culture power
artist 早川祐太/Hayakawa Yuta


















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コメント

"自然"とは何かと訊かれると、たいてい樹々や水、大気のことなどを思い浮かべることだろう。では、私たちのいるこの人工物にあふれた世界は"自然"とは言えないのだろうか。いま着ている服や座っていたイス、それらは造られたものであるが、そこに在るものだ。空間における自然と人工物の垣根を取り払い、調和を作り出すこと。早川祐太にとっては、それが美の在るところなのではないだろうか。現象そのものを表現すること。現象の宇宙を伝えようとすること。作品と空間、その互いの声を尊重することによって、それらは一体となり、現象が提示される。作品一つひとつのかたちは異なっても、作品と空間の一体化は制作の上で一貫して守られていることだ。そして、作品と空間の対話によってうまれた展示空間は、意識の外にあった「現象そのもの」をそっととどめたようである。鑑賞者であるわれわれもまた、そっと息を潜め、その現象を体感するだろう。
(古市彩佳)

早川さんへのインタビューにおいて、「あやふや」という言葉が一貫してあったのが印象的だった。そこにはモノを分類・命名することに対する懐疑的な態度がある。自らの作品のジャンル(彫刻か、インスタレーションか)の不確定性にはじまり、〈芸術-非芸術〉という境界の曖昧性(釣りと芸術は重なり得る)、人間の視覚の可謬性、そして作家と観客という区別の曖昧性......。そういった世界の様々な「あやふやさ」を自覚し、受け入れ、肯定しようとする姿勢が彼の言葉から感じ取ることができた。ただし、世界に対する彼のアプローチには、作家としての自覚的態度がうかがえることもまた事実である。それはただ世界を全肯定するだけでなく、責任をもって「ものをいじる」ことによってむしろあるがままの世界を可視化するという、ある意味で逆説的な作業ともいえる。その場の状況=世界そのものを力ずくで変形しようとするのではなく、むしろその状況=世界に臨機応変に対応して「ものをつくって」いこうという、「ポジティブな服従」とでも呼べそうな態度をそこに見ることができるのであり、あくまでも自分は「ものをつくる作家」であり「空間をつくる作家」ではないのだ、という彼の言葉はそのように受け取ることもできるのではないだろうか。実際に早川さんにお会いして、個展についてのお話や、美術や世界に対する考え方など多くの貴重なお話を聞くことができた。普段自分たちが無批判に受け入れている整然と分類・整理された世界は実は「あやふや」なものなのだという、気づきそうで気づかない事実をあらためて自覚する機会ともなった。
(勝俣涼)