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戦うアーティスト
彼は過激な人だ。いまこれほどトゲトゲした人がいるのだろうか。今回のテープ起こしの作業を通してそう感じた。ただ単に言動や作品が衝撃的だから、と片付けられない。一筋縄では語れないのだ。世界を廻り、アートと社会の繋がりを模索し、思考してきたからこその切り口がある。
彼は全くアメリカナイズされてない。むしろ世界で生きていく術を身につけているのだ。アメリカでアーティストとしてやってゆくには、それなりの覚悟がいる。お金持ちの白人アメリカ人に迎合するか、それとは逆に自分のスタイルを貫くか。多くの人は少なからず、いや自分の意を曲げ、いわばアメリカという社会に適応して活動してゆく。が、彼はそうではない。アメリカという巨大で、果てしないカイブツと戦っている。政治、経済、人間関係、生活習慣、宗教等々、日本とは異なることが多すぎるアメリカ。まず美術を語る上で宗教の問題が大きく横たわる。キリスト教という概念が支配している西欧では、ひとつの信じる神がいる。一方、日本は八百万の神に、神仏習合という考えに基づき、あまたの神や仏が存在する。この両者の違いは、多文化に身を置かなければ分からない。彼はそのことまでも作品へと昇華させてしまう。
その作品にはドキッとさせられる。特に東京アートフェアー2007(「覚道への道」と題された2007.4.10の松岡正剛氏とのトークにおいて)で観た作品は、強烈だった。女性と肛門とウンコ。一度身体から離れてしまった排泄物はもう自分とは乖離された存在なのか、それとも未だ自分の身体の一部なのか。そんなことを考えさせる彼の作品は、観る側に爆弾のような疑問を投げてくる。オシャレで気持ちのいい作品よりも面白いのだ。
今後も彼の刺激的な爆弾にあたりたいと思う。
(大黒洋平)
平川さんの話を聞いていると本当に自分の無知という大罪について思い知らされる。
ニュースは一つのテレビ局のものだけ見ていても真実の世界には到底近づけない。
みんな実はそんなことは知っているのだがそうそう全メディアから情報を吸収しようと努力する人はいない。
最低限、大多数の人が知っている情報さえ得られれば自分が社会からはみ出すことはないからである。
溢れかえる情報量と不正にねじ曲げられる真実は、世界に真実を伝えるというニュースの本来の役割さえ変質させてしまった。
今やニュースは個人が社会に適合するためのツールになってしまっている。
そんな時代に彼は世界の声に耳を澄まし、多角的な視点を持って分析し、熟考して作品に反映させている。
彼の作品に決まったスタイルがないのは時代ごとの様々な問題に順応しそのための最善策を考えているからである。
加えて彼はアートに対して純粋である。彼のようなパワーのある作家は次々と海外へ出て行ってしまう。
日本にいても彼の作品を拝見できることは稀である。
同じように海外では当たり前のように見られる作家の作品も日本ではまだまだ名前すら知られていないことが多い。
彼の存在によって今後の日本のアート界の度量がどれだけの発展を遂げられるかを考えさせられた。
(林絵梨佳)