ってるみたいな、自分でね。なるほど。


そしてタコに東京観光を贈ることにした
2001 東京都現代美術館


タコとタヌキー島袋野村芸術研究基金2001
オペラシティーアートギャラリー
©Michihiro Simabuku

09 人にやってもらう事でアイデアが立つ

岡部:で、自分でその緊張したくないとか、上手くやりたくないっていうのは、絵を描いたりする時も同じですか?

島袋:そうですね。上手いからといって美しいこととは全然別の問題やと思うし、でも、上手くていいと思うものも僕にはあるけれども、鑑賞してる時にすごいなって思うものもあるけれども、僕はあんまりそういうことは。僕は最近人に手伝ってもらって、絵も人に描いてもらったりしてるんですよ。

岡部:ここの神戸アートビレッジセンターの個展の壁の絵もそうですか?

島袋:あ、あれも手伝ってもらって描いた。僕も描いたけれど。

岡部:だいぶ上手いですね。

島袋:それは描き方ですよ。僕にとって上手いって事はそういう事。人にやってもらう事によって、逆にアイデアが立つなと思って。変な手癖、手癖があった方がいい時もあるけど。なるべく自分の作品を触らんようにしようと思ったり、展示の時は人に全部まかすとか。

岡部:今回はわりとそういう風にしてなさったんですか?

島袋:そうですね。自分でほとんど触ってないですね。

岡部:北九州市立美術館の第6回ビエンナーレ(2001年)で白い象を作った時も他の人が?

島袋:あの象は、かなり僕もやりましたけどね。あと、地元の語り部の人達に話作ってもらって、すごく上手く。あの時僕が一番嬉しかったのは、美術館の中が中高年の人で、満杯になったの。僕のプロジェクトは40代、50代、60代のおっちゃんおばちゃん達に大人気。お話の会とか。落語の寄せみたいだったんですよ。反応もよかったし、現代美術って若い人の為って感じがあるじゃないですか。でも僕はそういうちょっと違う世代の人達の場にもしたいなって思ってたから、それができてすごいよかった


二度起こること - 象の話し
2001 北九州市立美術館
©Michihiro Simabuku

10 もっとみんな工夫すればいいと思う

岡部:北九州の美術館でもこうしたかたちの現代美術の展覧会は、ビエンナーレ以外にはなかなかできないそうですね。キュレータ−の人たちがやりたくても予算や組織の問題などがあって。

島袋:でも、北九州だけじゃなくって、もっとみんな工夫すればいいと思う。建物のなかでできないんだったら外でやるとか。もっといろんなスキがあると思うんですよ。いろんなやり方とか。あと、お金がなくてもやれる。日本の美術館、外国の美術館でもそうですけど、僕が一番バカやなって思うのは、壁代と運送費に一番お金使ってるという事。それをとったら製作費だけしか残らないんですよ。それで「ギャラはありません」って言い方がすごく嫌い。だから、僕達のギャラをみて、製作費をみて、あのー、運送費や壁代がないって言うんやったら、じゃ今回は壁なしでやりましょうっていう言い方の方が僕は正しいと思う。とか、運送費のかからない作品にして下さい。運送費がないんでって。壁代からお金の計算していくのが不思議。

11 お金はまず問題にならない

岡部:前提となった慣習のなかで、それ以外には触らないでやっていく、みたいな・・・

島袋:そう、だから僕慣習が嫌いなんですよ。でもその慣習自体も、多分いわゆる近代の絵画とかをヨーロッパから持ってくる時に出来た慣習だと思うんですよ。ピカソの絵を持ってくる、展覧会をする時に保険代と壁、その時にできた慣習だと思う。それを生きた人間に当て嵌めてるでしょ?それが僕はおかしいと思う。だから、壁と運送費を止めて、自分の家にアーティストを泊める。だって、本当に好きやったら自分ちに泊められると思うし、それが喜びだと思うから。そーやってやったら、お金をかけずにいろんな事ができる。

岡部:外国のキュレーターの人、よくそういう事やってますよね。

島袋:そうそう。僕はようやってもらってるから。本当にやりたかったら、お金はまず問題にならないし。場所も問題にならない。場所がなくたって、お金がなくたって出来る事はある。

岡部:本当、そう思いますね。

12 国籍で区切る展覧会はどっか矛盾がある

岡部:パリのエコール・ド・ボザール(国立高等美術学校のギャラリー)で開かれた『どないやねん』展のオープニングの時はパリに来てました?

島袋:行ってないです。ちらっと見ました。終わり頃に行って。

岡部:どう思いました?

島袋:展覧会見てですか?やっぱり、日本人の展覧会って国で区切られる、まあ日本人だけじゃなくってフランス人の展覧会、オランダ人の展覧会って、そうゆう国の展覧会はどっか矛盾があるなっていう風には思うな。でも、今度2001年秋にジョナサンが日本の展覧会をロンドンのヘイワードギャラリーでやるから、そういう時はもう出んわけにいかんというか。彼は日本人の展覧会じゃなくても僕を入れるから。ジョナサンはかなり違うと思う。彼とは、本当その事について喋ったけど、僕はナウィンを入れろって言ったの。ナウィン、日本に住んでるし、日本人の奥さんがいるしって。

岡部:いいんではないかしら?だめでした?

島袋:ナウィン入れるって。それはいいアイデアだって。

岡部:フランスだったらそうしますよね。たとえば私とアルフレッド・パックマンが一緒に企画した『眼と精神 フランス現代美術』展(1998‐1999年、群馬県立近代美術 館、いわき市美術館、和歌山県立近代美術館)の時、中国出身の作家も入れてます。

島袋:そう。だから、何人という考え方を、もっと変えてもいいと思う。パスポートだけで判断するんじゃなくて、今、日本にいたら日本人てことにしてもいいのにって思う。

岡部:日本人と同じような活動してるわけだし。

島袋:同じ空気をすってるわけだし。

岡部:ヘイワードの展覧会は、何人くらいで、世代的には?

島袋:三十人手前くらいじゃないですかね。世代的にはバラバラですけど。でも不思議なセレクションですよ。日本の作家、だれがいいと思うって言われて、まず僕が薦めたのは、中川幸夫さんとナウィンですね。小柳画廊に中川さんの資料を見に行きって言うて、そしたらすぐ見に行って、あれはええ、よし入れる事にしたって言ってましたけどね。

13 違う思考を持ってるのに、よーいどんで始められる方がおかしい

岡部:ヘイワードの展覧会はちょうど横浜トリエンナーレの時期ですね。トリエンナーレの準備は大丈夫?誰が島袋さんを推薦したのですか?

島袋:南條さん。

岡部:一応もう構想はあります?作品はどんな風になるのでしょう?

島袋:うーん、一応あるけど、まだ、集中できてないですね。神戸アートビレッジセンターの個展がんばろうって思ってたから。海を使おうかなって思ってるんですけどね。また海を使いたいなって。横浜、港ですから。

岡部:これからオープンまでに、もう時間がなくなってきてますね。

島袋:そうですね。でも思うけども、大きいグループ展とかオープニングの時に全部そろってなくてもいいなって。

岡部:みんな必死になってやるんだけれど・・・

島袋:でも今回のメンバーとか見てると、多分必死にやる気がするな。

岡部:それでもできなくて、ブランクの空きブースがあったりするかもしれない・・・

島袋:かもしれないですね。そっちの方がいい、生きている作家の展覧会っぽいですね。

岡部:しかも作ってるのをみんなで見たりできれば・・・

島袋:とか、それが生きてるってことだから、現代美術ってことだから。おかしいです。世界中からいろんな作家が来てて、違う思考を持ってるのに、よーいどんで始められる方がおかしい。こっからここまでの間に・・・ぐらいにしとかんと。

岡部:かえって、行ってみたらどんどん変わってたりとか、最後にあーできたみたいなことも楽しいかもしれない。

島袋:うん。だし、ナマモノってあるから。今が食べ時っていう。期間中の一日だけしかできない作品だってあると思うし。だから、それをこっからここまでの期間、

岡部:同じように見せますっていうのは、

島袋:全部冷凍食品みたいになってしまいますよ。と、思いますね。


日本の船旅 
2001 横浜トリエンナーレ
©Michihiro Simabuku

14 売りやすいものを作れって絶対言わない

岡部:これからヘイワードに出すのも違う作品ですか?

島袋:ヘイワードは旧作1つと新作1つ。だから、ひとつはタコのヴィデオなんかいいんじゃないかって言われてますけどね。

岡部:作品の制作費は、美術館からのオファ−や美術館との関わりによっても違うと思うんですけど、作品を売る場合にはヴィデオなども売ってるんですよね。ギャラリーとのかかわりは?

島袋:展覧会の話とかあんまり画廊がもってきていない。僕がフランス行って、わーわーってぐるっと回った方が展覧会の話は来るし、画廊はフランスのエ−ル・ド・パリとつきあいだしてから、自分がなかなか満足できるレベルで付き合える人が少ない。

岡部:エ−ル・ド・パリはちゃんと売ってくれてます?

島袋:というか売れなくても、彼女達は一生懸命。日本よりはずっと売りやすいと思う。あと彼等は売りやすいものを作れって絶対言わないから。「輪ゴムをくぐりぬける」とかあるでしょう?あれとか、ああいうものをすごく喜ぶから。

岡部:わたしもやりましたけど。

島袋:あれ売りたいっていってる。あれ売れるだろうって思うね。

岡部:売る事自体がアートになる。

島袋:そう。彼等もそういう意識でやってるから。だからそういうところで似ている。

岡部:感覚がね。

15 アメリカのシステムを真似ようとはしてない

島袋:うん。僕もこの作品は船乗りに売る作品とか。海辺の美術館のための作品を作りたいとか。なんでもいいから売れたらいいと思ってないし、彼等もそう思ってないし、そこんとこで僕はすごいシンパシーを感じてる。エ−ル・ド・パリには。だからそういう人がいたら誰とでもやると思いますけどね。アメリカのシステムを真似ようとはしてないから。自分達のシステムを作ろうとしている。いい作家がいっぱいいるでしょ、あそこ。リアム・ギリックとか。ピエール・ユイグは違うけど、カステン・ホラーとかジョセフ・グリグリーとかエ−ル・ド・パリの作家なんですよね。それで、彼等が日本に来るから、画廊の人も呼んでいるんです。何か一緒にできたらなって思っているんですけど。

岡部:面白いかもしれないですね。やっぱりフランスの人達と気が合うわけだ。

島袋:そうですね、エ−ル・ド・パリの周辺にいる人達。


ニューヨークで 2000
©Michihiro Simabuku

16 なんとか両方が生きていくってこと

岡部:だから時々は(フランスに)行きたいみたいな感じですね。

島袋:そうですね。なんだかんだって1年に1回は行く機会があるし。行ったらギャラリーの人達が友達のアーティストの家に泊まってずっと喋って、楽しいですね。ほんとは仕事って楽しいのになって。楽しく仕事してもいいのにって思います。これは仕事だからつまらなく、画廊と作家との関係も。いわゆるビジネスライクっておかしいと思う。本当はもっと楽しい、それでもビジネスできるのにって。どうなんでしょうね。お互いの事が本当にわかってない関係でやっている人達も多いと思う。だって、僕の財布の中身を知ってて、僕も画廊の人の財布の中身を知ってて、知ってる距離で暮らすわけだから、僕の方からこの作品あげるから売ってってことになるし。逆に向こうも、あー、お金ないやろって売れてないのにお金くれたりとか。だから一緒になんとか両方が生きていくってことですよね。 でもこれからどうなっていくんですかね。今回の神戸の展覧会なんか手伝いに50人ぐらい来てくれたんですよ。だから、若い人興味はあるんやって、思ったんですけど。僕はバトンですからね、前の人のバトンのひとつを今はただもってるだけの話ですから。だから、彼らがどんな風にやってくのかって、すごい楽しみですけどもね。

岡部:若い人たちはどんどん変わってきてると思います。状況が難しくなってそういう事を意識しているから。やっぱり今までのすごくいい状況の中で生きてきた人、そういう世代とは違うなって思いますね。その中でもっと自分に素直になって・・・

島袋:そう僕不景気とか言うけど、今これが世界のスタンダードでしょ?

岡部:フランスなんか長い間不景気だったし、イギリスなんかもっとひどかった。ヨーロッパはみんな不況というのに慣れている。

島袋:だから、10年前とくらべたら不景気というだけで、もっと長い歴史や、他の国とくらべると今でもまだ裕福ですよね。

岡部:すごく裕福ですよね。
(テープ起こし担当:田中恵郁)


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