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今回、αMプロジェクト初の外国人作家の展覧会ということもあって、最終日を迎えるまで緊張と不安で心臓は鳴りっぱなしでした。その緊張の中でも成田空港までガゼルさんを一人で迎えに行ったことは今でも心に残っています。
空港に現れたガゼルさんは、長袖のTシャツにズボンで頭にスカーフを巻いて、サングラスをかけているという旅姿でした。てっきり私は、ガゼルさんがチャドルを着て現れるのではないだろうか、と思い込んでいたので驚きました。彼女は私がリーフレットを持って立っていたので、すぐに気づくことができたようで笑いながら挨拶を交わしました。
その時、私の中で抱いていた「チャドル=イラン人」や「非日常で想像がつかない、戦争、冷たい」というガゼルさんに対してのイメージの枠組みが消えたのです。そして、「おしゃれで感情表現が率直で豊か。ユーモアのあるパリジェンヌ風イラン人作家」である本人と接しているうちに、「日常、面白い、あたたかい」という印象が私の中に芽生えました。
それは、私がイランという国に対して、「黒いチャドル=戦争」というイメージをどれだけ強く持っていたのか、そして外見から得る情報にいかに惑わされているかを思い知った瞬間でもありました。
そうして搬入作業、武蔵野美術大学での講演会、αMのオープニングトークを通し、ガゼルさんの創り出す世界を間近で感じることが出来ました。中でも、トークで印象的だったのは、「このチャドルなんですけど、あくまでもイランのローカルなもののモチーフで使っているということが分かってもらえているかどうかというところがポイントなんです。」と何度もガゼルさんが仰っていたことです。チャドルに対する反応は作品を発表する国によって異なるそうです。
では、日本ではどうだったのでしょうか。
私が感じた限りでは、「日本人が持っているイランのイメージを壊す」ことに成功していたように思いました。日本人が戦争を連想してしまいがちなチャドルに、独自のユーモアを吹き込んで、チャドルをただのアイテム化してしまった技は見事です。例えば、お母さんが料理をする時エプロンを身に付けるように、小学生が学校に行く時ランドセルを背負うように、ガゼルさんにとってチャドルは最も身近なモチーフなのでしょう。
このようにして積極的にガゼルさんと関われたことで、最初に彼女と出会い、感じた印象をより実感することができました。これがスタッフとして関わることで得た貴重な経験なのだと思います。日本で初めて開かれたガゼルさんの展覧会をお手伝いすることができて、嬉しく思います。
(アシスタント・キュレーター:長尾衣里子)
俳句? ガゼルの『Me』フィルムについて カヴェ・ゴレスタン によるコメント
表象。 コンセプトのミニマムなレファランス。 イメージたち。
セットアップ/立ち上がる場面。 ただなる存在の不条理。
シーンの終わりに、強いられたユーモアがやっかいな苦味を残す。厳しい現実の味。 最も邪道な俳句のかたち。 痛烈な侮辱、悩みの種、眼には冗談、心には謎。
それぞれの分節がバブルガムの風船玉。
それぞれの文節は心の迷路。
笑っているのか、笑われているのか?
それが問題なのだろうか?
(カヴェ・ゴレスタン はおそらく最もすぐれたイラン人の写真家でジャーナリストのひとりでした。 彼はイラク戦争でBBCのために撮影していた2003年4月2日に、殺されました。)
(翻訳:岡部あおみ)
Haiku? On Ghazel’s Me films Comment by Kaveh Golestan
Signs. Minimal references to concepts. Pictures.
Set ups/scenes. Absurdity of ordinary existence.
The forced humour that, at the end of the line, leaves a nasty bitter taste: the taste of harsh reality. A most perverted form of haiku. A slap in the face, a thorn in the side, a joke for the eye, a puzzle for the mind. Each segment a bubble of a bubble gum.
Each segment a mind labyrinth. Are we laughing or are we being laughed at? Does it matter?
(Kaveh Golestan was probably one of the best Iranian photographers and journalists. He was killed on April 2nd, 2003, during the War in Irak while he was filming for the BBC)