Cultre Power
artist 辛酸なめ子/Shinsan Nameko
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
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インタヴュー

辛酸なめ子(漫画家・エッセイスト)x 岡部あおみ

学生:石川真由美 斉田圭一郎
日時:2004年12月8日
場所:新宿カフェ

01 ムサビ生時代:パソコンを使わせてもらえず制作は殆ど手作業でした…

岡部あおみ:大学の頃から漫画やイラストを描かれていたんですか。

辛酸なめ子:はい。ムサビの短大のグラフィックデザイン学科に入学してから、学生時代はパルコのフリーペーパー紙『ゴメス』の漫画賞に応募してGOMES賞を受賞したり、パソコンでハイパーカードなどを使ってゲームなどを作ったり、展示などに出展したり、学生の頃から漫画やイラストを描いていました。大学ではサークルにも入っていなかったので学校以外での活動が多かったです。例えば、『PEPPER SHOP』というフリーペーパーに参加して、立花ハジメさんや松本弦人さんとか、活躍している方々にインタヴューをしたり、アーティストのアシスタントのバイトをしたりしていました。

岡部:もうすでに学生時代から仕事をなさっていたんですね。

辛酸:そうですね。

岡部:大学での授業は仕事に役に立っていましたか。

辛酸:私が入学した頃は大学にパソコンが入って来始めた頃で、100人の学生に対してマックが2台しかない状態でした。しかもそのパソコンは助手の管理が厳しくて、ウィルスが入ると言ってあまり使わせてもらえませんでした。ですから皆がレタリングをやるのにも、シルクスクリーンを使うにも、活版で文字を組んだりするにも全て手作業でした。そういうことで経験して身に付けた技術も今となっては良かったと思います。

岡部:卒業なさってからもムサビとはなにか関係を持ってましたか。

辛酸:4年制に編入した友達がいた頃は、学園祭に数回行ったことはありますが、皆が卒業するとなかなか行かなくなりました。ですから学校が今、どんな風になっているのか分からないですね。

02 映像作品を作ってみたい

岡部:高校の頃から漫画家になりたいと思っていたんですか。

辛酸:漫画とは考えてませんでした。最初はデザインの枠を超えていろいろな活動をなさっている横尾忠則さんに憧れてグラフィック科に入りましたから。

岡部:ジャンルを超えた横断的な仕事をみんなが普通にできるようになったのは最近のことだと思います。辛酸さんはそういう意味では、肩を張らずにトランスジャンルの活動をなさっている第一世代と言えますね。60年代など、横断的な時代は存在したけれど、横尾さんの世代だと、継続的にできる人はまだ特別だったと思うし、一般的には専門分化した領域でアーティストとしても認知されてきたのではないかしら。辛酸さんの本を読んでいると、そうした境界を壊そうとしているように感じられますが、どうですか。

辛酸:壊すというよりも実際にグラフィックデザイン科に入ったら、数ミリ単位でずらしたり直線を引くのが苦手だったのでデザインの緻密な作業が私には向いていないことが分かって、グラフィックデザイナーは無理じゃないかと学生時代に思い、今の方向になりました。

岡部:文章を書いて漫画を描く形でヴィジュアルにまとめる独特なスタイルがご自分に合っていると思われるんですね。

辛酸:そうですね。アイディアを思いついた時にいくつか出す方法があるのは良いと思っています。

岡部:写真も撮られてますよね。

辛酸:写真は撮っているというより適当に記録するために使っています。

岡部:これから他にいろいろ手がけてみたいメディアはありますか。

辛酸:私は貧乏性な方なので、パソコンを使っていてもすぐ画像を圧縮したり、小さい絵で描いたりしているんです。本当は映像の編集をしてみたいですけど、まだ撮る機械もないし、そこまでデータを取込むパソコンのメモリもないので今は… ですから最近、カヒミ・カリィに憧れて、ヒガミ・カリィという名前をつけてフランスを探して街を這い回るという映像を撮ったんですが、編集も何もせずに放置している状態なんです。周辺機器を整えたら、それを作り上げてみたいですね。

ぬめり草
© Shinsan Nameko

03 鋭い観察力は錬金術!?

岡部:セレブに対してとても辛辣なことを言っていますね。

辛酸:そうですね。『BUBKA』でアイドルについて書いています。そういう辛辣なことを書いてしまうと会える人が少なくなるんですよ。知り合いの舞台を見にいって楽屋に挨拶に行こうとしたら、小池栄子さんがいたので逃げるように帰ったり、友達とお茶をしていたらその友達がまた、前にコラムで書いたことがある女優と友達で、彼女が合流したんですけど私はずっと主婦のフリをしたりと、大変ですよ。 実際彼女たちは私の本なんて読んだことないと思うのですが、つい罪悪感にかられて……。本当はファンで、それが歪んだ形の愛情になったのだとフォローしておきます。

岡部:なかなかみんなここまでの勇気を持って発言できないですよ。執筆でお忙しいでしょうから、一番会ったりする機会が多いのは、そうなると、やはり雑誌の編集者の方々なのでしょうね。 

辛酸:そうですね。気付いたら友達が全然いなくなって定期的に連絡を取り合うのは編集者の方になってしまいましたね。

岡部:洞察力というか観察力がとても豊かですね。どうやって身につけたのか、教えていただけるとうれしいです。

辛酸:この前、前世体交催眠を受けて私の前世が中世の錬金術師だったようなので、もしかするとその時にそうした術を覚えたのかもしれませんね。それと、小さい頃から転校が多かったので、転校するとその度にクラスの子たちを観察することで、そのクラスの勢力分布図を掌握して生きぬいて来たからかもしれません。例えば、一番最初に声をかけてくる子はクラスで嫌われている系の子だとか、だんだん認識できるようになりました。

岡部:小さい頃はどういう子供だったのですか。

辛酸:絵を描くのが好きで、一冊の本にしたりしていました。

岡部:テレビは見る方でしたか。

辛酸:高校までずっとテレビはあまり見させてもらえませんでした。両親とも厳格でしたから。ですから「私が美大に行きたい」と両親に言った時も大変でした。「美大を出ても仕事がない」ということが一番の反対の理由でした。また、「私が予備校に行きたい」と言った時にも「美大の予備校にいる男はオオカミだからオオカミの群に羊を入れるようなものだ」と言って反対されました。私は中高とずっと女子校だったので、ムサビに入ってからも学内にはかっこいい人が多かったのですが、その人たちはペテン師に見えて、男子が数人いるところに行くと襲われるとかそういった自意識過剰になってしまって男子とは全然話しませんでした。

04 男性観と女性観

岡部:基本的に女性に対する意見やツッコミが多くなってくる背景にはご両親、特にお母様の影響があるのかしら?母親が厳格な分、娘はだんだん解放的になってきた、とか(笑)

辛酸:それはあるかもしれないですね。抑圧されていた分、妄想が多かったようにも思います。あと、先程も言いましたけど、青春時代を女子中高で過ごした、というのも影響していると思います。つまり、男性の第二次性徴を目の当たりにすることなく過ごしてしまったので、男性に対して“解らない生き物”、“恐い生き物”という感覚を抱いてしまったんですね。この感覚は、今でもまだ、ちょっとあるかもしれないです。

岡部:後両親以外で、思想的に影響を受けた人はいましたか?

辛酸:高校時代はボーボワールが好きでした。小説も読んでましたけど、やっぱり女性作家のものが多かったですね。感情移入しやすいんです。音楽も女性ヴォーカルの曲が多いです。

岡部:好きなアーティストはいらっしゃいます?男性女性問わず。

辛酸:草間彌生さんが大好きで、小説も凄い好きです。

岡部:草間さん、おもしろいですよね。文章もお上手だし、私もとても好きです。でも、やっぱり女性なのね(笑)ご兄弟はいらっしゃらないんですか?

辛酸:妹がひとりいます。

岡部:あぁ、妹なんだ(笑)。

05 辛酸なめ子という名前の由来

岡部:辛酸なめ子という名前で登場するようになったのはいつ頃からですか。

辛酸:高校生の時に学校で新聞を作っていた頃からです。

岡部:その頃から辛酸をなめていたということかしら。

辛酸:いえ、いえ、その頃は見かけが薄幸そうに見えると言われてそれもあってつけました。顔色が白っぽいからか、友だちのお母さんに、あの子は弱々しいけど大丈夫なの? と心配されたり、幽霊と見間違えられたこともありました。

辛酸なめ子
photo Aomi Okabe

06 東京の現代アートとそれを取り巻く環境

岡部:昨今の現代アート観についてお聞きしたいんですが、ギャラリーに出品されたり、個展を開催されたりしていく中で、何か感じること、思うことはおありですか?

辛酸:そうですね。去年、ミヅマアートギャラリーで個展を開いたんですけど、アートとしては認められなかったように思います。ですから、アートに関してはまだ模索中ですね。

岡部:作品は売れました?

辛酸:ちょっとしか売れませんでした。解りやすい「絵画」というものは、売れるには売れるんですが、「オブジェ」になってしまうと売れないようです。絵画は「飾りやすい」という点でオブジェよりも商品価値が認められやすいのかもしれません。ここに、今のアートの問題点があるようにも感じるんですけどね。

岡部:確かに、東京は特に現代アートに関して、とくに市場はまだそれほど元気があるとはいえません。

辛酸:はい。関心度が低いです。2年程前にニューヨークで開催されたグループ展に出品したんですが、そのギャラリーは9階にあったんです。日本だと、9階のギャラリーになんて誰も来ないじゃないですか、余程興味のある方以外は。でも、そこではオープニングの日に何百人もの人が来たんです。チェルシーという場所の影響もあったとは思いますが。それでも、アートへの関心自体が全然違うということを感じました。

岡部:それについては私も同感です。東京は現代アートに関するまとまった情報が得にくいし、ギャラリーの場所も分散してます。

辛酸:はい。あと、『ヴィレッジ・ヴォイス』のような新聞がないことも挙げられるかと思います。

岡部:そうですね。そういった活気のある新聞や情報紙もつくる必要がありますよね。

07 将来観・将来像

斉田:今までのお話を聞いて思ったんですけど、辛酸さんは本当にアートがお好きなんですね。

辛酸:いやぁ(苦笑)。

岡部:ご自分で誰かの作品を購入されたことはないんですか。

辛酸:あぁ、まだ買ったことはないですね。部屋が広くて置く場所に不自由しないようなら購入してみたいですけど。

岡部:確かに、置き場所がないと困りますものね。でも、いずれ購入したり、コレクションを持ってみたい、といったことは考えたりしますか。

辛酸:はい、そうですね。もし将来広い部屋に引っ越すことが出来たら。あっ、でも、話少しかわるんですけど、先日ムサ美時代にお世話になった佐藤和男先生が参加されている展覧会に伺ったんですね。芸大に通ってらした時の同窓生の方々が集まって毎年開催されている展覧会なんですけど、凄く雰囲気があっていい展覧会だったんです。出品されている方々は、みなさんもう80歳を過ぎてらして、髪の毛全部真っ白な方もいらっしゃったし、佐藤先生ご自身も大正生まれの方なんですけど、ジーパンを履いていたりして。本当に、その場の空気がもう素敵で。勿論絵も凄くよくて。でも、“売りたい!!”っていう感じではなかったんです。ただ毎年作品を創って、その成果を発表する為にみんなで開くグループ展、といった感じらしくて。広い部屋でコレクションを飾るのも勿論いいですけど、こういう老後もいいなぁと思いました。

岡部:そうですね。素敵なお話をありがとうございました。お仕事の合間の短い時間でしたけど、今日はいろいろなお話が伺えて愉しかったです。

辛酸:いえいえ、こちらこそ。生徒さんも、学校、頑張ってください。

斎田と石川:はい、ありがとうございます。がんばります(笑)。

(テープ起こし担当:石川真由美+斎田 圭一郎)


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