Cultre Power
artist 丸山直文/Maruyama Naofumi
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー 「絵画が持つ新たな世界観の広がりを求めて」

丸山直文×岡部あおみ×白木栄世

期日:2005年6月5日
場所:武蔵野美術大学油絵学科研究室

01 アメリカの影響

白木栄世:森美術館開館記念展「ハピネス―アートにみる幸福への鍵」関連パブリックプログラムとして開催されたMYWORKVに、李禹煥さんと対談されていましたが、そのときに李さんが、一般的に「絵画の死」が訪れたというけれども東アジアの絵画は終わっていない、東アジアの人々の特徴は何も考えなくても絵を描くことができるというようなことをおっしゃっていたように思うのですが。一昨年から、2年経ちましたが、現在の状況を見てみると、日本においてやはり絵画の表現は多く、逆に「絵画」表現を媒体にしたアーティストの方が雑誌とかでも多く取り上げられているように思います。そうことを踏まえて、今現在の日本の絵画の状況を修士論文で取り上げよう思っています。絵画表現を行う人たちのリアリティとは何だろうと思っていますか。

丸山直文:僕は5〜6年前になりますがドイツに滞在していた時期があるんですが、そこで感じたことも日本に比べると絵を描いている人が少ないということでした。それはきっとドイツや、李さんがいらしたフランスだけに言えることではなくて、ヨーロッパ全体に言えるのではないかと思うんですが、絵画の歴史を作り上げてきたヨーロッパの作家達にとってモダニズムの終焉はアジアの作家達よりも、もっと大きなものとして受け止められているのではないかとも思います。

白木:なぜドイツに行こうと思われたのですか?

丸山:90年代初頭まではアメリカを経由したモダニズムの影響が僕の中には凄くあったと思うんです。しかし、徐々に疑いというか、このままでは作品を作り続けるのが難しいのではないかと思うようになってきました。絵画とは何かといった問題よりも自分にとって表現とは何かという問題に直面したのだと思います。そんなときに、明治から大正にかけて活躍した、岸田劉生や村山知義などの反モダニスト達の言葉や木下杢太郎などの言葉に共感を覚えるようになりました。その当時はドイツの思想などの影響が強かったということを知り、研修先としてドイツはどうかな、と思うようになっていきました。僕は文化庁の在外派遣で行ったのですが、その場合受け入れ先がかなり厳しいんです。それで同じギャラリー(シューゴアーツ)の作家であるイケムラレイコさんがベルリンの美術大学で客員教授をなさっていたので、受け入れ先になって頂きました。

白木:ドイツに行かれる前は、抽象的な画面で色とかかたちの印象を強く感じます。今の丸山さんの作品とは違う印象を持ちました。抽象的な表現を行っていたときには、やはりアメリカの絵画の影響はあったのでしょうか?

丸山:僕が学生の頃だった80年代の日本ではフジヤマ芸者とかのニューウェーブと呼ばれていた時代があり、一度その空騒ぎも終わりを迎えるんです。ちょうどその時期に中村一美さんや岡崎幹二郎さんが作家として出てきました。僕は中村さんや岡崎さんに学んだ時期が長かったので、カラーフィールドペインティングとか抽象表現主義などのモダニズムペインティングもある程度勉強しましたから、少なからず影響はあったと思うんです。

白木:アメリカの美術を知ったきっかけはBゼミのときですか?

丸山:そうですね。高校を出て一度就職して、その後新宿にある文化服装学院に通いました。別にデザイナーになろうと思っていたわけではないけれども、お店とかで働ければいいなと思ってファッションビジネス科に入りました。そこでは、服を作る勉強をしながら絵も描く勉強もしました。もともと絵を描くことは嫌いではありませんでしたから面白かったですよ。小さい頃は「絵描きになりたい」とも思った時期もありましたが、父から駄目だと反対されました。ですが、ひとりで東京に出てきて、実際に絵の授業を受けるような環境になると、やはり絵の方が面白いなと思い始めたんです。それで文化服装学院の先生に紹介してもらったのがセツ・モードセミナーでした。そこにも通うんですが、自分の思っているものとは違いました。その頃掃除のアルバイトをしていて、そこにBゼミに行っている人がいたのがきっかけでBゼミを知りました。

岡部あおみ:大学に行こうとは思わなかったのですか?

丸山:思わなかったですね。親にはもちろん進学をするようにと言われたけれども、進学するよりは就職しようと思いました。その時はやりたい事が別に無かったんです。

岡部:高校の時から絵を描いていらしたのですか?

丸山:一応選択科目は美術をとっていたんですが、その時は全然描いてはいないですね。

岡部:Bゼミに入られる前に美術に興味をもたれる何かきっかけはあったのでしょうか?

丸山:文化服装学院とセツ・モードセミナーで色彩論を勉強したり、簡単なデッサンなどを習いました。しかし、美術館やギャラリーに行くとそこには学校で習った知識だけでは理解できない違うものがあったんです。

岡部:東京に来たということも影響としてあるんでしょうね。

丸山:そうですね。わけのわからないものが美術館やギャラリーにある。よく覚えているのが池袋にあった西武美術館で開催された「もの派とポストもの派の展開」という展覧会で、李さんや岡崎さんや戸谷さんが出ていて、面白いなと思いました。

岡部:文化服装学院はいい学校だと聞いています。そこで学んだ人はやはりデザイナーになる人が多いんでしょうか。

丸山:そんなこともないですよ。僕はファッションビジネス科という所にいましたし、全ての人がデザイナーになろうと思っているわけではありません。しかし、全ての科で絵を描かされたり、洋服を作らされると思います。

岡部:丸山さんも洋服をつくれるんですか?

丸山:本を見ながらだったらつくれますよ(笑)。でも洋服を作り出してから、自分は服作りには向いてないと思いました。今用いているステイニングの技法は、キャンヴァスの代わりに文化服装学院で使っていた布地を使い始めたのがきっかけなんですよ。


丸山直文 Naofumi MARUYAMA
Installation view 「朝と夜の間」
"between morning and night"
2005/11/11 - 12/17 SHUGOARTS
©SHUGOARTS

02 Bゼミとの出会い

岡部:Bゼミと出会ったきっかけは?

丸山:ビルの掃除のアルバイトをしているときに、Bゼミに通っている人がいたというのがきっかけでしたね。何だか面白そうだなと思ったんです。

岡部:文化服装学院などのデザイン学校は、今はアートや絵画表現とも近い距離を持ち始めていますが、当時はまだかなり異なる領域だと思われていたと思います。今では、文化服装学院からアーティストになっている人もいますし、絵画の公募展の審査でも、デザイン学校の学生の作品が多くなってきています。Bゼミの当時の先生だった中村一美さんと岡崎幹二郎さんでは、主にどちらにつかれたのですか?

丸山:主には中村さんでした。1年次2年次を通して中村さん、2年次から岡崎さんのゼミも取りました。その他にも原口典之さんのゼミも取っていました。

岡部:どういう授業だったのでしょう?

丸山:基本的には講義形式でした。講師の先生からの話が少しあったあとに、その日のうちに2〜3時間でつくれるようなものをつくっていました。頭でっかちになって、作品がつくれなくなることも多くありましたけど。学生は30人くらいいたんでしょうか、そんなにはいなかったのでマンツーマンで教えてもらい、Bゼミの上のAゼミにも行ったので、実質3年ぐらい行きました。3人のゼミと、時々、美術評論家などが特別に来るときのゼミをとっていました。

白木:ちょうどそのときにアメリカの美術を知るきっかけができたんですね。

丸山:僕が入ったころは、ニューペインティングとか言われているものに対する非難が強かったです。だから、どちらかというとフォーマルなことに関していろいろ教えてもらいました。

岡部:彼らは再現的なものは否定する形で、抽象的な画面の構築や脱構築を考えてきた方々だから、急に再現的なイメージに戻っていくという、わかりやすさを強調した復古的な側面に反発を感じたり、戦前のアヴァンギャルド絵画のイメージの焼き直しや、熱を帯び始めた市場原理で作り直された絵画といった疑問があったのではないでしょうか。

03 ベルリンにて

岡部:ドイツでは何故ベルリンへ行こうと思われたんですか。一応どこでも選べたのでしょう。

丸山:そのときには、それまで影響を受けてきたアメリカに対して抵抗感があったので、アメリカは選択肢にはありませんでした。もうひとつの理由は、引き受け先を決めなければいけないということで、同じギャラリーに所属していたイケムラさんがベルリンの大学で客員教授をやられていたので、ベルリンに決めました。

岡部:ドイツは絵画の歴史も豊かですよね。イケムラさん以外にはドイツの作家には興味はなかったのでしょうか?

丸山:その時には、現代の作家は頭になかったですね。それよりもロマン主義のフィリップ・オットー・ルンゲ(1777〜1810)やカスパル・ダヴィト・フリードリヒ(1774〜1840)とか見ていました。ルンゲに特に興味がありました。自分のつくる作品にフォーマルな部分だけではなくて意味を見つけ出したかった。自分は何故絵を描くのかということを知りたかったんです。ただ2年といっても1年行って帰ってきて、また1年という状態でしたから、最初の1年目は、言葉もできませんでしたし、制作はほとんどできなかったですね。アトリエを借りることができたんですけれども、1年では足りないと思いました。2年目はポーラ財団の奨学金で行くことができ、1年目でできた友達もいたので2年目はすんなりアトリエを借りることができました。でも、2年間ではドイツの社会に自分のポジションを取るには短いですし、中途半端な時間だったような気もします。何処の社会からも離れている浮遊感のようなものが心地良かったですね。自分自身に向き合うという意味では良い経験だったと思います。

白木:ドイツに行かれたことが何かきっかけとなって、具象的な絵画を描かれるようになったのですか?

丸山:ドイツに行く前年にポートレートのシリーズを描いていたので、ドイツに行ったからというわけでないです。シューゴアーツに入ったのは立ち上げからですが、佐谷周吾さんと一緒に仕事をし始めたのは92年の佐谷画廊の個展からです。佐谷画廊での一回目の展覧会では抽象作品の展覧会を行いました。そのときちょっとまずいなと思ったんです。自分で先が見えてきたんです。モダニズム的なことに対して自分は違うと思いながらも、そこから少しずらしているだけで、やっていることは同じだった。逃げようと思っても、捕まえられるという感じでした。

岡部:岡崎さんや中村さんがなさってきた範囲の中でのちょっと違う、範囲を広げたというかんじでしょうか?

丸山:そうですね。自分でもそこから出たいと思っていたのですが、不安だったんです。2回目の個展で自分の知っている人の顔を描いて出したけれども、それでもギリギリの状態でしたから。どこかに行きたいという思いはありました。

岡部:それで、ドイツに行くことができて客観性がもてたんですね。

丸山:そうです。ドイツの文化に触れたかったというのは、本質的な問題ではなかったのかもしれません。アトリエを借りている近所のおばさんから、子どもが読むような本を使ってドイツ語を教えてもらっていました。おばさんが使っていたのが、『長靴下のピッピ』とか日本でもよく読まれている本でした。僕も子どもの頃に読んでいたので、時間と場所を越えて自分の記憶の中に入ってきました。ドイツ語はうまく読めなかったけれどもデジャヴュのような感覚を受けました。近所の子どもたちも日本人が珍しいからという理由でアトリエに遊びに来ましたよ。ちょっとメルヘンチックなドイツの風景を描いて、そういう状況も画面に取り入れたりしました。シューゴアーツの周吾さんがちょうどドイツに来たときにそのころ描いた作品を見せたんですが、「これでいいよ、これで展覧会やろうよ」ということになって、僕にとってその時の作品は本当に無理なく自然に出来上がった作品だったので僕も発表しようという気持ちになったんです。

岡部:すごく反響があったのでしょう。「丸山さんが具象になったの?方向転換したの?」という。スタイルを決めるとそれを一生続ける感じが強かったから、スタイルを変えてもいいのだというインパクトを与えたのではないですか?

丸山:インパクトは与えたでしょうが、理解してくれた人はあまりいなかったです。それまで抽象的なものを描いていたときに評価してくれた人達やコレクターとは付き合いが切れましたね。でも逆に、これまで評価してくれなかった人たちが良いって言ってくれました。

岡部:厳しいですね(笑)。

丸山:厳しいです(笑)。しかし、僕としては次の展開にシフトできました。

岡部:その頃、具象を手がけてきていた人、例えば奈良美智さんなどとの接触はなかったのですか?奈良さんも90年代半ばだと、まだドイツにいましたよね。ベルリンではないですが。

丸山:奈良さんはケルンに住んでいたと思います。ベルリンのアートフェアで偶然会いましたが、その後はドイツでは会いませんでした。奈良さんとは、抽象的な作品を描いていたときに名古屋の展示で一緒になったことはありますが、本人と直接会ったのは僕がポートレートの作品を発表した時に、オープニングに来てくれたのが初めてではないかと思います。

04 「秘すれば花-東アジアの現代美術」展

白木:森美術館の「秘すれば花−東アジアの現代美術」展に出品されていますが、東アジアという枠組みで参加されてどうでしたか?

丸山:正直言って少々抵抗感はありました。東アジアを一括りにして良いのかという感じがしたんです。例えば、美術教育ひとつとっても明治以降貪欲にヨーロッパの美術を吸収し、それ以後の歴史をアメリカ美術に求めた日本と、アメリカではなく旧ソ連に美術史の歴史の連続性を求めた中国とは価値観がやはり違うと思うんです。しかし、キュレーターが「東アジアから出てくるものはグロテスクでポップなものばかり」という印象が欧米の美術関係者には強いのでそうではないものを見せたい」と言っていたので、それに対して僕も同じ印象を持っていたので参加することを決めたんです。

白木:「ハピネス」展のときには「ハーモニー」(*出品作品は『river1』2003年)のコーナーの中で展示されていましたよね。

丸山:ハーモニーに限らず「ハピネス」展は、時代や地域で作品を絞り込むようなことはしていませんでしたよね。僕はそのような展示空間の中で自分の作品がどの様に見えるか興味がありました。

白木:丸山さんの作品が東アジア的である、ましてや現代の日本的であると語られることについてどのように思われますか?

丸山:作品にとって、絵画内の空間も大切ですが、絵画の外である現実空間との関わりも大切だと思います。ですからどの様な意味であれ、自分が生きている現代という空間にコミットしていたいとは思っています。どちらか片方に偏ってしまうのは良くないと思う。カラヴァッジョなんかは同じ画面の中に当時の流行のファッションを纏った一般人とキリストを描いたりしています。今で言えば渋谷とかにたむろしている若い子の中にキリストも一緒に描かれているようなものです。そのような、フォーマルな画面のつくりだけでは指し示されないものも作品の大きな魅力だと思うんです。ただ、注意しなければいけないのは、現在は現代的なモチーフばかりを追って作品を成立させようとしている傾向が強いように思います。もし、モチーフの持つ強度だけで良いのであれば写真でも構わないわけです。しかし、絵画は物質的な側面も持っていますから、やはりそれだけではいけないわけです。


丸山直文 Naofumi MARUYAMA
Installation view 「秘すれば花:東アジア現代美術展」
"The Elegance of Silence : Contemporary Art from East Asia"
2005/3/29 - 6/19 森美術館 Mori Art Museum
©SHUGOARTS

05 映像的に描かれる絵画

岡部:先ほど、質の話がでましたが、最近の丸山さんの作品では絵の具の厚みがますます薄くなって、キャンヴァス地がより露になっています。それは故意になさっている手法と考えていいのですね。

丸山:そうですね。そういう部分はあります。キャンヴァスの質感を見せることによって視線を跳ね返せればと思います。よく具象絵画に見られる、覗き込ませるような世界観よりも広がりを持たせたと思うんです。

岡部:丸山さんの作品はとても映像的だと思います。内部へ入っていく絵のイリュージョンではなく、自分自身の持っているイメージへと入っていく感じを受けます。

丸山:学生の頃に空の絵を描いていた時期があったんですが、それは写実的に空を再現したものではなくて、自分の中にあるイメージを何でも投影できるようなスクリーンを想定して描いていたんです。そこから、徐々に今のような作品へ向かって行ったと言えるかもしれません。

白木:映像的な作品とおっしゃいましたが、今回森美術館で展示されている作品は、画面の中で分割されていて2つの連続する世界が時間差のような形で描かれているようにも見えるのですが。

丸山:そうですね。『Butterfly song』(2004年)という2枚組みの作品は左の画面から右の画面へと描かれた蝶が移動しているように見えるかもしれません。ただ、右の画面と左の画面では描き方が異なっているんですよ。モチーフや構図は全く同じなのに描き方が異なっている、左から右へ蝶が移動し、連続した時間が描かれているように見えていて、その実、全く異なる空間が描かれているわけです。

岡部:映像的というのが、時間性を感じるということなら、若い世代の人たちが、かつては写真からの引用だったものが、映画のワンシーンなどの動画やコンピューターの3Dとのかかわりで描く人が増えてきていますね。かつての絵画が持っていた異空間的なものとは違う、むしろ機械的な装置として私たちが慣れ親しんでいる異空間的なものとの関係で、描写されているように思います。ご自分ではそのようなことを考えられていますか?

丸山:僕自身もテレビや映画で見たワンシーンをヒントに描くようなこともします。それに関係するか分かりませんが、時間性ということに関して言えば、僕の場合、ステイニングという技法に関係しているところがあるように思います。ステイニングというのは滲みを使って描くということになりますが、描いたものが“しみ広がる”。それは描いたものが時間の経過と共にもとの描かれたかたちを裏切り別のかたちを形成するということです。その滲み広がった痕跡が時間性を感じさせるのだと思います。

岡部:そういう意味ではロンドン在住の近藤正勝さんが、筆致にこだわり始めていることはどう思われますか?丸山さんとは逆の方向に行っているような気もするんですが。

丸山:いえ、そんなことはないと思いますよ。僕の場合、筆致と言えるかどうかわかりませんが、絵の具がどのようにキャンヴァスに染み広がるかに毎回気を配ります。絵画も広く捉えれば、映像のメディアのひとつだと思いますが、写真や映画などとはやはり違うわけです。絵画とは絵の具とキャンヴァスという物質との関わりによって成立します。その物質が持つ触覚性は絵画にとって大切なものでなんです。近藤さんも写真を使っておられるようですが、そうであれば尚のことそのような客観的な意識を持っているのだと思います。

岡部:ご自分では写真は撮らないのですか?

丸山:撮ります。

岡部:それを使って描いたりもしますか?

丸山: ええ使いますね。写真自体は歴史的にもさまざまな画家達が撮ったり使ったりしています。要はどういう風に使うかですよね。それによって画家の関心事や個性が見えてくる気がします。


丸山直文 Naofumi MARUYAMA
"Butterfly song" 2004
アクリル、綿布 acrylic on cotton
260x260cm 
©SHUGOARTS

06 ムサビの若い学生と現代絵画の方向性

岡部:現在、武蔵野美術大学の油絵科で教えていらっしゃいますが、今の若い学生の傾向とか、絵画に対しての考え方はご自分とは違っていたりしますか?

丸山:違いますね。どちらがいいかわからないけれども、今の学生は歴史的な認識がほとんどないんですよ。だから、絵なんてすぐに描けてしまうんです。僕らの頃は描けなかったですから。ニューマンの次に何か描けって言われても描けないよって感じでしたから。今の学生はそういった流れを全然知りません。知っている学生は若干いますが、すごく両極端です。

岡部:知っている学生はプレッシャーになるのかしら。

丸山:知っている学生は、今の現代性も時代性もまったく感じられないような作品を描くんです。「これ今描いたの?60年代70年代の作品じゃないの?」って作品を描いています。かたやまったくそういうものを知らない学生は自由に描いています。その中間はいないです。あまり周りのことを気にしないのかもしれませんね。自主的にいろいろなものを見たり、聞いたりしないのかもしれません。それに、卒業後に作家としてやっていこうと思っている学生と、そうではない学生とやはり別れていると思います。

岡部:将来自分が公募団体系で発表していくとか、現代美術の方向に進むとかを決めないで、大学に入ってくる人が多いのでしょうか。

丸山:そういう学生もいっぱいいます。大学院になれば、いろいろ解ってくるようですが。

岡部:現役のアーティストで、好きな作家はいますか?

丸山:ゲルハルト・リヒターとかゲオルク・バゼリッツとか。今年は「日本におけるドイツ年」ですからね(笑)。

岡部:アメリカの作家ではどうですか。ロス・ブレックナーはお好きですか?

丸山:ええ好きです。

白木:ローラ・オーエンスは好きですか?

丸山:ええ好きです。形式的なものを持ちながらも、一貫性がなく、ズレていくところが面白いですね。

岡部:オーエンスは女性のペインターという感じがします。

丸山:しますね。その軽快さがいいんでしょうけれども。

岡部:絵画は歴史の長い領域ということもあり、写真などと比較すると、女性のペインターは少なく感じられますね。一種の組織構造的な確立性がありますから。

丸山:少ないのは確かですね。有色人種はもっと少ないかもしれません。やはり差別問題はあるでしょう。 それを日本人は上手く利用している側面もあるんでしょうが、現代の日本の美術は受身ですよね。アメリカやヨーロッパの人たちが日本的だと思う部分をわかった上で作品をつくっているような印象を受けます。

岡部:日本の現代絵画が国際的に認知されてきているのはいいことですが、昔はあまり気にせずに好きなことがやれたとしたら、若者たちがそれに捕らわれる傾向もありますね。国際的に活躍できる可能性が増えてきたために、それに対するストラテジーが強く出てきたという問題ですが。

丸山:ただどちらにしても、奈良美智さんや村上隆さんが欧米で活躍してくれていることはある意味よいことだと思います。川俣正さんや宮島達夫さんとはやはり違うような気がします。

岡部:そうですね。日本的な素材感や空間性など、欧米の人がもっていなかったものとして認められた面も大きいと思います。

丸山:やはり、今でも絵画や彫刻は美術の王道だと思ってしまうんですよ。伝統的なメディアでもありますからね。その絵画や彫刻で欧米のマーケットに入って行ったのは凄く大きな意味があると思います。

岡部:スーパーフラットで奈良さんや村上さんが受け入れられている面には、ネオジャポニズム的な要素もありますね。独創的であると同時に、西洋のパースペクティブにはなかった独自な画面構成のコンセプトとしてと同時に伝統の継承として、提出できるというメッセージが、西洋の人達にとっては新しいだけではなくてジャポニズムで知っていた要素でもあるので、受け入れやすいのでしょうし。

丸山:そういう部分は確かにあるでしょうね。凄くわかりやすいですしね。ただ欧米の人は北斎は知っていても高橋由一のことは知らない。知らないからと言って由一が日本の美術史にとって重要でないとは言えません。日本の美術史が今はダブルスタンダードになっている気がします。村上さんのような作家であれば自分の美術史を持っていて当然だと思います。それは単にストラテジーの問題だけではなく、自分の仕事に対しての裏付けは作家としたら誰しもほしいものです。しかし、だからといってその美術史が無批判に流通してしまうことも怖いことです。また、スーパーフラットはモダニズムが作り上げたフラットネスとも上手くリンクしたのではないかとも思います。

岡部:そうですね。また若い人たちが伝統的なものに対してより意識的になっていることも、大変良いことだと思います。

丸山:それは確かに言えますね。


丸山直文 Naofumi MARUYAMA
"sister" 2004
アクリル、綿布 acrylic on cotton
91.0x72.7cm
©SHUGOARTS

(テープ起こし:白木栄世)
(白木栄世の修士論文『しかし、「絵画」は在り続ける。‐現代を生きる絵画の挑戦者たち』、2005年参照)


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