学生:沢山遼、高橋遼佑 岡部あおみ:小沢さんのお仕事をこれまで拝見していて、いつもそのエスプリというかエッセンスに大変興味をひかれてきたのですが、とくに上野で見た『醤油画資料館』の大作には圧倒されました。あの発想は凄いですよね。アイデアをずいぶん暖めていたのですか。
小沢剛:ケースバイケースですけど、『醤油画資料館』は三年ぐらい考えてましたね。
岡部:実現できる可能性がなければお蔵入りになるわけで、とてもいい時期に発表できてよかったですね。福岡アジア美術館の開館展に出品されて収蔵された作品、四国のほうで常設になっているものもあると伺ったのですが。
小沢:『醤油画資料館』は、福岡アジア美物館が収蔵しているもの、フランスのアヴィニヨンのランベールコレクションにあるもの、それと香川県で鎌田醤油工場本社近くに設けられた讃岐醤油画資料館に常設になっている三館分作ってますね。
岡部:最初から複数制作する予定はあったのですか?
小沢:いや、あとから次々に依頼がきたからで、もうつくらないと思うけど、ただ単体で、一品でぴかっときたのを作るかもしれないです。
岡部:たくさんの小さな部屋で構成されている一軒分の家すべてに作品を飾っているような規模ですから、あれだけの大きなものを作るだけで大変ですよね。
小沢:すごいエネルギー使う。
岡部:すごく面白いのは、日本特有の醤油という要素を素材にして実際に絵を描き、日本の美術の伝統に対してパロディとしているところです。小沢さんご自身の古いものに対する考え方などをお聞きできたらと思ったのですが。
小沢:うーん、好きな絵もあるし大嫌いなものもある。日本の美術史に対しての愛でもあり憎しみでもある、その両方のどろどろしたようなもの、その読み直しというところですけどね。
岡部:大嫌いなものも憎しみもある。結構たくさん嫌いなものもありますか。
小沢:たくさんはないけど、それはあんまりいいたくないですよね...
岡部:小沢さんは東京芸大の絵画科油画出身ですが、そうした日本美術史にたいしての好き嫌いは大学時代に培われたものでしょうか。
小沢:大学で美術史やったけど、時代に限られた狭い範囲の授業しかなかったり、一年間やっても百年以内だったりとかで、当時はそれほど美術史を知らなかった。
岡部:『醤油画資料館』は戦後の具体とか、草間さんまで入っていて、過去から現代まで来てますよね。
小沢:全部自分で勉強し直さなくてはならなかったけれど、それですごく見えてきて、自分の制作と絡めてみたら、すごく面白かった。
岡部:森村泰昌さんは西洋美術史が中心ですが、美術史を読み直す仕事をなさっています。小沢さんもこの醤油画だけではなく、これからも美術史に深くかかわって展開するような可能性はあるのでしょうか。
小沢:この先の展開を見ててください。
岡部:醤油画の保存は大丈夫なのですか。心配しているのですけど。
小沢:醤油自体が特製なんです。塩は電気分解ですべて減らし、防カビ液につけてます。
岡部:それの特殊醤油は讃岐の醤油会社で作っていただいたのですか。福岡アジア美術館の新作のときから使われてました?
小沢:アジア美術館では、きちんとデータをとって温度と湿度管理をしてます。
岡部:2001年に開催された川崎市岡本太郎美術館の「小沢剛☆中山ダイスケ クロスカウンター」展で、岡本三太郎作とされた『醤油画(ダヴィンチ)』とか『醤油画(ロスコ)』を見たのですが、もっとも印象に残ったのは、岡本二太郎作の『野菜な武器』シリーズでした。今回のWicamプロジェクトでも千葉産の野菜で武器を作って女性にもたせてカラー写真を撮る野菜のアッサンブラージュの作品がありますが、最初のころの作品は小型の白黒写真でした。あのころの『野菜な武器』と、現在の作品とはコンセプトが違うのでしょうか?
小沢:あの展覧会は、岡本太郎の美術館で、岡本一太郎、二太郎、三太郎という三人の架空のアーティストがグループ展をやっているという設定で考えた作品で、それはそれで一応完結してたんですね。だけど時間がたって、あそこから新作のアイディアを引き抜いて広げていった。醤油画もそうです。アイディアがいろいろ溜まってきたから、今度また、あの時のようなワンマングループショーをまたやろうと思ってるんですよね。
岡部:それは小沢さんがご自分で創造したあの架空の岡本一太郎、二太郎、三太郎という三人のアーティストの展覧会になるのですか?
小沢:そう、そう。彼(?)のアイディアを小沢剛がぱくって作り上げたという。
岡部:ついこの前2003年9月にイスタンブール・ビエンナーレでお会いしたとき、小沢さんは、もっとも観光客の多いアギアソフィア寺院で、温室を作って世界各地で制作した『ベジタブルウエポン(野菜な武器)』のシリーズを展示なさってましたね。『ベジタブルウエポン』の作品は、今後も続けていかれますか?
小沢:うん、もうちょっつとの間ね。
岡部:あれはプロセスアートで、ただ写真で見ただけでは分からない前後の背景がありますよね。まず各地の名物料理を探って、その材料を買い、武器の形になった野菜を女性が持ち、写真に撮ってから、協力してくれたみんなで料理を食べるというポストプロダクションもある。今日のシンポジウムではじめて小沢さんが制作プロセスのヴィデオを会場で見せてくれたのでわかったのは、小沢さんが自分で料理の材料を買うのではなく、写真のモデルを先に決めて、その人と相談して、モデルの方がスーパーとかで材料を買うんですね。
小沢:そうそう、メニューは彼女が決めることもある。
岡部:各国各地に特有な料理は、いくら勉強しても具体的にはある程度しかわからないでしょうからね。
小沢:僕のリクエストで無理やり作らせることもできないし。これまでヴィデオはあまりちゃんと撮ってないものもあるし、なんとなくあまり見せていなかったんですよね。でもヴィデオだと背景がわかりやすいみたいですね。
岡部:お料理をするのはお好きですか?アーティストはわりと料理が上手な人が多いですが。
小沢:そうですよね。女性に料理させてとか、フェミニストから言われることもあるけど、ぼくもしますし、女性をモデルにするのは男性のモデルより気持ちがいいし、野菜では人を殺せない、みんな一緒に楽しく食べようというメッセージもあるから。
岡部:野菜のアッサンブラージュについて言うと、イタリア人でプラハの宮廷画家として皇帝ルドルフ2世に仕えたジュゼッペ・アルチンボルドが、16世紀に有名な『四季』といった作品で、季節の野菜などを集めて人の顔を作る絵を描いてますね。あと、日本だったら江戸時代後期の国芳の浮世絵とか。
小沢:うんうん。浮世絵はまえから大好きなんですよね。写楽とか、何でも好きですね。特に誰がどれとかないけど。あまり偏見持たずに、過去の作品は時代に関係なくピックアップして、さらに古代エジプトとかアッシリアとか、それそれの歴史背景とかは抜きにして見ている。なんかアーティストっぽくないけどね、美術愛好家みたい。
学生:小沢さんは『相談芸術』をなさっているんですけど、そこに相談にくるお客さんは、小沢さんにとっては、どういう位置づけになっているのかをお聞きできれば。
小沢:お客さんと作品を作る人の関係があるからこそ、アートは成り立っているわけだけど、その構造を逆転させる構造上の遊びというか。
岡部:小沢さんは『なすび画廊』でも、牛乳箱といった日常的で懐かしい最小の箱を提供して、他の作家に個展の場を提供してます。また講演やパフォーマンスなどが行われる「トンチキハウス」も私は一つの場の創造と提供という意味で、無償の提供を実践する「ギフトエコノミー系アート」(インターネットなどにおける無償のソフトの提供などを解したグローバルなネットワークのつながりの構築と類似する行為として定義してみた用語)だと思っています。小沢さんはかなり熟練というか、前からこうした行為を手がけてらっしゃいますよね。最初にそうしたギフト系に入っていった背景なんかはあるのでしょうか。
小沢:さっき岡部さんが千葉市美のシンポジウムのパネルで、アジアに多い「ギフト系アート」について話されたときに、アジアには西欧とは違う贈り物の習慣や風習が今でもあると指摘されていましたが、その話を聞いて思ったのは、まずアジアには作品を発表する場がないということ。牛乳箱自体はきちんとした発表スペースではないけど、それ自体がそうした場のない日本の状況の皮肉になってます。
岡部:たしかにそうした背景があって、それはある程度共通認識かなと思い、話さなかったのですけど、小沢さんは今の状況はどう思われます。当時からすればアートのNPOグループが増えたり、現代アートを支えるインフラは多少整備されてきていると思うけど。
小沢:少しずつはよくなってるけど、まだまだマーケットが活性化していないですよね。
岡部:でも小沢さん自身は、商品価値的トレードマークとしての作家性にはこだわっていないように思うのですが。最初から覚悟してやっているというか。
小沢:ただそれが商品としてのアートになってしまうときには、それはちゃんと問題がおきないようにやってきてますけどね。
岡部:小沢さんのお仕事は現代の最前線にいる、私の言葉でいうと、「ギフトエコノミー系」の作品なのですが、そうなるとマーケットとの関係はやや難しいところもでてくる。ご自分ではそれはどう考えられて、どうなさるおつもりでしょうか。
小沢:もう、助けてくださいよっていう感じですよ。わかんないですけど、何とか工夫して、残らないものでも残る形にやっていく努力をしていけばいいのかなと。
岡部:たとえば、ヴェネチア・ビエンナーレで観客の鼻にチューブをつけていい空気を送っていたタイのスラシ・クソンウォンにしても、徹底的にギフト的で、あちらこちらの国際展にひっぱりだこでも、あんなにサービスだけしていて続くのかなと、生活はどうしているのかと、心配になります。
小沢:ぎりぎり限界のところでやっていますからね。
岡部:若いうちはできるのかな。
小沢:そうですかね。肉体の老化と相談しながらやります。
岡部:作品を残す残さないという面では、欧米のアーティストと比べてアジアや日本のアーティストはかなり異なるところがあるように思うのですが、アジアの作家の位置などはどう思われます?
小沢:明らかにやり方が違う。こちらは作るのみだから。そのあたりは評論家のほうで編集して、言葉にしていってほしいですね。
学生:写真を撮ってらっしゃると思うんですけど暗室作業はまだご自分でやってらっしゃるんですか。
小沢:いや、もうやってない。四年前にやめたのかな。暗室作業嫌いなんだよね。
学生:「小沢剛 世界の歩き方」という著書の中で、新川貴詩さんとの対談中に「グローバルとドメスティックって、もちろん反対の意味なんだけどさ、ドメスティックなことを徹底的に突き詰めていくと、次第に人間の本質的な深い部分が見えてきて、やがてそれがグローバルな問題にも結びつくんじゃないか」とあったのですけど、そのドメスティックの意味は「家庭」ですか、「国内」ですか。
岡部:両方の意味でしょ、きっと。日本美術史とか、料理とか、ドメスティックを意識してますよね。
小沢:そうそう、どこの地域でも見掛けは違うけどローカルなリアリティはそれぞれ存在していて、それにぐっとフォーカスをあてることによってその雛形というのか、それが一気にグローバルに繋がっていくという意味ですね。
岡部:それは地方の名物料理みたいにどこの地域にもあって、そうした象徴はそれぞれ違うのだけど、同時にグローバルなモデルのひとつを表現することにもなるといった...
小沢:そうですね。また醤油を徹底的に使うことで、それを使わない国の人にも理解していただけるのではなかろうかという展開の仕方ですかね。
岡部:小沢さんの作品の場合、日本の文脈などを知っているとより楽しめるという側面もあるのかなと思うのですが、海外の反響とか、国外ではどのくらいの理解があるのでしょうか。
小沢:自分もまだよくわからないですけど、そうした点ではぜんぜん悩んでいなくて、もう迷うことなくやっているつもりです。外国では、わからなくても、違う解釈で面白がっている。コンセプトを二層三層にしているから、いろんな解釈に開いていて、その一個でも感じてくれればいいかなと思うし、ぜんぜん違う引き出し方でもいいかなと。いろんなイマジネーションを引き出せる装置だから。
岡部:そうですね。いい作品はそうじゃないと。
小沢:そうありたいですけどね。
岡部:ありがとうございました。小沢剛氏×岡部あおみ
日時:2003年10月12日
場所:千葉市美術館
01 醤油画で日本美術史の読み直し
イスタンブールビエンナーレ会場風景二枚
©オオタファインアーツ
02 愉快なワンマングループショー
©九龍城 1992 写真 24.5x24.5cm
オオタファインアーツ
03 『ベジタブルウエポン(野菜な武器)』の背後の物語
小沢剛 千葉市美術館にて photo Aomi Okabe
04 牛乳箱の発表スペースが日本の状況?
05 ドメスティックとグローバル 海外からの反応
(テープ起こし担当:高橋遼佑)
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